大判例

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京都地方裁判所 昭和52年(ワ)293号 判決

京都市伏見区深草西浦町七丁目三番地一の一

原告 岩田由喜子

〈ほか七八名〉

兵庫県宝塚市美幸町一〇番六六号

被告 日本チバガイギー株式会社

右代表者代表取締役 エッチ・エッチ・クノップ

大阪市東区道修町二丁目二七番地

被告 武田薬品工業株式会社

右代表者代表取締役 小西新兵衛

大阪市東区道修町三丁目二一番地

被告 田辺製薬株式会社

右代表者代表取締役 松原一郎

東京都千代田区霞ヶ関一丁目一番地

被告 国

右代表者法務大臣 古井喜實

原告ら訴訟代理人弁護士 浅岡美恵

莇立明

岩佐英夫

小野誠之

海藤寿夫

川村フク子

河本光平

木村靖

久米弘子

小林義和

古家野泰也

崎間昌一郎

獅山向洋

高田良爾

長沢正範

坪野米男

中島晃

中元視暉輔

夏目文夫

浜田耕一

三浦正毅

村山晃

山下潔

吉田隆行

吉原稔

若松芳也

塚本誠一(但し昭和四八年(ワ)第三五六事件については原告ら訴訟代理人海藤寿夫復代理人)

一岡隆夫(但し右同事件については原告ら訴訟代理人莇立明復代理人)

吉沢雅子(但し右同事件については原告ら訴訟代理人海藤寿夫復代理人)

矢野修(但し右同事件については原告ら訴訟代理人中島晃復代理人)

尾藤廣喜(右同)

原告ら訴訟代理人中島晃復代理人弁護士 斉藤一好

本田兆司

沖本文明

斉藤義雄

児玉憲夫

高野嘉雄

稲田堅太郎

松本剛

飯田伸一

吉村敏幸

管野昭夫

豊田誠

岩城邦治

飯田和子

中山福二

田中伸

被告日本チバガイギー株式会社訴訟代理人弁護士 井出正光

井出正敏

笠利進

赤松悌介

宮武敏夫

藤田泰弘

広川浩二

土屋泰

長内健

高池勝彦

玉利誠一

渋川孝夫

美根晴幸

直江孝久

加藤豊三

右訴訟代理人赤松悌介訴訟復代理人弁護士 早川忠孝

被告武田薬品工業株式会社訴訟代理人弁護士 日野国雄

岡本拓

本間崇

木崎良平

早崎卓三

川本権祐

中島和雄

品川澄雄

田浦清

中筋一郎

被告田辺製薬株式会社訴訟代理人弁護士 丁野清春

青木康

武田隼一

伊東眞

石川泰三

大矢勝美

塩川哲穂

野村弘

羽田野宣彦

小松英宣

美作治夫

吉川彰伍

榎本昭

大久保均

被告国指定代理人 岡崎真喜次

〈ほか二一名〉

右当事者間の損害賠償請求事件について、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

一  別紙認容金額一覧表記載のとおり、同表記載の各原告に対し、同表被告欄記載の各関係被告らは、各自同表認容額欄記載の金員及び同表損害額欄記載の金員については昭和五四年五月一二日以降、同表弁護士費用欄記載の金員については昭和五四年七月三日以降各支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告西本裕、同青木恵美子、同江川耕、同岡本素子の被告田辺製薬株式会社に対する各請求及び原告宇野トクの被告日本チバガイギー株式会社、同武田薬品工業株式会社に対する各請求並びに原告らの第一項記載の金員を超える請求を何れも棄却する。

三  訴訟費用は

(1)  原告宇野トク、同西本裕、同青木恵美子、同江川耕、同岡本素子を除く原告らについては、各原告と関係被告について生じた分を各原告毎にこれを一〇分し、右一覧表「被告ら訴訟費用負担割合欄」記載の割合を各関係被告らの各自負担とし、その余の分は各原告の負担とし、

(2)  原告西本裕、同青木恵美子、同江川耕、同岡本素子については、右各原告について生じた費用のうち原告西本裕についてはその二分の一、同青木恵美子、同江川耕、同岡本素子についてはその各三分の一と右各原告につき被告日本チバガイギー株式会社、同武田薬品工業株式会社、同国に生じた費用を右被告らの各自負担とし、右各原告に生じたその余の費用と右各原告につき被告田辺製薬株式会社に生じた費用を右各原告の負担とし、

(3)  原告宇野トクについては、同原告に生じた費用の二分の一並びに同原告につき被告田辺製薬株式会社及び同国に生じた費用を右被告らの各自負担とし、同原告に生じたその余の費用並びに同原告につき被告日本チバガイギー株式会社及び同武田薬品工業株式会社に生じた費用を同原告の負担とする。

四  この判決は第一項記載の金員のうち、すべての原告につき被告国に対しては三分の一の限度で、原告伊藤美枝子、同太田幸子、同上条茂登子、同桐畑ムメ、同中川喜代子、同野田文子、同林テルエ、同森本すさ、同井上隆一、同各務初夫、同木津一郎、同田口八七子、同藤本勝治、同山本茂、同上本愛子、同宇野トク、同鄭雙順、同西本裕、同福田繁子につき、被告日本チバガイギー株式会社、同武田薬品工業株式会社、同田辺製薬株式会社のうち各関係の被告会社に対しては三分の二の限度で、その余の原告らにつき右各関係被告会社に対しては二分の一の限度でそれぞれ仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  別紙(一)「原告請求金額一覧表」記載のとおり、同表記載の原告らに対し、それぞれ同表中の各関係被告欄記載の被告らは各自同各請求金額欄記載の金員及び同慰藉料欄記載の金員については昭和四五年九月七日(但し原告番号四〇の一ないし六の各原告については昭和四八年四月六日)から、同弁護士費用欄記載の金員については判決言渡しの日の翌日から各支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁(被告ら)

1  原告らの各関係被告らに対する請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  仮執行免脱宣言(被告国、被告チバ、被告田辺、但しチバは担保を条件)

第二当事者の主張

一  請求原因

第一当事者

一  原告

原告らは、いずれもキノホルム剤を服用してスモンに罹患したものか、もしくはスモンにより死亡したものの相続人である。

二  被告

被告国は、公衆衛生の向上及び増進を図るため、厚生大臣をして医薬行政を担当せしめているものであり、被告会社らはいずれも医薬品の製造・販売等を目的とする株式会社である。

第二スモンとキノホルム

一  スモン

スモン(SMON)とはSubacute-Myelo-Optico-Neuropathy(亜急性・脊髄・視・神経症)の略称であり、おおむね、両下肢末端の異常知覚から始まることが多く、これが身体下部より上部に及び、起立不能・歩行困難等の運動障害を起し、その他視力障害等の諸障害をともなうことがある。スモン患者は、日本では、昭和三〇年頃からスモン症例が報告されはじめ、昭和三〇年代の半ばより昭和四四年頃まで全国各地で多発したものである。

二  キノホルム

キノホルムはキノリンを母核とし、その五、七、八位の水素原子がそれぞれ塩素、よう素及び水酸基で置換されたキノリン誘導体の一つで一八九九年(明治三二年)頃開発され、外用薬として使用されていたほか、ヒトのアメーバ赤痢に薬効ありとされていた。

第三被告会社らの本件キノホルム剤の製造販売及び国の製造承認等

被告会社らは別紙(二)キノホルム剤一覧表のとおり各キノホルム剤を製造又は輸入して販売し、厚生大臣は右一覧表のとおり右キノホルム剤の製造又は輸入を許可又は承認した。

第四因果関係

一  原告ら(原告のうち相続人についてはそれらの被相続人……以下同じ)は、それぞれ別紙原告別一覧表記載のとおり被告会社らの製造(輸入)販売にかかるキノホルムを含有する薬剤を服用してスモンに罹患し、「損害」の項記載のとおりの症状を呈する重大な損害を蒙ったものであって、右スモン罹患はいずれもこれらキノホルム剤の服用を原因とするものである。

二  原告ら本件患者の罹患したスモンはキノホルムによるものである。

(一)  スモン調査研究協議会(以下スモン協という)及び厚生省特定疾患調査研究スモン班(以下スモン班という)の研究成果

1 スモンは昭和三〇年代にはいって多発化の傾向を示し大きな社会問題となっていた。昭和三九年に開かれた第六一回内科学会総会のシンポジウムにおいて本症は新しい独立疾患であることに大方の意見の一致をみたが、その病因については、種々の説が唱えられたものの決定的なものがなく、病因不明のままスモンは益々多発化の様相を示すに至った。ここにおいて我国の全ての英知を集めた大がかりなプロジェクトチームの結成の必要が強調され、昭和四四年九月二日厚生省はスモン協を発足させたのである。

スモン協は全国の大学・研究機関等の専門家四四名(後に七三名)をもって組織されたが、その研究は疫学、微生物学、生化学、薬学、内科学、神経学、病理学など多方面の専門家により各研究班(臨床・疫学・病原)又は各部会(治療、予後、キノホルム、微生物など)ごとになされた。それは日本の医学薬学その他関連の各種分野の最高水準の学者の結集であったし、スモン協に国が支出した研究費は一億九、八〇〇万円であった。

スモン協の多方面にわたる研究成果のうえにたって、昭和四七年三月一三日研究総括として会長甲野礼作は「スモンと診断された患者の大多数はキノホルム剤の服用によって神経障害を起こしたものと認められる。」と報告した。

かくしてスモンの原因がキノホルムであることは学会を中心として幅広い貴重な研究成果のうえに公的に確定され社会常識となった。

2 スモン協は右結論を出した後昭和四七年度にスモン班として再発足した。スモン班は右スモン協の研究成果をひきつぎ調査研究を継続したが、その結果キノホルム説に矛盾するものはなくこれを支持強化するものばかりであった。

昭和四八年三月スモン班の総会で甲野礼作会長は「新発生患者の届出は昭和四七年六月、大阪府よりの一名に止った。このことはキノホルム発売停止措置がいかに有効であったか、換言すればスモンの病因はキノホルムをおいては考え得ないことを示すデータであり、キノホルム病因説は確立されたとみてよいと思われる。」と述べ、昭和四九年三月の総会でも同会長は「その後の疫学的事実及び研究成績から昭和四七年三月一三日のスモン協の総括に背馳する事実は認められず、キノホルム原因説は、より一層強固なものとなった」としている。更に昭和五〇年三月のスモン班総会でも重松逸造班長は総括において「昭和四六年度に報告されたスモンとキノホルムの因果関係については昭和四九年度の研究で決定的になったといってよい。」と報告している。

もはやスモンとキノホルムとの間に因果関係の存することは明らかである。

(二)  スモンとキノホルムとの間に因果関係の存することは次の四つの事実から疑う余地のない事実として広く承認されている。

1 スモン患者はスモン症状発現前にキノホルム剤を服用している。

スモン協は昭和四五年九月二〇日及び昭和四六年七月から昭和四七年二月にかけて二回にわたり全国的なキノホルム剤服用についての疫学調査を行なったが、その結果発病前六か月のキ剤服用率は「不明」及び「ないらしいが不確実」を除くと第一回調査(スモン協臨床班員一八名の自験例)では八四・七%、第二回調査(全国の医療機関に対する調査)では八三・四%に達した。

右の全国的な疫学調査と共にスモン協の個々の研究者のキ剤服用調査の結果も極めて高い服用率を示し、しかも精度を高めると一層高率になることを示している。

2 スモンの発症とキノホルム投与との間にdose-response-relationshipが成立すること及びキ剤は昭和三〇年代半ばから昭和四五年ころまでに特に多量に生産・販売・服用されたものであるが、スモン患者も右の期間に特に多発し、キノホルム剤販売量とスモン発現数との間には比例的な相関関係が存在することが明らかになった。

3 昭和四五年九月八日のキノホルム剤販売停止措置後スモンの発生は終熄した。

昭和四五年九月八日厚生省は中央薬事審議会の答申に基づき販売中止の措置をとったが、右措置はキノホルム原因説を検証するための一種のプロスペクティブ・スタディともいえるものである。その結果スモンは劇的に終熄をみたのであり、スモンの原因がキノホルムに他ならないことを証明した。

4 動物実験の結果人のスモンに酷似した症状と病変が再現された。

スモン協においては、臨床的には、イヌ、サル、ウサギなどに両側性に運動障害、失調がみられ、しかも後肢に強いこと、イヌに後肢の腱反射亢進、尿失禁がみられ、イヌ、ネコに視力障害がみとめられており、病理組織学的には、数種の動物においてスモン剖検例の特徴である末梢神経、脊髄後根神経節、脊髄長索路の変性がみられたことが報告されている。又その後のスモン班の研究ではそれまでのキノホルムの漸増投与法によらず定量の投与によってもビーグル犬を発症させたことが報告され、動物実験による因果関係の裏付けは十分であるといえる。

第五被告会社らの責任

一  安全確認義務

(一)  安全確認義務の内容

1 製薬企業は、医薬品の製造(輸入)販売を開始するにあたり、当該医薬品によって人の生命・健康に不測の危害を与えることを未然に防止するため、当該医薬品及びその類似化合物について世界最高水準における文献調査、薬学的・薬理学的研究、急性・慢性毒性に関する動物実験及び臨床試験をなし、更に臨床使用の経験のある医薬品については、臨床使用の追跡調査を行うなどすることにより、当該医薬品の化学的性質、来歴、吸収・分布・代謝・排泄の程度、毒性の内容と程度を研究し、もってその安全性を確認する義務がある。そしてその結果当該医薬品に人体に害作用をひき起こすかもしれないという疑いが判明したときは、予見された害作用の内容・程度に応じた万全の結果回避措置をとる義務があり、特に期待されている薬効と比較して許容されない害作用をひき起こすかもしれない疑いがあるときは、当該医薬品を使用に供してはならない。

また医薬品の製造販売開始後においても右と同様の義務を負うことは当然である。

2 製薬企業が右の高度な安全確認義務を負う根拠は次のとおりである。

(イ) 医薬品は本来生体にとって「異物」であり、有用性のみならず有害性も有し本来的に危険であること、とりわけ合成化学物質である場合には人体に及ぼす害作用について未知の部分が大きいこと

(ロ) 医薬品は直接人体に摂取されるものであり、最高度に尊重されるべき人の生命・健康に直接つながりを有すること

(ハ) 医薬品は商品として流通過程におかれ、利潤追求を目的とした大量生産により多くの国民に摂取されることが予定されていること

(ニ) 消費者たる国民は医薬品の安全を確認する手段がなく、それは専ら製薬企業及び国の手に委ねられていること

3 被告会社は本件キ剤の製造(輸入)販売をなすにあたり右の安全性確認義務があったが、本件キ剤については次の予見可能性の項で詳述するとおり、次の特殊性すなわち合成化学物質で当初外用消毒剤として開発されたこと、吸収されることが判明していたこと、サパミンやC・M・Cの添化により吸収の増大が予測されたこと、劇薬性を有していたこと、多くの副作用に関する情報が集積していたことなど危険性を疑わせる事実があり、被告会社はこれを知っていたか、調査研究により容易に知り得た。

(二)  予見義務の対象

予見義務の対象は、当該医薬品の摂取による人の生命・健康に対する危害を防止するために要請される結果回避措置、たとえば害作用に関する情報の提供、用法・用量の指示・制限、製造販売の中止等に対応し、これによって規定されるというべきである。そして本件においてとられるべき結果回避措置は本件被害の悲惨さを考えるときキ剤の使用中止であったことは明らかである。

そうすると本件における予見義務の対象は「本件キ剤に期待されている薬効と比較して許容されない害作用をひき起こすかもしれない疑いがあること」といわなければならない。

二  製造販売開始時における責任

(一)  危険性の予見可能性の存在

1 本件キ剤の危険性

(イ) 医薬品の内在的危険性

医薬品は本来多面的な作用を有し、目的とする作用のほかに人体にとって望ましくない作用を必然的に伴う異物であって人体に対する内在的危険を有している。ことに合成化学医薬品は天然の医薬品と異り人体になじみがなく、また開発の当初から全ての作用が解明されているわけではなく、そのうえその作用は強力かつ多面的である。加えて医薬品の殆んどが商品として大量生産大量消費され、安全性の確認よりは利潤の追求が優先され、被害も広範囲に及ぶという事情があるのである。

(ロ) キノホルム開発の歴史・ドラッグデザインから判明していた危険性

キノホルムは一九世紀末に合成されたが当初は外用消毒殺菌薬として市場に登場し、その後チバ社により一九三四年から抗アメーバ剤として内用薬として製造販売されたものである。

ところでキノホルムの骨格であるキノリンはキニーネの代用薬として合成されたが、当初から神経、血液、肝臓等に対する毒性が指摘されていた。キノホルムのドラッグデザインの手法はこのキノリンに「フェノール化」、「パラクロール化」、「ヨード化」を加えてその作用を増強させることを意図したものであった。したがって毒性の強くなったキノホルムを内用すればその危険は当然予測し得るばかりでなくキノホルム開発時の実験報告からみてもその危険は明らかであった。

(ハ) 腸内殺菌剤の条件に反して吸収されることから判明していた危険性

殺菌薬を腸内殺菌のため内用する場合には腸内で吸収されないこと、吸収されても中毒を起こさないことが条件である。ところがキノホルムはパルム(ジョードキンについて)、デーヴィド、アルブライト、ハスキンスらによる吸収を示す多くの報告があり、又多くの有害作用報告からみてかなり強い毒性のあることが明らかであった。したがって被告会社は事前にキノホルムが消化管から吸収されるか否か十分調査し、吸収されることがわかった場合にはその分布、代謝、排泄等を調査しキノホルムが人の生命健康に害作用を与えないよう確認する必要があった。更に本件キ剤にはサパミン、C・M・Cなどの添加剤が混合され、キノホルムの分散、溶解、吸収に影響を与えてキノホルムの毒性を増大させる蓋然性があったとともに、添加剤相互及び添加剤と主薬であるキノホルムとの間の相互作用によりキノホルムの毒性を増強する可能性もあった。

(ニ) キノホルムの劇薬性から判明していた危険性

キノホルムは劇薬指定の基準に合致する激しい作用を有する医薬品であり、このことはデーヴィドらの動物実験などから古くから知られていた。それ故外国においては今日まで劇薬に指定されており我国でも昭和一一年に劇薬に指定されたことがあるのである。キノホルムの劇薬性は人体に重篤な害作用を与える危険性を有していることを示している。

(ホ) いわゆるデーヴィド警告

一九三〇年代以降チバ社の援助により一連の研究を担当した学者の一人デーヴィドは一九四五年一〇月二〇日のアメリカ医師会雑誌に論文を寄せキノホルムの危険性につき警告を発していた。すなわちキノホルムは「もともと毒性があり予期せぬ作用を生ぜしめることがあり」、投薬期間、休薬期間、使用禁忌、適応症等使用上一定の規制に従うべきこと、特に「非アメーバ性下痢の治療に対し経験的に使用すべきでない」ことを戒めていたのである。

2 人体の多面的な部位への障害の予見可能性

キノホルム及びその類似化合物について次のとおり胃腸、腎臓など人体の多面的な部位に現実に障害を与えたことの、又は与える可能性を示す報告が古くから存在しており、キノホルムが薬効と比較して許容されない害作用を与えることは十分予見可能であった。

(イ) 胃腸障害の予見可能性

一九三四年から一九四四年にかけ、グラヴィッツ、バロス、アンダーソン、デーヴィドらはキノホルムの副作用として便秘、腹痛、腹部膨満感、鼓腸、嘔吐、下痢などのあることを報告している。我国においても一九三六年から一九五〇年にかけて、徳山康秀、田辺操、奥津汪らはキノホルムの副作用として腹部膨満、腹痛、下痢、悪心のあることを報告している。その他一九四一年のグッドマン・ギルマンの教科書にも胃腸障害がある旨の記載があり、前記キノホルムの一般的危険性は右の多くの害作用報告により明白になった。右の報告はいずれも公刊され被告会社は十分これを知り得たから、キノホルムが人体に胃腸障害を起こす予見は十分可能であった。

(ロ) 肝臓、腎臓障害の予見可能性

キノホルム及びその類似化合物について一九二四年から一九五二年にかけて、シューベル、ワイズローグル、オーヴィング、デーヴィドら及びスイスチバ社は動物実験を行い、動物の重大な肝臓、腎臓障害を報告している。

また人についても一九三三年マクソンはキニオフォン(ヤトレン)を静脈注射した後に肝臓障害により死亡した二症例を報告しており、一九四九年レーケン・ヘイマーカーはパマキンの肝臓及び腎臓障害を報告している。

更にデーヴィドは肝障害またはその疑いのある患者にキノホルムを使用してはならない旨警告しており、多くの教科書にも肝障害のある場合にはキノホルムを控えるべき旨の記載があった。

(ハ) 膵臓障害の予見可能性

一九五二年岡本は8オキシキノリンにつき糖尿病発症の危険性を指摘している。

(ニ) その他の障害の予見可能性

その他皮膚障害及び甲状腺障害につき多くの報告例がある。

3 神経毒性の予見可能性

(イ) 類似構造、類似作用の経験則

「類似構造を持つものは類似の作用を示す」との経験則は近代薬学、薬理学上の大前提であり、合成された医薬品はその類似化合物と類似の作用を示すことが予見されるが、毒性についても同様である。本件についていえば、キノリン、アミノキノリン、8オキシキノリンや他のハロゲン化8オキシキノリンは極めてキノホルムに近いキノリン誘導体であり、これらには神経毒性のあることが判明していたから、キノホルムによるスモンの予見可能性は十分あったのである。

(ロ) 芳香族化合物の神経毒性からの予見

キノホルムはベンゼンとピリジンの縮合したキノリンを母核とする芳香族炭化水素であるが、芳香族炭化水素の多くは運動麻痺を主体とする神経毒性を有することは古くからよく知られており、更に水酸化、ハロゲン化により毒性が増大することも古くから知られていた。そして芳香族化合物は脂溶性に富み、ハロゲンも同様であるからハロゲン化された芳香族は一層脂溶性が高いところ、神経組織はリボイドに富み、脂溶性の高い薬品ほど神経組織に溶け込みやすく麻痺作用も強いとのメイヤー・オーバートン学説はよく知られている。

したがってキノホルムが神経組織に取り込まれ障害を起こすと考えることは容易であった。

(ハ) キノリン、8オキシキノリンの神経毒性からの予見

キノリンにつき、それが神経をはじめ興奮させのちに麻痺させること、特に運動神経系の麻痺が特徴的であることは一九世紀既に報告され、また内外の多くの教科書に記載されており、キノリンの神経毒性はよく知られていた。8オキシキノリンはキノリンの八位の水素を水酸基で置換したもの(フェノール化)で、高い毒性が報告されている。更にハロゲンを導入すると毒性を強めることは前述のとおりであるが、ハロゲン化オキシキノリン、すなわち、クコールオキシキノリン、ジョードキン、プロムクロールオキシキノリンについても神経毒性のあることが報告されていた。(一般に塩又は酸の塩を加え水溶化すると毒性が減弱し、キノリンの四位をスルフォン酸化したキニオフォンはこれにあたるが、キニオフォンについてもウグイに神経毒性のある報告がされている。)

キノホルムはハロゲン化オキシキノリンの一種であり、右の事実はキノホルムの神経毒性を一層強く予見させるものである。

(ニ) 他のキノリン誘導体の神経毒性からの予見

キノリン誘導体の合成の出発点であるキニーネの抗マラリア作用及び解熱作用はキノリン核にあると考えられたことから8アミノキノリンや4アミノキノリンが合成されたが、8アミノキノリンにつき一九四八年から一九四九年にかけてオーヴィング、シュミット、リヒターらにより動物の神経毒性が報告され、人においても一九四八年にレーケン、クレージらが神経障害を報告している。4アミノキノリンについても一九四〇年代にワイズローグル、オーヴィングらにより人及び動物の視力障害の報告があり、キノリン核自体の前記神経毒性及びこれらキノリン誘導体の示す神経毒性によればキノホルムも又神経系統に障害をもたらすであろうことを予見するのは容易であり、当然すべきであった。

(ホ) キノホルムの神経毒性についての報告―スモンの完全な予見

キノホルム自体についても次に述べるように古くから神経毒性が指摘され、スモン症状そのものの報告すら公刊されていたからスモンの予見は完全に可能であった。

すなわち

(1) 組織培養試験の報告

ホーグは一九三四年種々の抗アメーバ薬の組織培養細胞に対する作用試験を行った結果、キノホルムは五万分の一の濃度で翌日殆んどすべての線維芽細胞および神経を死滅させ、キノホルムの神経組織に対する傷害が最大であったことを報告している。

(2) 動物実験の報告

スイス・チバ社は昭和一〇年代社内においてキノホルムの急性中毒に関する動物実験を行っていた。その結果はスモン症状に極めて近いキノホルム自体の神経に対する障害の実在を示している。

(3) 臨床報告

キノホルムが外用に用いられていた時代においてもキノホルムの神経症状を疑わせる報告が出ていた。すなわち一九〇〇年のターフェルの報告及び一九〇八年のテルングの報告である。

更に注目すべきは一九三五年アルゼンチンのグラヴィッツはキノホルムを服用した患者が膨満、疼痛を伴う鼓腸等の腹部症状の後に脊髄炎に似た下肢の麻痺をきたしたというまさにスモン症状を報告しており、チバ社は一九三四年「チバ時報」に右グラヴィッツの臨床報告を掲載していたのである。次いでバロスは一九三五年右グラヴィッツの報告にあったうちの一人の患者についてその詳細を追加報告しているが、それによるとビオホルムの服用後に胃痛嘔吐があり死足感が現われたこと、服用中止後知覚異常が残ったこと、再投与したところ腹痛と下肢の知覚及び運動障害が増悪し、つたい歩きしなければならなかったこと、四五g服用後は痙攣性歩行、フースクロヌス、膝蓋腱反射亢進、バビンスキー反応陽性があったことが記載されている。これはまさにスモン症状そのものである。バロスから報告を受けていたチバ社はこれを知っていたしこの報告を登載したセマナ・メディカ誌は東北大学に収蔵されていたから他の被告もこれを知りえた。

被告会社らの責任は明らかである。

(二)  被告会社らの安全確認義務の懈怠

前述のごとくキノホルムの危険性は古くから判明していたばかりでなく、本件キ剤の製造(輸入)販売開始時までには人に対し神経症状を含む重篤な害作用を及ぼすことが十分に予見可能となっていた。とりわけバロス・グラヴィッツの報告にみられるようにキ剤投与によりスモンと同様の神経症状が起こることまで判明していた。このようなキノホルムの重篤な害作用が明らかにされるなかでチバ社がキ剤の研究調査を委嘱したデーヴィド自身キノホルムの無規制な使用に対し警告を発し、バロスも神経毒性に鑑みその安全性を確認するように警告していたのである。

このようにキノホルムに神経障害を含む重篤な害作用があることの情報が集積し、キノホルムの危険性を十分予見することが可能であったにもかかわらず、右情報を看過あるいは無視し、キ剤を製造(輸入)販売して原告らに悲惨な被害を発生させた以上、被告会社らに本件キ剤の製造(輸入)販売につき過失があったことは明らかである。

三  製造販売開始後の責任

(一)  安全確認義務及び結果回避義務の懈怠

右のとおり被告会社らはキ剤の製造販売開始時に明白な過失責任を問われるべきことは勿論であるが、その後における製造販売活動は一層違法性を強め、悪質化し、その責任を重大化した。

被告会社らは医薬品の製造販売業者として医薬品の製造販売開始後も継続的に世界最高の科学水準によってその安全性有効性について追跡研究すべき義務があり、害作用報告の収集、薬効・毒性の再評価、有害薬品の製造中止等は被告会社らの基本的義務である。

しかし被告会社らは、キ剤の製造販売開始後キ剤の多数の害作用報告が続々と累積し、年を追ってキ剤が人体にとり極めて危険であることが明白になったにもかかわらずこれらの報告を無視又は看過したのみならず、更に大量消費を促進し、その結果万余におよぶスモンの未曾有の薬害をもたらした。

(二)  被告会社らの安全性無視の実態

1 キ剤の製造(輸入)承認(許可)申請時における犯罪性

本件キ剤のうちメキサホルム散「チバ」以外のものについては製造承認時何ら審査の資料を添付していない。そして右メキサホルム散「チバ」の場合には動物や人におけるキノホルムの毒性報告を故意に隠匿し、科学的根拠に基づかない有効性のみを強調した欺瞞的治験報告を提出して有効性を虚構しているのである。

2 FDA勧告の日本における無視

アメリカのFDA(食品医薬品庁)は一九五四年チバ社に書簡を送りキノホルムの微生物によらない単純性下痢に対する有効性について強い疑念を表明し、その後一九六〇年にチバ社に対しキノホルムの使用はアメーバ症のような重症疾患の治療に限定すべきであり、処方薬類だけに限定すべきである旨の勧告をなした。チバ社は右FDAの判断を覆すに足りる資料を提出し得ず一九六一年に至って右勧告にしぶしぶ従ったのである。しかし我国においてはチバ社は右FDAの勧告の後にもいくつかのキ剤の製造許可、承認をとり続け、適応症を単純性下痢一般に拡大しているのである。FDAの右規制を無視している点ではチバ社と提携している被告武田は勿論右規制を当然知り得る製薬会社である被告田辺も同様の重大な責任がある。右の被告会社らの態度は安全性に対する配慮を全く欠いている証左といえる。

3 チバ社の獣医宛回状

一九六五年までにハンガルトナー、シャンツらによりイヌ、ネコにおけるキ剤による神経毒性報告が次々とされたため、チバ社は同年獣医宛に「キノホルムは動物の治療薬として勧められない」旨の回状を送付した。このようにチバ社はイヌやネコに対しては使用中止の措置をとりながら、同じ医薬品を用いる人に対しては何らの措置もとらずその安全性を全く顧慮しなかった。同社は当時害作用報告の集積や動物実験によりキノホルムの人に対する危険性を十分認識していたはずであり、同社の右態度はその安全無視の体質を示している。

4 キ剤の販売過程における犯罪性

(イ) 欺瞞的治験報告

被告会社らはキ剤の大量消費のため、日本にアメーバ赤痢や腸性末端皮膚炎はほとんどないので一般の下痢、胃腸炎に著効がある旨の臨床治験報告を必要とした。そこで著名な医師、病院、大学医学部に対しキ剤を提供してその薬効を検討してくれるよう委嘱し、それを受けた臨床家はキ剤を「使った」「なおった」「効いた」のいわゆる三タ論法でその効果を判定した治験報告を作成したのである。これらは対照試験や二重盲検法を用いたものではなく薬効を科学的合理的に証明したものではない。

被告会社らは右の欺瞞的治験報告を利用して、キ剤の宣伝をなしその大量消費を促したのである。

(ロ) 根拠のない適応症の拡大

内用薬としてのキ剤はアメーバ症のみに有効とされていたのである。ところが被告会社はキ剤をあらゆる腸疾患に著効を示す如く宣伝したが、これは明らかに医学、薬学上認められている効能の範囲を超えるものである。

(ハ) 根拠のない用法用量の拡大

被告会社らは公定書や薬理書において医学薬学上認められた範囲以上の用法用量を能書に記載し、甚しきは許可を受けた範囲を超える用量を能書に記載して大量販売してきたのである。

(ニ) 悪質な虚偽の宣伝広告

被告会社らは忍容性の強調、副作用の不記載と安全性の強調といずれも真実に反する宣伝をなし多量かつ長期の使用を促したのである。

第六被告国の責任

一  国の安全確保義務

(一)  国の安全確保義務の根拠

被告国は医薬品の安全性を確保する義務を負う。これは次に述べる諸点より明らかである。

1 医薬品は直接人体に摂取されるものであり、人間として最大の価値ともいうべき人の生命、健康に直接のつながりを有する。医薬品は原則的に毒であり、人体にとって生理活性をもった異物であるから人体に対して常に害作用を及ぼす危険性を内包しているのであるが、医薬品を消費する国民は医薬品の安全性を確認する手段を持たず、しかも医薬品は商品として営利活動の対象となり流通におかれているから、ひとしく国民は時、場所をとわず危険な医薬品をいつ服用するかも知れない立場におかれている。国は右危険を防止するため最大の努力をすべきであり、人類普遍のものである人の生命、健康という絶対的、非代替的価値を守るべく医薬品の安全性を確保する最高度の義務がある。

2 戦前においても時の政府は明治三年の売薬取締に関する太政官布告以来昭和一八年三月に公布された旧々薬事法の制定に至るまで薬事制度を整備し、不良医薬品を追放し、良薬を確保するため一定の基準をつくるなど医薬品の製造販売に規制を加えてきたが、それは、医薬品の有用性安全性を確保するうえで極めて不十分であった。その原因は天皇主権の旧憲法の下で富国強兵、殖産振興が国家目的とされ、ことに中国大陸への侵略戦争の開始以後は、軍事目的が優先され、壮健な兵力の確保という観点から有効性のみが強調された薬事行政がとられていたからである。昭和二二年新憲法が制定され国民主権主義、平和主義、基本的人権の尊重が新しい基本原理となった。

新憲法一三条は「すべて国民は個人として尊重される。生命、自由及び幸福追及に対する国民の権利については公共の福祉に反しない限り立法その他国政の上で最大の尊重を必要とする」と定め国民の生命健康を保持する権利は最大の尊重が図られることになった。右の国家原理の根本的転回により、薬事行政の理念は国民の生命、健康を営む権利、幸福追求をする権利を保障することに最高の価値を置くことに転換が図られ、戦前においても薬局方は収載医薬品の有効性と安全性を確認する建前が一応存在していたが、戦後においてはそれは憲法及び法律に根拠を有する実質的なものとなったのである。

3 現実の薬事行政の実態からみても国に安全確保義務が存するとみられる。すなわち

(イ) 医薬品の製造承認(許可)は次第に厳格化し積極的に医薬品の安全を確保するものとなっている。具体的には昭和二三年の旧薬事法のもとでも抗結核薬チビオンやイソニアジドについて製造許可時に安全性が問題とされ製造許可が留保されたこと、昭和三七年厚生省薬務局は「医薬品製造指針」を出版し医薬品の製造承認が無害有効な医薬品に与えられるべきことなどを明らかにしたこと、同年特別審査制度が設けられたこと、昭和三八年製造承認申請にあたって胎仔に対する影響に関する動物実験成績書の添付を必要とする通達が出されたこと、昭和四〇年の医薬品製造指針で動物実験方法について具体的な指示がされたこと、昭和四二年九月従来の慣行を集大成した「医薬品の製造承認に関する基本方針について」が出されたこと、昭和四六年吸収・分布・代謝・排泄の資料に関する通達が出されたことなどがあげられる。

(ロ) 製造(輸入)承認(許可)を受けた医薬品についても、その副作用・害作用が重篤なものについては、いくつかの行政上の措置がとられている。

(ハ) 医薬品の危険性に鑑み薬事行政のうえで安全対策のため昭和四二年に実施された副作用モニター制など各種の措置が実施されている。

(ニ) 国は製薬会社に対して不当広告宣伝の規制措置をとることが義務づけられている。(薬事法六六条、六七条、六八条など)

4 昭和四九年一〇月一三日、全国サリドマイド訴訟原告団と大日本製薬株式会社及び厚生大臣との間でサリドマイド被害児とその家族に対する損害賠償、生活・医療・介護等の補償措置に関する合意が成立し、サリドマイド訴訟は和解により終結したが、その際取り交された確認書第二項において国は「製造から回収に至る一連の過程において」すなわち国が関与する製造(輸入)許可(承認)の段階及びその後の段階においても医薬品の安全性を確認すべき義務を負っていることを明確に認めている。右確認書の意義は大きくサリドマイド訴訟と同様の内容を持つ他の薬害訴訟においても適用されるべきである。

5 薬事実定法規において国の安全確保義務の根拠となる規定がある。

(イ) 医薬品製造(輸入)承認(許可)時における安全確認義務新旧いずれの薬事法下において日本薬局方(公定書)外医薬品の製造輸入にあたっては、国は製造業者に対し文献・実験資料等の提出を求め、これを医学・薬学の専門家集団(薬事審議会、中央薬事審議会)による審査に付したうえで承認(許可)を与えることになっており、これは国が安全確認の法的義務を負っているからに外ならない。

(ロ) 日本薬局方(公定書)収載時における安全確認義務

新旧薬事法において厚生大臣は薬事審議会という医学、薬学の専門家の審査を経たうえで有効性と安全性を確認した医薬品を収載した日本薬局方(公定書)を判定、公布することになっているが、薬局方は洋の東西を問わず医薬品の有効性と安全性を国家が保証することを本質的使命として成立発展してきたものである。新旧薬事法にあっても局方収載品は、その強度品質及び純度が薬局方で定めた基準に適合しさえすれば、格別品目ごとの製造許可承認を経ることなく製造等が出来る旨の規定がある。このことを前記局方外医薬品の製造承認の際の国の安全確認義務と対比してみるならば、局方医薬品については日本薬局方(公定書)収載時に安全確認をする建前であるとすることにより制度の統一的理解が可能となる。

(ハ) 局方収載後又は製造(輸入)承認(許可)後における安全確保義務

旧現薬事法には厚生大臣は少くとも十年ごとに日本薬局方の改定について(中央)薬事審議会に諮問すべきことを定めた規定があり、国はキノホルムを薬局方に収載後もその安全性に問題を生じたときは局方から削除すべき義務があった。また国は製造承認後も安全性の確保のため承認内容の再審査や追跡調査を行なう必要があり、その結果問題があれば承認の取消しが可能であり、販売停止等の措置をとるべきことを自ら認めている。(厚生省薬務局企画課執筆の「口語薬事法」、昭和四三年五月七日参議院社会労働委員会における厚生大臣の見解)その他新旧薬事法下における「要指示医薬品」の制度、現行薬事法下の医薬品の添付文書の記載事項に関する製造会社の規制措置等の危険防止措置は国の安全確保義務の一環であるといえる。

(二)  安全確保義務の内容

1 安全確保義務の中味

安全確保義務とは薬の危険性を予見する義務とその予見に従いその医薬品の危険な結果を回避する義務である。その際要求される水準は世界最高の学問水準であるべきである。そして国は年々進歩する学問水準に即応しその都度不断に安全性を確保しなければならない。具体的に国の本件キ剤に対する安全性確保義務が集中的に現れたのは、昭和二六年の第六改正薬局方収載時、昭和三六年の第七改正薬局方収載時、本件各医薬品の製造(輸入)承認(許可)時、更に本件キ剤の安全性につき疑いをもたらす文献報告等が出された時であり、国はその度ごとに安全確保義務を怠った。

2 予見義務の内容

国の予見義務の内容は次のとおりである。

(イ) 局方収載時において当該医薬品及びその類似化合物に関する国内外の全文献を収集調査し、安全性確保の必要に応じて、その医薬品の用法、用量、使用期間に応じたあらゆる薬理試験、吸収・代謝・分布・排泄及び急性・亜急性・慢性の各毒性に関する動物実験及び臨床実験をし

(ロ) 医薬品の製造の承認に際しては、当該申請者をして右文献の収集調査をさせ、かつ右動物実験及び臨床実験を行わせてその結果を提出させ、専門家により安全性を審査検討させるとともに自ら文献調査及び実験をなし

(ハ) 一旦局方収載、製造承認後でも安全性に関するあらゆる情報を収集・調査し、各種試験を行わなければならない。

3 予見義務の対象

予見義務の対象はおよそ予見可能なすべての害作用のおそれであるが、本件において原告らはキ剤は薬としての適格性を有しない旨主張するから医薬品として存在することが否定される害作用のおそれとは何か、そしてそれが予見可能であったかが本件で問題となる。そしてそれは期待される薬効と比較して、許容されない害作用のおそれの存在ということができ、これが本件における予見義務の対象である。

4 結果回避義務

国は予見義務を尽してその医薬品の害作用のおそれを予見したときは結果回避義務をとるべきであり、右義務の内容は当該医薬品の有する危険の程度、内容に応じて異るが、本件キ剤にあってはその害作用の故に薬としての適格性が否定されるものであるから、キ剤の全面的禁止すなわち薬局方から削除し、各種キ剤の製造(輸入)承認(許可)を与えず、承認(許可)の後にあってはその承認を取消し販売停止製品の回収をすべき義務があった。

(三)  本件において国が高度の安全確保義務を負う根拠――国のキ剤に対する特別関与

1 キノホルムの国産化

昭和一二年日華事変が勃発し、医薬品が輸入難になるにつれて、軍事的見地から国産医薬品の製造開発が厚生省衛生試験所で本格化したがビオホルム(キノホルム)もその一つである。キノホルムは日本において当初より軍部の要請のもとに国によって開発されその工業化、製造、消費ともに国自ら行ったものであり、国は戦前から製造者の地位を有していた。

2 劇薬指定

厚生省は昭和一一年キノホルムを劇薬に指定したが昭和一四年これを解除した。これは形式的には第五改正日本薬局方の一部改正によりキノホルムを普通薬として薬局方に収載したためといわれているが、実質的には戦争遂行の目的のためである。従って平和体制に戻った戦後には当然劇薬として指定すべきであった。

3 戦時薬局方(第五薬局方臨時改正)新収載における軍事的性格

昭和一四年一月、キノホルムはいわゆる戦時薬局方に収載されたがこれはキノホルムが強力な外用殺菌剤であり、かつ軍隊が進出しようとしていた大陸各地に蔓延するアメーバ赤痢の治療薬であるところから、国産化を開始したキノホルムの生産増強をはかるためであった。したがって新憲法の成立した戦後においては戦時薬局方の新収載品、就中キノホルムは徹底的に洗い直さなければならなかった。

二  キノホルムの危険性と予見可能性

キノホルムについて前記予見義務を国が履行していれば、キノホルムが人の生命・健康に対し許容しえない害作用を生じさせるおそれを否定できない程度に予見できたことは勿論、さらに進んでキノホルムにより神経毒性ひいてはスモン様障害を中心とする神経症状をひきおこすことまで予見できた。この予見可能性については被告会社について述べたことがほぼあてはまるので繰り返さない。

三  国の安全確保義務の懈怠

(一)  薬局方収載時の国の安全確保義務懈怠

国はキノホルムを第六改正及び第七改正日本薬局方に収載するにあたりその安全性を確認すべき義務(結果予見義務)を十分に尽し、そのうえで薬害発生等の危険を予見しえた場合にはこれを収載しない等の結果回避措置をとるべき義務(結果回避義務)があった。もし国が右予見義務を尽していたならキノホルムの薬害発生の危険を十分予見できたはずであり、これによりキノホルムを薬局方に収載すべきでなかった。

しかるに国はキノホルムの薬局方収載の審査にあたり文献の収集、外国の関係機関に対する照会等による情報の収集をせず、その結果前記キノホルムに関する副作用、毒性の報告は見落とされた。また自ら各種実験をすることもなかった。右のごとく極めてずさんな審査によりキノホルムは薬局方に収載されたのである。国の安全確保義務の懈怠は明らかである。

(二)  キノホルム剤の製造(輸入)承認(許可)時における安全確保義務の懈怠

国は本件キ剤の製造(輸入)承認(許可)に際しては、前記のとおり申請者である被告会社らに文献収集をなさしめ、かつ薬理試験、各種毒性試験、及び臨床試験等を実施せしめてその結果を提出させるとともに自らも文献収集を行い、右文献・資料等に基づいて専門家による実質的な審査を尽し、更に必要に応じて自ら薬理試験、各種毒性、及び臨床試験を行うべき注意義務があった。もし国が右義務を尽していたならばスモン様障害の発生を含む薬害発生を予見し得、本件キ剤の製造(輸入)承認(許可)をすべきでなかったことは明らかである。

しかるに国が申請にあたり申請者に何らかの審査資料を提出させて審査したのはメキサホルム散「チバ」のみであり、他のキ剤については何らの文献・資料も提出させなかった。また海外でのキ剤の使用規制の有無を報告させず、自らも文献収集、海外の調査、薬理毒性の各種試験を行わなかった。

(三)  薬局方収載及び承認(許可)後の国の安全確保義務の懈怠

キノホルムを一旦薬局方に収載した後、およびキ剤の製造・輸入を承認(許可)した後でも、国は引き続き前記予見義務すなわち文献の収集・調査等の注意義務をつくすことは当然のことであり、更に薬局方収載時及び承認(許可)時に本来なすべき薬理・毒性の各種試験を実施してその安全性を確認すべき追跡調査義務があった。しかるに国はこれを全く怠り、薬局方収載後及び製造承認(許可)後にもその安全性を顧慮することなく放置し、その結果ついに本件被害を多数発生せしめたのである。

のみならず国は安全確保義務を懈怠したことにより、適応症の拡大、用法・用量の拡大、及び禁忌・警告なしの申請を承認(許可)し、更には製薬業者の誇大宣伝を放置した。

以上により被告国は国家賠償法一条の責任を負うことは明らかである。

第七損害

一  はじめに

原告らは、いずれもキノホルム剤の服用により、スモンに罹患した薬害の被害者である。このスモン罹患による原告らの被害は、健康・生命の破壊はもちろん、家族関係・家庭生活の破壊、更には社会的経済的諸活動の不能をもたらすなど広範囲におよび、またその被害の程度はきわめて悲惨かつ重大である。

この結果、原告らは、憲法二五条に保障された健康で文化的な生活をいとなむ権利、および憲法一三条で保障された幸福を追求する権利を、根底から破壊されたものである。このような原告らの損害は、以下に述べるようにスモン罹患による結果の重大性、および被告らの加害行為の罪悪性、更には原告らの被害の実態等を総体として把握することによって明らかとなる。

二  スモン罹患による結果の重大性

(一)  原告らはスモン罹患により筆舌につくしがたい身体障害の苦痛をうけている。

すなわち原告らは、おおむね発病初期にまず神経症状に前駆する腹痛、下痢等の腹部障害に苦しみ、程度の差こそあれ両下肢にしびれ、しめつけ、ものがはりついている等の異常知覚に嘖まれ、ときとしてその障害は胸部にまで及んでいる。そのうえ、ある者は温覚の異常をきたし、熱さを感じなかったり、極度の冷感を覚えたりする。また原告らは共通して運動障害がみられ、大半の者は重症時ベッドに臥したままの時期を経由しており、その後も寝たきりか、起立不能、歩行困難に陥っている。更に、原告らのなかには矯正不能な視力低下をきたす者も多く、甚しきは失明するに至っている。以上述べた障害のほかにも、なお様様の身体障害が発現している。

しかも、右のような症状が増悪した結果、遂には生命まで奪われた者もいる。

(二)  右の如き原告らの身体にふりかゝった地獄の責苦に加え、スモンはその発生が急性・亜急性に現われるため、患者は一夜にして不安のどん底につきおとされ、一旦症状が改善したかにみえても、再燃により増悪した者も多く、常に増悪しないかという将来の不安におびやかされ、さらに現在の医学では治療方法が発見されておらず、治癒の見込もなく、又有効な対症療法もほとんどないという奈落の底で生きていかねばならず、まことに悲惨な日々を送っている。

(三)  本件原告らが受けた苦痛で強調しなければならないのは伝染病説が流布され、原告らやその家族が周囲から白眼視されたことである。病院においては隔離され、患者本人は勿論、家族までも隣近所の人からうとまれ、肩身のせまい思いをさせられたのである。この苦痛ははかりしれないほど大きい。

(四)  更にスモン罹患により、本件原告らは健康を奪われただけでなく、失職により収入の道をたゝれた者も多く、その上医療費の負担が家計を圧迫している。中にはスモンに罹患したゝめ結婚を断わられたり、離婚を余儀なくされた者もあり、さらには知覚障害のため性生活に支障が生じた者も少なくない。

他方、患者の家族もその介助に手をとられ、医療費等の経済的負担が重なり、世間より白眼視される等、家庭生活を破壊されているが、スモンは今のところ有効完全な治療法が発見されないところから、当人は勿論、家族もこのような犠牲を長期にわたり強いられるという絶望感におそわれているのである。

このような家庭破壊ないし家族をまきこんだ苦痛は、原告らにふりかゝった苦痛を幾重にも倍加させている。

三  被告らの加害行為の罪悪性

(一)  すでに述べたように原告らの被害はキノホルム剤の服用により発生した薬害である。

薬害は、疾病の治療・予防さらには健康増進などを目的として服用された医薬品によりひき起されるものであり、医薬品の服用を受ける者にとっては薬害の発生を全く予測できず、またこれを知るすべもないから、個人の力では到底防ぎようがない。しかも患者が癒ると信じて服用を受けたのにもかかわらず、逆に薬害という思いもかけぬ被害をこうむることとなり、そのショックはきわめて大きい。

しかも薬害による被害の及ぼす範囲は、医薬品の性格から全国的に拡大し、その被害は誰かれなく無差別に襲いかかるものである。

(二)  被告会社らは、国民の生命・健康に重大な影響を及ぼす医薬品の製造・販売に携わる者として、医薬品について安全性を十分確めなければならないのに、大量に医薬品を製造・販売し、最大限利潤をあげることを至上目的として本件医薬品の安全性への配慮を欠いたもので、その行為の違法性はあまりにも大きい。さらに利潤をあげるため、キノホルムが整腸剤としてあたかも安全性のあるかのような人命を無視した虚偽の宣伝方法をとったことも、被告会社らの責任として軽視できない。又、被告会社らは医薬品の製造・販売により莫大な利潤をあげているに拘らず、今日に至るもスモン患者に対して検診や治療の対策をせず放置していることの責任は重大である。

(三)  国は、憲法二五条に規定する公衆衛生の向上及び増進につとめなければならない責務を全うせず、安易に製造(輸入)販売を承認許可し、キノホルムの効能と安全性について適切な調査・検討をなすことなく薬局方に収載し、被告会社らの宣伝方法を黙過した違法性はきわめて重い。さらに、国はスモン患者に対し、人間に値する生活が営めるように将来にわたって万全の措置をとらなければならないのに、スモンがキノホルム剤によるものであることが判明する以前はもちろん、その後においても適正な検診・治療等積極的な救済施策を講ぜず放置したままにしていることは、ますます加害者としての罪悪性を強めるものである。

(四)  以上述べてきたところから明らかなように、スモン罹患による被害はまれにみるものであるが、このような結果をもたらした原因が、国民の生命・健康・生活を無視した被告会社らの利潤追求行為にあり、これに追随した被告国のきわめてなおざりな薬事行政にあったことは明白である。

四  原告らの被害の実態

原告別一覧表のうち「被害の実態」の項記載のとおり。

五  慰藉料の額

右に述べた被害の重大性、継続性、回復困難性、再発の危険性並びに加害行為の罪悪性よりすると、原告らの損害は金銭賠償によっては到底十分に償い得ないが、原告らは本訴においては、被告らの加害行為の罪悪性、原告らの現在の症状、過去の症状経過、逸失利益、家庭破壊の実情等一切の事情を総合し、被害の程度に応じいずれも慰藉料として金員の支払いを請求するが、その額は別紙請求金額一覧表の慰藉料欄の額のとおりである。

六  弁護士費用

原告らはいずれも被告らの不法行為のため本訴提起を余儀なくされ、その事案の性質上、弁護士に訴訟を依頼せざるをえない。そこで原告らは本訴を提起するにあたり、原告訴訟代理人らで構成する京都スモン訴訟弁護団に対し、いずれも勝訴判決が得られた後、各請求認容額の一〇%を弁護士費用として支払う旨約した。

そこで各原告につき、右に述べたところに従い、弁護士費用の支払いをも併せて請求する。

第八まとめ

厚生大臣は、公権力の行使にあたる公務員であり、第六の三記載の過失は職務を行うにあたって犯したものであるから被告国は国家賠償法第一条により、被告会社らは、民法七〇九条により、各自、損害を賠償する義務がある。

よって、原告らは、被告国及び被告会社らに対し、それぞれ第七の五記載の慰藉料および第七の六記載の損害の賠償を求め、うち慰藉料については昭和四五年九月七日(ただし原告番号四〇の一ないし六の原告については訴状送達の日の翌日である昭和四八年四月六日)以降、うち弁護士費用については判決言渡の日の翌日以降、各完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二 被告チバの答弁及び主張

一  第一当事者について

一、原告の項のうち原告らがキノホルム剤を服用してスモンに罹患したとの点は否認する。その余は不知。

二、被告の項については認める。

二  第二スモンとキノホルムについて

認める。但し日本においてスモンの症例の報告がなされたのは昭和三三年頃からであるといわれている。

三  第三被告会社らの本件キノホルム剤の製造販売及び国の製造承認等について

被告日本チバガイギー社の分について認める。

四  第四因果関係について

(一)  一について

原告ら(又はその被相続人)がキノホルム剤を服用したとの点及び原告ら主張の症状を呈しているとの点は不知。

キノホルム剤を服用してスモンに罹患したとの点は否認する。

(二)  二について

争う。

昭和四五年新潟大学の椿教授がスモンの原因はキノホルムであるとの所謂「キノホルム説」を提唱し、同年九月厚生省がキノホルムの製造販売停止の措置をとって以来キノホルム説はスモンの病因として日本で主導的な地位を占めるようになったが、この学説は日本以外の世界では全く受入れられることの無い見解であり、日本の医学界を支配する不幸な誤解である。スモン研究の主要な機関であるスモン調査研究協議会はキノホルム説の出現以後はキノホルム説を裏付けるための研究に総力をあげ、キノホルム説に不利な事実研究は次第に軽視された。昭和四七年三月の甲野会長の総括によりあたかもキノホルム説が確立されたかの印象を与えるに至ったがキノホルム説には多くの矛盾がある。

1 スモン患者はその症状発現前にキノホルムを服用していることについて

スモン協の行ったキノホルムの服用調査は次の点で問題がある。

(イ) 第二回目の調査においては使用状況不明の六一七例を総数から除外すべきではなく、服用率は五六・二%とすべきである。

(ロ) 「確実になし」の項にのみ「患者から直接きいた」などの裏付けを要求しており、これはキノホルム説を初めから証明することを意図し、キノホルム非服用例を極力排除しようとしたものである。

(ハ) これら二回の調査ではスモン特有の前駆腹部症状の有無及び発現時についても調査したのだから、前駆腹部症状を基準としてそれ以前の服用状況を集計し表示することも可能であったのになされていない。これがされていればキノホルム服用・スモンの率が大幅に落ちることが予想される。

のみならず元来キノホルム剤は下痢止めの薬として数十年の長きにわたって多くの人々に服用されてきているのである。したがって下痢などの腹部症状を必発症状とするスモン患者の「大多数」がキノホルム剤を服用していたとしても何の不思議もない。右の調査結果は右のことを物語っているだけで、スモン患者に限り特にキノホルムの服用率が高いなどという特別の意味を示すものとはいえない。

2 ドース・レスポンス・リレーションシップ(量と反応の関係)について

キノホルム投与とスモンの発症ないし重症度との間のドース・レスポンス・リレーションシップ(D・R・R)の存在はキノホルム説の成否に結びつく重要な問題であり、スモンの疫学調査研究のテーマの一つにとりあげられた。しかし幾多の精力的な調査研究にもかかわらずキノホルムの服用量とスモンの発症率ないし重症度との間に明確なD・R・Rは認められず、かえってキノホルムの服用継続によりスモンの症状が緩解ないし改善をみた例が圧倒的に多いのである。

3 キノホルム剤の販売量とスモンについて

キノホルム剤の生産・輸入量の増大とスモン発生数の増加とに並行関係はみられない。

4 キノホルム剤販売停止とスモンについて

(イ) 前記の全国服用調査によりスモン患者のうち約一五%は確実にキノホルムを服用していなかったからキノホルム剤の製造販売中止の措置がとられると否とにかかわりなく、この一五%のスモン患者は影響を受けないはずである。しかるに昭和四六年が二三人の新発生にとどまり昭和四七年には新発生をみなかったというのである。

したがってスモンの原因は、キノホルム剤服用スモン患者におけるのと同様キノホルム剤非服用スモン患者においてもキノホルム剤服用の有無とは関係なく、少くとも右の時点では減少ないし消退していると結論せざるを得ないのである。

(ロ) キノホルムの販売停止措置のとられた昭和四五年は他の年次と異って四、五月から既に増加が鈍り始め、六月、七月には逆に減少傾向を示して八月、九月に激減を見ているのであり、スモン発生の激減とキノホルム剤販売中止措置との間に特段の関連性は認められない。

(ハ) また年次別発生数の推移を都道府県別にみればその地域におけるスモン患者発生激減期がキノホルム剤販売中止措置のとられる一、二年あるいはそれ以上前にみられる地域が少なからず存在し、スモン発生の激減とキノホルム剤販売中止措置との間に何ら関連性のないことが一層はっきりする。

5 動物実験について

(イ) すべての薬物には致死量があり、致死量又はそれに近い量を動物に投与すればその動物は全身的中毒症状を呈し、神経組織もまた重大な損傷を受けるてんかん様痙攣運動麻痺等は全身中毒における典型的な症状である。したがっててんかん様痙攣や運動麻痺が急性毒性試験でみられたからといってその投与物質が特異的神経毒性を有するということにはならない。チバ社が一九三九年に行ったキノホルムの急性毒性試験でもネコにてんかん様痙攣や運動麻痺などがみられているが、このことから特異的神経毒性を云々するのは毒性学上は全く根拠がない。

(ロ) スイス・チバ社は日本でスモン・キノホルム説が発表されるや今日の科学水準に即し、改めてキノホルムの特異的神経毒性の有無を確めるため、家兎及びビーグル犬で実験を行ったが、キノホルムの特異的神経毒性を見出すことはできなかった。

(ハ) 日本においてスモン協の援助により行われた数多くの動物実験は、キノホルムが特異的神経毒性を有するか否かを中立的な立場から客観的に調べようというよりは初めからキノホルム説の立場に立ち、スモン・キノホルム説を立証するための目的的実験であった。この目的のため急性毒性死を避けながら可能な限りの大量のキノホルムを投与し病変を誘発する立石らの漸増法がとられたのである。しかしこの方法によっても末梢神経の病変を裏付ける十分な資料は示されておらず、又イヌにみられた脊髄後索及び視神経の病変は、その後のチバ社の漸増法による実験及び同社の委嘱を受けたハンチントン研究所の実験により、全身的健康状態の悪化による二次的な病変であると判断されている。

右にみたように数多くの動物実験があってもスモンに特徴的といわれる末梢神経病変を再現した実験は一例もなくキノホルムに特異的神経毒性があることを客観的に示したものもない。

6 その他スモン・キノホルム説には次のような疑問点がある。

(イ) キノホルムの薬物動態学的性質

キノホルム説の論者はその論拠としてキノホルムは脂質に富む神経組織に特別の親和性をもち、脂肪組織に貯留され、また長期連続投与により体内に蓄積する等の推論をしているが、チバ社等が行った薬物動態学的実験研究によれば、キノホルムは腸管から吸収されはするが、神経組織に対して特別な親和性を示すことなく三、四日でほぼ完全に体外に排泄され、連続投与の場合も速かに定常状態に達し、体内に蓄積貯留されることはなく、投与中止後は一回投与の場合と同じ薬物動態学的パターンをもって体外に排泄されることが明らかにされている。

(ロ) キノホルム非服用スモン

前記の如くスモン協の二回にわたる服用調査は問題点を残しているが、それでもそれぞれ一四・六%、一四・八%の非服用患者が見られたのであり、これはキノホルム説の重大な疑問点である。

(ハ) 昭和三〇年以前におけるスモンの不存在

キノホルムが日本で初めて内服薬として輸入・販売されたのは昭和九年であり、昭和一四年には日本薬局方に収載され広く一般に使用されるようになったにもかかわらず、スモンが初めて報告されるようになったのは昭和三〇年ころからであり、これもキノホルム説の大きな難点の一つである。

(ニ) 外国のスモン

内服用キノホルム剤として一九三四年エンテロ・ビオホルムがスイス国チバ社(当時はバーゼル化学工業株式会社)によって初めて発売されて以来約四二年間に、日本を除く全世界のすべての国々で報告された同社又は同社系列会社製造のキノホルム剤に関する所謂神経障害例は、昭和五〇年末までの時点において一七九例であるが、この中にはスモンか否か極めて疑わしい症例ばかりでなく、スモンとは明らかに相違する症例や急性中毒例や視障害のみの例及びキノホルム剤との関連が否定された例までも含まれている。これは昭和三〇年ころから同四五年(一九七〇年)迄に日本で発生したスモン総数九二四九例に比し著しく少ない。

しかし昭和三七年から昭和四六年までのキノホルム総販売量を人口一人当りのグラムにして諸外国と比較してみると日本は一・〇六g、スイス五・二五g、ベルギー三・六二g、スウェーデン三・五一gなど日本はむしろ低い。又患者に対する投与方法(一日投与量、投与期間、総投与量)が諸外国と異るということもない。したがって日本という限られた地域に、また一九五五年から一九七〇年という限られた時期に多発したスモンをキノホルムで説明することは不可能といわざるを得ない。

7 日本に特有の要因

右にみたとおりキノホルムだけではスモンの原因になり得ないから、日本におけるスモン多発の原因として日本特有の要因を考えてみるべきである。たとえば農薬一つとってみてもその毒性学的性質、脂肪組織への蓄積性、中毒の臨床像、その発売、使用から中止に至る出荷数量の年次別推移とスモンの年次別発生・消退のパターンとの並行関係を考えれば、キノホルム説と同程度の説得性をもった仮説を設定することも可能である。

五  第五被告会社の責任について

争う。

(一)  安全確認義務について

一般論として被告チバに医薬品の安全を確認する義務のあることは認める。しかし医薬品の安全性確認の方法は一定不変のものではなく、時代の変遷、科学技術の進歩と共に発展してきたものである。したがってある時点においてどの様な安全性確認の措置をとるべきであったかを判断する場合には、その当時における科学水準のもとで何が安全性確認措置として要求されていたか、及び当該安全性確認措置をとるにはどのような方法があったかを検討し、その当時の科学技術の水準で最善であるとされた技術及び方法で安全性確認措置をとっていれば、安全性確認義務は十分尽されたというべきである。

(二)  予見義務の対象について

否認する。

いかなる医薬品も何らかの副作用の可能性を持っているのであるから、もし何らかの有害性、危惧感又は不安感について予見可能であればそれで十分であるとすれば、常に結果について予見可能性があることになる。

したがって予見すべき対象は何らかの危険という程度では足りず具体的な危険に対する予見可能性が必要であり、本件についていえば、スモンそのものか或は仮にそうでないにしてもスモン特有の末梢神経症状でなければならない。

(三)  予見可能性について

1 スモンを予見することは不可能であった。日本からは昭和四五年八月までスモンとキノホルムとの関連可能性を示唆するような報告は何一つなく、またキノホルムの神経毒性を疑った報告もなかったのに加え、当時の日本の有数の研究者によって行われた調査ないし研究によってさえもスモンとキノホルムを関連づけることができなかったのであるから、昭和四五年八月以前にスモンとキノホルムとの関連を予見することは何人にとっても全く不可能であった。

2 芳香族化合物の中には必須アミノ酸のうちの二種、核酸の構成要素、ビタミン類の多く、アドレナリンなど生体にとって必要欠くべからざるものが数多くあり、芳香族化合物の中に有毒なものがあるからといってその全てが有毒であると推論するのは誤りである。

3 物質の化学構造の類似性はその作用の類似性を示すものではない。薬物の作用形態には構造的に非特異的なものと構造的に特異なものに分類されるが、薬物の構造非特異的作用はその物質の化学構造には関係がなく、その物質の物理化学的性質に依存するのに対し、構造特異的作用をもつ薬物の生理学的活性はその化学構造によってもたらされ、その物質の分子の立体化学的配列、官能基(分子内の反応性に富む基)の位置形状ばかりでなく共鳴効果、誘導効果、電子分布などが基本的な役割を果しているのである。これらはその物質が生体組織の細胞のある特定の受容体と反応し得るための要件をなし、わずかな構造の違いであってもその作用を本質的に変えてしまうのである。

4―アミノキノリン、8―アミノキノリンに網膜障害またはある種の中枢神経障害が認められるにしても、その作用は構造特異的なものであり、キノリン核の特定の位置に側鎖としてアミノ基がついていることに基因するのである。

4 キノホルムはスイス、オーストリア、及びドイツの薬局方でセパランダに分類されているが、セパランダには劇性又は毒性の意味はなく、他と区別して貯蔵すべきものという意味である。このことはスイス薬局方のセパランダにはビタミンA、ビタミンB12、乳酸などが含まれていることからも明らかである。またセパランダの中には一回量一g以上、一日量三g以上の薬品も三〇種程あり、この点からもセパランダが常識的な意味の劇薬でないことがわかる。なおスイス薬局方にはキノホルムの極量の表示のないことにも注意すべきである。このようにキノホルムはセパランダに分類されているが、このことは日本における毒性中心の「劇薬」に当たらないことが明白である。

5 原告らが引用するキノホルムの副作用報告例からは日本で発生したスモン又はスモン類似の神経疾患を予見することは到底不可能であった。

(四)  安全確認義務懈怠について

争う。

1 スイス・チバ社はキノホルムを内服用として製造販売を開始するに際し一九三〇年に予め化学療法による腸内殺菌の研究で世界的に著名であったカリフォルニア大学医学部薬理学研究教室のリーク教授と同助手のアンダーソン、デービッドらにその有効性と安全性に関する調査研究を委嘱し、その科学的確認を行った。そしてその調査研究の結果が学界で十分検討されるのを待って一九三四年に至り漸く製造販売を開始したのである。その後もスイス・チバ社は各国からの臨床報告、副作用報告その他の関係資料を収集分析し、またそれとは独立に定期的に自社の薬品の安全性再確認の措置をとってきており、各時代時代において可能な最善の方法により、また著名な学者や研究機関の協力をも要請してキノホルムの安全性確認のため常時各種の生物実験を行ってきたのである。

ところで日本チバガイギー株式会社が設立されたのは、昭和二七年一二月二三日であるが翌昭和二八年に本件キノホルム剤の製造販売を開始した当時、既に同剤についての安全性を確認した多くの文献、動物実験、臨床治験報告が存在していたし、昭和二八年以降も本件キノホルム剤に関する調査研究実験については一般にスイス国チバ社が各国の文献を収集調査検討し、毒性試験、薬物動態学研究、臨床治験報告例の検討等を継続していた。結局日本チバガイギー社に安全確認措置として残されたものは日本国内における臨床治験報告例の検討や日本医学界、医薬業界などとの連絡を保つことであった。日本チバガイギー社は右の安全確認措置を尽していたが、キノホルム剤の神経毒性を示す副作用例については昭和四五年八月の椿教授のキノホルム説発表まで存在しなかった。

このように本件キノホルム剤について日本チバガイギーのとった安全確認措置はスイス国チバ社によってすでに行われていた部分を総合して考えれば十分であったということができる。

2 一九四五年のデービッドのいわゆる「警告」は、特に具体的な危険を見出したためではなく単にヨード中毒を念頭において書かれたものであり、またその主たる意図はアメーバ症の診断及び治療を適切なものにすべく注意を喚起したものであった。また一九三五年のグラヴィッツの症例報告は結局においてキノホルムの優れた有効性と安全性を臨床的に確認したものであり、同年のバロスの報告は薬物関連の可能性を否定することは困難かもしれないが、一概に肯定するわけにもいかないであろう。いずれにしても新薬の開発にあたり、販売開始直後に一、二の副作用報告が出るのは常にみられる現象であり、直ちに新薬を回収するとか新しい動物実験をすることが要請されるわけではない。もっとももし類似の副作用が続いて出ればその安全性を確認するための具体的措置をとらなければならないが、キノホルムの場合は昭和一〇年(一九三五年)の右アルゼンチンの報告以来同二九年(一九六四年)のゴルツらの報告まで三〇年間厖大な臨床報告例があり、そのいずれもが有効性と安全性を確認するものばかりであったから、販売開始直後に報告のあったグラヴィッツとバロスの症例は極めて特異な症例であり、これを一般化してキノホルムの神経毒性を疑うべきということはできない。

(五)  その他の原告の主張について

1 適応症について

キノホルムの効用は、抗アメーバ剤、細菌性赤痢、大腸炎、下痢、小腸大腸炎、醗酵性及び腐敗性消化不良、胃腸炎、腸結核による下痢等に対する臨床治験に関する文献等をみても、医学薬学上科学的に実証されているものばかりであり、根拠なく適応症を拡大したことは全くない。

2 FDA勧告について

一九六〇年八月一一日のアメリカFDAの要処方薬指定勧告はキノホルムの非特異性下痢(単純性下痢)に対する有効性に疑問があるとの見地から出されたもので、キノホルムの副作用ないし危険性を指摘したものではない。

3 ハンガルトナーらの報告による獣医宛回状について

新薬開発時には人に対する試験は許されないから動物実験でその効用、安全性を測定せざるを得ないが、一旦その薬物が臨床試験的に使用され、更に人の治療薬として一般に使用されるようになった場合にはいかなる動物実験による資料よりも人における臨床報告の方がはるかに直接的であり重要である。

キノホルムの如く三〇年余にわたって人の内服治療薬として一般に使用されてきており、その間格別の副作用を認められずにいた場合は、キノホルムが一定の動物に使用され、その種の動物に副作用を示したときに、その種の動物にキノホルムを投与しないよう警告すれば足り、更に進んで人に同じような副作用が出るかどうかを動物実験で確認するなどの間接的、二次的な証拠を集める必要はない。

六  第七損害について

(一)  一「はじめに」の項について、

所謂スモンがキノホルム剤による薬害であるとの点は否認する。

(二)  「スモン罹患による結果の重大性」の項について、

所謂スモン患者らがそれぞれの症状に応じ苦難を受けていることは敢て争うものではないが、原告らの状況については不知。

(三)  「被告らの加害行為の罪悪性」の項について

原告らの被害がキノホルム剤の服用により発生した薬害であるとの点は否認する。

その余の点も争う。

(四)  「原告らの被害の実態」の項について、

不知。

(五)  「慰藉料の額」の項について、

争う。

(六)  「弁護士費用」の項について、

弁護士費用支払の約定については不知。

その余の点も争う。

七  第八「まとめ」の項について

争う。

(被告チバの抗弁)

原告らは訴状においてその請求にかかる慰藉料の遅延損害金の起算日を訴状送達の日の翌日としていたが、昭和五三年八月一八日付「訴状訂正の申立書」において本訴請求の趣旨を一部訂正し、原告らの慰藉料額につき一律に「昭和四五年九月七日」以降支払済みまでの遅延損害金を請求するに至った。しかしこれら請求時以前の債権については夫々既に三年の短期消滅時効が完成しているので被告日本チバガイギー株式会社は時効を援用する。原告らの依拠するスモン=キノホルム説が正しいとしても原告らは本訴提起準備期間中、自己の損害を知りかつ投薬証明を取得する等して当該キノホルム剤製造販売者(加害者)が誰であるかを夫々知っていたということになるがその知った時期は右「訴状訂正の申立書」が陳述された昭和五三年八月一八日より三年以上前であることは証拠上及び訴訟記録上明らかである。

また原告らは本訴請求の際昭和四五年九月七日からの遅延損害金を請求し得たにもかかわらず敢てこれをしなかったからこれは明示的な一部請求をしたにほかならず、右請求の際明示的に除かれた昭和四九年九月七日から訴状送達日までの遅延利息については訴訟の提起による時効中断の効果が及ばない。

三 被告武田の答弁及び主張

一  第一当事者について

原告の項は不知、被告の項は認める。

二  第二スモンとキノホルムについて

認める。

三  第三被告会社らの本件キノホルム剤の製造販売及び国の製造承認等について

認める。

四  第四因果関係について

(一)  一について

不知

(二)  二について

争う。

一 スモン協の研究成果について

昭和四七年三月一三日に開催された昭和四六年度のスモン協議会総会における甲野会長の研究の総括報告は、キノホルムがスモンの原因である旨の断定的な結論ではなく、スモンの発生機序にはなお不明の点が多く、またキノホルム剤非服用スモン患者の問題なども残されており、これらの点は今後引き続き研究しなければならないとしており、感染説も完全に排斥していない。

二 原告主張の因果関係を基礎づける四つの事実について

1 スモン患者は、スモン症状発現前にキノホルム剤を服用しているとの主張について

キノホルム剤服用の結果スモンに罹患したと一般的に断定するには、すべてのスモン患者が発症前にキノホルム剤を服用したことが確認されなければならないが、スモン協の二回の調査で判明しているとおり、スモン患者の中には約一五パーセントの確実な非服用患者が存在している。その他スモン協の各会員によってなされた個別の研究報告によっても確実なスモン患者の中にキノホルム非服用例が相当数存在しているから、スモン患者の大多数が神経症状発現前にキノホルムを内服している事実があっても、これをもってキノホルムとスモンとの一般的因果関係を判定する資料となし難い。

またスモン患者の大多数が神経症状発現前にキノホルムを服用していたとしても、それはすでにスモンに罹患し、前駆症状たる腹部症状を呈している患者に対し投与されていたものと十分に考え得るから、この点からみても一般的因果関係は疑わしい。

2 キノホルム剤販売量とスモン発現数との間には比例的な相関関係が存在するとの主張について

まず昭和三〇年以前にはスモンの発生はなく、右時点におけるキノホルム販売量とスモン患者発生数とは全く並行していないことは明らかである。第二に昭和三〇年には推定一、二七〇kgのキノホルム剤が国内に出廻っていたというのにスモン患者は僅か四名であり、更に翌年にはキ剤の国内生産輸入量が急増しているのにスモン患者は二名しか出ていない。このように右時点で国内で販売されたキ剤の殆んど全部はスモンの原因とはなってなく、昭和三二年以降も同様である。

スモン患者の発生が増加していた時期とキノホルム剤の販売量が急増していた時期がたまたまほぼ同じであったことはあるがただそれだけのものに過ぎないのであり、反面キノホルムは極めて多数の人に服用されながらスモンに罹患した人は多くとも〇・〇八一%でありその発病の確率は極めて低い。

3 キノホルム剤の製造販売中止の措置がとられた後は、全国的にスモン患者が激減したとの主張について

厚生省の製造販売中止の措置がとられた昭和四五年は、それまでの年と異り、六月をピークに七月にかけて減少傾向が始まっており、又右措置後も新スモン患者は発生している。

右事実と、椿教授のキノホルム説の新聞発表や右措置のあった後において、医療界に従来ならスモンと診断しうる患者をスモンとすることに躊躇する傾向が生じたことなどを考え合わせれば、原告主張の右事実をもって軽々とキノホルムがスモンの原因であるとすることは妥当ではない。

4 動物実験について

スモン協の動物実験は、スモン症状を発現させるべく意図して行なわれた大量投与の実験であるにかかわらず、スモン類似の症状が発現したとされるのはイヌとネコのみであり、しかもこれらにおいてさえそれは神経症状のみについてであって前駆腹部症状については確認されておらず、またこの実験はスモン類似の症状を発現させる意図のもとに宿便を起こさせたり、投与量を漸増したりする大量投与の実験であってもはや異物の大量投与による害作用の発現というべく、したがってこれら動物実験の結果をもってスモンとキノホルムの因果関係を断定することはできない。

三 スモンの病因をキノホルムとする説には次のとおり疑問点が存する。

1 我国以外の諸外国においても、キノホルム剤は古くから広く服用されているのに、諸外国ではスモンはほとんど発生しないといわれている。ひとり我国においてのみ多発し、諸外国で発生しないのは何故か。

2 我国でキノホルム剤は昭和九年ころから広く服用されてきたのに、昭和三〇年ころから突然発生し始めたのは何故か。

3 我国でもキノホルム剤を服用したものは無数といってよい位多いと思われるが、それに比較してスモンは限られた人々にしか発症していないのは何故か。

4 スモンがキノホルム剤の服用によるとすれば、服用量により症状の強弱が現われるはずであるのに、必ずしも並行関係がみられず、また少量短期間の服用で発症したり、逆に大量長期間の服用で発症しない例のみられるのは何故か。

5 スモン患者は女性に多く、男性に少ないのは何故か。

6 スモン患者を年令的にみると五〇才~六〇才台に多く、二〇才以下ことに一〇才以下の小児にはまれにしかみられないのは何故か。

7 スモン患者を職業別にみると事務職員、医療関係者、主婦(中年すぎ)などが多く、また頭脳労働者に多く、筋肉労働者に少ないのは何故か。

8 スモン患者には手術の受けた人、やせた人に多いのは何故か。

9 スモンが一定地域、或いは一定病院に集団発生する傾向にあるのは何故か。

10 スモン多発地区(岡山)でキノホルム剤消費量が不変な時期に新発症患者の自然減少がみられたのは何故か。

以上のような幾多の疑問の存在を考えると、スモンがキノホルム剤の服用によるものと断定することはできない。かりにその一因をなすとしてもそれは医薬品としてのキノホルム剤本来の性質に基づくものではなく、過剰量投与に基づく害作用によるものか、あるいはこれとさらに重要な他の要因との結びつきによるものではないかと考えられる。

五  第五被告会社の責任について

争う。

一 被告武田の注意義務について

1  被告武田が販売した本件キノホルム剤は、被告チバが製剤し、小分けし、能書を封入添付して包装したものであり、被告武田は最終製品として完成されたものを仕入れ販売したものである。被告武田と被告チバとの間で昭和三三年に締結された契約により、被告武田は、キノホルム剤などの被告チバの製品を保管し、これを一次卸店に配給し、その代金を集金してこれを被告チバに支払う業務に携わっていたに過ぎず、能書・説明書等の内容の決定、作成、印刷や本件キノホルム剤の広告、宣伝活動、プロパー活動等一切の販売促進活動は被告チバがその費用と責任においてもっぱら行っていたのである。

ただ右契約時被告チバは製剤のための打錠、小分けの設備を有していなかったので、被告チバの依頼により被告武田の工場において打錠、小分の作業を行ったことはあるが、これは被告チバの定める処方、規格に従ったもので被告武田が裁量を加える余地はなく、しかも昭和三六年に打ち切られた。

2  右にみたように被告武田は中間流通業者の一に過ぎない。医薬品の製造者は新規な医薬品を創製する場合種々の試験を段階的に繰返し行うことによってその有効性を確め、また多くの試験に基づいて安全性を確認するのであって、その間に試験結果についての多数の資料の蓄積があり、その背後には試験に直接関与した人達の持つ種々の経験的事実が積み重ねられているのである。販売業者は右のような資料や経験的事実の蓄積を有していないし、販売専業者はそれを行う設備を有していないのが通例である。したがって医薬品の副作用を検査し、安全性を確める原告主張の義務は専ら製造業者の領域にあり、販売業者の領域にはない。被告武田は医薬品の製造業とともに販売業を営んでいるが、キノホルム剤については販売業の許可に基づいて被告チバから購入して販売していたのであって、本件キノホルム剤につき原告主張の安全確認義務を負わないというべきである。また試験研究設備と専門技術者を有しているという理由だけで、開発生産の経験を持たない他社製品につき、副作用の大きさを推測し、各種実験を行う義務を製薬業を兼業する販売者に課するのは論理的にも現実的にも不当である。

3  もっとも中間販売者といえども有害物が混入していることの明らかな医薬品や、副作用として重篤かつ不可逆的な症状を多発せしめることが十分な裏付けをもって明らかにされたようないわゆる「明白な欠陥」がある医薬品については販売中止の義務を負うが、本件キノホルム剤には右の「明白な欠陥」はなかった。

4  被告武田は本件キノホルム剤につき販売ならびに販売促進活動の一切を行ういわゆる「発売元」でもなく、輸入販売業者でもない。また被告チバとは資本参加や人事交流もなく、被告武田は被告チバの医薬品の一手販売業者であっても、製造業者と同一の責任を負わす余地のある特定の関係たとえば一体関係や支配従属の関係にない。さらに本件キノホルム剤の能書、包装、説明書等に被告武田の社名が付されていることから製造者と同一の責任を負う理由もない。

二 予見可能性について

1  キノホルムの化学構造からの予見の不可能

キノリンは化学構造を全く異にするベンゾール、ピリジン、クロロホルム、エーテル等と同様、特異的な部分構造や化学官能基を有しない構造非特異的薬理作用物質であるから、これらに共通する薬理作用の一つである全身麻酔作用は化学構造の類似性には依存しないのである。したがってキノリンの薬理作用から、キノリン核の五、七位が塩素とヨウ素で八位が水酸基でそれぞれ置換された特異な部分構造や化学官能基を有する構造特異的薬理作用物質であるキノホルムの薬理作用を類推することはできない。また構造特異的薬理作用物質群においては、それの有する特異的な部分構造や化学官能基を異にすることによってそれらの薬理作用は全く異るものであるから、このような特異的構造部分を相互に全く異にするキノホルムとアミノキノリン類とではそれらの薬理作用は相互に全く異るのであって、一方の薬理作用をもって他方のそれを類推することはできず、これらの知見は遅くとも一九四九年以降の薬理学界の定説である。したがってキノリンの全身抑制作用やアミノキノリンのあるものの毒性からキノホルムの毒性についても疑いを持つべきであったとの原告の主張は薬理学の基礎的知識を欠く幼稚な立論である。

2  化学療法剤たる点からの予見の不可能

キノホルムは強い殺菌力を持つ外用薬として開発使用されてきた医薬品であるが、昭和五年(一九三〇年)ころからリークらによりそれまでの外用消毒薬としての使用経験とは無関係に、キニオフォン類似の一化合物として検討され今日と同じ手法で研究開発された化学療法剤であり、リークらはキノホルムの選択毒性(アメーバに有毒、ヒトに無害)を実験的に確認していたのである。化学療法剤としての必須の要件というべき選択毒性は本来ヒトに用いてはじめて得られる情報であり、動物実験は単に参考資料に過ぎない。キノホルムが化学療法剤として世に出て数十年の経過するうち多くの臨床報告によってその選択毒性はますます強固な科学的根拠を持つに至ったのである。

キノホルムの持つ選択毒性は前記構造特異的作用と密接な関係を有するのであるが、このような化学療法剤としてのキノホルムは細胞毒を有するとはいえず、また脂溶性を有するからといってそれが神経組織に障害を与えるとはいえないのである。

3  各種文献からの予見の不可能

原告ら指摘の文献はその大部分がキノホルムの有効性と安全性を高く評価しているもので、キノホルムの副作用の危険性を報告する極く一部の文献も、化学療法剤たるキノホルムを本来の用法、用量と異なる特殊な用法によった場合に極めて稀に発現する可能性を報告しているに過ぎず、これら文献類も化学療法剤キノホルムの危険性を示唆するものではない。

医薬品は本来生体にとって異物であり、生体に有益な作用を持つ反面、好ましくない作用を併せ持つことは当然のことである。したがって医薬品の評価に際しては有効性と安全性を別個独立のものとして捉えるのではなく、両者を天秤にかけた有用性という概念において評価されなければならない。それ故に医薬品には他の商品と異って適応症、用法、用量、使用上の注意など個別に定められており、これを無視して使用された場合の有害作用は厳密には医薬品の副作用とはいえない。各種文献類の評価も医薬品の右本質を念頭においてなされねばならない。

ところで医薬品の安全性確認の手段としては、動物実験と臨床試験があるが、動物とヒトとの種差の故に動物での毒性の出現と、ヒトでの副作用の発現とが著しく異ることが多い。副作用は動物に発現してもヒトに発現しない場合もありその逆の場合もある。さらにヒトで長期間の服用によって現われる副作用は、動物実験においては捉え難い場合が多く、また薬は何十万、何百万人の人間に用いられるが、動物の場合は数に限りがあるため極めて稀に起こる副作用は動物実験の場合には気付かれないもので、この故に臨床経験の蓄積がある場合には動物実験のデータより遙かに信頼度が高く重視しなければならないのである。しかしある臨床報告に副作用の記載があるからといってそれがそのまま当該医薬品に由来するものと考えてはならない。副作用発現に関与する因子は、医薬品側の要因や生体側の条件、あるいは環境、薬物相互作用など多種多様であるため当該報告の全般およびその他の多くの知見を総合判断してその副作用を評価しなければならないのである。しかも重要なことは当時における予見性の問題であるからその当時の学問水準の下において論じなければならないということである。

しかるに原告らの予見性についての主張は、種々の文献の全体には殊更に目を蔽って極く一部分のみを自己に有利に援用し、時には当該文献の報告者の意見と正反対の解釈を行う等の暴挙を敢えて行っており、また常に現時点における学問水準の下に文献の評価を行っているのである。

三 安全確認義務懈怠について

争う。

被告武田は昭和九年スイスバーゼル化学工業株式会社が新たに発売したエンテロ・ビオホルムを輸入し販売したが、それに先立ちスイスバーゼル社からキノホルムに関する資料(日本の臨床報告五件、アメリカの急性毒性試験報告一件、臨床報告一件)を入手して検討した。しかし右報告ではいずれも副作用は認めなかったとしている。

ところで当時の日本の製薬業界は新薬を開発できる水準から程遠く、新薬新製剤は殆んどすべてを輸入に頼っていたのであり、被告武田もその例外ではなく未だ製薬会社の実質を備えていなかったのである。

かかる我国の技術水準のもとで各種の試験を行うことは全く不可能であり、安全確認の方法としては内外の医師の情報を俟ってこれを検討する以外になかったから、それで尽されていたというべきである。

その後も武田はチバ日本学術部の臨床実験資料など内外の学術誌、学術書などにより情報の収集に努力してきたが、キノホルムの有用性を否定する程の副作用報告はなかったのである。

なお、被告武田は右のとおりキノホルムについての文献を調査研究し情報を収集してきたが、これはキノホルム剤の販売者として法的義務があるということではない。

六  第七損害の項について

スモン患者が、それぞれの症状に応じた苦痛、損害を蒙っていることは認めるが原告らの損害については不知。

被告武田に賠償責任があるとの主張は争う。

七  第八まとめの項について

争う。

四 被告田辺の答弁及び主張

一  第一当事者について

被告田辺製薬株式会社が、医薬品の製造販売等を目的とする会社であることは認めるがその余の事実は不知。

二  第二スモンとキノホルムについて

スモンの症状及び発生状況については一応認めるが原告の主張は必ずしも正確ではない。キノホルムについては認める。

三  第三被告会社らの本件キノホルム剤の製造販売及び国の製造承認等について

被告田辺が原告主張のキノホルム製剤を製造販売したことは認める。

四  第四因果関係について

一 一について

原告のキノホルム服用、スモン罹患の事実ならびに症状損害は不知。スモンとキノホルムとの因果関係は否認する。

二 二について

否認する。

スモンの病因は井上ウイルスである。

(一)  昭和四七年三月のスモン協のいわゆる甲野総括について

昭和四五年八月の椿らのキノホルム説発表以来、スモン協のスモンの病因に対する調査研究は、キノホルム説を肯定しうる事実の収集という方向に大きく傾いていった。しかし病因に関する一つの仮説の科学的な検証態度として、肯定的事実のみに目を奪われて否定的事実を無視ないし軽視することは許されぬところである。協議会の右傾向にもかかわらずキノホルム説に対する有力な反対意見とその根拠となる調査研究が協議会で報告されていたのであるから、協議会の調査研究の科学的結論としてキノホルム説を直ちに肯定することは極めて問題であった。甲野の研究総括はスモンの病因論に関する協議会の研究成果の科学的に正しい結論ではなく、キノホルム説の科学的当否はあらためて吟味される必要がある。

(二)  スモン患者はスモン発症前にキノホルム剤を服用しているとの主張に対して

(イ) スモン協の二回にわたるキノホルム服用調査のうち昭和四五年九月に実施されたものはスモン協臨床班の班員一八名の自験例を中心に集めたものであり、昭和四六年七月に全国三八道府県の医療機関六七一の協力を得て行われた全国調査も回答のあった医療機関の自験例を中心に集められたものであるから、統計学上でいうところの無作為抽出の方法によって得られた確率標本ではなく、いわば症例の寄せ集めに過ぎず、これをもって全国のスモン患者を母集団とするその確率標本としての性格をもつものとして統計解析することは誤りであり、従ってこの二つの調査結果を直ちに一般化してキノホルムとスモン患者全体との統計的な関連性を議論することは妥当でない。又これらの調査は非スモン患者群については何ら考慮をはらってなく、この調査結果からキノホルムとスモンの因果関係を論ずることには方法論上の誤りがあるのである。

(ロ) 右の如く二つの調査結果から服用率を求めても何ら意味はないが、甲野らのいう服用率八五%というのは誤りである。総数から「使用状況不明」「ないらしいが不確実」を差引いた例を分母とするのは妥当でなく、総数を分母として服用率を計算すると第一回の一八班員服用調査では六八・五%、第二回の全国調査では五六・二%となり、この二つには明らかに差がみられ、その数値は一般の下痢患者のキノホルム服用率に比して決して高くはない。

(ハ) その他キノホルムの服用状況調査の報告はいくつかみられるがその多くはスモン患者についてのみ服用率を調査して対照群を設定しておらず、キノホルム仮説の証明には役立たない。対照群を設定した調査も絶無ではないが対照群の集め方を誤っているものが多く医学的に意味のないものである。

(ニ) スモンは腹部症状を必発症状としかつそれはおおむね神経症状に先立って発現するものであり、しかもこの腹部症状についてはスモン特有のいわゆる前駆腹部症状を鑑別し得る場合が多い。また知覚障害の発現前に他覚検査で神経症状の発現の所見を得られることもある。したがって自覚的に患者が異常知覚を訴える以前にスモンの発症をとらえることが可能な事例が多いのである。しかるにスモン協の二回にわたるキノホルム剤使用状況調査をはじめキノホルム説をとる研究者によってなされた数数のキノホルム剤使用状況調査はスモンの発症時点を知覚障害の発現時それも自覚的に異常を訴えた時期にとる傾向があり、スモンの発症時点が繰り下げられて発症前非服用が服用例へと移行し服用率が高まる結果を招いているということができるのである。

(ホ) スモン協の二回にわたるキノホルム服用調査では服用なしにだけ裏付けを要求しており、その結果一八班員服用調査では八九〇例中一一〇例(但しこれはスモン協の集計ミスで正しくは一一九例)、全国服用調査では二四五六例中二六九例のキノホルム剤の「服用確実になし」が存在し、この調査のほかに病院を対象としたいくつかの調査においてもキノホルム非服用スモンの症例が存在することが報告されている。右のキノホルム非服用スモン患者がいる事実はキノホルム説がもはや存立しえない仮説であることを雄弁に物語るものである。

(三)  キノホルム生産量とスモン患者発生数との並行関係について

大まかにいってスモン患者数とキノホルムの生産量もともに増加している傾向の共通性はあり両者の間に並行関係がみられるといってよい。しかしこれはあくまで一つの印象であり統計上の関連性はなく、並行関係なるものはそれ自体キノホルム説を証明する機能を有しないものである。

(四)  スモン患者のキノホルム剤服用に関する「量と反応の関係」について

キノホルムとスモンとの間に量と反応の関係が認められるということは次の事実が認められることである。

1 前提としてスモン患者は全て閾値以上のキノホルムを服用していること

2 発症に関して

(イ) キノホルムの服用者群からは一定の幅をもった率でスモンが発症している。

(ロ) キノホルム服用量が多い程スモン発症率が高い。

(ハ) キノホルム服用量が多い程早期にスモンが発症している。

3 症度に関して

キノホルム服用量が多い程スモンの症状が重い。

4 症状経過に関して

キノホルムの服用を継続するとスモンの症状が悪化し、中止すると非悪化又は軽快している。

しかし前述のとおりD・R・Rの前提たる(一)の事実さえ認められずまたキノホルム服用者の集団においてはスモンが発生していない多くの例が存在し2の(イ)の関係があるとはいえない。現在まで報告されているいずれの調査結果においても、学問的に納得できる手法で2の(ロ)の結論は得られてなく、2の(ハ)を示す客観的なデータも皆無である。更に3、4の関係も現在までのところ認められずスモンとキノホルムとの間にD・R・Rは存在しないといわなければならず、キノホルムとスモンとの間の因果関係は中毒学的見地からの検討によっても否定されるのである。

(五)  行政措置後のスモンの減少について

1 協議会が実施したスモン患者全国実態調査の各都道府県別の最終報告年月日をみると、昭和四五年三月から昭和四七年四月までときわめて区々であり、昭和四五年三月以降のデータについては欠測値を内包しているといえるのであるから、そのデータに基づいて激減したといっても何ら意味をなさない。

2 スモン患者は昭和四四年までは毎年夏季をピークとして増加していく傾向があったのに昭和四五年には横ばい又は減少の傾向にあった。またいわゆるスモンの多発地区では行政措置よりも遙か以前の時期においてスモン患者の発生数が著しく減少し殆んど終熄したと報告されている。これらの事実は行政措置の実施では説明できずキノホルム説は正しくないことを示している。

3 スモンの届出の急減の事実は、キノホルム説の新聞報道や厚生省の知事宛の通知により、従来ならスモンと診断される患者がいても医療界においてこれをスモンとすることに躊躇する傾向が生じ、さらにはキノホルムの投与量が少量であるかあるいは全く服用していない患者につきスモンの診断を下さない傾向が生じたと考えられることからも説明可能である。

4 更にキノホルム剤販売中止の行政措置がなされた以後においてスモン患者の発生が報告されている事実はキノホルム説から到底説明できない。

(六)  動物実験について

1 スモンキノホルム説提起後にその成否を検証する目的の下に為された諸実験について

(イ) 被告田辺は昭和四五年当時の医薬品製造承認の際に要求された前臨床実験と同一の内容基準をもって、ラットにつき急性、亜急性及び慢性毒性試験を行ったが、その結果は、スモンはもとよりスモン様の神経障害は示唆されることすらなかった。

(ロ) 又被告田辺はキノホルムの生体内分布を知る目的で全身オートラジオグラフィーによる動物実験も行ったが、キノホルムは臓器の間では肝、腎、肺、骨格筋等に最もよく移行するが速やかに消失し、蓄積傾向は示さず、また神経組織にも蓄積しないことが明らかとなった。

(ハ) チバガイギー社のシュミットらの動物実験によっても、種々の実験動物に経口投与されたキノホルム或はその代謝物は、投与後早い時期には末梢神経組織にも分布するが、血中濃度以上に蓄積することはなく、時間の経過に伴って血中濃度の減少とともに消失していくこと、とくにキノホルムの連続投与の場合に末梢神経組織でのキノホルム濃度が一回投与の場合と比較して著変がなかったことから、末梢神経組織に対して蓄積性がないことが明らかとなった。

(ニ) キノホルム説論者による全身オートラジオグラフィーの結果と立石らの病理所見とは完全な一致をみていない。

2 スモン協等において行われた諸実験について

(イ) 立石らのイヌを用いての諸実験には次の批判が妥当する。すなわちスモン協あるいはそのメンバーのキノホルム説論者は各種動物を用いてスモンを再現させようと努力したがマウス、ラットにおいてはその目的を達成することができず、モルモット、ハムスターにおいても病変を見い出せなかった。またサル、ニワトリ、ビーグル犬、ネコについては大量のキノホルムを要し、雑犬についてのみ比較的少量をもって発症しているに過ぎない。要するにキノホルムは医薬品のうちでも種差によって作用の発現を著しく異にするといえるからある種の動物にみられた作用効果がその一事をもってヒトにもみられると速断するのは許されないのである。

つぎに立石らの採用した投与量は一般的に考察してもヒトにおける投与量と比較して過大であり、又漸増法という医薬品の毒性をみるには誤った方法が用いられていることが指摘されるのである。

(ロ) その他の動物実験について

その他スモン協において多数の動物実験がなされたが、個々の実験の内容はすこぶる貧弱であり、観察対象は局部的で、対照例を設定しないものも数多く見受けられ、結論を得るに至った資料の詳細を明示していないものがみられる等、キノホルムとスモンとの間の因果関係を検討するにつきその資料たり得るものは唯一つもない。

(七)  更にキノホルム説には次の疑問点が存する。

(イ) なぜ戦後の日本にのみ発生したのか。

(ロ) なぜ小児のスモンが少ないのか。

(ハ) なぜ発症までの服用量に大きな差がみられるのか。

(ニ) キノホルム剤投与中に治ゆ軽快した例が多いのはなぜか。

(八)  スモンは井上ウイルスによって発症し増悪をみたものである。

(イ) 井上ウイルスの存在について

京都大学ウイルス研究所助教授井上幸重は、昭和四四年岡山県のスモン患者の糞便から新種のヘルペス型ウイルスを分離し、その後大阪地方のスモン患者の脊髄液から一〇例中八例に、北海道地方のスモン患者から二九例中二三例に同様のウイルスを分離した。この井上ウイルス(井上はスモンウイルスと呼んだ)の性状はエーテル感受性で二二〇mμのフィルターを通過するが、一〇〇mμは通過しないDNA型であることが井上及びその共同研究者である西部陽子により明らかにされ、その形態については電子顕微鏡により、カフシッドの直径が一一〇nm(ナノメーター)で正六角形の外観を呈しヘルペス型ウイルスの定型的形態であることが判明した。井上ウイルスは北里大学教授西村千昭によっても培養に成功された。井上らは各種ヘルペスウイルスの抗血清を用いて中和試験を行った結果、鶏の伝染性喉頭気管炎ウイルスとの関連を指摘した。

(ロ) 井上ウイルスはスモン病原性を有する。

井上らはスモン患者のリコール中から高率にスモンウイルスを分離し、スモン患者血清中にスモンウイルスの中和抗体を証明し、それが症状の固定期に向かうに従って上昇することを明らかにしたが、右の事実はこれらの患者がスモンウイルスに感染していることを示すものである。

更に井上らはスモンウイルスをマウスの脳内又は腹腔内、皮下に接種することにより、二、三週間後に後肢麻痺を出現させ、又病理学的にも脊髄のゴル索と錐体路に対称性の軸索変性と脱髄を認めスモン類似の病変が起きることを科学的に明らかにした。

五  第五被告会社の責任について

争う

一 被告田辺の注意義務について

(一)  被告田辺が製薬会社として、その製造販売する医薬品について安全性を確認すべき注意義務があることは認める。

ただしこの注意義務の具体的内容は、その時々における医学、薬学の水準や医薬品の安全性確保のための社会的管理体制等との関係において決定されるべきである。

(二)  日本薬局方は、その時々の科学的水準に基づいて有効性と安全性とを比較考量した結果、通常の使用方法において有用と認められた医薬品を収載しその性状と品質を定めているものであるから、これに収載されることによってその医薬品の有効性と安全性はいわば公認されたものとなる。それ故薬事法上も局方品についてはその製造承認を受ける必要がないものとされているのである。

したがってある医薬品を局方に収載するという国の行為は、局方の性質及びそれに対する国民の信頼からして、国として局方に沿って医薬品を製造する製造業者に対し、有効性・安全性に関する調査研究義務を免除又は少くとも大幅に軽減するものというべきである。

二 予見の対象について

医薬品は本質的に副作用を内包するものであり、かつ現在使用されている合成医薬品の殆んど全ては、その作用機序は不明のまま経験的知識に基づき効果があるということのみで使用されている現状であり、確実に安全な医薬品という観念は存在しないといっても過言ではない。したがって医薬品発売時およびその後において何らかの副作用の懸念があればただちに予見可能性ありとは言えないのである。副作用といってもその種類は様々であり、本件において予見の対象たる副作用はスモンあるいはスモンに連なる重大な神経障害というべきである。

三 予見可能性について

(一)  被告田辺がエマホルムを発売した当時、キノホルム剤に対する評価はすでに世界的レベルにおいて、しかも長い歴史を踏んで確定しており、有効な薬剤として広く使用されていたものであり、その世界的規模の実績からみるべき副作用もないことで斯界の確信となっていたのである。

(二)  副作用報告の評価にあたっては、製薬会社として当該副作用情報を入手すべきであったか否か、その情報の質、重大性はいかなるものであったかを検討することが必要であり、そのうえで総合的判断として従前の治験上の判断に影響を及ぼし得るものかの判断を経て被告田辺に非難さるべき点があったか否かを解明すべきである。

(三)  医薬品に限らず広く化学物質はその構造の一部が変ればその性質が全く異る場合の多いことは一般の常識であり、その化学構造から事前にその作用を適格に予測することは殆んど不可能である。構造活性相関は事後的に考察していえることであり事前に予測できない。したがってキノリンないしその誘導体の毒性からキノホルムは当然毒性を有するとはいえないのである。

(四)  薬が吸収されるという事実だけで危険だとはいえない。全く吸収されない医薬品は極く例外的にしか存在しないし、吸収されることによって生じる毒性がキノホルム剤より強い医薬品は多数存在する。また内服された医薬品の吸収率が低いから安全であるという見方も医学・薬学上認められず、重要なのはある医薬品を臨床的に使用して安全であるという事実であり吸収率は全く関係がない。更に吸収はそのことだけで特別の意味があるのではなく、吸収・分布・代謝・排泄の全過程すなわち医薬品の生体内運命の一環としてはじめて意味を持ちうるが、キノホルムは神経組織に高濃度に分布したこと及び連続投与により蓄積したことを示すデータはない。なお、エマホルムはC・M・Cが添加されているが、これによりエンテロ・ビオホルムに比して吸収が増加するとは考えられない。また消毒薬であるからというだけで吸収されて危険ともいえない。内用・外用ともに使用されている抗菌剤や当初外用であったものが内用されている抗菌剤は多数存在する。

(五)  ヒトにみられない症状が動物で発現しても意味がない。

動物実験は、未だ有効性・安全性が確定するに至っていない新薬の場合にヒトでの主作用・副作用を予測するうえで重要であるが、それもやむなくする次善の方法でしかない。キノホルムはヒトでの主作用・副作用は多数の文献などを通じて知られていたのであるから、ヒトと動物との間に断絶がある以上動物についてヒトにみられない症状が発現したからといってすでにヒトに対する主作用・副作用について確立した評価を揺がすに足りないのである。

(六)  神経毒性一般という漠然とした概念ではいけない。

神経毒性と一口にいっても侵害の部位(脳・脊髄、末梢神経、視神経)及び障害の態様(機能的、器質的)によって様々であり、ある医薬品が特定の神経系に作用するからといって必然的に他の神経系にも同一の程度、態様において作用し障害を与えるとは考えられない。また急性に神経障害が発現したからといってそのことから直ちに慢性的にも同様な神経障害が発現する危険性が高まったとはいえないのである。

(七)  文献の評価について

(イ) キノホルムは局方品であるから、製薬業者が注意すべき副作用報告はその局方収載に対して法律の許容するところの深い信頼を脅かすに足る程の重大な副作用報告に限られるというべきである。又キノホルムは我国ばかりでなく広く世界においても長期にわたって繁用されてきた使用実績があるのであるから、副作用報告の評価にあたっては、その発生頻度を重視しなければならないのである。個体差がある以上何百万分の一という頻度で発症する副作用は医薬品に不可避的に伴うものとしてその責任は問われないというべきである。

(ロ) 文献評価の前提としては、文献の形式、文献発表時の医学・薬学の水準、他の文献の引用されている意味、著者の合理的意思等に留意して検討すべきであるが、原告らの文献評価は現時点におけるキノホルム説にたってキノホルム剤に関する重大ならざる副作用ないし毒性の報告を重要であると強弁し、そこに引用されている文献から文献をたどり類縁化合物及び動物実験の範囲を拡大しているのである。また著者の真意を理解しようとせずキノホルム説の立場からそれらの文献を曲解しているのであって、正当な評価とはいい難い。

(ハ) 本件において原・被告から提出された諸文献を正しく検討する限りキノホルムがスモンあるいはスモンに連なる重大な神経障害をもたらす可能性を読みとることは全くできない。

四 安全確認義務懈怠について

被告田辺はエマホルムの発売にあたり動物実験・臨床試験など改めてしなかったが、このことは前述のとおり、キノホルムは世界的に人間に対し長期間の使用実績があり、みるべき副作用はなく各種腸疾患に有効な薬品として薬効・副作用の評価が定着していたものであることから何ら非難されるべきではない。

六 第七損害について

原告らの被害の実態及び損害は不知。

被告田辺の責任に関する主張は争う。

七 第八まとめの項について

争う。

(被告田辺の抗弁)

原告らは昭和五三年八月一八日付「訴状訂正の申立書」において遅延損害金の発生始期を「本訴状送達の翌日」から「昭和四五年九月七日」に訂正したが、昭和四五年九月七日から訴状送達の翌日までの各遅延損害金については、いずれも三年の短期消滅時効が完成しているので、時効を援用する。

けだし原告らは遅くとも本訴提起までは自己の「スモン罹患・それによる損害、加害者(服用薬剤のメーカー)」などを確知した筈であり、当然訴提起の際、それぞれの発症日以降である昭和四五年九月七日より完済に至るまでの年五分の割合による遅延損害金の請求をなしえたのである。ところが原告らは敢てこれをせず、訴状送達の翌日からの遅延損害金の支払を求め、もって明示的な一部請求をなしたものであるから、右請求の対象から明示的に除かれた昭和四五年九月七日以降訴状送達日までの遅延損害金については本訴提起による時効中断の効果は及ばないのである。

五 被告国の答弁及び主張

一 第一当事者について

一は不知、二は認める。

二 第二スモンとキノホルムについて

認める。

三 第三本件キ剤の製造(輸入)許可(承認)について

認める。

四 第四因果関係について

スモンとキノホルムの因果関係については、スモン調査研究協議会(スモン協)及び昭和四八年度に改称された特定疾患調査研究スモン班(スモン班)の見解に従う。

スモン協の昭和四七年三月の見解は「スモンと診断された患者の大多数はキノホルム剤の服用によって神経障害を起こしたものと判断される。しかしながら、各部会の報告に述べられたように、スモンの発生機序にはなお不明の点が多く、またキノホルム剤非服用スモン患者の問題なども残されており、これらの点は今後引き続き研究しなければならない。」とするものであり、スモン班は昭和四九年度総括報告で「昭和四六年度に報告されたスモンとキノホルムの因果関係については、昭和四九年度の研究で決定的になったといってよい」としたのである。しかし右総括はスモンと診断された患者のすべてがキノホルムの服用によって神経障害を起こしたことが決定的になったことを意味するものでなく、国は個別的因果関係においてスモンと診断された患者のすべてがキノホルムによることを認めるものではない。

五 第六国の責任について

一 国(厚生大臣)の安全確保義務について

争う。国(厚生大臣)は国民の健康の維持・増進という行政的責務を有するが、特定の第三者との関係で不法行為上の損害賠償義務を負うことはない。

(一)  厚生大臣の承認許可により受ける原告らの利益について

行政事件訴訟法は取消訴訟の原告適格を「当該処分又は裁決の取消を求めるにつき法律上の利益を有する者」と規定しているが、判例・通説によれば右の法律上の利益とは権利ないし法的利益であるとされ、事実上の利益―反射的利益は含まれないと解されている。右の理は違法な処分により損害を受けたとして賠償を求める国家賠償請求事件にもあてはまり、その請求の当否を判断するにあたってはまずその主張する損害が当該処分との関係において法律上の利益といい得るかどうか検討されるべきである。本件についていえば、原告らが侵害されたとの主張する権利ないし利益が厚生大臣のした本件医薬品に対する承認・許可との関係において「法律上の利益」といい得るかどうかの検討が必要であり、それは当該法律の立法趣旨を踏まえて規定の文言を目的論的に解釈して判断しなければならない。

薬事法の立法趣旨及び目的は、薬事法制が創設され、数回にわたる改正・制定を経て現行薬事法に至るまでの間一貫していかに医薬品の性状及び品質を確保し、これに違反した不良医薬品を取り締まるかにあり、右の取締法規としての薬事法の性格は医薬品の安全性の確保が緊急課題となった現在においても変わるものでなく、右の要請には行政指導という形で対応しているのである。

薬事法が取締法規であることは、数回にわたる薬事法改正の動機がより徹底した形で不良医薬品の取締をすることにあること、旧薬事法、現行薬事法とも製造承認にあたっての審査基準、審査手続、及び審査機関並びに承認後における追跡調査制度及び承認の撤回等医薬品の安全性確保のための積極的な具体的規定を欠くことからも明らかであり、薬事法の立法趣旨及び目的は適正な医薬品の供給を通じて公衆衛生の向上及び増進という公衆の利益を保護することにあり、副作用のない医薬品の供給を受け得るという個々人の利益は薬事法によって保護された法的利益ではなく、反射的利益である。

以上によれば厚生大臣は薬事法により国民の健康の維持、増進を図るという政治的行政的責務を負うといえても国民のうちの特定の個人に対し何らかの法律上の義務を負うとはいえない。

(二)  承認・許可の自由裁量性について

厚生大臣の行う承認・許可は厚生大臣の専門的技術的判断に委ねられており、講学上のいわゆる自由裁量行為であるから裁量に逸脱又は濫用がない限り、処分を違法とすることはできない。

医薬品は、有効性を有する反面、何らかの副作用等の害作用を伴う「両刃の剣」的性格を有するから、その有用性は当時の医学薬学等の自然科学の水準の下に有効性と安全性の比較考量のうえ評価されるべきである。そしてその有用性は当該医薬品の適応症に属する患者群に対して総合的、統計的に判断され、更にその時々の社会の疾病に対する治療上の必要という社会的ニーズも斟酌されるのである。このように医薬品について承認・許可は右のような専門的技術的見地に立った厚生大臣の合理的判断に基づく裁量に委ねられているのである。

(三)  承認許可後における厚生大臣の安全確保義務について

以上述べた原告の利益らが事実上の利益ないし反射的利益であること及び厚生大臣の処分が自由裁量行為であることは本件キノホルム剤の承認許可後における厚生大臣の責任についても妥当する。

後述のように国は本件キノホルム剤の承認許可後も種々の安全性確保の措置をとったがこれらの措置は、あくまで国民の健康の維持、増進という国の一般的行政上の責務に基づくものであって、特定の第三者との関係における法的義務を前提としているものではない。いいかえれば、右責務は、行政機関がその使命とする公益推進の目的に由来するものであって、それに基づいて損害賠償責任を追及しうるような性質のものではないのである。原告らは、右責務をもって法的義務であると主張するが、そのように解すべき法令上の根拠は存在しない。

そもそも、医薬品の副作用の発見、解明の作業は、医学、薬学等の諸科学の進展にまつべき部分が多いのであって、その作業はすぐれて科学的なものである。そうだとすれば、いま医薬品発売後におけるその未知の副作用の発見を国の法律上の義務とすることは、およそ不可能を強いるものというべきであろう。

ことに承認許可後の国の責任は、行政権限不行使の責任であるが、伝統的な行政法理論によれば、国民のうちの特定の個人に公権力の発動を求める具体的権利はないと解されており、このことと厚生大臣に行政権限を行使する義務があるとする原告らの主張は矛盾するし、一般に不作為の違法性は低いものとされているから、行政権限不行使の違法を問うには単に行政庁が被害を放置しただけでは足りず、被害の発生に加功、荷担ないし寄与することが必要とされているところ、本件においては右事実は一切認められない。

なお例外的に行政権限の行使が義務とされる場合があるとしても、それは公益侵害の状態が一義的に明白であり、かつ行政権限の行使以外に被害回避の方法がなく、それが唯一ないしは最も有効な手段であるという救済の緊急の必要性のある場合に限られるが本件においては右にいう一義的明白性の要件も救済の緊急の必要性の要件も充足されていなかった。

(四)  国のキノホルム剤に対する特別関与について

(イ) 劇薬指定及びその解除について

昭和一一年一〇月一日から昭和一五年一月末日までの間キノホルムの原末のみが劇薬品目として取扱われた。この間の事情は明らかではないけれども、仮にキノホルムが劇薬に指定された理由が一九〇七年からseparandaとして収載されているスイス薬局方にならったものであるならば、スイス薬局方の分類は貯蔵方法に着目した分類であり、用量と薬理作用に着目した日本における分類法と異るものであるから、我国においてキノホルム原末を劇薬に指定したのは当を得なかったものであり、その後劇薬の指定が解除された理由も右に指摘した点にあると思われる。

(ロ) 戦時薬局方(第五薬局方臨時改正)について

キノホルムが昭和一四年第五改正日本薬局方の臨時改正の際、重要医薬品として局方に収載されたことは認める。

キノホルム剤は当時既にヨードホルムの代用薬として確固たる地位を確立しており、これとは別に昭和一〇年前後から腸内殺菌防腐剤としての独自の地位を確立していったのであり、昭和一四年の収載時にはアメーバ赤痢のみならず、腸結核性の下痢、細菌性赤痢等細菌性及び寄生虫性腸疾患等に対する応用も公認されていたから単に軍事目的によってのみ収載されたものでないことは明らかである。

二 予見義務の対象について

争う。

本件において国に要求されていた予見の内容はキノホルムからスモンないしはこれに準ずる重篤かつ不可逆的な神経症状が発現することである。

三 予見可能性について

争う。

(一)  原告の掲げる副作用文献は後述するようにその内容においてキノホルム剤の有用性を否定したものといえないばかりでなく、被告会社から提出がない限りはその多くが入手し得なかったものである。またスモンの発生からキノホルム説が提唱されるまでスモン調査研究協議会の組織など日本の有力な専門学者を動員しスモンの原因を追求するのに一五年という長い年月を要していること、しかもそれは世界のいずれの国の学者もなし得なかったこと等を考え合わせるとキノホルム説が発表される前の段階においてキノホルム剤の副作用としてスモンを予見することは至難の技であった。

更に医薬品の安全性と有効性を実証するデータとしては繁用という事実に勝るデータは存在し得ず、キノホルム剤が数十年にわたり有用な医薬品として臨床上使用され、多くの諸外国においては何らの行政措置を受けることなく今もなお使用されている現状を考えるとキノホルム剤の安全性につき疑念を抱くことを期待するのは無理な要求であるといわねばならない。

(二)  文献評価について

キノホルムの副作用に関する文献の評価には次の問題点があり、文献からするスモンの予見は不可能であった。

(イ) 外国医学文献の調査評価

医薬品のような国際的性格をもつ商品はその使用範囲も全世界的であり、専門学識者も全世界に無数に存在しているから、これらの者によってなされる研究発表、論文報告は世界各国で様々な言語で随時行われており、その実態の把握すら困難である。しかもこれらの文献には我国で入手が困難なもの、入手し得てもそこに使用されている外国語の特殊性のため(たとえばバロス、クラヴィッツらの論文)専門学識者に読まれることがないままのものもある。

(ロ) 化学構造の類似性と毒性との関係

化学物質は置換基がわずかに変わるだけでその生体に及ぼす作用が異る場合が多いのであって単に基本骨格が類似していることのみからその作用まで類推できない。したがってキノホルムの類似化合物の毒性や薬理作用からキノホルムのそれを推測し得るものではない。

(ハ) 動物実験による医薬品の評価

医薬品の動物に対する毒性、薬理作用がそのまま人間に当てはまるものでないことは医学、薬学の常識である。それは動物実験を行う際に使用される薬物の量は、人に対して使用される量をはるかに超えた量が与えられること、更に動物実験の結果は使用した動物の違いによっても差が生ずることなどから当然のことである。したがってキノホルムのごとく臨床上繁用され、その間に重篤な副作用のなかった医薬品について、仮に動物実験において一定の好ましくない反応がみられたとしても臨床上の使用経験が重視され、その安全性に疑いをもち得なかったことはやむを得ないところといわなければならない。

(ニ) 吸収と毒性発現

キノホルムは水溶性の低い化学物質であることから一般に吸収され難い物質と考えられていたとしても無理からぬことであり、我国においても、スモンとキノホルムとの因果関係が疑われる以前の段階においては、キノホルムに害作用を呈する程度の吸収が起こるということは学会常識としても定着していなかった。またたとえ吸収されるにしても直ちに危険性に結びつくものではなく、問題とすべきは吸収されたキノホルムの分布、代謝、排泄であるが、ナイト、リーベンダールらの報告によっても蓄積性のある薬物とは考えられていない。

(ホ) 臨床使用でみられた副作用と動物実験

原告らの指摘する臨床報告の多くで取り上げられている副作用は胃腸障害を中心とするものであるが、これらの症状は多くの医薬品に多かれ少なかれ見られるごく一般的な軽度の副作用であり、特に危険なものとは考えられない。しかもこれらの副作用はキノホルムの治療の反面として認められたものでキノホルムの有用性からみると取り立てて問題とするにあたらない。更に動物実験においてもこのような副作用を裏付けるものはない。

四 国の安全確保義務の懈怠について

争う。

(一)  日本薬局方収載の適法性

キノホルムは我国において大正期に外用医薬品として輸入されて以来広く使用されるところとなったが、昭和九年ごろからは内用医薬品としても臨床上使用され始め広く繁用されてきたものである。その結果昭和一四年厚生省令第二七号をもって第五改正日本薬局方の一部改正が行われた際キノホルムは同薬局方に新たに収載されたが、これは当時の日本薬局方調査会が当時の科学水準に基づいて検討した結果、日本薬局方に収載することを可としたからである。その後厚生大臣は昭和二六年に第六改正日本薬局方を、昭和三六年に第七改正日本薬局方をそれぞれ制定、公示してきたがキノホルムはいずれも局方医薬品として収載された。これはその時代の我国の医学及び薬学の最高水準にある学識経験者の英知を集めた機関である薬事審議会又は中央薬事審議会において、我国最高の医学、薬学の知識を総合しその科学水準に照らして慎重に調査審議を行った結果に基づくものであるが、いずれの審議会においてもキノホルムを日本薬局方に収載することについて、またキノホルムの安全性に関して何らこれを疑問視する意見が提出されたことはなかった。

(二)  承認・許可の適法性

本件キノホルム含有製剤については、キノホルム自体は既に昭和一四年から日本薬局方に収載され、医薬品としての有用性が十分評価されてきたものであるからこれについては特に中央薬事審議会の検討を必要とせず、承認前例を参考として審査を行ったことは妥当である。メキサホルム散についてはキノホルム以外の有効成分としてエントベックスを含有しており、エントベックス及びエントベックスとキノホルムの配合剤が医薬品としての承認前例のないものであるので、中央薬事審議会における検討が行われた。このように本件キノホルム剤の承認審査に際しては当該申請医薬品としての使用経験に基づいて適切な審査方法がとられた。

(三)  国自身が動物実験をして安全性を確認すべきであるとの主張について

国は医薬品の有効性安全性を検討する動物実験の資料としては外部からの学問的評価を経たものを要求している。すなわち申請の際添付される資料は原則として内外の専門の学会又は学会誌に発表され、そこでの評価を受けたものでなければならず、この段階で専門家の審査を受けている。更に次の段階として中央薬事審議会の審査の場に提出され専門家である審議会委員の審査を受けるのであり、不足の部分があれば資料の追加が求められる。したがって動物実験資料は最終的には何人もの判断を経て評価されるから国自らが同様の動物実験をする必要性は何ら存在しない。

(四)  承認・許可後において国の採った安全性の確保に関する措置について

医薬品の発売後といえども、その未知の副作用の発現については絶えず関心が払われ、医薬品の安全性確保のための適切な配慮が必要であることはいうまでもない。

しかし、右のような配慮が必要であるということは、そのために必要なすべての措置を国が直接に行なうべきことを意味するものではない。医薬品が発売された後における安全性確保のためには、医薬品をみずから使用する患者、医師、薬剤師、医薬品の製造販売業者など、医薬品に関係する者のそれぞれの立場における配慮も必要である。そして、国もまた、国民の健康を維持、増進するという見地から、医薬品の発売後においても、種々の安全性確保の対策を講じてきたのである。その概要は、次のとおりである。

(イ) 医薬品に関する学術雑誌、学術書の収集、検討、学会等への出席

(ロ) 副作用モニター制度の実施

この制度は、医薬品による副作用に関する事例の収集をすみやかに行ない、当該医薬品による保健衛生上の危害の防止に資することを目的として、昭和四二年三月一日、国立病院八八施設(その後施設数が増加し、現在九四施設)および大学附属病院九四施設(その後施設数が増加し、現在九六施設)の協力を得て発足し、さらに昭和四七年五月二九日、各都道府県から推せんされた公立病院五四施設をこれに加えた。

(ハ) WHOからの情報収集制度

この制度は、昭和三八年五月二三日開催された第一六回WHO総会において決議されたものである。これに基づき、WHO加盟各国は、医薬品による副作用に対処するため(1)すでに使用中の医薬品を禁止もしくは使用制限したとき、(2)新薬の承認を否決したとき、および新薬につき制限つきで一般使用を認めたときは、いずれもWHOにすみやかに報告し、WHOはこれを加盟各国に通知するものとされている。

なお、わが国がWHOに対し、キノホルム販売中止措置を報告した後も、多くの諸外国では、キノホルムの使用が従前どおり続けられている。

(ニ) 製薬企業からの報告制度

この制度は、厚生省薬務局長通達に基づき、昭和四二年一〇月一日から実施されたものであって、新開発医薬品の製造(輸入を含む)承認を与えられた者は、当該医薬品の製造承認を受けた後、すくなくとも三年間は、当該医薬品を使用した結果生じたとみられる副作用に関する情報を収集し、これを厚生省薬務局に報告すべきものとされている。

(ホ) 副作用調査会の評価制度について

この制度は、昭和四一年一〇月二一日、医薬品の副作用について調査審議するため、中央薬事審議会医薬品安全対策特別部会の下に設置されたもので、臨床、基礎を含めた医学、薬学等の専門家によって構成され、副作用に関する情報の評価検討および副作用に関する基本的な対策の検討を行なうものとされている。

なお、医薬品の製造許可後は、特段の事情が発生しない限り、当該医薬品について追跡調査を行なう必要はないが、スモンに関しては、昭和三九年以降、特別の研究班に研究を委嘱しスモンの調査研究を行なったのである。

(五)  本件医薬品の用法・用量等について

(イ) キノホルムの用法・用量について

医薬品の有効性と安全性は、医薬品の用法・用量を度外視して論ずることはできない。医薬品は、適正な用法・用量によって使用されなければ、期待された治療効果を得ることができないばかりか、必要以上に多くの量が投与されることによって、かえって人体に危険な状態を招くおそれがないとはいえない。

第七改正日本薬局方は、キノホルムの常用量を一回〇・三グラム、一日〇・六グラムと定め、その通則の中で常用量について次のように述べている。

「35 常用量とは、医薬品が最も普通に用いられる場合に治療効果を期待しうる量で、別に規定するもののほか、大人に対する経口投与量を示す。この量は、使用者の参考に供したものである。」

また、第七改正日本薬局方解説書(以下「七局解説書」という。)は、常用量について次のように述べている。

「……医薬品の使用量は、その適用を受ける患者の病気の症状はもとより体重・体表面積または体質によっても著しく異なるものであり、また医薬品の用法も単一でなく、適応症によっても使用量を異にする。そこで常用量とは最も普通に用いられる場合に治療効果を期待し得る量ということになっている。

……薬局方の常用量としては、その治療効果を目標として常用量が定められている。常用量は決して拘束規定ではなく、医師が患者の体質、症状などを勘案し自由に変更してさしつかえない量である。……」。

結局、日本薬局方に定められている常用量とは、医薬品が最も普通に用いられる場合に治療効果を期待しうる量であるが、患者に投与すべき量を指示しているものではなく、実際の治療にあたり患者に投与すべき量については、その使用者が種々の具体的情況を考慮して個々に判断すべきものとされているのである。

(ロ) 本件医薬品の効能及び用法・用量について

厚生大臣は、本件医薬品を承認・許可したが、右製造承認の審査は、第七改正日本薬局方および七局解説書を参考として行なわれた。七局解説書によれば、その薬効は、各種細菌(ブドウ球菌、レンサ球菌、大腸菌、チフス菌、肺炎菌など)および原虫(アメーバ、ランブリアおよびトリコモナス)に対して殺菌または発育阻止作用を有し、内服により腸内殺菌、防腐、異常発酵防止などの作用を示すとされ、また、その用法、用量について、「内用としては細菌性の下痢、胃腸炎などには一日量〇・六~一グラムを三回に分服する。アメーバ赤痢の急性症には一日量二・〇~三・〇グラムを一〇日間投与、慢性症には一日量〇・九~一・五グラムを一~二週間、細菌性赤痢には一日一・五~二・〇グラムを投与する。」と記述されている。また、昭和四〇年四月一五日に南江堂によって編集、発行され、七局解説書と同水準にある「第七改正日本薬局方註解」のキノホルムに関する記述も、ほぼ右と同じである。そして、厚生大臣が承認した本件医薬品の効能および用法、用量はいづれも右薬局方および各文献の記載にてらして適正なものというべきである。

なお、医薬品の製造承認における用法・用量は、当該医薬品の使用者に対し、用法・用量の妥当な目安を与えることを目的とするものである。したがって、たとえば当該医薬品の使用者が医師である場合、治療の必要上、用法、用量の定めに合致しない投与が行なわれる場合も少なくないであろうが、それは、当該医師の判断と責任において行なわれているのである。

六 第七損害について

各原告個別的事実関係、症状について不知、損害額は争う。

七 第八まとめの項について

争う。

六 抗弁に対する原告らの主張

被告田辺及びチバの遅延損害金の消滅時効に関する主張は争う。

第三証拠《省略》

理由

第一章スモンとキノホルム

第一節スモンについて

第一我国におけるスモンの発生とその対応

甲一号証(丙三〇号証、戊四二号証)、甲三号証、甲四号証(丁五号証、戊二号証)、甲四〇及び四一号証の各一ないし三、甲二〇八号証、丁一号証、戊一号証、戊一〇二号証の一ないし三、丁四三号証(戊五号証の一、二)によれば次のとおり認められる。

昭和三〇年頃から、山形県や三重県において、慢性下痢の経過中に下肢の知覚異常、筋力低下を起こす従来みられない神経病の存在が気付かれ、散発的に患者発生の報告があり、その最初の学会報告は当時和歌山県立医大の楠井賢造らにより昭和三三年の第六三回近畿精神神経学会においてなされた。その後全国各地における患者の増加に伴いその症例報告も相次いでなされたが、果してこれが新しい独立疾患であるのか、あるいは異った病因による症候群であるのか結論が出ず、付された病名も下痢を伴う(その他下痢に続発する、腸炎後の、腹部症状を伴うなど)・脊髄炎(その他脳脊髄炎、下半身麻痺、非特異性脳脊髄炎症)等様々であった。昭和三七、八年頃から本症は飛躍的に数を増し、特に釧路市、山形県米沢地方、徳島市、津市などにおける集団発生が注目されるようになった。そこで昭和三九年京都で開催された第六一回内科学会総会において、楠井の司会のもとに本症を「非特異性脳脊髄炎症」としてシンポジウムが行われた。そこにおいて本症の臨床像及び病理所見にかなり共通性のあることが認識され、一つの独立疾患である可能性が十分あることが指摘された。その際東京大学脳研究所の椿忠雄、同大学医学部の豊倉康夫、塚越広らは、本症の臨床的及び病理学的特徴から Subacute-Myelo-Optico-Neuropathyと呼ぶことを提唱し、以後本症はその頭文字をとってSMON(スモン)と略称されることが多くなった。

昭和三九年厚生省は、右スモンの病原、疫学、治療等の研究のため京都大学の前川孫二郎教授を班長として厚生省医療研究助成金により「腹部症状を伴う脳脊髄炎症の疫学的及び病原的研究」を目的とする研究班を発足させたが、同研究班はとりたてて成果をあげることがないまま昭和四二年解散した。しかしスモンはその間も増加を続け昭和四二年には東北六県の患者数が約九〇人とピークになり、岡山県井原市においても患者数が急激に増加し始め、翌年には同県湯原町でも患者の急増がみられた。そのころ全国各地においてスモン患者の会が結成され始め、スモン患者の中から自殺者が出るなどしてマスコミ、国会においてもスモンが取りあげられ、病因としてウイルスなどによる伝染性の疾患の可能性もあったことから一種の社会問題となるに及び、厚生省は昭和四四年四月厚生省科学特別研究費五〇〇万円をもって、前記前川班の研究員に岡山大学の研究者らを加えて全国スモン患者の実態並びに病原に関する研究班を発足させたが、これでは不十分であったため、まもなくこれを発展的に解消し、昭和四四年九月に科学技術庁の特別研究調査費三〇〇〇万円を加えてスモン調査研究協議会(以下スモン協という)を発足させ岡山でその第一回総会が開催された。スモン協は甲野礼作を会長として、疫学、病原、病理、臨床の四つの班からなり、当時の日本におけるスモン研究者をほぼ網羅しており研究員は当初四四名であった。

スモン協は、まず全国のスモン患者の発生状況を把握し、病状・経過・疫学的特性を明らかにするため、昭和四四年末頃、各都道府県、指定都市の衛生部局に対し、昭和四二年一月一日から昭和四三年一二月三一日の二年間に医療機関に受診したすべてのスモン患者及び同容疑患者について個人調査票を作成するように依頼し、右調査票の返送を受けてこれを集計検討した。その結果患者実数は四二八〇名であった。当時スモン協として統一したスモンの診断基準はなく、右調査においては椿、祖父江、高崎の三人の診断基準が併記されていた。しかしスモン協の調査、研究のためには一本化した診断基準が必要であったことから、昭和四五年二月ころからその作成の準備を進め同年五月八日の幹事会において次の「スモンの臨床診断指針」が採用されることに決定した。

スモンの臨床診断指針

必発症状

1 腹部症状(腹痛、下痢など)・おゝむね、神経症状に先立って起こる。

2 神経症状

a 急性または亜急性に発現する。

b 知覚障害が前景に立つ。両側性で、下半身、ことに下肢末端につよく、上界は不鮮明である。とくに異常知覚(ものがついている、しめつけられる、ジンジンする、其他)を伴ない、これをもって初発することが多い。

参考条項(必発症状と併わせて、診断上きわめて大切である)

1 下肢の深部知覚障害を呈することが多い。

2 運動障害

a 下肢の筋力低下がよく見られる。

b 錐体路徴候(下肢腱反射の亢進、Babinski現象など)を呈することが多い。

3 上肢に軽度の知覚・運動障害を起こすことがある。

4 次の諸症状を伴なうことがある。

a 両側性視力障害

b 脳症状、精神症状

c 緑色舌苔、緑便

d 膀胱・直腸障害

5 経過はおゝむね遷延し、再燃することがある。

6 血液像、髄液所見に著明な変化がない。

7 小児には稀である。

スモンの病因については、ウイルス感染説、腸内細菌毒素説、脊髄血管障害説、アレルギー説、代謝障害説、中毒説などが唱えられていたが、その発生状況に地域集積性や病院集積性があったこと、夏から秋にかけて発症が多いという季節的特徴があったことなどからウイルス説が有力視され昭和四〇年に発表された新宮のエコー21型ウイルスをはじめコクサツキーA2型ウイルスや中沢ウイルスなどが患者の血液、糞便などから分離されたとの報告があったが、他の研究者の追試によって確認されたものはなかった。更に昭和四五年には京都大学の井上らによりいわゆる井上ウイルスが発表されたがこれは後述する。しかし一方血液、髄液に変化のないこと、病理組織的に炎症反応を欠き、病巣の分布が通常のウイルス感染とは異り、系統変性を示すこと、小児に少ないことなど感染説では説明困難な特徴があり、中毒説、代謝障害説などを支える根拠となっていた。ところでスモン患者に緑の舌苔や緑便のあることは以前から指摘されていたが、昭和四五年五月緑色尿を排泄するスモン患者が井形らによって発見され、この緑尿が東京大学薬学部の田村らのもとに持ち込まれて分析された。その結果緑色物質はキノホルムのFe3+のキレート(錯化合物)であることが判明し、昭和四五年六月三〇日のスモン協総会の席上でその旨発表された。椿らはキノホルムが緑舌、緑尿の原因にとどまらずスモンそのものの原因ではないかと考え、直ちに精力的な疫学調査に着手しその結果スモンはキノホルムが原因であるとする仮説をたて同年八月七日新聞紙上に発表し大きな反響を呼んだ。これを重視した厚生省は係官を椿らいる新潟に派遣して椿の資料を検討し、同年九月四日中央薬事審議会に対しキノホルムを含有する医薬品の取扱いについて諮問し、同審議会は同月七日、厚生大臣に対し、キノホルムがスモンの発生に対しなんらかの要因になっていることを否定できないので、事態がさらに明らかになるまで当分の間キノホルム及びキノホルム製剤並びに8―ヒドロキシキノリンのハロゲン誘導体の販売、使用を中止する措置をとることが適当である旨の答申をした。これを受けて厚生省は同月八日薬発第七八七号をもって、同省薬務局長から各都道府県知事宛に「キノホルム及びキノホルムを含有する医薬品の取扱いについて(通知)」と題する通知を出した。その内容は次のとおりである。

1 キノホルム及びブロキシキノリン並びにこれらを含有する医薬品の販売を当分の間中止させること。なおこれらに該当する医薬品であって、現在製造(輸入)販売されている品目は、別紙Ⅲのとおりであるが、他にも製造(輸入)承認及び許可を受けている品目があるので、これらについても当分の間販売されることのないよう措置すること。

2 キノホルム及びブロキシキノリン並びにこれらを含有する医薬品であって、既に販売されているものについては、その使用を見合わせるよう広く一般に周知を図ること。

3 腸性末端皮膚炎等医療上これらの医薬品を使用することが特にやむを得ない場合の措置については、おって通知すること。

4 キノホルム及びブロキシキノリン並びにこれらを含有する医薬品の製造(輸入)は、今後当分の間承認及び許可しないこと。

右措置がとられて後スモン協では臨床班所属の班員二〇名に対し同年九月二〇日スモン患者のキノホルム剤服用状況の調査票を送付し、スモンとキノホルムとの因果関係の検討に着手した。右調査に対し一八班員からスモン患者八九〇名について回答が寄せられ、神経症状発現前六か月以内にキノホルム服用歴のあるものは六一〇名であった。更に昭和四六年各都道府県衛生部と医師会の協力を得て一八班員を含む全国の医師に調査票を送付してスモン患者のキノホルム剤服用状況を調査したところ、二、四五六例が集まり、うち神経症状発現前六か月にキノホルムを服用したものは七五・一%であった。その他スモン協において、キノホルム服用とスモン発症に関する症歴調査などの疫学調査や各種動物にキノホルムを投与してスモンを再現する動物実験のほか放射性同位元素で標識したキノホルムを動物に投与してその吸収分布などを調べる研究などが行われた。

又前記診断指針を用いて昭和四五年に第二回のスモン患者全国実態調査がなされ、昭和四四年一月一日から昭和四五年六月三〇日までの初診患者を一括して同年九月末までに、その後は毎月分を翌月末までに提出するよう各都道府県、指定都市の衛生部長に依頼がなされた。右調査の結果、初診年次の明らかなものについてみると昭和四四年の発生患者は二、四一八名昭和四五年一六五二名、昭和四六年は九五名、昭和四七年には五名であり(昭和四七年三月末現在)第一回の全国実態調査の分と合わせると右時点において全国のスモン患者は九、二四九名であった。

これらの研究調査結果に基づき、昭和四七年三月一三日に開かれたスモン協総会において会長甲野礼作は研究総括を行い、スモンの病因について次のとおり述べた。

「以上述べた疫学的事実ならびに実験的根拠から、スモンと診断された患者の大多数はキノホルム剤の服用によって神経障害を起こしたものと判断される。しかしながら、各部会(スモン協は昭和四六年度から、疫学、病理、病原、臨床の四班にかわって疫学、保健社会、治療予後、病理、微生物、キノホルムの六部会から構成されていた。)の報告に述べられたようにスモンの発症機序にはなお不明の点が多く、またキノホルム剤非服用スモン患者の問題なども残されており、これらの点は今後引続き研究しなければならない。」と述べた。

昭和四七年にスモン協は、厚生省特定疾患スモン調査研究班(以下スモン班という)として再出発し、同年度はスモン協の各部会をそのまま継承して調査研究にあたったが、昭和四八年度からは疫学分科会、保健社会分科会、発症機序分科会、治療分科会、リハビリテーション分科会に新たに編成替えされ、病因の追求とともに患者の治療、社会復帰にも研究の重点が置かれるようになった。昭和四九年度にはリハビリテーション、治療、発生病理、疫学・保健社会学の四分科会で研究が行われたが、その総括研究報告において班長重松逸造は「昭和四六年度に報告されたスモンとキノホルムの因果関係については昭和四九年度の研究(動物実験、新発生患者サーベイランスなど)で決定的となったといってよい。」と述べている。

なおスモン班の昭和四九年度研究業績(甲第二〇八号証)の山本らの「全国スモン患者の疫学調査成績」によればスモン班がこれまでの全国調査によって把握したスモン患者数一万一、〇〇八名であるが、詳細な重複チェックを行えばスモン患者の実数はこれにより若干少ないものと推定されることが認められる。

第二スモンの臨床像

甲四三、二〇七号証、戊三二号証、証人花籠良一の証言によれば次のとおり認められる。

スモンの臨床像については、スモン協が昭和四五年五月に設定した前記診断指針がその臨床的特徴をかなり正確に表わしているといえる。(詳しくは第四章第一節参照)

なお右「診断指針」は椿らによるキノホルム説が提唱される以前に作成されたものであり、昭和四五年九月八日の前記行政措置後スモン患者が激減した頃から改訂の要があるのではないかという意見が出されはじめ、スモン班においても昭和四七年一〇月及び昭和四八年一一月の二回にわたり楠井が中心になって班員に対して改訂の要否に関する照会が行われたが、新しいスモン患者が発症しない段階において改訂することは混乱を惹き起こすのではないかという意見もあり、昭和四八年一一月の照会では一九班員のうち一六班員が改訂の必要なしという回答であった。

ところでスモンの必発症状とされる腹部症状については、キノホルム説が提唱される以前から、祖父江らにより(一)神経症状発現前慢性的にみられるもの、(二)神経症状の発現と時期的に密着してみられるもの、前駆腹部症状、(三)神経症状発現後慢性的にみられるもの、に三つに分析されており、(一)の腹部症状は下痢、腹痛、便秘及びこれらの二つないし三つの組み合わせ並びに胃部膨満、吐気など様々であるが、(二)の症状は腹痛とくにえぐられるようなあるいはやけつくような激しい痛みのあることに特色があることが報告されていた。キノホルム説が提唱されて以来腹部症状が問題となりスモン班でも祖父江、高崎、藤原、片岡、大村の五班員がこの腹部症状の解明にとり組み昭和四八年三月のスモン班研究会において検討した成績を発表した。その概要は(一)三四八症例のうち約七割にキノホルム投与後には投与前とは内容の異った腹部症状が生じ、その程度も強い。(二)この腹部症状はスモンに特有な腹部症状であり、キノホルムが原因として生じたものと考えられ、持続期間の判明している一九四例のうち七日以内が九五例一五日以内が一五二例(七八・四%)を占める、というものであった。このようにスモンの腹部症状はキノホルム投与の原因となった腹部症状とキノホルムによっておこる激しい腹痛を主体とする腹部症状に区別して考えられており、それ故椿は「腹部症状を呈しないが明らかに本症(スモン)と診断された例を経験したし、また本症の腹部症状の一部はキノホルムを服用させた条件に過ぎないので、(腹部症状を)必発症状より除いた方がよいとも考えられる」(丙一〇号証)と述べており、井形もキノホルム中毒症の診断基準の試案を提案し、その中で必発症状としての腹部症状は「キノホルム投与の原因となった非特異的腹部症状のほか、キノホルム投与による腹痛、便秘、イレウスなどが神経症状に先立って起こる。例外的には腹部症状があまり著しくないこともありうる。」という説明を加えている(甲二〇七号証)。更に花籠も当裁判所における証言で、スモンの腹部症状は二つの相にわけて考える必要がある旨述べている。

このようにスモンの腹部症状に二種類あることは多くの研究者の認めるところでありまたその必発性についても疑問が投げかけられており前記診断指針はスモンをキノホルム中毒とする限りこの点に問題があることは否定し得ないであろう。被告田辺はスモンの腹部症状は必発症状であり、「前駆腹部症状はキノホルム投与のきっかけとなった一般腹部症状とキノホルムによって起こる腹部症状に分けられる」という説は根拠のないものである旨主張するが、この主張は右にみてきたところから採用し得ない。更に被告田辺は、本件各原告につき、キノホルム投与の原因と考えられるいわゆる一般腹部症状をスモンに特有の必発症状である前駆腹部症状とし、キ剤の投与がその腹部症状の後にされたことを理由にキ剤とスモンとの投薬関連がない旨の主張を個別論においてしばしば行っているが、右主張の採用できないことも同様である。

第三スモンの病理像

丙一五〇号証丁一〇号証、四三号証、一一二号証(戊二〇四号証)によれば次のとおり認められる。

スモンの組織病理については昭和三六年に高崎らの報告があり、前記昭和三九年の内科学会におけるシンポジウムで椿らの六例をはじめ、早瀬、黒岩らからも続々報告がなされ、スモン協が発足する以前においてスモンの病理はほぼ完全に把握されていた。昭和四七年三月のスモン協の総会において白木はスモンの神経病理について報告し、スモンの病理所見の本質を要約した。その要旨は次のとおりである。

スモンは脊髄長索路すなわち知覚性後索路及び運動性錐体路並びに末梢神経の変性性疾患であり、変性は左右ほぼ対称性でニューロンの遠位に強く系統性もしくは偽系統性の性格を明示している。一方病理組織学的には神経線維のうち軸索、髄鞘ともにおかされるが、急性例では前者は後者よりも強く損傷を受け遷延例では無髄線維による再生が示唆されている。脊髄所見としては下半身に対応する長索路としての後索病変はスモンの全剖検例にみられ、しかもその遠位に位置する頸髄ゴル索に最も著しく、上半身に対応するブルダッハ索の病変はこれを欠くか軽度である。錐体路病変は腰髄に最も目立ち、上方は軽度であるが全般的にみて後索病変よりも程度が軽く、頻度も恒常的とはいえない。灰白質の神経細胞は脱落、消失することはないが、腰髄を中心に前角細胞の逆行性変化や空胞性病変が、又前角の腹内側に軸索腫脹性の類球体が多発する。末梢神経のうち脊髄レベルでは後根神経は恒常的におかされその病変は前根より強い。後根神経節の神経細胞は脊髄前角のそれより変性や消失の程度、頻度ともはるかに目立つ。これらは胸、腰髄レベルに著しく頸髄により軽い傾向がある。末梢レベルにおける末梢神経系の病変は場所や種類により異るが、遠位性に著しく、同じ神経束の中でもおかされる線維はかなり恣意的で非連続性にみえる。交感性、副交感性神経節ならびに索の病変は、前述の後根神経節とその索の病変に比しより軽度である。以上の病変程恒常的ではないが、これが証明できればスモンの神経病理学的診断が確実になる所見は次のとおりである。視神経の両側性かつ同性格の変性があげられるが、末梢神経に比し脱髄的性格が目立つ場合もある。また網膜の内神経細胞層の神経細胞の脱落した例もある。延髄レベルにおける迷走神経根の病変も頻度程度とも視神経のそれに匹敵する。大脳から脳幹にかけては頻度と程度からみて、前述の諸領域に比肩するものはないが、延髄オリーブ核の病変で神経細胞の大空胞変性、軸索突起の異常増生、その脱落、星状グリア細胞の異常な肥大と増殖、グリオーゼなどがかなりのスモン剖検例に見出される。

以上のとおり要約でき、右はスモンの病理に関する研究者の共通の認識であると認められる。

スモン協病理班では昭和四四年秋から全国のスモンの剖検例約一五〇例を集めて検討すると共に、これと並行して病理組織学的診断基準をまとめ昭和四七年三月の総会で発表した。それは次のとおりである。

スモンは脊髄長索路及び末梢神経の変性疾患である。変性はほぼ対称性で、ニューロンの遠位に強い。

1 脊髄

(1) 病変はGoll束にもっとも強い。

(2) 錐体路もおかされる。

(3) 前角細胞のcentral chromatolysis(染色質融解)が腰髄そのほかにみられることがある。

2 末梢神経

(1) 末梢神経の病変も下肢遠位部に強い。

(2) 後根神経の病変は前根神経よりも強い。

(3) 後根神経節内の神経細胞もおかされることが多い。

(4) 自律神経にも変性がみられる。

3 視神経の変性を伴うことがある。

通常は視索と視神経交叉付近がおかされる。

4 病変の強い例ではオリーブ核等に変化がみられる。

5 大脳、小脳には上記部位にみられるほどの強い変化を認めないのを常とする。

白木によれば(丁一〇号証)スモンは病巣の分布と局在性の諸特性からみれば脊髄長索路と脳神経根を含む末梢神経系の系統性もしくは偽系統性の変性症であり、その細胞病理学的特徴を加味すると中毒性もしくは代謝障害性と考えられる既知の神経疾患群のカテゴリーに組入れることができることが認められる。

第二節キノホルムについて

第一化学構造

キノホルムがキノリン核の五位、七位、八位の各水素子をそれぞれ塩素、ヨー素、水酸基で置換したキノリン誘導体であることは当事者間に争いがない。その化学構造式を図示すると次のとおりである。

第二開発及び来歴

丙一四号証、丁一一、一二号証、戊一四七号証によれば次のとおり認められる。

キノホルムは黄色、無臭の粉末で一七二度C付近で分解し、弱酸と弱塩基の性質を同時に有する。常温の水で約〇・〇三%溶解する。金属イオンと錯化合物いわゆるキレートを形成しうる。

一九世紀末にキノリンの殺菌性が証明され、キノリンに水酸基を導入しさらにそのフェノール環がハロゲン化された誘導体がいくつか合成されたがキノホルムはその中の一つである。一九〇〇年チバ社の前身のスイスバーゼル化学工業会社は、商品名をビオホルムとしてキノホルムを発売し、キノホルムは従来からあったヨードホルムより優れた外用消毒殺菌薬として用いられた。その後一九二九年日本の梶川静夫はビオホルムを急性腸カタル、疫痢、醗酵性小腸性消化不良、腸結核等に内服して良好な効果があったことを報告し、これがビオホルムを内用した世界最初の公表文献とされている。一九三三年デービッドらがアメーバ赤痢に対するビオホルムの臨床試験治療を行い効果のあったことを報告し、一九三四年前記バーゼル化学工業会社がビオホルムの腸管内の乳化及び分布の拡大のためキノホルムにサバミンを添加したエンテロ・ビオホルムを腸内防腐殺菌剤として発売して以来、キノホルムは経口的に用いられるようになった。

第二章スモンの病因

第一節キノホルム説

第一はじめに

前記説明の如く、スモン協及びスモン班は厚生省の主導により、国家的規模で日本のスモンの研究者を結集し、臨床、疫学、病理、治療、リハビリテーションなど様々な分野からスモンの調査研究にあたりその病因の解明、治療方法の発見などに努めたのであるが、昭和四七年三月のスモン協総会における甲野会長の総括及びその後のスモン班総会の総括報告にみられるように、キノホルム説はスモン協及びスモン班において一定の地位を占めるに至った。その根拠とするところは前記甲野の総括にあるように「疫学的事実ならびに実験的根拠」であるのでこの順に検討することにする。

第二キノホルム説の疫学的根拠

一 疫学について

丁一三六号証の一、一三七号証の二、戊二四三号証によれば次のとおり認められる。

疫学は医学の一分科として発達してきたものであり、その目的は人間の健康の保持、増進であるが、個々の患者を対象にその診断と治療の方法を研究する臨床医学及び患者個体を細胞レベルあるいは分子レベルまで分析して研究する基礎医学と異り、疫学は患者だけでなく健康者を含めた人間集団を対象に主として疾病の予防方法を研究するのが特徴である。もともと疫学は、その名称の示すごとくかつては伝染病の流行を研究するためのものであるが、今日では伝染病研究を通じて培われた集団観察の方法と技術を駆使発展させて、非伝染性疾患を含めたすべての多発する健康異常を研究の対象にしている。

疫学の目的は疾病の予防であるが、そのためには疾病の原因を明らかにすることが必要であり、疫学の第一義的任務は原因の究明である。原因とは結果を引き起こすのに必要にして十分な条件であるが、病原体のような生物学的原因は必要条件であっても十分条件ではない。十分条件としては病原体自身の量や毒力のほか人間(宿主)の側の条件及び病原体と人間をとり巻く周囲の環環条件が考えられる。右の必要条件はこれがなければ疾病が起きないことから原因とか主因とか呼ばれ、十分条件を満すものが副因とか誘因とかいわれる。

疫学は右のように人間集団を対象に健康障害に関する因果関係を追求するのであるが、具体的には集団内におけるその発生状況を定量的に観察したうえで、その発生がいかなる要因によって影響されているかを検討し、それらの要因が果してその疾病又は健康障害と因果関係があるかどうかを決定することになる。ところで一般にある因子とある疾病の間の因果関係を決定するには①その疾病の患者や健康者にはその因子が存在するが(一〇〇%でなくともよい)、他の疾患の患者や健康者にはその因子は存在しないか、存在していても有意に低率である。②その因子を健康者に与えたらその疾病を発生するが(一〇〇%でなくてもよい)与えなかったら発生しないの二条件が満たされることが必要である。(なおその因子が病原体の場合はこれにその病原体を培養できるという条件を加えてコッホの三原則という。)しかし②の条件は実験疫学的方法であり、人間を対象とする実験では倫理的に有害物質を除去する実験はできても加える実験はできない。このような場合には、右実験はしなくとも次のような条件がすべてある因子と健康障害との間に存在している場合には、両者の間に因果関係の存在することがかなり高い確率で推定できる。

(1) その因子が健康障害の発現に先行して存在していること

(2) 両者の間に高い関連性があり、時間的場所的及び集団の種類別にみても同様の関連性が認められること

(3) その因子が原因として作用する機序が医学的理論と矛盾しないこと

(4) 量と反応の関係があること

以上認められる。本件においてもキノホルムはスモンの原因物質と疑われている薬剤であり、健康者に与えてスモンを発病するか否かの実験は許されないから、右の四つの条件がスモンとキノホルムとの間にあるかが問題となるので、順次みていくことにする。

二 スモン患者のキ剤服用率について

甲二〇七号証、丁二、八号証、戊五八〇号証の一、二によれば次の事実が認められる。

(一) スモン協及びスモン班における調査

1 前示のごとくスモン協では、厚生省のキ剤販売中止の措置がとられた後直ちにキノホルム剤の服用状況を調査してスモンとキノホルム剤の因果関係を検討するため、昭和四五年九月下旬にスモン協臨床班所属の班員二〇名に調査票を送付し、同年一〇月二〇日までに確実なスモン患者で発病前後の服薬状況の明らかな者について、神経症状発現前六か月以内及び発現後におけるキノホルム剤服用状況及び関連事項の調査を依頼した。これに対し一八班員から調査票の提出があり、その結果は次のとおりである。

調査症例八九〇例中神経症状発現前六か月内について薬剤使用状況の不明な一四八例を除いた七四二例中、キノホルム剤の使用が確実にないものは一一〇例(一四・八%)、ないらしいが不確実なものは二二例(三%)、あるものは六一〇例(八二・二%)であった。

2 続いてスモン協では、昭和四六年各都道府県衛生部と医師会の協力を得て、一八班員を含む全国の医師に調査票を送付し、全国のスモン患者のキノホルム剤服用状況を調査した。その結果、二、四五六例が集まり神経症状発現前六か月内の使用状況の不明なもの六一七例を除いた一、八三九例についてみると、キノホルムを服用した者一、三八一例(七五・一%)、確実に服用していない者二六九例(一四・六%)、ないらしいが不確実な者一八九例(一〇・三%)であった。

3 昭和四七年度に厚生省は難病対策としてスモンを含む八疾患を特別に指定し、原因究明、治療方法解明のため調査研究班を編成した(スモン班はその一つ)が各班長及び疫学担当者により特定疾患疫学調査協議会が組織され、全国の病院に対し各難病について第一次第二次調査からなる疫学調査がされた。患者個人調査である第二次調査の結果一、八八八名のスモン患者の資料が集まり、それによると神経症状発現以前六か月内のキノホルム剤服用は、有り六一%、無し六%、不明三三%であり、不明を除くと有りは九二%であった。

(二) その他個別になされたキノホルム剤服用率の調査

1 椿忠雄らによる調査(甲六号証、丁二号証)

新潟県六、長野県一の七病院における調査ではスモン患者一七一例中一六六例(九七%)がキ剤を服用していた。

2 吉武泰男らによる調査(甲七号証)

昭和四一年から四五年六月までに東京都の石山病院で腹部手術を受けた一五五例中三四例がスモンを発症し、その全例(一〇〇%)がキノホルム剤を服用していた。

3 杉山尚らによる調査(甲八号証、丁二号証、証人花籠良一の証言)

東北大学医学部鳴子分院のほか、東北地方の三病院の調査によりスモン患者七四例全例(一〇〇%)がスモン発症前確実にキ剤を飲んでいたことが判明した。

4 祖父江逸郎らによる調査(甲九号証、丁二号証)

調査した二八二例中九二%は発症前にキ剤が使用されていた。

5 伊藤弓多果らによる調査(甲一一号証、丁六号証)

昭和三九年から昭和四三年までの間に釧路市立病院内科外来患者でスモンと診断された二二例及びこれ以外の釧路のスモン患者でカルテがすべて保存されていた二五例計四七例のすべて(一〇〇%)がキ剤を服用していた。

6 越島新三郎らによる調査(甲一二号証、丁六号証)

昭和四一年四月から昭和四五年九月までの一五〇例のスモン患者のうち、神経症状の発症前後の服薬状況が確実に把握され、かつ発症当初より同人らが診察した五一例全例(一〇〇%)がキ剤を発症前持続的に服用していた。

7 高須俊明らによる調査(甲一四号証)

スモン初発当時の服薬状況が明らかな四八例中四六例(九六%)がキ剤を服用していた。

8 野村益世らによる調査(甲四〇九号証)

自験例三六例中三三例(九一・七%)に神経症状発症前キ剤の服用があったが、当院(関東中央病院)受診中に発症した二〇例は全例キ剤の服用があり、他院受診中に発症した後当院に転院してきた一六例では一三例にしかキ剤の服用の証明がなかった。

9 黒岩らによる調査(丁二号証)

福岡市南部について昭和四四年八月以来の調査により判明した二七例のスモン患者のうち二五例(九三%)が神経症状発現前キノホルムを服用していた。

10 平木潔による調査(丁二号証)

岡山大学医学部第二内科に入院したスモン患者四三名中、神経症状発現前キ剤服用は三三名(七七%)不明六名、不確実四名で確実に服用していない者はいなかった。

11 三好和夫による調査(丁二号証)

徳島県の大学病院ないし関連病院の調査ではスモン患者三〇例中六例はキ剤服用状況不詳、残りの二四例のうち神経症状発症前服用しているもの二二例、いないもの二例であったが、この二例も服用を全く否定することはできなかった。

12 島田らによる調査(戊二一六号証)

島田らはI病院における昭和四三年から四五年まで及びP、Q病院における昭和四四年の各内科外来患者を調査し、一一五例のスモン患者のうち四二例(三六・五%)が神経症状発現前のキ剤非服用例であったことを報告している。

(三) まとめ

スモン協の一八班員による第一回のキ剤服用調査、及び全国の医師を対象とした第二回調査の結果はそれぞれ前記のとおりであるが、そのうち「ないらしいが不確実」を総数から除いてキ剤の服用率を計算すると第一回調査では七二〇例中六一〇例で八四・七%、第二回調査では一六五〇例中一三八一例で八三・七%となり、ほぼ同様の数値が得られる。なお甲四一号証の一ないし三、戊五四五号証によれば、中江公裕は第二回調査の二、四五六名はキノホルム服用の有無に関する報告の信頼度の点で三群に区分できるとし、第一群は初診の時点が神経症状発現時点より前にある群で、発症前のキノホルム服用の有無がカルテ上に記載されているので最も信頼度が高く、第二群は初診の時点が神経症状発現と同時か後の群であり、第三群は両者の時期的前後関係が不明の群でいずれも第一群に比し信頼度が低いと考えられるところ、第一群における「キノホルム使用あり」の全国平均比率は八六・四%であったのに対し、第二群は五九%であること、第一群の中で「ないらしいが不確実」を除くと九〇・二%にのぼることを報告していることが認められる。これらの数値からスモン患者のキノホルムの服用率は八五%といわれたのであるが、この服用率はアザラシ症患児の母親の妊娠中におけるサリドマイド服用率に関するレンツの調査成績の八〇・四%という数字より大きく、スモンとキノホルムとの関連を推測させるといえる。

戊五八〇号証の一、二(重松逸三の証言調書)によれば、右第一回の調査は、椿のキノホルム説が発表されキ剤の販売中止の措置がとられた直後の昭和四五年九月から一〇月にかけて実施されたもので、スモン協としてキノホルム説が真に本格的な研究に値するものであるかどうかを確めるため緊急にスモン協の臨床班員を対象にして行われた調査であり、その調査の仕方も一般の例に従い、当該仮説(この場合はキノホルム説)に不利になるよう調査票を設計し、ことにキ剤の服用なしについては確実度をあげるためできるだけ調査するよう裏付けを要求したこと、第一回の調査でキ剤の服用率が予想外の高率であったことから、キノホルム説が本格的研究に取り組むべき説であることが確認できたのでその調査の目的は達したのであるが、第二回の全国調査は臨床班員の調査結果が全国的にもいえるのかどうかを調べるためになされたいわば付加的な調査であること、それにもかかわらず、第一回、第二回調査ともキノホルム服用率がほぼ同じ程度にしかもサリドマイドの服用率をしのぐ高率であったこと、しかし右調査結果だけからスモンとキノホルムとの因果関係を云々できないこと、右のような調査の趣旨目的から対照群を設けた調査ではなかったこと(対照群を正確に設定した調査はかなり面倒である)などを当時の疫学班の責任者であった重松が述べていることが認められる。

被告らことに被告田辺はスモン協の二回のキ剤服用調査はいずれも対照群を設けてなく、第一回の一八班員調査においては、班員間に服用状況につきばらつきがあり、班員の自験例以外の報告も含まれ、初診年月日の解釈も異なるなど班員間のデータに均質性がなく、これらを単純に集計して解析することは誤りであり、第二回の全国調査でも右のばらつきのほか、東京都など全く報告のないところもあり全体の三八%が大阪、兵庫、岡山、広島の四府県で占められ地域的偏りがみられ、これらの調査結果からスモンとキノホルムとの因果関係を論ずることは方法論上の誤りがある旨批判しているが、右二回の調査が対照群をとった疫学調査でなく、キノホルム説が検証に値するかどうかをみるため緊急に行われた調査であり右調査結果だけからスモンとキノホルムの因果関係を論ずることができないのは重松ら調査実施者の自認するところであり、右批判はその前提を欠くといわなければならず、むしろ右のような性格の調査においてさえ八五%の高い服用率であったことに意味があるというべきである。

右スモン協(班)による調査のほか個別になされたキ剤服用率の調査では島田らの調査を除けば一〇〇%のものも多くかなり高率であり、スモンとキノホルムとの関連性を強く推定させるものである。椿は、(丁一一三号証の一)自己のキ剤服用調査の経験から、キ剤非服用者と思われていた人を詳細に調査するといろいろな理由でキ剤服用が明らかになる例が多かったとし、その理由として(1)患者はしばしば二人以上の医師を受診しているが、よく注意しないとすべての医師について調査を行ない得ないし、患者が受診した医師を失念していることがある。(2)患者が気付かぬうちにキ剤を服用していることがある。(3)病院のカルテは必ずしも一患者一帳となっていないので見落とすことがある、ことにその一部が紛失している場合がある。(4)医師又は患者に記憶違いがあることもある。(5)キノホルム非服用スモン患者といわれていたものの一部は他疾患の誤診である。ことなどを挙げ、前記のとおり一七一例中一六六例がキ剤を服用していたが残り五例も非服用の確証があるのではなくむしろ服用していたらしく、そのうち四例は医療関係者でキ剤を服用しうる環境にあるためキ剤服用の可能性があり、うち一例は発病時に緑舌を呈していた旨述べている。また証人花籠良一の証言、丁二号証によれば、次の事実が認められる。杉山、花籠らは教室例についてキ剤服用状況を病歴調査、アンケート調査により実施し、更に集積発症病院である東北地方の三病院に出張調査し一五〇例中整理の完了した七五例について検討を加えているが、当初の集計では七五例中キ剤服用六六例(八八%)、「確実に服用せず」一例、「正確でないが服用せず」八例であった。しかし集計後この「確実に服用せず」の患者から花籠らの病院に電話連絡があり、一日当り〇・六gのキノホルムを含む富山の売薬を飲んでいる旨伝えてきた。そのため杉山、花籠らが臨床班員として昭和四五年度末にスモン協に提出した研究報告の服用率は七五例中六七例(八九・三%)となっている(丁二号証)。しかしその後花籠らは残りの「正確でないが服用せず」の患者八名に対し、再三他の病院や他の科についてキノホルムを飲んでいないか売薬を飲んでいないかなど調べてくるよう強く指示したところ、七例については服用していたことが判明した。残りの一名は岩手県の市立病院から紹介のあった患者で、花籠が入院させ自ら診断した結果、多発的硬化症であることがわかった。結局七五例中キノホルム服用は七四例で残りの一例は非スモンであることが判明し、スモン患者のキ剤服用率は一〇〇%であったのである。

右椿の指摘及び花籠の体験は調査の精度を高めれば、キ剤の服用率も高まることを推察させ、前記八五%という値も十分な調査をしておればなお高まっていたであろうことは容易に推認される。(第一回調査は前記の如く極めて短期間になされたから、キ剤服用の有無について十分調査する時間的余裕もなかったと考えられるし、第二回調査では対象が拡大されたため必然的に精度が落ちたことは容易に推認できる。)

なお被告らは前記調査はいずれもスモンの発症時を神経症状発現時でとらえているが、スモンの発症は神経症状に先行する腹部症状ないし深部知覚及び腱反射の異常で把握すべきであり、そうすればキノホルム服用率は低下するはずであると主張する。

しかし前記認定の如く、スモンに固有と考えられる腹部症状は、スモン班における調査によればスモン患者の七割にしかみられず、又これが必ず神経症状に先立っておこるともいえないと考えられ、自覚的神経症状発現前に振動覚低下をきたした例を報告している大村らの研究(丙七号証)をみても、二九例中六例は振動覚低下が神経症状自覚より遅れ、二例は最後まで振動覚低下がこなかったというのであり、その他キ剤の投与の原因となった腹部症状とスモン固有の腹部症状との鑑別は必ずしも容易でないこと、振動覚の低下、腱反射などは常に他覚的検査をしていなければその異常の発生時期を特定できないことなどを考慮すれば、疫学調査としてスモンの発症時期を神経症状発現時でとらえたことは妥当であり、かつスモン固有の腹部症状や深部知覚障害の発現時期と(自覚的)神経症状発現時期との間に大きな隔たりはないと考えられるので、右時期を初発時期として調査してもキ剤服用率にそう差は出ないと推認される。

三 キノホルム服用者と非服用者間のスモン発症率の比較

(一) 椿らの調査(甲六号証、甲四〇号証の一ないし三、丁二号証)

1 椿らは、新潟県の某町立病院の昭和四四年一月一日から昭和四五年七月三〇日までの一年七か月間の内科の全カルテ四、一五〇枚から、キ剤服用者二六三例とキ剤非服用消化器疾患七〇六例を抜き出し、神経症状をカルテの記載から検討した。その結果キ剤服用者二六三例中明らかなスモンは一八例、スモンの疑い一一例、その他の神経症状は一五例合計四四例(一六・五%)であったのに対し、キ剤を服用していない消化器疾患七〇六例中には神経症状の記載はみられなかった。なお甲一号証、甲四一号証の一ないし三によれば甲野は右椿らの調査においてキ剤服用者と非服用者との間のスモン発症率に有意差があるとしている。(P<0.001、Pというのは正しい仮説を捨てる誤りをおかす危険率のことで、丁一三六号証の三によればPは有意水準と呼ばれることもあり、臨床医学では〇・〇五、基礎医学では〇・〇一かそれ以下に採る方が安全とされていることが認められる。)

2 また椿らが新潟県下のS病院を調査したところ、キ剤非服用消化器疾患七六六例の中では一人のスモン患者もなく、キ剤服用者二七七例のうちスモン及びスモンの疑いのある者は二五例(九%)であり、両者の発症率には有意差があった。(P<0.001)

(二) 青木らの調査(甲四一二号証、丁八号証)

青木国雄らは、昭和四一年頃からスモンが多発し始めたN市A地区にあるA病院の昭和四四年一年間の外来患者四、三一八例について診療録を中心にキノホルム服用状況を調査した。それによるとキノホルム投与有りは五三二例(女二四九例、男二八三例)でそのうちスモン患者は一七例(女一四例、男三例)であり、発症率は二・二%であるが、キノホルム投与なしは三、七八六例(女一、七三七例、男二、〇四九例)でそのうちスモン患者は四例(女三例、男一例)で発症率は〇・一%であり、P<0.001でキノホルム服用者に有意にスモン患者が多く、ことに女子に差が著しかった。

(三) 伊東らの調査(甲一一号証、丁六号証)

伊東らは、昭和三九年から昭和四三年までの釧路市立病院内科外来患者のカルテすべて計四〇、七八〇件についてキ剤の使用状況を調査した。それによると、総数四〇、七八〇例のうちいわゆる胃腸炎患者数一一、六二〇例(二八・五%)、キ剤投与患者数二、五九九例(六・二%)、スモン患者数二二例でスモン患者はすべてキ剤を服用していた。すなわちキ剤非服用者の中にスモン患者はいなかった。

(四) 倉恒らの調査(甲四一五号証、戊五四七号証)

倉恒らは昭和四一年、四二年の二年間に某病院の一看護区域に一時的でも入院していた結核患者一、〇三五例につき、各患者のカルテ及び処方箋から性、年齢、体重、スモンの罹患の有無、結核の病状、腹部症状(下痢、腹痛)の発現状態、それに対してとられた治療措置、キ剤の投与量等を調査したところ、五名のスモン患者が発生していることが判明した。そしてキ剤投与、非投与とスモンとの関係をみるためには、キ剤投与、非投与以外の要因がマッチしていることが望ましいとして、最も重要な要因であるキ剤投与前の腹部症状をそろえるため、腹痛あるいは下痢、または両方の腹部症状を一日以上経験し、何らかの治療処置を受けた者を選び出したところ、総数一、〇三五名の中から三三一名がこれにあたり、これについて解析を行った。その結果三三一名のうち一一四名はキ剤(エマホルム)を投与されており、この中から五名のスモン患者が発生していたが、これに反しキ剤の投与を受けていない二一七名からはスモン患者が発生していないことが分り、この差をフィッシャーの直接確率計算法で検定するとP≒0.005で有意であった。

(五) 吉武らの調査(甲七号証、戊五七一号証)

吉武らは、昭和四一年から四五年六月までの四年六か月の間に石山病院で行った虫垂炎以外の胃癌、胃潰瘍、胃炎、胃ポリープ、胆石などの開腹手術一九〇例のうち、入院中はもとより、退院後も術後八か月にわたって経過の追跡可能であった一五五例につき、術後六か月間についてキノホルム内服の有無を検討した。その結果キ剤(エマホルム)投与群七八例中三四例がスモンを発病しており、非投与群七七例の中にはスモン発症者はいなかった。キ剤投与群と非投与群における疾患別、年齢、性別、手術時期、手術術式、注射、麻酔法、食事、体重その他全身的条件の検討で両者には著しい差異はキノホルム投与以外認められなかった。

キ剤投与群七八例中下痢などの腹部症状を来したためキ剤を投与された者は二四例で、他の五四例(六九・二%)は全く腹部症状を来していなかったが、スモンを感染症と考えたがためにその多発時に予防的に服用せしめた者、便秘に対して投与した者、或は単に整腸剤として使用した者などであった。スモン発病者でキ剤投与前腹部症状のあった者は一四例(腹痛八例、下痢六例)であり、他の二〇例は腹部症状がなくてキ剤を投与されスモンに罹患した者である。吉武らは、これらスモン患者の腹部症状は投与開始数日後の腹痛、鼓腸、嘔気、軟便でこれらがキノホルムによって起こされた可能性が強いと述べている。

(六) まとめ

以上同一医療機関でキ剤投与群と非投与群との間でスモン発症率の差につき調査した研究では、いずれも有意にキ剤投与群のスモン発症率が高く、スモンとキノホルムの関連性を推定させるものである。被告田辺は右椿の研究につき、キ剤投与群の中で神経症状がキ剤服用後に発現したもののみを調査しているから、これは神経症状発現前キ剤非服用のスモン患者が存在しても調査対象となり得ない方法による調査であり、調査自体が恣意的で統計学的批判に堪えられない旨主張する。しかしこの調査はキノホルムがスモンの原因であるかどうかの観点からスモンとキノホルムとの関連性を調査したものであり、右批判が当を得ないことは多言するまでもない。

前記調査のうちで倉恒のものは最も厳格に対照群をとった調査であり重松(戊五八〇号証の一、八七頁)、甲野(甲四一号証の一ないし三、四九頁)らは非常に貴重な疫学的調査として高く評価している。被告田辺も右倉恒らの報告は対照群の設定にあたり、きわめて厳密かつ正しい姿勢で臨んでいるとして高い評価を与え、そのうえで右調査においてスモンに特有の腹部症状と類似した腹部症状を呈する症例を対照群とした場合にはスモンとキノホルムとは何ら関連性なしという結果になっているとして、正しい対照群を設定しさえすれば、どの様な操作を加えようとも「スモンとキノホルムとの間には因果関係が存在しない」という事実を示すものに他ならないと主張する。

なる程前記倉恒らの調査をみると、「スモンの腹部症状はかなり頑固で激しいといわれているので、腹部症状(腹痛、下痢)が一週間以上継続し、かつ何らかの治療処置を受けた者六一例を選び出して解析を行った結果、六一例のうち三九名はキ剤投与を受けそのうち五名はスモン患者で神経症状発現前キ剤投与を受けていたが、その余の二二名はキ剤投与を受けず、この中からは一名のスモン患者も出ていない、この検定の結果はP≒0.10となり有意差があるとはいえなかった」と述べている。しかし丁一三六号証の三によればPが〇・〇五以上の値になったときはHo(母集団での平均値は両者に差はないという等平均値の推計学的仮説のこと、推計学的というのは直感的には差があると考えているからである。)は棄てられない(本件ではキ剤の投与、非投与群の間でスモンの発症率に差がないという仮説は棄てられない。)がこれはHoが正しい(本件ではキ剤の投与、非投与群での間でスモンの発症率に差がないからスモンとキノホルムとの間に関連性がないということ)という証明には必ずしもならない、それは本当は差があるかも知れないがそれ位の差は偶然としてでも起るというだけで標本の大きさを大きくすればHoを棄てることができるかも知れない場合、すなわち例が少いために僅かの差を有意といい切れない場合があるからである。この点を誤解している人が少くないと述べられていることが認められ、倉恒らが、対照群を腹部症状が一週間以上続いた者にとった場合に有意性があるとはいえなかったというのは、スモンとキノホルムとの関連を肯定できなかったというにとどまり、これを否定するものではないことが明らかであり、前記被告田辺の倉恒らの調査でスモンとキノホルムに関連性がないことがわかった旨の主張が誤りであることは明らかである。(このことは対照群を厳密にとればとる程標本の数が少くなり、有意差を認めにくくなるという疫学調査のいわば宿命を示している。)

加えて倉恒らは前記吉武らの調査に言及し、スモン患者三四名中二〇名はキ剤投与前に腹部症状がないにもかかわらずキ剤を投与されたものであり、投与後に腹部症状と神経症状が出現したことからキ剤投与により「スモン」がひき起こされたと判断し得るので、この調査結果はキ剤とスモンの因果関係を支持する疫学的証拠の中で最も重要なものの一つであると考えると述べてこれを高く評価している。被告田辺は右吉武らの調査について、キ剤投与群と非投与群との間にキノホルム服用の有無以外の各種要因がきわめてよく揃っており、医学的常識からみて奇異な現象と主張するが、かりに何らかの作為があったにしろ、右調査結果の疫学的価値を減ずるものでないことは明らかであろう。

当裁判所も前記いくつかのコントロールスタディ、就中吉武ら及び倉恒らの調査はスモンとキノホルムの因果関係を推測させる注目すべき疫学的証拠と考える。

なお右倉恒らの調査において、下痢、腹痛又は両方の腹部症状を有した者は三三一名であり、これに対しキ剤投与がされたものはスモン患者を含めて一一四例であったからその服用率は三四・一%であり、大村らの調査(丁二号証)による一般の下痢患者のキノホルム服用率七三%に比して著しく低い。被告らは右大村の調査結果をとらえて、スモン患者の多くにキ剤の服用がみられてもそれが直ちにキノホルムとスモンとの間に因果関係があると結論づけられないことを示す資料としているが、右大村らの調査が日本における一般的な下痢患者のキ剤服用率を示すとするには、右倉恒らの調査一つをとってみても疑問である(甲二一二号証によれば甲野は一般患者のキ剤服用率は一〇%、胃腸病患者に限ると二五%といっている。)ばかりでなく、スモン患者のキ剤服用率の調査結果において七三%より高いものが多かったことは前記第二、二(二)で掲げたとおりである。

被告らの主張は採用できない。

四 スモンの地域、病院集積性とキノホルム使用量との関連

(一) 椿らの調査(甲四〇号証の一ないし三、丁二号証)

椿らの調査によるとA病院における昭和四四年一月から同年一二月までのスモン患者の月別発生数の増減と、同病院の処方箋によって調査したキ剤の使用量の増減との間には対応関係がみられた。

(二) 中江らの戸田、蕨地区の調査(甲四一八号証の一ないし三、丁八号証)

中江らは戸田、蕨地区においてスモンの詳細な疫学的調査を行った。調査は疫学的な問題点や困難な点を明らかにするための予備調査と、この予備調査及び過去のスモンに関する報告に基づいて焦点をいくつかに絞ったうえで行う本調査の二段構えによって行われ、両調査とも戸別訪問、面接調査を行った。その結果飲料水、飲食品摂取状況、住宅環境の点では病因解明の手がかりとなる点がはっきりしなかったのに反し、神経症状発症前の受診医療機関についてはA、B二つの医療機関に八〇%(三六名)集中していることがわかった。当地区には歯科、助産婦、接骨医を除く医療機関が六九(戸田市三二、蕨市三七)もあること、B医院はそれ程大きくない開業医で近所には五つの開業医が競っていることなどから医療機関に内在する因子が強く疑われた。そこでA、B医療機関と当該地区の他の医療機関との間にキノホルムの使用状況にどのような差異があるかを検討するために、蕨市の国民健康保険診療明細請求書調査(一六万四、〇〇〇件)と戸田・蕨地区の七つの医療機関の訪問調査を行った。それによれば、スモン患者の集中している(一〇名)B医院とは三〇メートルしか離れていず、診療内容、患者の受診圏、診療規模、受診患者の性・年令分布、腸疾患患者の受診率、地域における信頼度がほぼB医院と同一としても差支えないD医院では受診中スモンとなった患者が居ないが、B医院の一日あたりキノホルム投与量は一・三五~三・一五g/日(キノホルム量)と極立って多く、D医院では〇・二七~一・〇八g/日(キノホルム量)とB医院に比し著しく低かった。またA病院と同じ総合病院で相互の距離が四〇〇メートルしか離れてなく、病院の規模、診療科目、受診圏、地域における信頼度が略同一と考えられるC病院とを比較すると、A病院では受診中神経症状を発現したスモン患者数は三二名であり、キノホルムの投与状況は一日量一・〇~三・〇g(エンテロビオホルム)で長期間使用例が多いのに比し、C病院では受診中神経症状を発現したスモン患者数は一名にとどまり、キノホルム剤投与は一日量一・〇~一・二g(エマホルム)で長期使用例はスモン患者のみであった。国保レセプトの調査の結果、蕨市の歯科、助産婦、接骨医を除く三七の医療機関で昭和四一、四二年度にキノホルムを使用しなかった機関は二七(七二%)であるが、このうちスモン患者が発病前に一度でも受診したとして名前をあげたものは一つも含まれていないことが判明し、戸田・蕨地区の七つの医療機関を直接訪問した調査では、キノホルムを投与しないかあるいは投与しても一定量(〇・九~一・三五g/day)を五日~七日以内の投与方法である医療機関では受診中神経症状を発現したスモン患者はいなかった。

(三) 中江らの岡山県Y町Y病院における調査(甲四一四号証)

中江らはスモン多発地区である岡山県Y町Y病院内科及び小児科を昭和四〇年四月から四六年三月の間に受診(入院を含む)した全患者の診療記録について、そのキ剤使用状況とスモン発生とについて調査した。〔患者数は二万三、七二一名でこの中でキ剤服用歴(主として強力メキサホルム一日六錠、キノホルム原末量一・二g)のある者は一、一三二名、スモン発生数は一四一名であった。昭和四〇年度国勢調査による人口(五六一四人)をもとにスモン罹患率を計算すると人口一〇万対二五一二となり全国平均(一〇万対八・七)と比し極めて高率であった。一四一名のうち神経症状発現前キ剤服用者は一〇七名(七五・九%)であるが残り三四名のうち一五名は発現前キ剤服用の有無があいまいでこれを除いた非服用率は一五・一%であった。キ剤服用集団(小児を除く一一三二名)からのスモン発症率(九・五%)と非服用集団(成人人口からキ剤服用者を除いた二五六一名)からの発症率(一・三%)とを比べると有意に(P<0.001)前者からの発症率が高い。〕前記期間におけるY病院内科の年次月別キ剤使用量として当該月の成人に対する使用総量から発症後のスモン患者に投与されたキノホルム量を差し引いた量(発症に関与する量)を算出し、これと当該月のスモン発症者数とを比較する図を作成してみると、発症に関与するキ剤使用総量とスモン発症者数との間には極めて高い相関関係があった。(昭和四二年以降の両者の相関係数は当該月間で〇・七九七、使用月とそれより一か月後の発症数との相関は〇・七九一といずれもきわめて高い。)特に昭和四五年におけるスモン発症者数の激減が当院におけるキノホルム使用総量の激減と符合していることが注目された。

(四) 安藤らの調査(甲四一〇号証)

安藤らはA、N、K、Y四病院でのスモンの院内発生の実態とキノホルム剤との関連について調査した。A病院ではキノホルムが多量に使用されことに一日量が多く、(エマホルム一日二~三g(キノホルム一・八~二・七g)が主に処方されている。)キノホルム剤の半年毎の購買量とスモンの発生数の推移との間にはかなり強い関連が認められていた。K病院でも昭和三九年以降のキ剤の半年毎の購買量とスモンの発生数とはかなりよく平行していた。K病院は山間地の企業体病院であるが、当該企業体の従業員とその家族約一万人を対象として医療を行っており、他の一般住人約一万人は、C病院で受診しているところ、K病院ではエンテロビオホルム一日二g又は強力メキサホルム六錠(キノホルム一・二五~一・二g)が主に処方され、昭和三九年以降五五名のスモン患者が発生しているのに対しキノホルム購買量が僅少であるC病院では二名のスモン患者しか発生しなかった。また調査した四病院(A、N、K、Y)ではスモンの発生は入院、外来、往診とも特定の医師(各病院ともキ剤を好んで処方した一名の医師)の取り扱った患者に多発しており、K、Y病院ではその医師が他に転任した時期からスモンの発生はなくなるか著減していた。これらのことから安藤らは常識的に以前は院内感染によるものとされてきたスモンの院内発生は、キ剤の使用状況調査により感染を仮定する必要はなくなり、院内発生の原因はキ剤によっても説明可能であるとしている。

(五) まとめ

以上により、医療機関内のスモンの発生と当該医療機関のキノホルム使用量(一日量、総量)との間には関連性が認められ、スモンとキノホルムとの因果関係を窺わせる。なお椿(甲四〇号証の一ないし三)、安藤ら(甲四一〇号証)が述べているようにこのことから従来観察されたスモンの地域集積性や家族内発生も実は医療機関を中心とする院内発生によるものと推測することができる。

五 キ剤の我国における生産、輸入販売量の推移とスモン患者発生数との関連(甲一、甲四一号証の一ないし三、丁二、丁一一三号証の一)

(一) 椿の調査

椿は、厚生省に依頼して本邦におけるキノホルムの生産販売量(一社のみ)についての資料を入手し、昭和二九年から四一年までの年度別キノホルム生産量とスモン発生数(昭和三〇年から三八年までは楠井による調査、昭和三二年から四一年までは前記前川班の調査)とを比較するグラフを作成した。これによると昭和三〇年の患者発生を境にキ剤生産販売量が急激に増加していることがわかった。

(二) 甲野の調査

甲野は次の如く述べている。

我国では本剤(キ剤のこと)は、昭和一四年に国産化され、戦時中は主として軍用に使用されたが、戦後二一年ころから民需用として製造が再開された。当時は月産三〇~五〇kg程度といわれるが、昭和二八年には吸収を促進するためにCMC配合キノホルムが製造市販されるようになり、生産は年とともに増大し、昭和三七年には原末生産一万五、〇〇〇kgに達した。一方輸入品は昭和一一年に始まったが戦時中一時中絶し、昭和二八年に再開され、年三八・三kgであったが四年後スモンの最初の報告が現われたころには一五五八・九kgとなりこれまた年を追って飛躍的に増大した。キノホルムの生産輸入量の増大とスモンの年次別発生の報告数(第六一回内科学会シンポジウムの集計とスモン協の数字をつないだもの)の増加とは明瞭な並行関係にあった。またキノホルム生産販売停止措置後のスモン新患者発生数の激減は一種のプロスペクティブな疫学実験の結果とみなされるもので、キノホルム説の最も有力なきめ手である。これらの結果を併せ考えるとキノホルムの消費とスモン患者の発生が偶然に並行的に起ったとはとうてい考えられない。

(三) まとめ

右の二つの調査は年次別キ剤販売量の上昇とスモン発生数の増加との間の並行関係を示している。キ剤販売中止後のスモン患者の激減は次に述べることにするが、右の並行関係だけから直ちにキノホルムとスモンとの因果関係を推定することはできないものの(甲野はスモンとキ剤の両方が上昇している時期は鉄鋼や自動車の生産台数と比べても並行関係が成り立つと思うと述べている。)いずれも上昇していて並行しており少くとも矛盾がないといえよう。

六 キ剤販売中止措置後のスモン患者発生の激減(甲四一号証の一ないし三、甲二〇七号証、丁八号証)

(一) スモン協(班)の調査

前記のとおりスモン協では二回にわたり全国のスモン患者の実態調査を行ない全国のスモン患者及び同容疑患者の発生状況を明らかにした。それによると昭和四七年三月末では九二四九名の患者が報告されたが、このうち発病時がキ剤販売中止の昭和四五年九月以降の患者は計八六名であった。その後スモン班では昭和四五年九月以降に発病した患者について報告を受け、昭和四九年三月末の時点で新たに一九名の報告があった。右調査結果に基づき、年度別(昭和四五年は月別)にスモン確実例及び容疑例の発病(神経症状発現時)者数をみると次のとおりである。

昭和三六年以前

一五三名

昭和三七年

九八名

昭和三八年

一六六名

昭和三九年

二六〇名

昭和四〇年

四五一名

昭和四一年

七三一名

昭和四二年

一、四五二名

昭和四三年

一、七七〇名

昭和四四年

二、三四〇名

昭和四五年

一月

一二六名

二月

一二六名

三月

一三七名

四月

一四八名

五月

一七八名

六月

一七八名

七月

一七七名

八月

一四一名

九月

三七名

一〇月

一八名

一一月

四名

一二月

六名

発病月不明

二名

合計

一、二七八名

昭和四六年

三六名

昭和四七年

三名

昭和四八年

一名

右にみたとおりスモンの発生は昭和三七年ころから増加の一方をたどって昭和四四年には二、三四〇名とピークに達し、昭和四五年にはなお一、二七八名発生していたのが、昭和四六年には二桁少ない三六名と激減し、昭和四八年に至っては僅か一名の発生しかみられず、昭和四五年を月別にみても同年九月以降著しい減少がみられるのであって、昭和四五年九月以後スモン患者が劇的に急減したことが明らかである。重松がいうように(丁二号証)昭和四五年九月八日に行われたキ剤販売中止の措置は疫学的にいって全国的規模で行われた一種のプロスペクティブスタディ(prospectivestudy)といえるものであり、前記第二、一述べたように、ある因子と疾病との間の因果関係を決定するための二条件すなわち①当該疾病の患者に当該因子が存在すること②当該因子を健康者に与えたら当該疾病を発生するが与えなかったら発生しないことの右②の後半部分を満たすといってよい。なお右②のうち前半部分を人について行なうことは人道上許されず、これは後記の動物実験で補うことになったのである。(戊五八〇号証の一、二、重松逸造証人調書)

(二) 行政措置以前の減少傾向について

被告らは右販売中止措置以前にスモン発生数は横這いないしは減少する傾向にあった事実を指摘し、右措置による急減からスモンとキノホルムとの因果関係を肯認できない旨主張する。

たしかに前記実態調査による年次別月別スモン患者発生数の表及びグラフ(丁八号証)をみると、昭和四四年以前においては毎年二月ころからスモン患者は増加し始め、八月から九月にかけてピークに達し以後は急減するというパターンをたどっていたのに対し、昭和四五年においては一月から五月にかけて増加していたのが五月から七月にかけて横這いとなり、八月には減少していることが認められる。

しかし右現象に対してはキノホルム説から次のような説明が可能である。

1 甲四一号証の一ないし三、四〇七号証、四一八号証の一ないし四によれば次のとおり認められる。

中江らはIMS(国際的なマーケティングリサーチを行う会社)の資料を用いて日本におけるキ剤の販売量及び一九床以下の診療所、開業医の医師によるキ剤の処方件数とスモン患者発生数とを比較する研究を行った。これによるとキ剤の四半期別の販売量と患者の四半期別の発生とが昭和四二年から四五年にかけて非常によく対応していることがわかった。すなわち昭和四五年の第一・四半期(一月~三月)のキノホルム販売量は前年同期とほぼ同じであるのに第二・四半期(四月~六月)はすでに前年を下回り、第三・四半期は九月の販売停止を考慮してもかなり少くなっており、キ剤販売停止以前から販売量の減少がみられるのである。また処方件数については昭和四四年の第三・四半期からの統計があるが、昭和四五年の処方件数はほぼ横這いの傾向にあった。全国の医師の数は一〇万強に対し、一九床以下の診療所、開業医の医師の数は六万強であること、スモン患者の報告はその八五%は病院(二〇床以上)からの報告であることには注意を要するが、キノホルムの処方に関しては開業医も病院勤務医師もそう異ならないと考えられ、昭和四五年のキ剤の処方件数の横這いは全国的な傾向とみられる。このように販売中止措置以前のスモン発生数の横這い傾向はキ剤の販売量及び消費量の傾向からの説明が可能である。

2 甲三一五号証によれば次のとおり認められる。

柳川らはスモン協の二回にわたるスモン患者の全国疫学調査の実施者の立場から、販売停止前のスモン患者発生の減少について次のような問題点のあったことを述べている。

(a) 第二回の全国調査では昭和四四年一月から六月までの初診患者分を一括して同年九月三〇日までに、昭和四五年七月以降の初診患者分は一か月毎に翌月末までに提出するよう全国都道府県及び指定都市の衛生部局に依頼したが、このように昭和四五年七月を境に提出方法が異っている。また昭和四五年八月にキノホルム説の新聞報道があり同年九月に販売停止措置があったことから右時期以後の提出率が低下していると考えられる。

(b) 第二回調査の調査個人票の集まり状況はすべての府県で必ずしも均等でない。(昭和四五年三月末までの初診分は全県より提出があるが、その後では四月~八月二県、九月四県、一〇月五県、一一~一二月九県が未提出)したがって報告患者は四月以降において、みかけ上低くなっていると考えられる。そこで調査個人票の提出率がよくしかも患者数の多い大阪(一一〇三名)、東京(八六一名)、愛知(七二〇名)の各都府県についてみると、いずれもキ剤販売停止時期と患者発生減少の傾向とはよく一致していた。

(c) 第一回の調査では昭和四二年一月から昭和四三年一二月の受診者が対象であったが、実際には昭和四四年受診のものが一一・九%含まれ、昭和四四年は第二回調査の対象でもあったから昭和四四年の調査票提出率が昭和四三年、四五年に比して高くなったことが推測される。これを勘案して昭和四五年の月別患者発生の傾向線(期待値)を計算してみると昭和四五年七月までは実測値とよく一致する。

以上みてきたごとく昭和四五年の行政措置以前の患者減少の傾向は調査票提出率の低下のあったこともその一因であるということができ、昭和四四年の提出率の高さを差し引いて昭和四五年の期待値を算出すると、同年においても患者発生傾向はそれ以前の年とあまり変わらないとする報告があるのである。

(三) 行政措置以前のスモン多発地区におけるスモン発生の減少について

被告らはスモン多発地区の中にはキ剤販売停止措置以前に患者発生数の減少があった地区があり、これはキノホルム説と矛盾する旨主張する。

たしかに東京大学医学部保健社会学教室作成のスモン問題年表(丁五号証)を一瞥しても「山形地方では昭和三七、八年に患者発生が最高となり以後減少傾向となる。昭和四〇年埼玉戸田地区で新発生は四名でこの年を中心に減少の傾向を示す。昭和四一年呉市ではこの年最も流行が激しく六七名発病、以後順次減少する。同年三月以後室蘭で急減。昭和四四年岡山湯原町で二九名に達し最も多く以後患者の発生をみない。」などの記載があり、行政措置以前に発生の減少を示していた地方が少なくないことは容易に認めることができる。

しかし前示のとおりキノホルム説からはスモンに地域集積性があるといっても実は特定の病院に集中しており、これは病院又は医師のキノホルムの使用量と相関関係があることが指摘されている(椿、祖父江、中江ら)のであって、全国的規模のキノホルム剤販売中止措置以前にスモン多発地区に減少がみられたことは、キノホルム説からも説明可能であるといえる。(ただし丁二号証、戊一二号証、戊二一六号証、戊三七二号証の一によれば、井原市民病院においてはキ剤使用量とスモンの発生とは相関関係がないようであり、同病院については右のことは言えず、キノホルム説からの十分な説明はされていない。しかしながらキノホルム説といってもキノホルム以外の要因(例えば個体側の因子)を否定するものではなく、岡山県井原地区の右現象はキ剤のほかはそれ以外の何らかの因子が働いた可能性もあり、右事実のみからキノホルム説を否定することも困難であろう。)

(四) キ剤販売中止措置の医師に与えた心理的影響について

被告らは昭和四五年八月のキノホルム説の新聞報道及びこれに続くキ剤販売中止措置のため、本来スモンと診断されるべき患者をスモンと診断することに医師が躊躇したことが、右措置以後のスモンの激減となってあらわれた疑いがある旨主張する。もしそうとすれば右販売中止措置後はスモン以外の類似疾患(たとえば多発性硬化症、ギラン・バレー症候群など)の診断が増えているはずである。

しかしながら甲三一五号証によれば次のことが認められる。

片岡らは国立東京第二病院及び国立大蔵病院について昭和四五年前後の神経疾患患者数と神経内科の新患者数とを調査した。それによるとスモン及びスモンの疑いは昭和四四年は四七例であったものが昭和四六年には五例と著明に減少しているのに対し、スモン類似疾患(多発性硬化症、デビック病、亜急性連合性脊髄変性症、ギラン・バレー症候群、脊髄炎、脊髄腫瘍、多発性神経炎、癌性ノイロパチー)は昭和四四年に四三例あったのが昭和四六年にも四〇例と変化がなかった。ただ多発性(代謝性)神経炎が〇から八例に増えている点は注意を要するが、昭和四四年から昭和四八年迄の神経内科新患者数のうちで多発性神経炎の割合をみると昭和四四年二五例(五・五%)、昭和四六年二二例(六%)、昭和四七年一八例(五・二%)、昭和四八年一七例(四・二%)と差は著明でなかった。右調査に基づき片岡らはスモン及びスモン疑症例は昭和四四年から昭和四六年になると激減しているが、これに代って他の神経疾患患者が増加しているという成績は得られなかったと結論している。

また甲二〇八号証によれば次の事実が認められる。

柳川らは、行政措置後のスモン患者発生報告数の減少は、スモンという診断名が他の神経疾患名に繰り込まれたことが影響しているのではないかという疑問を検討するため、第八回ICD分類による神経系疾患の人口動態死亡統計及び患者調査成績(毎年七月第三水曜日に実施)を調査した。その結果死亡統計では昭和四六年から減少傾向にあるものは多発性硬化症、てんかん、その他の進行性筋萎縮症、振戦麻痺、増加傾向にあるものは進行性筋ジストロフィー症、その他の中枢神経系の脱髄疾患、ほぼ不変のものは表一のその他の疾患であった。患者調査成績では多発性硬化症のみに昭和四六年以降増加傾向がみられたが、その他の疾患はほぼ不変か増減が不明であった。

以上のとおり認められる。右片岡らの調査は二病院に限定されており、柳川らの分は死亡率及び受診率の調査であり、いずれも全国的なスモンの類似疾患の発病者に関するものではないので、右疑問に対する十分な回答とはいえないが、右調査結果からすると、少くとも仮にスモン類似の他疾患の診断数が増えているとしても、それは前記スモン激減に比して問題とするに足らない程度のものであろうと考えられる。

(五) 行政措置後のスモンについて

キ剤の販売中止後はキノホルム説からすればスモンは発生しないはずであるが、前記の如く少数ではあるがスモン患者が発生した報告がみられる。この点に関しては後にキノホルム非服用スモン患者について検討することと重複する面もあるが、キノホルム説からは次のような説明が可能である。

① 行政措置前の服用が原因で、相当の期間経過後スモンを発症した。

② 行政措置後何らかの事情でキノホルムを服用した。

③ スモンの診断は誤診である。

①及び②について、甲四〇号証の一ないし三(六八頁)によれば椿は昭和四五年九月以前から時々腹部症状を起している(従ってキノホルムを服用したと考えられる)患者が昭和四六年五月に腹部症状を起こし同年六月に足のしびれが始まり、椿がスモンと診断した例をあげて、キノホルムは服用を中止してからも長期間発病させる可能性があること及び行政措置後服用していた可能性もあることを指摘している。

なおキノホルムは服用中止後も長期間体内に残留して発病させる可能性のあることに関しては、田村らがスモン患者剖検例の臓器中のキノホルムを測定して、死亡前一五か月はキノホルムを服用していない化膿性腹膜炎の患者の肝臓及び腎臓からそれぞれ〇・四、〇・五μg/gのキノホルムを検出した(丁九号証)ことから推測できる。

②に関しては丁二号証証人花籠良一の証言により次の事実が認められる。

花籠は昭和四五年一〇月末ころ、山形県長井市立病院で同年一〇月一〇日ころ発病したスモン患者を診察した。これを不審に思った花籠が同病院院長立会いのもとでカルテを調べたところ、その患者を診療していた消化器の医師は一か月前にその科を離れ、後任の特定の医師がまだ決っていなかったため大学から交替できた医師や院長らがその患者の診療にあたっていたのであるが、カルテには「前方」の記載があって以前の処方箋と同じものが出されており、販売中止使用見合わせになったキノホルムが手違いで処方されていたことが判明した。以上の如く認められ、右事実はかような例は他にもある可能性を示すものといえよう。

③については甲二〇七号証によれば次の事実が認められる。

小川らによると昭和四八年末までに剖検した「臨床診断スモン」二八患者のうち五例(一七%)はスモン以外の疾患でそのうち四例はキノホルムを服用していなかった。又剖検所見から初めてスモンと診断されたものは七例であった。これを表にすると次の如くである。

臨床診断

スモン

スモン疑

非スモン

剖検診断

スモン

19

30

非スモン

(1)

誤診率

17%

20%

23%

34%

18%

以上により行政措置後のスモンの問題はキノホルム説から説明可能であるといえる。

(六) まとめ

昭和四五年九月のキ剤販売中止の行政措置は一大野外プロスペクティブスタディと言うべく、これによりスモンが劇的な減少をみたことはキノホルムとスモンとの因果関係を証明する重要な疫学的証拠と評価できる。右措置以前のスモンの横這い及び多発地域における減少、以後のスモンの発生等についてはキノホルム説から合理的説明がなされているといえる。なお被告チバは右時期以前に一五%あったキノホルム非服用スモン患者は販売中止措置にかかわらず発生するはずであり、これが右時期以後消滅したことは、キノホルムの販売中止によっては説明できず、逆に右現象はキノホルムが原因でない証左である旨主張する。しかしキノホルム服用率八五%という値は精度を高めればもっと上昇するであろうことは前述のとおりであり、当裁判所も椿がいうように(甲四〇号証の一ないし三、九四頁)「八五パーセントが飲んでいたんだからキノホルムの停止をしても一五パーセントは患者が出るはずであるという考え方はおかしいのであって、むしろ一五%がなくなってしまえば、やはり飲んでいなかったと言われる一五%も、やっぱり飲んでいたのではないかという考え方をした方が自然である。」という見解に与する。

七 量と反応との関係

(一) 量と反応との関係(Dose-Response-Relationship,以下D・R・Rという)の概念

甲四一三、四一六号証、丁一三六号証の二によれば次のとおり認められる。

D・R・Rは本来実験医学(薬理学、中毒学、放射線医学、細菌学等)において動物実験成績に基づき病因と生体反応との関係を量的に表現しようとする一つの方法論である。ある環境因子による生体負荷に対して、生体の示す抵抗力は個体間でばらつきがあるが、これを集団でみると一定の分布を持つことが実験医学でわかっていた。D・R・Rは基本的にはこの分布の形で表わされ、横軸に反応を起こすまでの負荷量(Dose)を、縦軸に当該負荷量ではじめて反応を起こした個体側の割合(反応率)をとると両者の関係は多くの場合対数正規型(横軸を対数変換すると正規型)分布を示し、また横軸に負荷量(対数変換)を縦軸に累積反応出現率をとるとシグモイドカーブ(Sigmoidcurve)を示す。実験医学ことに中毒学で得られたこれらの知見と方法論は疫学に導入され、人間集団の健康障害の出現率と特定要因との間に因果関係があるかどうかの推定の際に重要な方法論として利用されてきた。

(二) キノホルム服用量と発症率に関するもの

1 椿らの研究(甲四〇号証の一ないし三)

H病院の調査では10g以下の服用ではスモンの割合は非常に少なく、二〇g、三〇gにかけてスモン患者の割合は増えている。ところが五〇gを越すとそれ程増えていなかった。ただ服用量を縦軸に二〇gずつとり、横軸に発症率をとると服用量の増加と発症率の増大との間に対応がみられた(スライド四一、四二)。またS病院の分も同様のグラフをとると服用量七〇gまでは服用量の増加に伴って発症率も増加を示していたが、これを超すとかえって発症率は低下した。椿は服用量が五〇g以上で一見量と反応の関係がないようにみえることの説明として、一〇gでスモンになった人が五〇g飲めばやはりスモンになるが、一〇gでスモンになってしまったから五〇gのところへは出てこない。したがって五〇g以上のところでは発症率が低下する現象が出てくるがこれは量と反応の関係がないということではないと述べている。

2 祖父江、青木らの研究(甲四〇八号証、四一〇号証、丁一一八号証の一〇、戊五四六号証)

N市の多発地区A病院における昭和四四年度外来患者四、三一八例の診療録を中心とするキノホルム服用状況の調査では、スモン症例は二一例でキノホルム服用者からは一七例であった。これを一日量と継続日数とを組み合わせた群別にみると左表のごとくになり、祖父江らはD・R・Rが明瞭になったとしている。

服用量

スモン(男・女)

スモン(女)

〇・九g×一〇日以上

1/48 (  二・一%)

1/20 (  五・〇%)

一・八g×一〇日以上

7/99 (  七・〇%)

6/51 (一一・八%)

二・七g×一〇日以上

6/57 (一〇・六%)

5/19 (二一・〇%)

3 笠井らの研究(戊一三三号証)

笠井らはスモン患者数の多い二つの病院の外来及び入院患者のカルテについて、スモン患者について神経症状が出現するまでの投与量とスモン発症との関係を調べた。その成績は次のとおりである。

1~%

10~%

20~%

40~%

60~%

100+%

0/401

0

2/103

1.9

2/76

2.6

0/36

0

1/18

5.5

1/25

4.0

6/659

0.9

1/424

0.2

4/146

2.7

6/90

6.6

4/31

12.9

1/22

4.5

2/15

13.3

18/729

2.4

4 野村らの研究(甲四〇九号証)

関東中央病院消化器内科の野村らは、内科外来患者を対象に神経症状の投与量別発症率を調査した。その結果は次のとおりである。

量g

5.1~10

10.1~50

50.1以上

例数

6/39

7/25

5/14

パーセント

15%

28%

36%

5 井上、黒岩らの研究(丁二号証、戊一三二号証)

井上らは昭和四四年八月から福岡市南部六地区を対象として、内科、小児科、外科など二六医療施設の協力を得てアンケート、カルテ調査などを行い、スモン患者の発見とキノホルムとの関連について検討を行ったところ、A病院では二一名と多発しているのに対しB病院では発生していなかった。そこで昭和四二年一月から昭和四五年八月末までのキノホルム使用状況を比較してみると、キ剤投与例数、腸疾患に対するキ剤使用頻度ではA病院では年々増加がみられたが平均するとB病院の方が高かった。ところが腸疾患に対する一週間以上のキ剤使用頻度及び年間総投与日数においては両病院の間に明らかな差がみられ、A病院の方が一人の患者に対し、より長期にキ剤を投与しており、一日量をみてもA病院では平均一・〇六gであるのに対しB病院では〇・八八gであった。キノホルム年間総使用量をみるとA病院は年々使用量が増大しており、スモン患者も昭和四三年一例であったのが四四年一〇例、四五年九例と急増しているのにB病院の使用量は年次別に変化はなかった。

更にA病院におけるキ剤投与患者各個人につき一日投与量と投与期間及び発生頻度をみたのが次表である。

g/日

14日未満

14日以上

1.2g

1.5%

16.8%

7.7%

0.9g

0

6.2%

1.9%

1.0%

14.1%

5.3%

右の成績から井上らは、長期間多量に投与すればスモンの発症頻度も増加することを示すが、一方ではキ剤を投与していても投与量と投与期間がある程度にならないとスモンが発症してこないことを示しているとし、投与量と投与期間の二つのファクターが重要な役割を果していると述べている。

6 中江らの研究(甲四一三、四一四、四一六号証、四一八号証の一ないし四)

(a) 右にみてきた椿、笠井らの研究ではキノホルム投与量がある量を越すと発症率が低下する現象がみられる。これにつき重松は次のような説明を行っている(戊五八〇号証の一)。中毒学における動物実験のD・R・Rは、それぞれのカゴの中に同数の動物を入れておき、それぞれの群に異った量の中毒物質を投与して、それぞれの群の当該量における発症率を算出するから、たとえば二〇gの投与群では一gで発症するものも一〇gで発症するものも含んでいるが、各研究者のスモンの発症率の場合は、一定量のキ剤の投与を受けたスモン患者及び非スモン患者の中から発症率を出すから、それ以下で発症した者は既に除かれている。したがって大量になれば発症率が下がるのはむしろ当然であると。

そこで中江、福富らは、中毒学における動物実験と同様スモンの発症率についても、一定量で発症した者を除かないと仮定して、累積的に算出する数式を考え出した。この数式によって中江らは各地区からのD・R・Rに関する報告を再計算して解析した。前記笠井の報告では男性では八〇gから女性では一〇〇gから発症率の低下がみられたが、再計算するとスモン発症率とキ剤の量との関係がシグモイドカーブを思わせるある増加関数として示されており、また女性が男性より二、三倍も高率に発症しやすいことが示唆された。前記吉武らの東京都I病院における研究も総量三五gで発症率二三・八%となっており、その後は総服用量の増加とは逆に発症率が一二%と低下していたが、再計算するとシグモイド様曲線になった。島田らは岡山県I病院における三年間の診療録をキノホルム投与状況とスモン発症との関係につき精査してスモン発症とキノホルム服用量の関係を否定する結果を得たと報告しているが、この報告(第一六回疫学研究会総会、「岡山県井原地区におけるSMONの発生状況」)を再計算するとやはりシグモイド曲線に類似していた。椿らの新潟県某町立病院内科を昭和四四年から四五年七月の間に受診した患者のキノホルム投与状況と神経症状出現の有無の調査でも総服用量が四〇gをこえると発症率に極端な増減がみられたが再計算によりシグモイド曲線類似の曲線が得られた。

中江らは右のように報告している。

(b) 更に中江らは前記岡山県Y町Y病院におけるスモンとキノホルム剤服用調査において、中江らの考案した数式に基づき発症率を計算したところ、シグモイドカーブに類似した曲線が得られたとしている(甲四一四号証)。

(c) 右のように中江らの発症率を推定する方式はキ剤の高投与量における発症率の下降に対し合理的な説明を与えたものと評価できる。福富、柳川らは(戊五六二号証)、右方式に対し(1)キノホルム投与とスモン発症との間に関係のあることを仮定したうえでD・R曲線の推定を行っているもので両者の関係の存在の有無については検定されていない、(2)D・R曲線の形状がシグモイドになることを根拠に両者の関係を推測するというあいまいな表現をしている、などの批判があったためこれに反論し、中江、笠井、吉武らのデータを解析することにより(1)キノホルム投与と無関係にSMONが発生するという仮説を検定してこれを否定し、(2)D・R曲線を対数正規確率紙にプロットするとほぼ直線状に並んでいることから、この分布が通常の薬物による反応と同様対数正規分布によく適合していることを示した。

7 まとめ

以上のごとくスモン発症とキノホルム投与量との関係に関する研究では、一定量まではキノホルム量の増大とスモン発症率の増加との間に比例関係がみられ、それ以上の量での発症率の低下はむしろ当然のことであり、中江らの数式をあてはめると右各研究におけるスモン発症とキノホルム投与量との関係がシグモイドカーブを描くことが明らかにされた。これにより、スモン発症とキノホルム服用との間にはD・R・Rがあると認められる。

(三) キノホルム服用量と重症度に関するもの

1 椿らの研究(甲四〇号証の一ないし三、戊九七号証)

椿らは新潟県下六、長野県下一の各病院のスモン患者一七一例につき、症状の重症度とキ剤服用量との関係を検討した。それによると軽症(全過程を通じ下肢運動障害がないかごく軽度のもの)三〇例のキ剤服用量は五八・八±四八・七g(平均値±標準偏差)中等症(下肢筋力低下と歩行障害が明らかに存在したことがあり、現在でもこれが完全に治癒していないもの)一八例では八五・六±六七・五g、重症例(下肢筋力低下と歩行障害がかなり強度であるか、または明らかな視力障害のあるもの)八例では二一三・〇±二〇九・四gとなり、平均値ではかなりの差があった。(ただしCochranの近似法で検定したところでは有意の差があるとは認められなかった。)

2 奥田らの調査(甲一号証、丁六号証)

井原市民病院に収容されている視力障害の強い患者二〇名について調べた奥田らの成績によると全盲八人では平均六四四日にわたり投与量九七九g、一日投与量平均一・五二gであったのに対し、多少とも視力の残存している一二人では平均投与量四五三・二g、同日数四二三日、一日投与量平均一・〇三gであった。

3 中江らの研究(甲四一四号証)

中江らの前記岡山県Y町Y病院における調査のキノホルム投与量(発症前後の合計量)と重症度は次表のとおりであり、この表の相関係数は〇・五二で投与量と重症度との間に高い相関関係があった。

なお中江らは、レスポンスの基準を「死亡」にとり、キノホルム服用量別にスモン患者死亡者数とそれ以外のキノホルム服用者(非スモン+スモン非死亡)を調べて表を作成し、これに前記中江らの新しい数式をあてはめてスモン死亡とキノホルム投与との用量―死亡曲線を描くと、シグモイドカーブにやや近似した曲線が得られたことを述べている。

投与量

〇・一~六〇

六〇・一~二〇〇

二〇〇・一~

症度

軽症

16

76.2%

25

47.2%

4

8.3%

45

30.9%

中等重症

5

23.8%

28

52.8%

44

91.7%

77

63.1%

21

100%

53

100%

48

100%

122

100%

4 スモン班の研究(甲二〇八号証)

山本らは、スモン班昭和四九年度研究業績においてスモン協及びスモン班の三回の全国疫学調査(二回にわたるスモン患者把握のための全国調査、二回にわたるキノホルム服用調査、昭和四七年のスモン患者の生活実態調査)により報告された患者の中から四一五例を選び出して解析を行なった。そのうちのキノホルム総投与量と、下痢、腹痛、知覚障害の範囲、運動障害の範囲、運動障害、視力障害等の調査項目との関連の検討では、視力障害1(なし、軽度、中等度、高度に区分したもの)及び重症度の項目ではD・R・Rが認められ、キノホルム投与量を一〇〇gを境に二群にわけ、前記各項目との関連を検討した結果、視力障害1、視力障害2(なし、低下、高度低下、全盲に区分したもの)、重症度の三項目では危険率五%で有意であり、上肢運動障害、知覚障害の二項目では危険率一〇%で有意であった。

(四) その他のキノホルム服用量のD・R・Rに関する報告について

1 一八班員キノホルム服用調査について(丁二号証)

楠井らは右調査結果の要約として「神経症状発現前後におけるキノホルム使用の有無別及び使用キノホルムの量別にスモンの各症候の程度、経過、重症度、再燃の有無、既往の手術あるいは性、年令との関連を、キ剤使用の有無が明らかな六七二例について観察したが、いずれの場合も明瞭なD・R・Rは認められなかった。しかし一部にはそのような傾向を示す所見があり、この場合神経症状発現前のキノホルム使用量よりは、発現前後合計のキノホルム使用量の方がより関連が深いように思われた。」と述べている。

2 前記スモン班昭和四九年度研究業績(甲二〇八号証)

前記山本らの検討では、キノホルム服用量と知覚障害の範囲、運動障害、便秘等のスモンの各症候、再燃及び歩行、着衣、用便等の日常生活能力との間には、D・R・Rはなかった旨報告されている。

(五) D・R・Rのまとめ

以上のごとくギノホルム服用量と発症率に関する個別研究(発症率を算出するためには対照群が必要であるから対照群をとらなかった全国調査では発症率のD・R・Rは検討できない。)の多くはD・R・Rの存在を窺わせ、動物実験と同じ意味の発症率を推定する中江らの数式はその後の福富らの検定により合理性が認められるところ、右数式によって前記笠井、椿らの個別研究を算定しなおすとシグモイドカーブ類似の曲線が得られるというのであり、重症度との関係では全国調査及び奥田らの調査においてことに視力障害との関連性がみられたのである。そもそもD・R・Rは実験医学、ことに中毒学の領域で得られた知見であり、厳重な管理のもとで、同一条件におかれた健康な実験動物群に対し中毒物質を投与することにより見い出されると考えられるのであるから、各動物の個体差(代謝機能など)を除けば条件は均一であり、かつ投与形態も同一で服用量は明確であるのに比し、スモン患者の場合には、各患者はキ剤投与の対象となる様々な腹部症状を有していたことが殆んどであるほか、結核などの合併症のあった場合も多く、その投与状況(一日量、服用期間)も様々である。更に、過去にさかのぼってする疫学調査の性格から服用量等も正確に把握し難い制約があるのであって、右の諸点を考えると、スモンとキ剤服用量との間に前記の如くD・R・Rが得られたのであれば、スモンの各症候や再燃との間にこれが認められなくとも、なおスモンとキノホルム服用量との間にD・R・Rがあるといってよいと思われる。

八 その他の疫学上の問題点

(一) キノホルム非服用スモン

前記スモン協が行った一八班員及び全国キノホルム服用調査によって約一五%のキノホルム非服用患者がいたことが、キノホルム説の疑問点とされている。キノホルムがスモンの主因(これなくしてはスモンは発症しない)であるならば、スモン患者は理論的には一〇〇%キノホルムを服用していなければならないからである。これに対してはキノホルム説から次のような説明がされている。

1 調査の精度を高めれば服用率はもっと上昇する。

2 スモンとされた患者の中に実はスモンではないのにスモンと誤診された者がいる。

3 スモンの中にごく例外的にキノホルム中毒でないスモンがある。

1について。前記椿や花籠が指摘した患者は二つ以上の科や病院を受診している者がおり、もれなく調査することは困難であること、カルテが必ずしも一患者一帳となっておらず紛失している場合もあること、医師、患者に記憶違いがあること、患者がキノホルムを含有する売薬を知らずに飲んでいる場合があること(前記行政措置当時戊一〇二号証の三によればキノホルム含有医薬品は実に一七二種類という多数にのぼっていた。)などの事情はキ剤服用の有無を過去にさかのぼって調査する疫学調査には自ずから一定の限界があることを十分窺わせるに足りるといえよう。このことは田村らがキ剤非服用とされていたスモン患者の血清中から一〇μg/mlのキノホルムを検出したこと(甲五一号証)からも裏付けられる。したがって調査精度を高めれば、前記個別研究にあるように一〇〇%まではいかなくとも八五%にとどまらずかなりの高率になる蓋然性は極めて高いといわなければならない。(前記椿の見解にもあるように、行政措置後のスモンの激減は、非服用患者が一五%もいたとすることが誤りである証左といえる。)

2について。前記花籠の体験及び小川らの剖検例の調査にあったようにスモンとされた患者の中に誤診例のあることは十分推認できる。(斯界の最高権威者といわれる沖中重雄博士ですら診察患者の中に一四%の誤診があったと述べていることはつとに有名であり、臨床医にとってある程度の誤診は避けられないと思われる。)

3について。豊倉は次のように述べている。(甲三号証)

たしかにキノホルム非服用スモン例は存在するであろうしこれはまた例外的であろう。しかしこのこと自体はその例外的な「患者の例」においてのみキノホルム病因を除外できるのであって、スモンという「疾患単位」の病因としてのキノホルムを否定する根拠とはなり得ない。たとえば現在の医学常識では脊髄癆の原因は梅毒であるが、多数の脊髄癆患者の病因中には絶対に梅毒を否定しうるものは必ずあるし、その中には糖尿病によるもの、アルコールによるもの、原因不明のものが必ず少数はあるはずである。と

以上みてきたキノホルム非服用スモンの問題に対するキノホルム説からの反論ないし説明は合理的であり、ごく少数の例外を除いてスモン患者の大部分はキノホルムを服用していることが推認される。

(二) 外国のスモン

1 外国のスモン症例に関する報告

(a) 椿らの調査(甲四〇号証の一ないし三、丁六号証)

椿、井形は昭和四六年W・H・Oの援助によりスイス、ドイツ、オランダ、イギリス、オーストリア、イタリアを訪れて日本と右諸国とのキノホルムの投与方法の違い、キノホルム中毒の発症率、もし日本のスモン患者と同じ程度に多量のキ剤を服用した患者が多くいたとすれば、神経副作用の発現率に違いがあるのかどうか、すなわち日本におけるスモン発症に日本特有のキ剤以外の要因を想定すべきかなどについて調査した。その結果八名のキノホルム中毒例がみつかったが、その臨床像は概ねスモンと同様であった。投与量は一日量〇・七五gから一・五g、神経症状発現までの投与期間は五週間から八週間であった。

(b) セルビーの報告(甲五四号証)

オーストラリアの世界的に著名な神経学者であるセルビー博士は昭和四六年ボンベイで開かれたアジア太平洋州神経学会でオーストラリアのスモンとして六例を紹介した。男一、女五例で年齢は五七才から六七才まで、全例に神経症状発現前に下痢、腹痛などの腹部症状があり、その期間は年余にわたるものから二週間までと多様であった。全例に下肢に始まる上向性の異常知覚がありその上界は二例で膝、四例で鼠蹊部であり、かつしめつけ感、疼痛を訴えたものが四例あった。下肢の触覚、温痛覚、振動覚の低下も種々の程度に存在した。下肢の脱力と失調症による歩行不安定は全例にみられたが経過と共に軽快した例が多い。上肢には運動知覚障害はなく、膝蓋腱反射亢進が二例にみられ、アキレス腱反射は五例で消失、一例で減弱していた。眼底に乳頭萎縮像を伴う視力障害が一例にあった。血液、肝・腎・膵機能、血糖、血中Ca・P・ビタミンB12などの臨床検査成績に異常はなかった。全例神経症状発現前にエンテロ・ビオホルムを服用しており、重症な者程多量を服用していた。(視力障害を伴った例は一・五gを一四か月にわたって服用)キノホルム投与中止後は神経症状は軽快の傾向を示したが、下肢の異常知覚は全例に残っており、アキレス腱反射も消失ないし減弱したままである。

(c) チバ社の調査(丙二二〇、三二一号証)

スイス・チバ社の薬品副作用センターが昭和四五年一月に出した報告書「ヒドロキシキノリン治療時の神経及び眼科的障害」の追補三にはキ剤投与時の合併症として一九例(主に神経障害)が集められ、治療との関連の項にキ剤と「可能性あり」、「蓋然性あり」、「確かでない」などの評価が記載されている。(ただし丙二九九号証の一ないし四、三〇四号証の一ないし四によれば、グロス、ケーザーらは右投薬関連の有無につき「確かでない」とされているもののいくつかについても「ポシブル」(可能性あり)、又は「除外できない」などの評価をしていることが認められる。)

更にチバ社は、昭和五一年五月に「一九三四年一月一日から一九七五年一二月三一日までのクリオキノール(チバガイギー)での治療中に神経障害が観察された日本以外での報告症例」と題する報告書を作成した。

この報告はキノホルム投与との関連可能性の有無を問わず、既知の報告症例を網羅しており(エンテロ・ビオホルム、メキサホルム、ビオフォルムに関する刊行文献一四四二点及び一九三四年から一九七五年までの間にチバガイギー社薬品副作用センターに報告されたすべての未刊行症例に基づく)、症例数は総計一七九例ある。

(d) 片平らによる調査(甲四二〇号証)

片平らは昭和四五年から五一年八月までに諸外国で出されたキノホルム及び類似化合物(ジョードキンなど)の中毒(以下キノホルム中毒という)に関する報告の文献調査及びキノホルム類の副作用報告と使用規制に関する問いを各国の厚生関係者に対して郵送して行った郵送調査とを行った。その結果昭和四五年から昭和五一年の間に外国でキノホルム中毒又はスモンとして報告されているものは四六編八五症例あり、郵送調査では八か国から六〇例の発生報告があった。そして片平らはキノホルム中毒の報告は諸外国においても年々累積しており、調査を積極的に行なえば発生数は更に増加するといえる、キノホルム類が諸外国で少くとも厳重な規制のないまま使用されるかぎりなお増加するものと考えられると述べている。

なお、ここで右片平の調査に基づき外国でのキ剤(内用分)の規制状況をみることにする。(一九七六~一九七七年現在)

販売を停止している国

アメリカ合衆国(一九七二年チバ社が販売停止)

台湾(一九七二年より配合剤について)

ノルウェー(一九七四年一月一日より)

スウェーデン(一九七五年五月チバ社が販売を停止)

処方箋を必要とする国

ニュージーランド(一九七〇~)

デンマーク(一九七二・二~)

オランダ(一九七二・七~)

ブルガリア(一九七三・二~)

マレーシア(一九七六・四~)

オーストリア(一九七六・一〇~)

フランス(一九七二~)

オーストラリア(ヴィクトリア州を除く)

カナダ

イラク

服用量・期間を

制限している国

アイルランド(一九七一~)

西ドイツ(一九七二・八~)

東ドイツ

イギリス(一九七三・五~)

ルーマニア(一九七四・四~)

ハンガリー

チェコスロバキア

副作用を警告している国

タイ

南アフリカ

イタリア

規制していない国

アフガニスタン  インド  ザンビア  スペイン

イェーメン  エクアドル  ヨルダン  モナコ

レソト  マルタ

2 日本及び外国のキノホルム剤販売量(丙一八七号証の一)

日本及び諸外国の一九六二年(昭和三七年)から一九七一年(昭和四六年)までのチバガイギー社のキノホルム含有医薬品(経口用)の販売量は次のとおりである。

キノホルム販売量

(kg)

人口一人当り量

(g)

日本

一一〇、八六〇

一・〇六

オーストラリア

二一、九三三

一・七二

スウェーデン

二八、四三七

三・五一

英連邦

五一、三四七

〇・九二

スイス

三三、二二一

五・二五

イタリア

一七〇、四八八

三・一五

ドイツ

一二四、四一七

二・一〇

オランダ

三〇、三二二

二・二九

インド

二一〇、八二五

〇・三八

フランス

七一、二五四

一・三九

右にみる如く一人当り量は日本は被告田辺のエマホルムが使用されていることを斟酌しても諸外国に比して決して多くはないといえる。

3 外国の投与方法に関する調査

(a) 椿らの調査(丁六号証)

椿らは前記ヨーロッパ諸国の調査において七一〇七名の入院患者を調べその中七一例が入院中キノホルムを服用していることがわかった、その一日投与量をみると七九・一%の患者が六〇〇ミリグラム以下であり、服用期間では六三・九%の患者が一三日以下であった、また、外来患者や売薬を買った患者については正確な量は把握できなかったが、医師や薬剤師からの情報では日本のスモン患者程多量を服用している者は殆んどないようであった、散剤が売られているのは日本だけであることも注目すべきであったと述べている。

そして結論として椿らの調査結果によればヨーロッパではスモンは非常に稀であるが、このことは投与量が少量であることである程度説明が可能であり、各患者の服用量は概ね日本のスモン患者に比して非常に少ないことがいえるとしている。

(b) チバ社の調査(丙三二七号証)

チバガイギー社の医薬品市場調査研究部では、椿らのヨーロッパにおけるキノホルム投与方法の調査結果を確認するため一九七四年(昭和四九年)にドイツ、スイス、イタリア、オーストリアの一〇の病院のカルテ二万五、二八三点を分析し、キノホルム投与例三三七例を見つけてその一日量及び服用期間を調べた。そして右椿らの結果を併記して次の表を作成した。

一日量

例数

パーセント

椿らの

パーセント

300mg以下

12例

45

300

<1

25

400

40

12

500

600

91

27

700

750

800

26

900

<1

1000

1100

1200

99

29

13

1300

<1

1400

1500

31

1500以上

337例

100%

100%

服用期間

例数

パーセント

椿らの

パーセント

35日以上

21日~34日

16

14~20日

18

20

10~13日

34

26

7~9日

40

12

10

1~6日

232

69

28

(c) 山本耕平らの報告(丙六一号証)

山本らはオランダの某大学病院でキノホルムによる神経障害二例(一例はキノホルム一日一・六gを服用の後両側視神経萎縮、錐体路徴候を発現、他の一例は一日〇・八gを六週間服用後両下肢の軽度の知覚障害、痙性不全麻痺を来たしたもの)あったことを報告し、同病院神経病棟の入院患者四五〇〇名のカルテ調査ではほかにキノホルム神経障害例は見出し得なかったが、年間購入量から推定した同病院のキ剤使用量はほぼ同一規模の本邦一病院のそれの1/4~1/7と少なく長期大量投与も稀であった旨述べている。

4 まとめ

右にみてきたように外国(ヨーロッパ、オーストラリアなど)にもスモンのあることは否定し難いといわなければならない。ただキ剤の消費量に比してスモン患者が日本と比べると極めて少ないことも事実である。これに対して椿らは調査結果に基づいて一日投与量、投与期間が外国では日本より少ないことによりある程度の説明が可能であるとしている。右椿の調査とチバ社の行った調査では若干の差がみられ、一日投与量ではチバ社の方が大きく、投与期間では椿らの方が長い。しかしチバ社の行った一日投与量の調査でも八七%が一日一二〇〇mg以下であることに留意すべきであり、投与期間では実に九〇%が一三日以内であること(椿らの調査では六四%)が大いに注目される。椿らは前記ヨーロッパ諸国の調査結果の報告書(丁六号証)で「日本特有の要因の有無については、日本のスモン患者と同程度の多量のキ剤を服用した患者が見つからなかったため、結論を出せないが、オーストラリアのセルビー博士の報告によると六例のスモン患者のうち二例は神経症状発現前の服用量がそれぞれ一八g、四二gであり、このことからすると日本特有の要因を想定する必要はなく、スモンの発生はキ剤の量のみにかかっているであろう」と述べている。

又日本のスモン協による全国調査のごときスモン例をかなりの程度拾い上げる調査を外国で実施すれば外国のスモン患者はもっと増えると考えられるし、前記片平の調査にあるように、キ剤の規制が年々強まっている現状から、外国においてもスモンの新発生がこれから将来に向けては減少することも予想される。

以上のことからスモンが日本で多発した要因はキ剤の一日量、投与期間の違いであることが最も疑われるが、そのほかに体質の違いなど個体側の要因や環境因子なども考えられ、(丙一〇号証によると椿は外国のスモンの病像は①神経症状発現前の激しい腹痛を欠く、②知覚障害が比較的軽く治り易い、③運動障害と視神経症状が比較的出現し易い、の三点で日本のスモンと異なり、これは外国でスモンの少ない理由と関係があると推定されると述べている。)なお解明を要する余地があると思われる。

いずれにせよ、外国にも日本と比較すればスモンが少数にせよ存在していることは明らかであり、外国で少ないのはキ剤の一日量が少量であること及び投与期間の短かさがその主な理由であると考えられるのであって、外国のスモン例が少数であることをもってキノホルム説を否定する論拠とすることはできないと考える。

(三) 昭和三〇年以前のスモン

甲五五、五六、六四号証、証人片平洌彦の証言によれば次のとおり認められる。

1 昭和三〇年以前のキノホルムの生産、販売量について、

昭和一四年から昭和二〇年にかけて国産ビオホルムの生産販売量は年間四〇〇~八〇〇kg、輸入(チバ社の日本における販売元である武田長兵衛商店から発売されたもの)されていたエンテロビオホルムは昭和一一年から一五年にかけて年間一・二kg~三三・九kg(キノホルム原末換算)という少量であった。戦後昭和二八年からエンテロビオホルムの輸入が始まり、昭和二八年三八・五kg、二九年一七六・五kg、三〇年三四一・五kg、(キノホルム原末換算)程度であったが、昭和三二年には一トンを超え昭和三九年から昭和四四年の間は年間一〇トン前後である。なお昭和二八年からキノホルムにCMCを添化した乳化キノホルムが八洲化学から発売され、昭和三一年被告田辺が倒産した八洲化学のあとを引き継いでエマホルムの発売を開始したことは後述するが、昭和三七年からはメキサホルムも加わった。昭和三七年から四四年までのキノホルム原末の輸入、製造量の合計は毎年二三トンから三六トンの間にある。厚生省薬務局の薬事工業生産動態年報によって昭和三六年から昭和四四年までのキノホルム類の生産量をみると、昭和三六年にキノホルム類末はおよそ二〇トン、キノホルム類錠はおよそ五千万錠弱であったものが、途中多少の増減を繰り返しながら全般的には増加傾向をたどり昭和四四年にはそれぞれ一〇〇トン、一億錠近くまで達したことが認められる。

以上みてきたところによると昭和三〇年以前のキ剤の年間生産販売量はスモンの多発した昭和四〇年以降と比較して極めて少量であるといえる。

2 戦前のキ剤投与方法

片平、中江らは大正二年から昭和二〇年までの「医学中央雑誌」の索引からキノホルムに関連した文献を探し出し、投与量、投与期間を調べた。その結果文献報告の範囲では成人一日量ビオホルム〇・二~一・五g、エンテロビオホルム一~三錠(キノホルム〇・二五~〇・七五g)であり期間は一五日以内というのが多く、一か月以上の連続投与例は少なかった。これらのうち一日投与量と投与期間が明らかな一二六例について縦軸に一日量、横軸に投与期間をとって図示すると大部分は一日量一・〇g以内、投与日数三〇日以内であり、一日量一・〇g以上の三〇例はすべて次に述べる大阪A病院における腸チフス患者への投与例であった。

3 戦前のスモン容疑例

中江、片平らは右大阪A病院に保管されているカルテによって神経症状の記載に焦点をあてて調査した。それによると二八例のカルテの中にビオホルム投与後下肢しびれ感などの神経症状発現の記載があるものが三例あり、うち一例は次のとおりである。昭和一三年一月一九日からビオホルム一・五が投与され、二月七日「腹壁疼痛を訴う」二月一〇日(キノホルム量四五g)「足蹠大腿しびれ感を訴う」、二月一六日「下肢知覚過敏」、一七日「下肢しびれを訴う」、二三日「四肢しびれありと訴う」、二五日(総量五七g)「四肢運動麻痺もあり」などの記載がカルテにあり、三月二日に本人の希望によりビオホルムをやめてからは神経症状の一部が軽快したが退院の日までなお知覚障害があった。片平らは右患者の次女を探し出して退院後の状況を聞いたところ、退院後も知覚障害、歩行不能などの運動障害は続き昭和一五年一一月死亡したことが判明した。

高須らは右の症例について鑑別診断を試み、本例の全経過はスモンと矛盾するところがなく、かえってスモンの疑いをかなり強くかけて差し支えないとしている。

4 まとめ

キノホルムは、戦前からかなり広く使用されてきた薬剤であるのに、スモンの最初の報告例は昭和三〇年とされており、この点がキノホルム説の疑問点とされ、あるいは昭和三〇年以降にキノホルム以外に何らかの要因が加わったのではないかという疑いをいれる余地があった。

しかし以上によれば昭和三〇年以前においてキノホルムの生産販売量は一トンに満たないと推定され、スモンの多発した昭和四〇年代と比較にならない程少なく、戦前の投与状況をみると臨床治験報告の範囲では一日一・〇g以内、投与日数三〇日以内であり、かつ一日一・五gと当時としては最も多い一日量で投与期間も長かった大阪A病院において、昭和一三年にスモン容疑例が一例発生しているのであって、昭和三〇年以前においてもキ剤を長期大量に与えれば高率にスモンが発症したであろうと推認され、冒頭に述べた疑問点はキノホルム説から合理的説明がされているというべきである。

(四) 小児のスモン

甲五二、二一一号証、丙一〇号証、丁八号証、戊五四八号証によると次のとおり認められる。スモン協の行ったスモン患者全国実態調査成績によると(丁八号証)、スモン確実及び容疑例の総数九二四九例のうち〇歳~四歳三名、五歳~九歳一〇名で小児のスモンは非常に少ないといえる。これに対しキノホルム説から次のような説明がされている。(井形による。)

① 小児においてキノホルムが長期にわたって投与されることは稀である。

② 小児では軽い自覚症状を適確に表現し得ないため軽症例が見逃がされ、かつ発症の発見が遅れる傾向にある。

③ 従来小児のスモンは稀であるとの先入観から診断されにくかった。

①について

井形らは国立小児病院、東大小児科ほか三か所の小児専門医院において一〇歳以下の二万名の病歴を調査し五〇二例のキノホルム服用者を見出した。それによると体重一kg当たり一日投与量は年齢が幼いほど多量となる傾向があり、一歳では平均五三mgに達し最高100mgであった。投与日数はいずれも二日~四日程度の短期間が最も多く一週間以上の長期投与例は一七例三・六%に過ぎなかった。

又前記中江と井形が共同して行った埼玉県蕨地区の国保請求記録の調査では、昭和四一年~四二年の国保関係全受診患者中一〇歳以下でキ剤を服用したものは一六四例であったが、四日以内の投与が一三一例八〇%を占め、一週間以上は一五名、九%、二週間以上は二例、一%に過ぎなかった。

本間らは、東京都の某大学病院小児科の病歴を調査しキ剤投与を受けた二四四例の服用量、服用期間を検討した。(体重は不明なので昭和四四年の東京都の乳幼児の平均体重を用い、休薬期間が一週間未満のものは無視して前後の期間の和を出し一週間以上の休薬期間のあるものは調査の対象から除外した。)これによると服用量は大部分が一日体重一kg当り一〇~三〇mgの間にあり、これは成人にすると〇・五gから一・五gの間にあって少なくないが、服用期間をみると一四日以上は二四四例中一四例五・七%に過ぎず大部分は五日以内にとどまっていた。

以上のごとく小児に対するキ剤の投与期間は短かいといえる。その理由として井形は小児において長く続く下痢は極めて稀であり、又二、三日投与して効果がないときはそのままキ剤投与を続行することがないこと、キノホルムが味からいって小児に好まれないこと、高津によると現行保険制度が小児にキノホルムを投与する頻度を少なくしていることなどをあげている。

②③について

井形らは従来多発性硬化症や感染後散在性脳脊髄炎と診断されていた症例でキノホルム中毒として説明可能な二例を経験したと述べている。

また本間らは「以上提示した四症例の経験から小児スモンないし小児キノホルム中毒症の特徴として、成人スモンにみられる特異的でかつ難治性の異常知覚が小児では起こりにくく、またあっても軽度で治りやすいと推定される。しかし患者が小児であり表現能力に問題があるので見過ごされている可能性も否定できない。

これらのことがこれまで小児スモンの診断を困難にしていた原因ではないかと考える。」と述べている。

以上の如く小児にスモンが少ない理由はキノホルム説の立場から十分説明し得ると認められる。

九 キノホルム説の疫学的根拠のまとめ

以上第二の二ないし七で判示して来たところによれば、疫学的調査により(一)、キノホルムはスモン患者にかなり高率に服用されており、健康障害の発現に先行して存在しているというべきであり、(二)、キノホルム非服用者群に比しキノホルム服用者群の発症頻度は有意に高く、地域別病院別にみてもキノホルムとスモンとの関連性が認められ、キ剤の輸入販売量とスモン発生数との間には並行関係があり、キ剤販売中止措置後にスモンが激減したことなどからスモンとキノホルムとの間に高い関連性があるというべきであり、(三)、スモンの病理所見は前記の如く代謝性もしくは中毒性の神経疾患であるのであるからスモンをキノホルム中毒とすることは医学的理論と矛盾しないし、(四)、量と反応の関係が認められたことも前示のとおりである。又キノホルム説の難点とされてきたキノホルム非服用スモン、外国のスモン、小児のスモン、昭和三〇年以前のスモンについてもそれぞれキノホルム説の立場から合理的説明がされているのである。

したがって右にみてきた疫学的調査研究の成果からスモンとキノホルムとの間に因果関係のあることは、かなり高い確率で推定されるとみるのが相当である。

第三動物へのキノホルム投与実験

一 スモン協(班)を中心とする研究

甲一九号証ないし三三号証、四三、二〇七、二〇八、四一九号証、丙三四号証ないし四二号証、四三号証の一、二、丁六、九、一〇号証、一四〇号証の一、二、戊一三四ないし一三九、四九六ないし五〇三号証、五〇八、五一〇、五四三、五四四号証によると次のとおり認められる。

(一) 昭和四七年三月までに報告された実験

1 個別的実験

我国の動物に対するキノホルム投与実験は昭和四五年九月以降スモン協を中心にして開始された。研究者毎にその主なものを掲げると次のとおりである。

大月、立石らによる雑犬、ビーグル犬、ネコ、サルに対する経口漸増(一部定量)投与実験

椿らによるラットに対する経口定量投与実験

大滝、江頭らのウズラに対する経口定量及び漸増実験

池田らのニワトリ及びモルモットに対する経口定量実験

上田らのマウスに対する経口漸増実験

高橋らのカニクイ猿に対する経口定量実験

黒岩らのカニクイ猿に対する経口漸増実験及び家兎に対する経口及び静注実験

豊倉、井形らの家兎に対する経口及び静注定量実験

山田、東儀らの成熟及び幼若家兎に対する経口定量実験

金光らの雑犬に対するCMC添加キノホルムの経口漸増実験

奥田(観士)らの家兎に対する経口、静注定量実験

2 右実験の結果

昭和四七年三月一三日開催されたスモン協総会において各部会の研究成果の報告ならびに討論が行われ、キノホルム部会の動物実験に関して大月三郎が「動物におけるキノホルム投与実験」と題する報告を行っているので、ここでは前記各研究者の実験結果を個々に認定するのに代え、右大月の報告に沿って動物実験の研究成果をみていくことにする。

(1) キノホルムによる慢性中毒症状

(a) キノホルム投与動物の症状

(イ) 神経症状

運動障害

サル、イヌ、ネコ、ウサギ、ニワトリ、ウズラにおいて認められ、両側対称性に出現し、後肢に強く前肢では軽いか、認められない程度である。イヌ、ネコでは両下肢運動麻痺、脱力、失調筋萎縮、両下肢腱反射亢進が明らかであった。運動障害は軽症の段階では休息により回復する傾向が認められた。また軽症では階段の昇降によって運動障害が顕在化した。

視力障害

イヌ、ネコにおいて壁にぶつかるとか、餌に気づかぬ等の行動から推定された。

知覚障害

サルで両上下肢の知覚鈍麻の報告があるが、知覚障害は動物実験においては客観的に証明困難である。

尚、雑犬で稀に持続性尿失禁が長期にわたり観察された。

(ロ) 一般症状

体重減少あるいは増加の停止、摂食量の減少、下痢、時に便秘、緑便、嘔吐などが認められた。ニワトリでは流涎、開口症状がみられた。スモン特有の腹部症状については、動物実験では認めることが困難であるが、雑犬とネコの各一例において頻回の嘔吐後、腸重積症による死亡例があった。

(b) キノホルム経口投与量と症状の発現

神経症状発症時の一日投与量を動物別にみると、サル、ビーグル犬、ニワトリ、ウズラは大量を要し、雑犬、ネコ、ウサギでは約一〇〇~一五〇mg/kgであった。ラット、マウス、モルモット、ハムスターでは、現在までの投与量では発症が認められていない。発症までの経口による総投与量においては、ウズラ、ニワトリ、サルで大量を要し、雑犬、ネコ、ウサギではほぼ四g/kgであり、ビーグル犬では一三g/kgであった。神経症状の発症に要するキノホルム量には、種族差が認められ、イヌでは系統差がみられた。なおこの際、飼育条件が問題となるが、雑犬では飼料のちがいによって、発症までに要するキノホルム量には変化がなかった。キノホルム投与はfixed doseあるいは漸増法が用いられた。ビーグル犬の場合、二三〇mg/kg/day以降の漸増期間につき、発症までの日数をみると、一九~三七日と比較的一致していた。

(2) 病理所見

(a) 神経系

ヒトのスモンの神経病理の特徴に従って、脊髄長索路、とくに頸髄薄束(ゴル束)と腰髄錐体路、脊髄後根神経節、末梢神経、視束、オリーブ核の順に、実験動物の病変を概観する。

(イ) 脊髄後索の変化はサル、イヌ、ネコ、ニワトリ、ウズラで報告された。これらは頸髄上部から延髄下部に強い薄束(ゴル束)を中心にした左右対称性の変性で、イヌ、ネコでは胸髄中部、重症例では腰髄上部にもみられるが、下位脊髄ほど範囲は狭く、変化も弱い。重症のネコ、イヌの延髄下部および頸髄上部では薄束のみならず楔状束(ブルダッハ束)にも変化が及ぶが、その変化はつねに薄束よりも軽い。軽症のイヌ、全例のネコ、一部のサル、ニワトリ、ウズラでは、まず軸索の膨化、空胞変性、脱落と喰食細胞の出現がみられるのが普通である。病変の進んだイヌ、ネコでは軸索の脱落、喰食細胞の増生がまし、髄鞘の変化も次第に明瞭となり、膨化、髄鞘球の出現などがみられ、髄鞘染色で淡明化が目立った。さらに罹病期間三ヶ月以上の雑犬六頭、ネコ一頭では軸索、髄鞘ともに崩壊する。これらの変性部位には炎症性変化はいずれも報告されていない。

(ロ) 脊髄錐体路の変化は、一部のサル、イヌ、ネコ、ニワトリ、ウズラで報告され、腰髄から下部胸髄にかけて側索および一部前索にもみられた。この病変の性質は頸髄薄束の変性と同一であるが、その程度は軽く、軸索の変性と組織の粗しょう化にとどまることが多い。

(ハ) 脊髄灰白質、とくに腰髄前角の神経細胞の変性、クロマトリーゼ消失、ノイロノファギーが一部のサルにみられ、軽度の神経細胞の変性、類球体形成はイヌ、ネコ、ラットでも観察された。

(ニ) 脊髄後根神経節では光顕的に神経細胞の変性崩壊などが殆んど全例の雑犬、ネコと一部のサルなどに認められた。しかし後根神経節は人工変化を伴いやすく、加令その他の影響も加わるため、まぎらわしい変化については厳密なコントロールの検討を要する。

(ホ) 末梢神経では光顕的変化が、ほぼ全例のサル、多数のイヌ、ネコ、ウサギ、ニワトリと一部のマウスで、電顕的変化がイヌ、ウサギ、ラットで確認された。これらの変化は一般に下肢の大径有髄線維の末端部に強い傾向があるが、イヌ、ネコでは上腕神経にも変性が認められた。イヌ、ウサギでは有髄線維の髄鞘と軸索、無髄線維、シュワン細胞の種々の異常所見が明らかにされた。

(ヘ) 視神経系の変化は多数のイヌ、ネコで確認された。この変化は脊髄薄束と同様に視束遠位部に一般に強いが、少数のネコではむしろ視神経に強い例外例もみられた。病変の性質も脊髄薄束とほぼ同一で軽症の動物では軸索の変性、喰食細胞の侵入にとどまるが、重症のイヌ、ネコでは髄鞘も破壊され、中性脂肪粒と著明な星状膠細胞の増生もみられた。

(ト) スモンでかなり特異的な変化といわれるオリーブ核の変性は少数の雑犬、ネコでみられたが、ヒトで報告された神経突起の肥大による糸状体形成はいまだ見付かっていない。

(b) 一般臓器

内臓では肝、腎の変化がサル、イヌ、ネコ、マウス、ニワトリで報告された。肝では肝細胞の変性、壊死、kupffer星細胞の腫大、腎では近位尿細管上皮細胞の変性、壊死がかなり共通して報告された。膵では一部のイヌ、ネコ、ウサギでLanger hans島の細胞変性が報告された。腸管ではマウスの上皮細胞変性などの他に、壊死を伴う腸重積症が一部のイヌ、ネコで、巨大結腸症が一頭のイヌで認められた。

(3) まとめ

(a) 臨床

キノホルム中毒サル、イヌ、ネコ、ウサギ、ニワトリ、ウズラにみられた運動麻痺、失調は両側性に出現し、後肢に強いところはヒトのスモンと同一で、イヌにみられた後肢の腱反射亢進、尿失禁もスモンに似る。視力障害はイヌ、ネコで認められたが、スモンで重要な異常感覚、知覚鈍麻などを実験動物で客観的に証明する検査法の確立が望まれる。スモン特有の腹部症状も実験動物で認めることは困難である。

(b) 病理

スモンの病理の特徴である末梢神経、脊髄後根神経節、脊髄長索路の変性は、多くの実験動物において再現され、視束の変化もイヌ、ネコで確認された。その組織像はヒトのスモンと差がみられない。しかしスモンでは自律神経系、延髄オリーブ核などの病変が指摘されたが、検索された動物が少いので、さらに検討を要する。

なおキノホルム中毒動物の神経症状発症時の一日投与量および総投与量が、ヒトのスモンのそれに比し多いことは、種族差、基礎疾患の影響も考えられ、さらに検討を要する。

(二) 昭和四九年三月までに報告された研究

その後スモン班に改組されてからもキノホルムの漸増投与による発症実験が行われた。

1 椿らの実験

椿らはビーグル犬及び雑犬にエンテロ・ビオホルムを漸増投与する実験を行った。臨床症状としては後肢ついで前肢の麻痺と歩行障害及び視力障害がみられ、雑犬の方がビーグル犬よりはるかに著明であった。脳神経系の組織所見は次のとおりである。①脊髄後根神経節では全例に変化がみられ、特に長期投与群の雑犬及びビーグル犬に強い。②脊髄ではゴル束に、少数ではブルダッハ束に及ぶ変性が対称性にみられた。錐体前索及び側索にも変性がみられたが、ゴル束変性に比較して軽く下方程明瞭で長期キノホルム投与群で明らかであった。③四肢の末梢神経に変性がみられたが、その際は遠位部が近位部より高度であった。④四肢筋ではゴル束や末梢神経変化の強い例で筋萎縮像がみられた、⑤視覚系路には全例に程度の差はあるが両側の網膜の神経細胞の脱落と視神経、視束の変性がみられた。

椿は右所見はヒトとスモンの病理所見と本質的に同じであり、神経線維の変性は神経細胞の障害によるdying-backと考えられると述べている。(丙一〇号証など)

2 武内、桜間らの実験

桜間らは一五匹の家兎にエマホルムの経口漸増投与実験を行った。その結果三匹の家兎の脊髄ゴル束に左右対称性の線維末端優位の変性病変が起き、四例の座骨神経に脊髄ゴル束でみた神経線維の病変と同様の変性性変化を認めた。脊髄神経節では虎斑の消失、細胞の腫大が認められ、さらに経過すると細胞は濃縮しあるいは消失した。以上の脊髄末梢神経におけるスモン類似の病変のほか、骨格筋、肝、脾、腎、膵、腸管などの臓器組織にも病変が認められた。

3 江頭らの実験

江頭らはカニクイザルにキノホルムを経口漸増投与して、その病理組織像を検索した。それによると脊髄後索のゴル束に左右対称性に軸索の崩壊と髄鞘の消失が認められ、その病変は頸髄に強く腰髄に軽かった。錐体側索路にも腰髄に同性状の病変が認められた。また網膜神経細胞層の神経細胞の脱落がみられたが視神経の病変は明らかでなかった。江頭らは従来サルでつくり得なかったスモンの定型的病変を右のように再現できたことに意味があるとする。

江頭らはイヌについても岡山における立石らの実験を追試し同人らと同様の結果を得たが、サルはイヌに比べて運動障害が現れにくく、脊髄病変も投与量に比べると比較的軽かったので、実験中に時々採血した材料について血中のキノホルムの濃度の測定を田村らに依頼した。その結果、サルはイヌに比べて一日投与量が多いにもかかわらず、血清中のキノホルム濃度は全体としてサルの方が低い測定成績が得られた。

4 昭和四九年三月一三日のスモン班総会で江頭は「キノホルム投与によるスモン病変の再現実験」と題する報告を行ったが、そのまとめとして次の如く述べている。

(a) スモン患者の剖検例に共通して見られた特徴的な両側性の脊髄長索路ならびに視束にとくに限局した軸索の変性崩壊と髄鞘の消失がイヌ(雑犬、ビーグル犬、幼令犬)、ネコ、サルの三種の動物で典型的に強く再現された。

(b) 発生した諸病変は病理組織学的にスモンのそれらと一致するとみなされる。その発生率も十分に高い。

(c) 動物の病変は、スモン患者が処方されたキ剤の体重当りの一日量よりもかなり大量を長期間にわたって殆んど毎日投与した後に現われたものであり、病変が発生するための必要最小量はいずれの動物種についても調べられていない。

(d) イヌへのキノホルムの経口投与方式としていわゆる漸増法が試られ、それが効果的とわかったために以後すべての実験にこの方式が準用された。同一量の継続投与によっても動物に病変を起しうると考えることはそれほどの飛躍ではない。

(e) ウサギでは脊髄の病変が発生する一方、腎臓尿細管のネフロヒドローゼ、横紋筋の強い変性、諸臓器内のアミロイド沈着など多彩な病変が報告された。

(f) 上述のとおりキ剤の投与によってスモン患者に共通してみられた神経病変と同一範疇に属する変性が少くとも四種類の動物に起ることが明らかになった。このようにしてこれらの実験によってスモンという症候群のうちキノホルム服用者の神経障害はキノホルムに原因があるという実験病理学的立場からの結論が得られたことになろう。

(三) その後の立石らの固定量による実験

池田、立石らは生後八か月の純系ビーグル犬一一頭を購入して第一群四頭にはカプセル固定量群として三〇〇mg/kg/dayを朝一回、咽頭深く挿入して嚥下を確認し、第二群四頭には従来通りの散剤・漸増群とし、一〇〇mg/kg/dayからはじめ三日毎に五〇mg/kg/dayずつ増量し一二日後に三〇〇mg/kg/dayに達し以後持続投与した。(第三群三頭は対照群)

その結果全例に亜急性、慢性中毒による神経症状が認められた。まず後肢の失調性歩行、腰の横揺れで発症し、その後後肢の脱力、腱反射亢進が生じ、ついには後肢が立たなくなり強い後肢の脱力がみられた。病理所見では三例に小腸においてそれぞれ広汎な腸捻転、巨大な腸重積、異常に強い収縮像がみられ、多くの犬で頸髄ゴル束が肉眼的に白く正常な透明度を失っていた。

神経系の鏡検では既に報告したキノホルム中毒イヌ、ネコと同一の病変が認められた。即ち最重篤な病変は延髄下部から頸髄上部のゴル束の遠位部の左右対称性の変性で、病変の軽い犬では軸索の膨化、断裂、消失にとどまるが、他のイヌでは軸索のみならず髄鞘も崩壊していた。重篤な犬では腰髄側索錐体路に頸髄ゴル束よりは弱いが同質の変性がみられた。

これらの動物の脊髄後根では軸索に、後根神経節では神経細胞に軽度の変性がみられた。パラフィン包埋の末梢神経では軸索の変性、断裂とシュワン細胞の肥大が疑われた。視神経系では頸髄ゴル束と同程度の変性がみられた。視神経の眼球側、眼球網膜にも軽度の変性を認めた。その他の神経系ではいずれも著変はなく、炎症性変化や循環障害性病変などは認められなかった。(昭和四九年度スモン班研究業績、甲二〇八号証)

なお立石らはその後昭和五〇年度スモン班の研究業績中の報告で右ビーグル犬の保存材料などを検索して末梢神経系の病変につき「脊髄後根神経節では光顕的・電顕的に有意な病変がつかめず、末梢神経の組織学的・電顕的検索でも有意な病変がつかめなかった」(戊五〇〇号証)としており、右四九年度の報告とは異なる報告をしている。しかし昭和五一年度研究業績(戊五四三号証)では、投与実験に用いたビーグル犬及び雑犬の脊髄後根神経節及び一部の末梢神経について定量的検索を行ないその結果単位体積当りの脊髄後根神経節の細胞数は対照動物に比し減少傾向を示し、末梢神経では小径有髄線維数の減少傾向以外に著変がみられなかったと報告している。

(四) 以上スモン協(班)を中心とするキノホルム投与実験では、各種動物に対し臨床、病理面ともスモン症状をよく再現しているといえる。ことにビーグル犬に対し固定量を投与した立石らの実験では、下肢のふらつき、頸髄ゴル束及び視神経の変性などまさにスモン様症状が起きているのであり注目に値いする。

二 その他の実験、研究

(一) チバ社で行われた実験

丙六八ないし七二号証、七五ないし八一号証、一〇二号証、一六八号証、二九八号証の一ないし三によれば次のとおり認められる。

スイスチバ・ガイギー社ではヘスを中心として犬、ネコ、ウサギ、ラット、マウスなどに対しキノホルムの投与実験を行った。

1 ヘスらは一九七二年(昭和四七年)までの実験結果を次のようにランセットに報告している。(丙六九号証)

「立石らは最近イヌなどの動物に各種の用量のクリオキノール(キノホルムのこと)を投与することによりスモンを実験的に再現したと発表した。薬物の安全性テストの標準的方法に従って行った我々の実験ではクリオキノールに神経毒性がある事の何らかの証拠をも示さなかった。最初の実験ではクリオキノール単独又は一〇%のサパミンとの配合剤をラットやネコに長期に経口投与したが、特異的毒性は観察することができなかった。特に動物の半分以上を死に致らしめたほどの量(ラットには一日最高一〇〇〇mg/kgを九〇日間毎日、ネコには一日最高三〇〇mg/kgを九〇日間毎日)を投与した時でさえ、視神経損傷の徴候を認めることができなかった。又ウサギに一日最高三〇mg/kgを八八日間連続して経口投与したが神経毒性効果を示さなかった」と述べている。

2 ヘスらはビーグル犬に対しエンテロビオホルムを一二二日間(一日当り最高三〇〇mg/kg)、一年間(一日当り最高二〇〇mg/kg)、及び二年間(右同)の各連続投与実験を行った。ヘスらは神経病理学的検索の結果視束、脳・脊髄、脊髄神経節、坐骨神経のいずれも薬剤投与と関連したと考えられる病理組織学上の変化はなく、一部に標本作成上の人工産物と自己融解変化がみられたに過ぎなかったと述べている。(丙八〇、八一、一〇二号証)

3 さらにヘスらはビーグル犬にエンテロビオホルムを漸増して投与する実験を行った。(ただしヘスは漸増法は薬剤の安全性評価の方法として承認されている毒性研究の要件に合致するものではなく、一つの用量範囲決定実験であるという。)その結果二六投薬犬のうち七例に視神経及び視索に急性の異栄養症型の変性が、又このうち五例に脊髄ゴル束に同様の変性がみられた。しかしこの変性は生体全体の重篤な障害のため二次的に生じたと考えられ(循環又は栄養障害によると思われる。)、投与された薬剤の直接作用すなわち特異的な神経毒性効果ではないと述べている。

(二) チバ社の委託による実験

丙七三、七四、二六五号証によれば次のとおり認められる。

リスターは、ビオホルムを一日一〇〇mg/kgと一〇mg/kg投与されたヒヒ及び最大二〇〇mg/kg投与されたラットを組織病理学的に検索したが、薬剤投与に帰せられ得る毒性作用の証拠は発見されなかった旨報告し、フロー研究所のバロンは、エンテロビオホルムをビーグル犬の各群にそれぞれ一日三〇、一〇〇、三〇〇mg/kgを九〇日間投与したところ、直接的な毒性よりは酸素欠乏症によると思われる脳の海馬域の浮腫及びニューロン変性のみられた一例(第一日に瀕死の状態になったので屠殺)はあったが、九〇日間生存した一八例の投与犬については、薬剤による特異的な神経毒性の証拠は臨床的にも解剖学的にも何らみられていない旨報告している。

(三) 被告田辺とヘスらの共同実験

戊三四八号証によれば次のとおり認められる。

被告田辺の研究員とヘスらはカニクイ猿に対し一日五〇、二〇〇mg/kgのキノホルムを一〇二二日(投与日数八三一日、休薬日数一九一日)投与する実験をしたところ、全例に運動機能や自律神経の異常はみられず、また視神経、視束、頸髄、胸髄、腰髄、脊髄神経節、自律神経節、末梢神経の病理組織学的検索を行なった結果でもキノホルム投与によると考えられる病理学的変化を認めなかった。

(四) ハンチントン研究所の実験

甲二〇六号証、丙二七三、二七四号証、戊四八八、五三〇号証によれば次のとおり認められる。

1 同研究所独自のもの

同研究所のヘイウッドらはビーグル犬二四頭を四グループ(一グループは対照群)にわけ、キノホルム粉末を最初の一週はそれぞれ一日一五〇、一〇〇、五〇mg/kgを投与し、第二週以降は一日四〇〇、二五〇、一〇〇mg/kgに増量し、合計二六週間にわたって投薬した。

四〇〇mg/kgの投与犬二頭は、四七日目及び一六一日目に屠殺されたが、二頭とも後肢運動不能及び一般状態の悪化を伴った歩行異常があり、一頭は頸髄のゴル束に病理学的に有意の変性病変がみられ、視神経の変性もみられた。その他の四〇〇mg/kg及び二五〇mg/kgの投与群の犬にも異常な歩行及び異常な反射がみられた。症状の軽い犬は後肢を外側に広げ軽い協調不能を示したが、症状の最も重い犬は後肢の完全麻痺を示した。組織学的検索の結果、四〇〇mg/kg群の犬のうち投薬期間中死亡しなかった四例すべてに脊髄ゴル束に病理学的変化がみられ、また二五〇mg/kg投与群の犬六頭のうち四例にも同様に何らかの病変がみられた。その形態学的特徴は軸索の変性及び腫脹、ミエリン食細胞を伴ったミエリンの崩壊である。同研究所のヘイウッドらは、結論として右臨床症状及び病理像は日本の研究者が記載したものと異らないと述べている。

2 同研究所がチバ・ガイギー社の後援を受けて同社に報告した実験

次いで同研究所ではスイス、チバ・ガイギー社の後援でビーグル犬一八頭を三群にわけ(一群は対照群)、一日二五〇mg/kg、四〇〇mg/kgのエンテロビオホルムを二五週間投与する実験を行った。(四頭が投与期間満了前に屠殺された。)両投与群ともに次の徴候を示した。①健康状態の喪失②歩行異常、二頭の犬では後肢の麻痺に発展した③毛の黄色化④脱毛であった。組織学的検査の結果五頭に脊髄後柱に病理学的変化がみられた。うち一頭は脊髄のあらゆるレベルに観察され、一頭は胸髄及び頸髄に、他の三頭は頸髄のみであった。病変の性質は異栄養性でおそらくその発現は急性である。形態学的特徴は軸索の変性及び腫脹、ミエリン貪食細胞を伴ったミエリンの崩壊、時としてみられる異状細胞の腫脹であった。一頭には視神経に軸索の腫脹を含んだ同様な変化がみられた。

なお同研究所のヘイウッドやチバガイギー社のトーマンらはランセット(戊四八八号証)やトキシコロジー(戊五三〇号証)誌に投稿した手紙や論文で、右脊髄の病変は、イヌの栄養障害、胃摘出後症候群、ビタミンB6過剰投与又は老化によっておこる神経病と類似しており、スモンの診断基準と一致せず、またダイイングバック型の末梢神経性神経症として説明することにも合致しないと述べている。

三 諸実験の評価について

(一) スモン協を中心とする動物実験に対する批判の検討

1 被告製薬会社らはスモン協の研究者らによって行われたキノホルム投与実験は動物にスモン様症状を発症させることを目的とした実験であり、投与方法も漸増法という特殊な方法を用いかつ投与量も大量である旨主張する。

しかしスモン協で行なわれたキノホルム投与実験は、その目的からしてキノホルム説を検証するため動物にスモン症状を再現する意図のもとにされたのであって、薬剤の安全性有用性を調べるための動物実験と本質的に異なる。(被告田辺は、昭和四五年当時の医薬品製造承認の際に要求された前臨床実験と同一の内容、基準をもって同被告が為した諸実験ではキノホルムに神経毒性がなかった旨主張するが、右の批判としては意味をなさない。)漸増法も動物に急性中毒を避けながら大量投与するために考案されたのであって、薬剤の安全性を確認するための実験には通常用いられていないとしてもスモンとキノホルムの因果関係を検証するための実験においてはその目的に適った実験方法といえよう。前示の如く立石らはビーグル犬に固定量を投与した実験で漸増法と同様の結果を得ていることもあるので、被告製薬会社らの前記批判は結局大量投与の点に意味があることになる。

この点についてはキノホルム説からは次のような反論がなされている。(甲二〇七号証、二一七号証の一ないし三、丁九号証、戊五〇一号証)

(1) 血中の非抱合キノホルム及びグルクロン酸抱合、硫酸抱合キノホルムを測定すると、人間では毒性のある非抱合キノホルムが最も高く、逆にサル、マウス、ウサギでは抱合キノホルムが高く非抱合キノホルムが最も低い。犬は人間に次いで発症しやすいが、やはり非抱合形が最も高い。

(2) 人間では約八mg/kg程キノホルムを与えると血中濃度は数μg/mlに達するが、犬でこの程度に達するには二〇〇mg/kg(サルでは五〇〇mg/kg、マウスでは一〇〇mg/kg)を要し、人間と動物とでは吸収率が全く違う。

(3) 動物実験では発症頻度を高めるために大量を要する。

(4) 動物と人間とでは投与前の身体条件に差がある。

動物と人間とのキノホルム投与量の差に関するキノホルム説からの説明は、右にみたごとく合理的であり、人間に比し動物に大量のキノホルムを要することは何ら異とするに足らないといえる。

2 チバガイギー社のヘスや前記ハンチントン研究所のヘイウッドらは立石らのキノホルム慢性中毒症状の犬の病変は、死後変化、標本作成時の人工産物、血行障害、ジステンバーなどのウイルス感染、又は動物の低栄養状態による可能性がある旨指摘する。

これに対し立石らは次の如く反論している(甲二〇八号証)「かかる特徴ある病変の組合わせ(立石らのキノホルム中毒犬にみられた病変のこと)が死後変化、人工産物、血行障害などで起こる可能性はなく、ジステンバーにみる如き炎症所見や斑状の病巣などとも異る。しかしキノホルム投与動物では一過性にしろ食欲低下や腹部症状、体重減少のみられる場合があるため低栄養状態の可能性は残る。このため我々は別に絶食動物群をもうけ検討したが、成犬は飲料水のみで一か月以上生存し、自然死を待って剖検しても神経系に著変を認めなかった。したがってチバガイギー社の反論は何ら根拠がなく、キノホルム投与動物の臨床、病理所見はその再現性からもキノホルムに特有な神経毒性によるものと確認した。」

右立石らの述べるところは前記ヘスらの指摘に対して十分論拠を有する反論というべきである。

(二) スモン様症状を否定する報告例について

チバガイギー社のヘスらはビーグル犬に対する固定量の投与実験で病変をみなかったと報告している。しかし右報告は社内報告であって学会等の批判にさらされたものでなく、立石らの報告に比して学問上の価値を同一視し得るかどうか疑問であるのみならず、同人らの漸増法の実験では非特異的というにしろ神経病変をみていること、チバガイギー社のトーマンはハンチントン研究所のヘイウッドらと連名で前記ビーグル犬に対する固定量投与で病変をみた実験(ただしキノホルムの直接作用ではなく異栄養性としているが)を雑誌に報告していること(戊五三〇号証)、立石らは右ヘスの実験と同一条件の固定量投与実験で成功していることなどからすると、前記ヘスらの報告には疑問を差しはさむ余地が大いにあり、同人らが非特異的といったり異栄養性という病変は実はキノホルム中毒によるものではないかとの疑いがあるのである。

その他の否定実験では、投与量が少量であったために発症しなかったと考えられるもの(例えばサル)や、スモン協(班)の実験でもスモン類似の病変の再現に成功していないもの(ラット、マウスなど)があり、いずれもスモン協の実験成果を否定する資料たり得ない。

(三) 被告田辺の主張について

被告田辺は前記立石らの犬の脊髄後根神経節及び末梢神経の病変に関する記載の動揺をとらえて、立石らの動物実験はキノホルム説の根拠とはなり得ないと主張する。

しかし前示の如く、立石らは一旦は脊髄後根神経節及び末梢神経では有意な病変はつかめなかったとしながらも、その後の定量的検索では差を認めたのであって最終的には右二つの部位に病変のあることを明らかにしているといえる。

のみならず椿は犬の後根神経節及び末梢神経に病変のあったことを報告しており、後根神経節の病変は犬に限らずネコやサルに、末梢神経の変化はネコ、ウサギ、ニワトリなどに認められたことは前記大月の昭和四七年三月のスモン協総会における報告で述べられているとおりであってスモン協(班)関係の各研究者による各種動物における実験報告をみれば右両部位に病変のあることは否定し難いといわなければならない。

又犬の右両部位での病変がたとえ軽度であったとしても、立石ら多くの研究者が報告している犬をはじめ他の動物にもみられる頸髄上部のゴル束の遠位部の左右対称性の変化は、前示白木の人間のスモン患者の病理所見として述べたところ、すなわち後索病変はスモンの全剖検例に例外なくみい出されしかもその遠位に位置する頸髄ゴル束に最も著しいことに合致しており、犬の視神経、視束にもスモンと同様の病変がみられるのであって立石らの動物実験がキノホルム説の根拠となり得ないということは到底できない。被告田辺の主張は採用できない。

四 動物実験のまとめ

以上のごとくスモン協(班)を中心とする動物のキノホルム投与実験でみられた臨床面及び病理面における特徴は人のスモンとよく合致しており、実験方法上も問題がなく、否定報告例は右実験成績を否定する論拠たり得ない。動物に対するキノホルム投与実験で得られた成果はスモンの原因がキノホルムであることを推定する有力な事情であるというべきである。

第四発症機序に関する研究

一 はじめに

以上みてきた如く、スモンの病因に関する研究としてスモン協及びスモン班を中心にして疫学的調査及びキノホルムを動物に投与してスモン様症状を再現する動物実験が行われてきた。しかし右疫学的方法は人間を集団的に観察してスモンとキノホルムの関連性を追求するものであり、動物実験は人体実験が人道上許されない故に人間の代りに動物を用いてキノホルムの病因性を検討するものであっていずれもキノホルムがスモンの病因であるか否かを決定する直接的な方法ではない。キノホルムの服用によりスモンの臨床症状及び病理変化がどうして起きるのかすなわちキノホルムは人体内でいかなる運命をたどり、人体のいかなる組織にいかなる作用を及ぼし、どのような過程を経て前記症状及び病変を起こすのかといった発症機序に関する研究はキノホルムの服用(原因)とスモンの臨床症状及び病理変化(結果)との間にある個々の因果の鎖を解明しようとするものであって、もしこれが成功すればキノホルム説は科学的に全く疑念の容れる余地のない真理ということができるであろう。

しかしスモンとキノホルムとの間の因果関係を訴訟上認定するには必ずしも右発症機序の解明が要求されるのではない。訴訟上因果関係の立証は一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、通常人が疑いを差し挾まない程度に真実性の確信を持ちうる程度で足る。(最判昭和五〇・一〇・二四民集二九巻九号一四一七頁)次にみる如くスモン協(班)を中心とするスモンの発症機序に関する研究はかなりの程度成果をあげているものの必ずしもすべての発症過程を明らかにしているとは言い難いけれども、このことはスモンとキノホルムとの因果関係を認定する妨げとなるものではない。

右の次第で、スモンの発症機序に関する研究は、個々の各研究者の研究成果を詳しくみて評価することを避け、その全体を概観するにとどめる。

二 昭和四七年三月までに得られた知見

甲二〇七号証(三四五頁)によれば昭和四八年度のスモン班発症機序分科会会長田村善蔵は昭和四九年三月のスモン班総会で報告し、昭和四七年三月までに得られた知見を要約しているがその要旨は次のとおりである。

(一) 経口投与されたキノホルム(一〇~二〇mg/kg、ラット、マウス)の二〇~三〇%が消化管から吸収される。剤形の影響は大きくない。

(二) 体外排泄は糞、尿を介してかなり速やかであるが、三日後に全身滞留率が一〇%以下になってからゆるやかになる。

(三) 吸収されたキノホルムは肝、腎に集まり、濃縮されて胆汁と尿に排泄される。肝についで坐骨神経にも血液を上回る濃度で分布する。

(四) 胆汁に排泄されたキノホルムは再び腸管から吸収され腸肝循環が成立する。

(五) 投与量を増すと吸収率と全身滞留率は低下するが吸収量も滞留量も増加する。

(六) 長期連続投与の影響で吸収率は変化しないが排泄速度が高まり、全身滞留率が低下して滞留量は一定限度を越えない。

(七) キノホルムは神経系のうち坐骨神経等の末梢神経、後根神経節、脊髄神経根、網膜などに強く分布するが、中枢神経系へのとりこみは一様に低い。

(八) 神経細胞にとりこまれたキノホルムはミクロゾームとミトコンドリアに比較的高濃度に集まる。

(九) 血清の電気泳動でキノホルムはアルブミンと行動を共にする。

(一〇) キノホルムグルクロナイドは体内で徐々に遊離キノホルムになり、いずれも胆汁と尿から排泄される。

(一一) キノホルムの服用をやめて一か月たったスモン患者の血清から約一〇μg/mlのキノホルムが検出され、さらに長期間残留することもわかった。

(一二) キノホルムの服用をやめて九か月たったスモン患者の肝肝臓、腸間膜脂肪組織、坐骨神経からそれぞれ一gにつき〇・五μg、〇・三μg、〇・一μgを越えるキノホルムが検出された。

(一三) 鶏胚の後根神経節をキノホルムを含む血清培地で培養したところ八μg/ml以上の濃度になると数日後に変性が認められた。

田村は右の如く要約したうえで昭和四九年三月までに得られた研究成果を加えて次のように総合している。

(一) 経口投与されたキ剤は胃を通過して一二指腸に入り、ここで胆汁と混合して可溶化され、一部腸管から吸収される。胆汁はキノホルムの吸収促進に働く。腸管に吸収されたキノホルムは腸管筋肉を弛緩させ、スモンに固有の腹部症状を起こす原因となり得る。また吸収されたキノホルムは血清アルブミンに吸着した形で門脈を通って肝臓に到達し、ここで抱合解毒を受ける。抱合体の多くは胆汁中に濃縮されて腸管内に排泄されるが腸内細菌とくにE.coliによって一部が水解されて遊離キノホルムに戻り、再び腸管から吸収される。

(二) 一方抱合体の残りと抱合され残った遊離キノホルムは肝静脈から全身に運ばれ、腎臓では主としてグルクロナイドが尿中に濃縮排泄される。また体内を循環するうちに抱合体の一部は遊離形に戻る。

(三) 神経組織に到達した脂溶性の遊離キノホルムは血清中より高濃度になるまで神経に移行するが、その速度は脳血液関門のある中枢神経系では遅い。神経細胞にとりこまれたキノホルムはMg2+などの共存下でミトコンドリアの酸化的リン酸化作用を脱共役するなど、電子伝達系を阻害し、その結果ミトコンドリアの膨化空胞変性が神経線維の末梢から進行し、軸索と髄鞘が破壊されて行く。こうしてスモンの主症状であるneuropathyが成立する。

(四) 神経の変性を起こすためには、おそらく血清中の遊離キノホルムが一〇μg/mlを越える濃度で数日間持続する必要があり、濃度が高いほど変性に要する時間は短かくなるであろう。

(五) 血清中の遊離キノホルム濃度を高める原因としてまずキ剤の連続投与が考えられる。しかし日本に多発した理由の説明のためには徹底した国際的投与方法の比較調査が必要である。生体側の要因としては吸収を司どる腸管の状態、胆汁の分泌量、肝臓で代表される抱合解毒能、肝、腎の排泄機能、腸肝循環に関与する腸内細菌叢、炎症、ビタミンをはじめとする全身栄養状態などが考えられ、服用時の病態や人種差を含めて今後検討する必要がある。

(六) そのほかキノホルム発見の糸口になった緑色色素の成因も解明されておらず、細胞毒性(キノホルムはそれ自身として細菌に対してもヒトの細胞に対しても同様の毒性を示す)のメカニズムにも未解決の部分が残されている。

三 昭和五〇年三月のスモン班会議における総括報告

甲二〇八号証によれば昭和四九年度スモン班の発生病理分科会会長田村善蔵は同年度の研究成果を要約した後、次のように述べている。

「これまでの研究成果から神経症状発現のためにはキノホルムの過量継続投与が必要条件であることが明らかになった。また発症機序としてはキノホルムが金属イオンを伴って神経細胞に入り、過酸化脂質を生成させ、蛋白変性を介してミトコンドリアを空胞変性させると考えられるようになった。しかしなぜ頸髄ゴル束が、腰髄で側索が、また末梢神経で末端が優先的に冒されるかは説明できず、またキノホルムの血中濃度を変動させ、発症に個体差を生じさせる主因も不明のまま残されている。このように発症機序は次第に明らかになりつつあり、一方において今後検討すべき目標も浮び上ってきたと思われる。」

なお戊五〇一号証によれば田村は脊髄の中は同じ濃度でおそらくひたされているのに何故末端の方からやられるのかその辺がまだわからないとしながらも、キノホルムが入った事により結果的にはビタミン欠乏と同じ様な変性が起って来る、それを防禦する栄養補給は細胞の側からなされるから補給路の末端の方が結局やられるのではないかと想像していることが認められ、丁九号証(二二三頁)によれば、豊倉らは「頸髄のゴル束には一般に病理組織変化が強く視索に強い変化をみる例も少なくないが、標識キノホルムの摂取はここには特に強くはなく、むしろ親細胞の存在する脊髄後根神経節や網膜に強い摂取があった。このことはスモンないしキノホルム中毒によるニューロンの変性様式について一つの示唆を与えるもので、親細胞の代謝障害の結果ニューロンの突起の末端部から変性が始まり、次第に近位へも波及するいわゆるDy-ing-back neuropathyの変性機序が本症においても関与しているように見えるのであるが、確かなことは今後の検討にまたねばならない。」としている。

四 まとめ

以上みてきた如くスモンの発症機序に関する研究は、腸管から吸収されたキノホルムのうちの抱合されない遊離キノホルムが血液中から神経組織にとりこまれて変性を起こすことを明らかにしたが、なおその変性機序の詳細は未だ不明といわざるを得ず、(ダイイングバック型の変性機序が想定されているが)個体側の要因も十分解明されていない。しかし右研究はキノホルム説にとって矛盾するところがないばかりか、かえってキノホルム説を支持する有力な研究資料というべきである。

第二節ウイルス説

第一コッホの原則

戊四二六ないし四二九号証、四五三号証の一によれば次のとおり認められる。

ある特定の疾病がある特定の病原体によって起こることを決定するためには次の条件を満たすことが要求されており、これは結核菌を発見したコッホの研究によるものであるのでコッホの原則と呼ばれている。

(一) その病原体がその疾病のすべての例に存在しすべてから分離されること

(二) その病原体が体外(in vitro)で純粋に培養されること

(三) 培養したその病原体は感受性のある動物でその疾患を起こすことができること

(四) その病原体に感染したヒト又は動物の血清中に抗体が認められるか、もしくは感染を耐過したとき再感染に抵抗を示すこと。(この第四番目の条項はコッホの後に追加されたもので、第一、第二の原則を補充するものである。それ故コッホの三原則又は四原則とも呼ばれる。)

右コッホの原則はもともと細菌による疾病について確立されたものであるが、ウイルスについても原則的にあてはまる。ただしウイルスはヒトに対して特異性の高いものがあり、リバースやヒューブナーなどの学者はこれをウイルス用に修正した基準をたてている。

被告田辺は京都大学ウイルス研究所の井上幸重、西部陽子らが発見したウイルスがスモンの病因で右コッホの原則を満たしている旨主張するので以下検討を加える。

第二井上ウイルス説の根拠

一 井上ウイルスの存在、性状等

丁三号証、戊七九ないし八一、八三、八五、二二六、三四四、三四五、三六三、三六四、四三二、四三五号証によれば次のとおり認められる。

井上、西部らは次のように報告している。

岡山のスモン患者の糞便五例全例から、大阪のスモン患者の脊髄液一〇例のうち八例から、北海道のスモン患者の脊髄液二九例中二三例からそれぞれBAT-6細胞(井上らの研究室で樹立されたものでウシのアデノウイルス三型により形成されハムスター皮下腫瘍のクローン化継代細胞)に同種の細胞変性効果(CPE)を示してウイルスが分離された。これに対し京都地方の成人健康者二例の糞便材料からはウイルスは分離されず、また大阪地方の二〇例の非スモン患者脊髄液のうち一八例からはBAT-9細胞にウィルスは分離されなかった。しかし二例の成人の無菌性髄膜炎患者脊髄液からそれぞれ同種ウイルスが分離された。

BAT-6細胞はヒトの腸内ウイルスに感受性を示さないことは明らかであり、ウイルス分離はかなり選択的であるところ、岡山のスモン患者の糞便由来の佐藤株免疫ウサギ血清で大阪及び北海道のスモン患者脊髄液由来の全ウイルスは中和されることから、分離されたウイルスは血清学的に同一であった。

スモン患者血清では一五例中一三例に血清希釈五~一〇倍という低い中和抗体価を証明できるが、非流行地の健康者成人血清一〇例の中和抗体価はいずれも五倍以下であった。

右のようにして分離、固定されたウイルス(以下井上ウイルスという)は、BAT-6細胞では弱くかつ不完全な細胞変性効果(CPE)を生じたがその他の細胞ではCPEを生じず、ヒト胎児肺細胞及びHela細胞で増殖することができ、CPEを認めることなく液相に遊離される。

なおスモン患者の急性期血清においては井上ウイルス中和抗体は通常低いが回復期血清は抗体価の上昇がみられ、スモン患者の看護にあたった看護婦六名のうち三名の血清に抗体の存在が確認された。スモンは井上ウイルスに対する免疫不全に伴うウイルス感染症と考えられる。また無菌性髄膜炎三例の回復期血清に高い抗体価がみられたことなどから井上ウイルスは無菌性髄膜炎を起こす可能性がある。

井上ウイルスは二二〇mμの膜フィルターを通過するが一〇〇mμのフィルターを通過せずエーテルと五―フルオ 二―デオキシウリジンに感受性があり紫外線照射により不活性化され、その性状からヘルペス型ウイルスと考えられる。

別所敞子らによる電子顕微鏡的観察の結果その形態は、大きさ約四五〇mμのエンベローブ(外被)に囲まれ内部に一〇〇~一一〇mμのヌクレオカプシドを持っており六角形であってヘルペス型ウイルスの特徴を備えている。

なお井上ウイルスは鳥型伝染性喉頭気管支炎(ILT)ウイルスと関連が認められた。すなわち井上ウイルスはILTウイルス抗血清で中和され、ILTウイルス感染マウスの脳から井上ウイルスが分離されたことなどから井上ウイルスはILTウイルスの変異株と考えられる。

二 井上ウイルスの追試(肯定例)

(一) 島田らによるもの

戊八四、八八号証によれば次のとおり認められる。

島田らはスモン患者の脊髄組織内における病原体の局在を追求する目的で井上ウイルスの家兎抗血清を用いた螢光抗体法で検討し、スモンの五症例中四例の脊髄に特異な螢光を認めたが対照例四例にはこれを認めなかった。同人らは右成績はスモン患者の脊髄組織内に直接にそのウイルスの局在を証明したものと述べている。

(二) 西村千昭によるもの

戊八六、八七、二一五、三四五号証によれば次のとおり認められる。

西村(北里大学薬学部教授)は次のように報告している。井上から分与された井上ウイルス(スモン患者の脊髄液から人胎児肺細胞で培養して分離したもの)を同じく井上から分与されたBAT-6細胞に培養してCPEを認めた。

また孵化鶏卵漿尿膜に井上ウイルスの希釈液を接種して一〇代の継代培養に成功した。この漿尿膜の切片を作ってヘマトキシリン-エオジン染色をすることにより、肥厚した上皮細胞の核の中にヘルペスウイルス特有の核内封入体であるCowdry小体を認めた。

さらに間接螢光抗体法により検査すると井上ウイルスに感染されたBAT-6細胞は感染四八時間後から陽性となり、感染四日目には大部分の同細胞は螢光を示した。

三 動物接種実験(肯定例)

(一) 井上らによるもの

戊八二、一〇七、二三三ないし二三五、三六〇号証、四五三号証の一ないし三によれば次のとおり認められる。

井上らはまず井上ウイルスを新生児マウス(dd,C57BL/6,CF1)に脳内接種した。その結果C57BL/6(以下C-マウスと略称する)マウスだけに感受性があり二、三週間の潜伏期の後体重の減少、立毛、後肢の麻痺がみられた。発病マウスの病理所見は次のとおりである。ゴル索の変化は頸髄に、錐体路の変化は腰髄あるいは錐体路全域に及び、脳に変化はなく、又炎症反応はみられなかった。ただしC-マウスの感受性は親の違いにより非常に異っていたと報告している。

その後井上、中村らは新生児C-マウスの腹腔内及び皮下接種により、二、三週間の潜伏期をもって後肢麻痺を主として発病し病理所見も基本的に脳内接種したものと同一であったことを報告している。

さらに小沢、井上らはサイクロフォスファマイド処置をしたddN系成熟マウスに経口接種したところ、二、三週間後に立毛、衰弱、後肢機能障害を示したが、発病頻度は低く回復例もみられ、肢の機能障害は一時的あるいは一過性の麻痺及び運動障害であった。

小沢、井上らはさらに免疫抑制剤処置をした成熟ddマウスに脳内接種したところ、立毛,wasting、歩行障害、後肢マヒを来たして死亡するものがみられたことを報告している。

(二) その他の発症実験

戊八六、二一五、二三八、三六八号証によれば次のとおり認められる。

西村千昭は井上ウイルスを培養した孵化鶏卵の漿尿膜の乳剤を新生児C-マウスの脳内に接種すると比較的長い潜伏期の後に典型的な症状が現われたことを報告している。

木村右(徳島大学細菌学教室)吉田長之は次のように報告している。多発的神経炎の患者の脊髄液を人胎児肺細胞上で培養した材料を新生児C-マウスの脳内に接種したところ一七例中二例が三週間後体重の減少、立毛、後肢麻痺を示して死亡した。麻痺したマウスの脳懸濁液を一二匹のマウスに脳内接種すると五匹が麻痺して死亡した。これらのマウスの脳懸濁液を二三匹に再接種したところ七匹が麻痺後死亡した。

吉安、井出、及び被告田辺の安全性研究所の所員らはキノホルム非服用スモン患者から得られた脳脊髄液をC57BL/6Jマウス(哺乳マウス)に脳内接種及び腹腔内接種したところ、それぞれ約二三%が発症し、体重の低下立毛、運動麻痺ないし運動失調がみられたことを報告している。

第三井上ウイルスの否定的追試例

一 井上ウイルスの追試その一(分離、培養、中和試験等)

(一) 甲野らによるもの(甲四一号証の一ないし三、丁三号証)

甲野らは井上からBAT-6細胞と分離されたagentの代表株である佐藤株の分与を受けてウイルス分離、佐藤株の性状及び同株による中和試験を行った。その結果は次のとおりである。

スモン患者糞便二七例、患者脊髄液一例、対照患者一〇例を接種し三~五代継代観察したがすべてウイルス分離は陰性に終った。又スモン患者一〇例の血清二三検体及び対照血清一〇検体について中和試験を行ったが、その抗体価はすべて<1:4であった。佐藤株接種BAT-6細胞にCPEが認められたが、これはマイコプラズマによることが判明した。そしてテトラサイクリンなどの抗生物質を加えた培養では佐藤株はBAT-6細胞にCPEを形成しなかった。

甲野らは「我々の経験ではBAT-6細胞は増殖が旺盛である反面極めて脆弱な細胞で、無接種の対照において自発的な細胞の変性崩壊が強く、CPEを指標とする限り、余程これが明瞭である時は別として、CPEが弱い時は判定が困難であると考える。」と述べている。

(二) 永田らによるもの(丁三号証)

永田らは患者糞便、脊髄液及び剖検例二例について各種細胞を用いて分離を試みたが、継代可能な因子は検出できなかった。又井上ウイルスの検討のため井上から佐藤株やBAT細胞、培地器具等の提供を受けて実験を行ったがこれに関して以下のように述べている。BAT細胞は極めて維持の困難な細胞で二%維持培地にイーストエキス〇・五%加えても五~六日目頃に急速に細胞変性を示し始め、又温度に対する感受性が強い。右の点を考慮にいれてBAT細胞を井上と共に観察した結果、佐藤株の比較的高濃度の接種により、対照に比べてより強い細胞変性を示すことが認められた。高稀釈では対照と殆んど差はみられなくなるがその終末点を求めることは極めて困難である。従ってこの系はCPE観察には適当な系ではないと思われる。

(三) 吉野亀三郎らによるもの(甲三九三号証、戊三六六号証)

昭和五〇年の日本ウイルス学会総会で吉野らは「いわゆるスモン病ウィルス(井上ウイルス)の細胞変性効果と鶏卵漿尿膜反応の欠如」と題する報告をなし要約として次の三点を掲げている。

(1) 井上ウイルス渡辺株を用いて西村らの方法に従いレイトン管培養BAT-6細胞のCPEを観察したが、自然変性以外には何も現われなかった。

(2) 同株及び佐藤株を一二日卵漿尿膜に接種したが肉眼的にも組織学的にも何らの変化も認めず、それを西村らの方法で八代まで継代したが全く同様であった。

(3) Hela細胞由来Ⅰ型ヘルペスウイルス免疫ウサギ血清はすべて正常漿尿膜乳剤に強い非特異的補体結合反応を示し、その程度は渡辺株八代継代漿尿膜乳剤の補体結合価と完全に一致した。

(四) クレッヒによるもの(甲三九〇号証の三)

スイスのサンガレンにある細菌学研究所の教授クレッヒは井上から提供されたウイルス株、抗血清及びBAT-6細胞を用いて追試を行った。しかしBAT-6細胞にスモンウイルスとされているものを接種して細胞変性を観察しても、対照との間に明瞭な相違を観察することができなかった。又ヒト線維芽培養細胞を井上ウイルスで感染させて、井上ウイルスの抗血清とされているものとの補体結合反応では抗原を検出することができなかった。

(五) 奥野、高橋らによるもの(甲四三号証、丁三号証)

奥野らはスモン患者の糞便、血液、髄液など四一例をミドリ猿腎細胞、人胎児腎細胞、ハムスター腎細胞などに接種してウイルスの分離を試たが、三代以上継代し得る細胞変性は見出せなかった。

また直接井上から井上ウイルスの分与を受け、井上の原法に従ってBAT-6細胞に分与材料を接種し三五℃~三六℃に培養したが井上のいうCPEは確認できなかった。

二 井上ウイルスの追試その二(動物接種実験に関するもの)

(一) 松岡、永田らによるもの(戊四八五号証)

松岡、永田らはC-新生マウスに井上ウイルスの渡辺株及びスモン患者脊髄液のK、Y、A株を脳内接種した。その結果渡辺株接種マウスで九例中一例に、K株接種マウスで九例中に二例に明らかな後肢の異常が認められた。即ち強制的に歩行を継続させた場合片側後肢に伸展したまま屈曲し得ない状態を生じたがこれは一過性で休めば間もなく回復した。後肢の異常を示した例を含めて井上らの方法で固定して脳脊髄の病理学的検索を行ったが、実験例のいずれにも対照に比して明らかに有意な病変は認められなかった。

(二) 桜田、飯田らによるもの(戊四八六号証)

桜田らは北海道で採取された二九件のスモン患者髄液からBAT-6細胞を用いて二三株のスモン関連ウイルスを分離したが、同一材料についてC-マウスの脳内接種を行ったところ発症したのは二九例中三例であった。また井上ウイルスの標準株をC-マウスの脳内と腹腔内に接種したところ、一〇倍希釈液の腹腔内接種マウスが一三日目に発症したが他は全部陰性であった。

患者材料と標準株接種マウスの病理組織学的検査を行ったが、脊髄には対照に比して特記すべき変化は見られなかった。

(三) 北原、多ヶ谷らによるもの(甲四三号証、戊二二八、四二一号証)

北原らはスモンと関連のある人由来の材料をそのまま、又は人胎児肺細胞を二回通過した後C-新生児マウスに接種して三か月間観察し異常の発生をみることにした。三例の材料を多数のマウスに接種したが、二例の材料を接種したマウス群にrunting、立毛、四肢麻痺を呈するものがみられた。しかし発症した例は一リッター(マウスの一回の出産で生れる子供の一群のこと、通常は五~一〇匹、戊四五三号証の一による)当り一匹又は二匹で井上らの報告の如く高率には見られなかった。

症状を呈したマウスは死亡直前と判断される時期に国立予防衛生研究所病理部に送付され病理学的検討に供された。同時にddy系マウスを対照として行われたマウス脊髄についての髄鞘の発達時期を追求した実験結果をも考慮すると、発症マウスにみられた脊髄錐体路の髄鞘の弱染性と病原因子接種との間に直接の因果関係を肯定できる結果に至らなかった。

三 井上ウイルスの電子顕微鏡的観察

(否定例)

(一) 東昇によるもの(甲四一号証の一、丁三号証)

東(京大ウイルス研究所)は昭和四五年度スモン協病原班研究報告書にBAT細胞で分離培養した井上らの標本で井上ウイルスを電顕的に観察した旨報告したが、その後昭和四七年の二月の班会議で東は井上から提供を受けたBAT-6細胞を同じ方法で調べ多数の電子顕微鏡写真をとったがついにウイルスはみつからなかった旨述べた。

(二) クレッヒによるもの(甲三九〇号証の三)

前記クレッヒは井上から提供を受けたBAT-6細胞に井上ウイルスの株を感染させて電子顕微鏡で観察したがウイルス様粒子は観察できなかった。

又提供された凍結乾燥ウイルス資料とヒトの抗血清とを混合して予想されるウイルスと抗体との複合物を超遠心により沈降させ沈澱物の電顕的観察を行ったが、ウイルス様粒子を検出することができなかった。

(三) 奥野らによるもの(甲四三号証)

奥野は井上ウイルスを接種し感染したと思われるヒト胎児肺細胞の七日培養の超薄切片を作り、電顕的観察を行ったが、ウイルス粒子の像は全く陰性であった。

第四井上ウイルス説に対する批判的見解

一 ウイルス説の凍結措置

甲四三号証、二〇七号証、四一号証の一ないし三によれば次のとおり認められる。

昭和四七年七月二〇日国立予防衛生研究所において井上ウイルスの検討会が開かれ、多ヶ谷、北原、江頭、内田、甲野(以上予研)永田(名大)桜田(北海道衛研)石井(北大)らが参加した。そして主としてC57BL/6系哺乳マウスに対する病原性を中心に追試成績を検討した結果、一定の結果が得られず、その脊髄の病変に関する限りは神経学者の意見によればウイルスを接種しない同日令の幼若マウスにも同様の所見が見られ、むしろ髄鞘の発育過程の範囲内のものとみなされ、したがってヒトのスモン及びキノホルム投与による実験的スモンの脊髄病変とは性格を異にすると結論された。そこで特別の新しい知見が得られるまでは腸内細菌以外の微生物学的研究は凍結されることになり甲野はその旨同年九月二四日の研究会で報告した。以後スモン班ではウイルスに関する研究は主要テーマとして取り上げられなくなった。

二 甲野の批判

甲四一号証の一ないし三、丁一一六号証の四、五によれば次のとおり認められる。

甲野の井上ウイルスに対する批判の要旨は次のとおりである。

(1) 井上ウイルスの検出率は一般のウイルスに比して高過ぎる(八〇%)

井上ウイルスはスローウイルスといわれているが、一般にスローウイルスといわれているものは検出が極めて難かしい。ウイルスの検出の容易なポリオやインフルエンザは病気の初期は高率であるが遅くなると急激に検出率が落ちる。

又井上ウイルスは脳炎や脳脊髄炎を起こすヘルペスウイルスの一種とされているが、脊髄液の中は蛋白質が少ないのでウイルスは非常に不安定である。従って脊髄液からウイルスが検出されることは極めて稀である。

(2) それにもかかわらず検出率が高いことは、感染性が強いといえるところ、昭和四五年九月以降の患者数の激減はこれと矛盾する。

全国的にはウイルスの防疫対策(宿主対策及び病原、環境対策)がとられたことはなく、かえって昭和四五年九月以降キノホルム説が出てからは患者はいわば隔離を解除されたのであるから以前より感染の機会は増大したのである。右の事情と患者の激減の事実とは疫学的にみて感染説における大きな矛盾である。

(3) スモンをスローウイルス感染症と考えることはできない。

スローウイルス感染症は潜伏期が二年程度のものがあり、潜伏期の長いこと及び炎症反応を欠くことがその特徴である。スモンにも炎症反応がないこと、感染症を疑わす疫学的事実があったことなどから甲野は一時スローウイルス感染症を想定して、スモン患者の脊髄や脳を霊長類に接種して一年間観察したが何ごとも起こらなかった。さらにアメリカのNIHに委託してチンパンジーに接種したが三年間にわたって何の症状も現われなかった。

又スモンが感染症であると仮定して算定された潜伏期が例えば岡山地方では二・五か月であるがこの点もスローウイルスとは非常に異る。

なおスローウイルス感染症は炎症反応が最少限にとどまり変性病変が前景に立つが、それにしてもスモンのあまりに左右対称的な索変性はウイルスによる中枢神経系の一次的侵襲としては理解し難い。

以上のことからスモンはスローウイルス感染症とは考えにくい。

(4) コッホやヒューブナの条件を満たすためには最終的には何人にも追試されそのウイルスが容認されることが必要であるが、それがされていない。

三 白木の意見

甲三九九号証、丁一〇号証によれば次のとおり認められる。

白木は昭和四七年三月のスモン協総会におけるスモンの病理に関する報告の中で次のように述べている。

井上agentによる脊髄病変は頸髄ゴル索の一部にみられる例もあるが主要なものは錐体路に連続性にみられるものであり、そこは髄鞘の染りが悪く、軸索は比較的よく残っているが、ヒトや犬にみられた著明な病変を見出すことは困難であった。またグリヤ、間葉系の細胞反応は全く生じてなく病変とは言えない。

したがって井上agentはスモンとの関連でその意義は認められなくはないが、現段階において神経病理学の立場からみるかぎりキノホルムとスモンとの密接な関係に匹敵し得る程の成果はまだ得られていないと結論できる。

第五井上ウイルス説のまとめ

以上みてきた如く井上ウイルスの組織培養法による分離の追試は、一部の井上ウイルス説の支持者を除いて成功したものはなく、電顕的観察も否定例が多い。動物発症実験では、マウスそれもC57BL/6系の哺乳マウスに限り(成熟マウスは免疫抑制処置などを施したもの)また後肢の麻痺という臨床症状に限ってスモン様症状が再現されたに過ぎず、病理所見は白木らの観察によるとスモンの特徴である脊髄の知覚路の変性ではなく、運動路にある程度連続性の不染性の領域がみられた(甲三九九号証)というにあり、キノホルムの投与実験における動物の種類、臨床・病理面の類似性に比べるべくもない。

さらに疫学的にみてウイルス説はキノホルム説と同様①何故日本のみに多発したのか、②何故昭和三〇年頃に新たに出現したのかなどの疑問点に対して答えるべきであるが、キノホルム説からは一応合理的説明がされているのに対しウイルス説からは納得のいく説明がなされていない。また昭和四五年九月以降のスモンの激減は、前示甲野の批判にあるようにウイルス説における重大な問題点であろう。小児に少く中年女性に多い点もウイルス説からは説明しがたい現象といわねばならない。加えて甲野は、家族内発生は全国調査では一〇五名(三%)に過ぎず、ポリオや日本脳炎とは非常に異ると述べている(丁一一六号証の四)のであってウイルス説は右のとおりスモンの疫学的現象を合理的に説明しているとはいい難い。

臨床、病理面においてもスモンは発熱を欠くことが多いこと、血液像、髄液所見に特記すべきものがないこと、変性が主病変で炎症反応を欠くこと(スモンがスローウイルス感染症と考えにくいことは甲野の指摘するとおりである。)病理学的に代謝障害性又は中毒性のものと考えられていることなどの点で井上ウイルス説は疑問を差しはさむ余地が大いにあるというべきである。

そして井上ウイルス説はごく一部の研究者が支持するに過ぎず、当該専門分野では孤立した学説であるといってよい。無論科学的真理は多数決で決まる性質のものではないが、右のように少数説である理由は、多くの研究者によりその追試がなされたのにもかかわらず、肯定する成績が得られずむしろ井上ウイルスの存在さえにも疑問が投げかけられる実験結果が存すること、疫学的、臨床的、病理学的にみても矛盾点が多いとされていることなどにあるとみられる。

当裁判所も以上のごとく井上ウィルスの追試に否定例が多く、動物接種実験でもスモン症状の再現に成功しているとはいえず、井上ウイルス説はウイルス学会など当該専門分野で普遍性をもつものとして承認されている説ではないこと、井上ウイルス説はスモンの疫学的現象を合理的に説明しているとはいい難く、スモンの臨床、病理面においても研究成果と矛盾する点があることなどに鑑み、スモンの病因としてこれを採用することはできないと考える。

第三節スモンの病因についての判断

以上の次第でスモンの病因としてキノホルム説は疫学的にみて発症に対するキ剤投与の先行性、地域的、時間的な関連性、医学理論との整合性、量と反応の関係の存在などの条件をすべて満たしており、疫学的調査研究からキノホルムとスモンとの因果関係はかなり高い確率で推定されているばかりでなく、さらに動物を用いた投与実験でもスモン様症状及び病理変化の再現によく成功しており、発症機序に関する研究も進展してかなりの程度解明されているのであって、日本におけるスモンの研究者の間において殆んど定説といえる程の地位を占めていると認められる。一方被告田辺の主張する井上ウイルス説は前叙のとおりであって到底これを採用できない。以上のことから当裁判所はスモンの病因はキノホルムであると認める。

なおキノホルム説論者の中にもスモンの概念をめぐって多少の見解の相違がみられる。

すなわち前叙のキノホルム非服用スモンに関して、調査の精度を完全にし、かつ誤診の可能性をすべて排除してなおキノホルム非服用スモン患者がいた場合これをどう解釈するかの問題である。これに対する見解としてはスモンすなわちキノホルム中毒と解してこれをスモンの概念からはずす立場と、例外的にキノホルム非服用スモンを認めてこの原因は別に追求する立場の二つがあるようである。

この問題は椿、井形らが指摘するように(丙第一〇号証、甲第二〇七号証二三一頁)、スモンが原因不明の時期から「臨床的ならびに病理学的に一定の所見を有する疾患単位」として取り扱われ、スモン協の診断指針もキノホルム説が登場する以前に設定されたため、臨床症状のみからスモンの輪廓を示したにとどまり、病因的な因子は含まれていないというスモンの診断、研究の歴史的沿革が影響しているように思われる。(したがって前記診断指針に合致するものをすべてスモンとする立場、すなわちスモンは一つの症候群でキノホルム中毒はその大きな原因であるという立場もある、前掲甲第二〇七号証二三一頁)

いずれにしろ本件訴訟においては原告らはすべてキノホルムの服用があると主張立証しキノホルム中毒としてのスモンに罹患したとしているので、この点については右の問題があることを指摘するにとどめる。

第三章被告らの責任

第一節被告製薬会社らの責任

被告製薬会社らが被告国の許可、承認を得て事実摘示欄別紙(二)どおりのキ剤製品を製造、輸入、販売したことは当事者間に争いがなく、原告ら(死亡者の場合はその被相続人をいう、以下同じ)がこのキ剤製品を投与され又は薬局よりキ剤製品を買入れて用い、スモンの発症となったことは後に第四章各論で認定するとおりである。

第一医薬品の性質と製造、輸入業者らの注意義務

甲二一五号証の一、二、甲二一七号証の一、二、乙三九号証、丁一一一号証によれば次のとおり認められる。

医薬品とは薬事法にもその定義が掲げられているように、人又は動物の疾病の診断、治療、予防に使用されることを目的としている物であって飲食物のように毎日の生命の維持、生理作用のため摂取するものとは異り、病理現象即ち疾病の対策として投与される特別な異物である。異物ではあるがそれが疾病の治療に役立つので(疾病の治療といっても人間は自然治癒力をもっているのでそれを助長するのが医薬品だという)医薬品といわれるのであるが、漢方薬、生薬として用いられているものの多くは自然の動植物類等から採ったもので、人類が食物の適否を知っているのと同じく、人類多年の経験からその有効性を判定して用いて来たものが多いのに反し、西洋医学治療法の一大中心をなす化学物質の医薬品は人類多年の経験によって判定したものではなく、産業革命以後に於てコールタール、石油その他の原料より作られた合成品で、化学上の思考の所産であって、医薬品が生体特に人体のような複雑なものに投与された場合、外部からは見えない内部に入りどういう変化、作用を起すか判らぬ未知の部分が極めて多いものである。即ち医薬品は生体内に入った場合、無機物であるから生体側の希望する役割だけを果してくれるとは限らず、生体内各部に作用し、投与されて後薬そのものが起す意外な作用、薬が体内で他のものと合体等して変化して起す意外な作用、薬のために生体で起った変化(抗体の発生、腎臓、肝臓の抵抗作用等)のため起す作用のあることを免れない性質をもっている。これを主作用に対する副作用とか反作用というのであるが、毒にも薬にもならぬという俗言があるように薬理効果の弱い薬品は反作用は少いが逆に薬理効果の強いものは反作用も強く、分析技術と合成技術発達のため今日の合成化学薬品はその薬理作用が強いのが一つの特徴であるといわれ、そこからペニシリンのショック死、ストマイによる難聴、サリドマイドによる奇形児出生のような思いがけない重篤な結果を生んでいる。

そこから選択毒性という言葉があって生体側の希望する作用のみをよく果し反作用の少いものを優秀な医薬品ということになり、人間はそれを発見し作ることに苦労しているが、そんな都合のよいものが常に数多く得られるわけはないから反作用とのバランスを考え、反作用が強ければいかに有効な面があってもそれを医薬品として用いないとか(そうなればむしろ危険、有害な毒物に過ぎない)、反作用があることが判っていても他によりよき方法がなくやむを得ずこれを用うる場合は、安全を期すため用法、用量、投与期間に工夫を加え必要最少限度の使用に止めねばならない。即ち薬は適所に適時に適量を用いねばならないものである。医薬品が両刃の剣といわれる所以であり有用性のある医薬品とは有効性と反作用のバランスを考えて尚且つ用いた方がよいとか用いねばならぬ場合をいうといえる。丁七四号証によって認められる昭和四八年四月一〇日の厚生省薬務局製薬第二課長の「医薬品再評価における評価判定の改正等について」という通知もそのことをいっている。

一方医薬品の被提供者は貴重な人間の生命、健康保全のため医薬品に頼るのであるが、使用前に当該医薬品のもつ性質を検討する機会、能力経験はないかあっても少く、能書や宣伝を信じてこれを用うる以外に方法のない状態にあり本件スモン患者の例が示しているように事前にその重大な反作用を知ることは不可能である。

しかして被告製薬会社らは企業として医薬品を製造、輸入、販売することで利潤をあげようとするのであり医薬品のもつ前記のような性質を十分に知りかつ知らねばならぬものであるから、その製造、輸入、販売に当っては医薬品と称して却って有害品を提供し不幸な結果を招くことのないよう提供の当初即ち製造に際し、当時の最高の学問水準、知見で当該物質の性質を十分見極める必要のあることは勿論、動物、試験管、臨床その他による十分な実験、研究を行い危険性の有無を確認し、危険があると思えば製造してはならず、一旦製造販売を開姶した後であっても常に前記と同じ方法でこれを追跡調査し人体に対する障害の発生を未然に防止すべき注意義務のあることは薬事法等の法規の予定するところであることは勿論、そうした法規を俟たずとも条理上求められる医薬品製造業者らの当然の基本的義務であるから、この義務に違反すれば不法行為を構成するといわなければならない。注意義務について以上の見解に反する主張は採用できない。

第二予見の範囲と基準時

一 原告らは被告らの過失による不法行為を理由として本件損害賠償を請求しているものであるから被告らに過失ありというためには被告らに於て損害の発生を予見し、その結果の発生を未然に防止しうるのにこれを怠ったものでなければならないが、その予見の範囲、対象はキノホルムによるスモンそのものあるいはスモン様症状という必要はなくキノホルムの本質、キノホルムと類似、類縁化合物の性質、作用からの類推、動物実験、試験管試験、臨床治験例の報告、研究等から人間にキノホルムを投与せば、通常、医薬品がもっている、人間が耐えられる程度の軽微な副作用以上に人間の神経を侵し障害を起す可能性を予見できれば足りるといわなければならない。被告らは予見の範囲をなるべく狭いものとして主張しているが過失の性質を考えれば右の判断に反するものは採用できない。

二 本件原告らに投与されたキ剤製品はさきに説明したごとく被告チバ、武田のビオホルム、メキサホルムと同田辺のエマホルムに大別され、一番先に製造許可を得たのは昭和二八年六月三〇日の被告武田のエンテロビオホルムチバと同三一年一月一七日の被告田辺のエマホルム錠であり、本件原告らの中一番早期に投与を受けたのは第四章で認定するごとく、原告田口八七子の昭和三五年一一月のエマホルムと原告青木恵美子の昭和三六年七月のエンテロビオホルムであるからこれらの製品が製造販売されたのはこれより一年前位と推定できる。従って昭和三五年初頃の時点で予見可能性が肯定されるならその後にキ剤製品の投与を受けて発症した者の場合も全て予見可能性が肯定されるとみてよい。

第三キノホルムの歴史、実体

キノホルムの化学構造等については第一章第二節で既に述べた外甲二四四号証の一、二、甲二一七号証の一、二、甲二八六号証の一、二、甲二二一ないし甲二二三号証、甲三〇三号証の一、二、三、甲二三〇号証、丙一四、一七号証、丁八四号証、丁一八四ないし一八六号証、によれば次のとおり認められる。

一 キナノキ又はキナ皮から採れるキニーネは人体の細胞に対する麻酔作用をもちマラリアの特効薬として用いられ、知覚運動の両線維中枢神経、末梢神経を侵すものであることはつとに知られており、今から約一世紀前にドナスDonathは実験によってキニーネのこの作用はキノリンに由来することを確かめた。

二 明治一三年(一八八〇年)頃スクラウプがアニリン、ニトロベンゾール、グリセリン及び硫酸の混合物を一四〇度C~一五〇度Cに加熱する方法でキノリンを合成した。その頃アロイス・ビアスとスターフ・ロイマンが体重一・〇五ないし一・四kgの家兎に〇・一ないし〇・六gのキノリンを投与する実験を屡々行い、それが体温の低下即ち解熱に役立つことを確かめた。そのうち体重一・〇五kgで〇・二gのキノリンを皮下注射された家兎は三八・四度Cあった体温が一五分後に三七・六度Cとなり、呼吸著しく速迫、立っておれずに倒れ、四肢は完全に麻痺し反射運動が消失し一時間後には体温は三四・五度Cに低下し呼吸数は三六となった。二時間後にはかなり回復したが翌日は甚しい疲労を示し呼吸数は急増し体温は三二・二度C迄下り突如間代性けいれんを起し口から多量の泡を含んだ粘液を出し甲高い鳴声を上げて死亡した。剖検の結果気管に液が充満し急性肺気腫が確認されるというキノリンの強い劇性、毒性を証明する実験結果を得て誌上に発表した。

三 キノリン核の八位に水酸基が置換されたものが8ヒドロキシキノリンである。

四 元素周期率表で第七族に属する弗素、塩素、臭素、沃素と化合した(これをハロゲン化という)フェノール、例えばパラクロロフェノールがフェノールよりも強い抗菌作用を有することは既に知られていたのでその原理がヒドロキシキノリンに適用され、フェノール環がハロゲン化された誘導体が幾つか合成されたが、このような誘導体の一つがキ剤即ち5クロロ7ヨード8ヒドロキシキノリンである。ヒドロオキシキノリンを単にオキシキノリンと呼ぶ場合もある。

五 キノリンはアニリンとグリセリンを酸化剤の存在で縮合(重合ともいう)させて作られ、ベンゼンとピリジンを縮合することでも作られる。キノリンは典型的な芳香族化合物の一種であり、芳香族化合物が生体の基礎たる細胞内の原形質を死滅させる作用と高等動物の神経系に特異の作用を呈することがあることは古くから知られている。

六 高瀬豊吉はその著「化学構造ト生理作用」(大正一四年初版昭和一六年改訂新版九版、甲二三〇号証)に於て「キノリンはピリジンとベンゼン核が縮合せるもので、其薬物学的作用もピリジン、ベンゼンと同様の作用を有している。元来ピリジンとベンゼンとは作用が類似し、両者共初め中枢神経を刺戟しかつ反射機能の亢進を来すも後麻痺を来す、末梢神経も亦麻痺せらる。キノリンも同様に中枢神経を刺戟し後麻痺する。殊に延髄に於て明らかであり、そのために呼吸及び血圧をはじめ亢進し後抑制する、但しピリジン、ベンゼンと異る点は知覚末梢神経に作用せぬことと血色素に対して強く障碍を与えることである。」といい、キノリンは防腐作用強く殺菌力を有し又解熱作用を有し臨床上用いらるゝに至ったが、その酒石酸塩の二gを日に二、三回与えても著しい効果がなく嘔気、嘔吐等の望ましからざる副作用がある故に今は使用されぬといっている。又キノリンには肝臓毒があるという別の報告もある。

七 ベンゼン、ピリジンが全身麻酔作用、全身毒作用をもちキノリンにも麻痺作用、神経毒作用があることは薬理学の大抵の教科書に書いてあり、遠く明治二〇年代に出された青木純造ら纂訳の「改訂増補新薬纂論」(甲二二一号証)竹中成憲らの「薬物学提綱」(甲二二二号証)にもそのことが述べられ、後者では「キノリンは防腐解熱の効あるも有害なる副作用あるを以て近時使用するもの少し」といっている。

八 キノホルムの化学方程式はC9H5ONClJ分子量は三〇五・五、沃素三八~四一・五%、塩素一一・四~一二・二%を含んでいる。

九 キノホルムは以上のような作用のため当初外用の消毒剤として用いられ、スイスのバーゼル化学工業会社が明治三三年(一九〇〇年)頃からビオホルムと称して製造発売を開始した。

一〇 その後感染症に対する化学療法の時代が始まり大正一〇年(一九二一年)ヤトレン(スルホン酸ヨード8ヒドロキシキノリン)がアメーバ赤痢の治療に用いられ始め、その翌年の昭和五年(一九三〇年)頃からアメリカのA・C・リードの発案で、同人とデービッド、コッホらがヤトレンより更に強薬理作用即ち強い劇性をもつキ剤を殺アメーバ原虫に用いる研究を始め、キノホルムを内用の殺アメーバ剤に使うことを提唱したため世界各国に宣伝され用いられるようになった。但しデービッドらは一回〇・二五g一日〇・七五gを一〇日間投与して効果がなければ十日間の休薬期間をおきもう一度同じ投与を行うという制限を忘れなかった。

一一 キノホルムはその後更にトリコモナス膣炎に用いられ、北欧に多い腸性末端皮膚炎の治療にも効くことが判り用いられるようになった。

一二 キノリンやキノホルム自体が合成化学品であって化学構造式が明瞭であるからその中のある分子を他のものと替えたり取り去ったり加えたりして極めて多種多様な化学物質が作られたが、8ヒドロキシキノリンをハロゲン化したものにはキノホルムの外にジョードキン、ブロキシキノリン、キニオフォン、ステロサン等がありハロゲン物質以外のものとキノリンとの化合物質にはクロロキン、プラズモシド、プリマキン、パマキン、プラズモキンスルファ等がありキノリン誘導体、8ヒドロキシキノリン誘導体、アミノキノリン誘導体等と呼ばれ、これらは皆神経毒性をもっていると考えてよい。

一三 このように多くの化学物質即ち化学薬剤が作られたのは西欧における産業革命以来の化学工業発達の結果であるが、それはその頃から西欧人の植民地進出が多くなったことと戦争で南方の熱帯地域へ出て行くと罹患することの多いマラリヤ、アメーバ赤痢等を征服するためであった。キノホルムの応用もその一環であった。下痢の治療とか整腸剤を目的に開発されたものではない。

一四 キノホルムの毒性、殺原虫、殺菌作用がキノリン核に由来するかそれともヨー素に由来するか(デービッド)、側鎖に由来するか(リヒター)、キレート作用に由来するか等については争いがありまだ不明の分野が多いがキノホルム自体が神経毒性、神経親和性をもっているとみることに渝りはない。

一五 以上のごとくキノホルムはキノリン核をハロゲン化したもの即ち沃素、塩素を加えてその作用を強めたものであるから中枢神経を侵し神経毒作用をもつことはむしろ当然と考えられる。キノホルムの毒性はキノリン核が示す神経毒とは異りキノリン核自体から来るのでなく別のものであるという趣旨の佐々木直らの考え方は採用できない。

第四外国特にアメリカにおけるキノホルムの取扱い

甲七〇、七一、七二、七六、七七、三六六号証、甲三五五号証の一、二、三、甲三七五号証の一、二、甲一六二ないし一六八号証、甲一七三、一七四、一七六、一七八、一八二、一八九号証、甲一九二号証の一、甲一九四号証、丁二五、二六、二七、三四号証、戊一五八、一五九号証によれば次のとおり認められる。

一 薬局方というのは何が医薬品で、その医薬品とはいかなる成分、純度をもつべきかを説明した書物で中国でも昔からあったといわれているが、国家が現在のような薬局方を制定したのは明治五年(一八七二年)のデンマーク薬局方が最初といわれ、今日では世界の主要国約三五ヶ国が薬局方を制定している。

二 その中デンマーク、英国、米国、スイス薬局方が世界の主な薬局方といわれているが、この中で戦前よりキノホルムを収載していたのはスイス薬局方のみで、而も同薬局方はこれを劇薬(セパランダ、区別して取扱うという意味であるが丁一三九号証の一によると強く作用する薬品とあるから劇薬と訳しても間違いとはいえない)として収載し英国は昭和四三年(一九六八年)迄収載しなかった。

三 ドイツ薬局方は昭和二年(一九二六年)以来キノホルムを収載せず、同国薬剤師団がこれを局方外薬品となし一回の極量〇・三g一日の極量を一gと説明し、昭和二八年になってドイツ薬局方出版社がキノホルムをドイツ薬局方の補遺即ちドイツ薬局方第六版に収載されていない医薬品の中に加え用心して保管せよ(劇薬と同意と解される)極量は一回〇・三g一日一gと説明した(甲七二号証)。オーストリー薬局方は昭和三五年(一九六〇年)キノホルムを劇薬に指定し常用量を一日〇・二五g、一回の極量を〇・七五g、一日の極量を二gとしていた(甲七六号証)。

四 世界の統一的な国際薬局方は昭和二六年(一九五一年)に第一版第一巻が仏文と英文で発行され、わが国の薬局方も昭和三六年の第七改正薬局方以来、収載品の九〇%を右の国際薬局方に依存しているが、国際薬局方はキノヨジンは収載しているがキノホルムは収載していない。

五 アメリカでは昭和二二年(一九四七年)の国民医薬品集第八版がキノホルムを平均用量〇・二五gとして収載したことがあるが、同国薬局方に収載されたのは昭和二五年(一九五〇年)の第一四版が最初で常用量を一日〇・七五g(約一二錠)と記し、その注釈書はキノホルムは主にアメーバ赤痢に用いられるとした。

六 昭和三〇年(一九五五年)以降の米国薬局方はカテゴリー(効能範囲)の記載を始めたが、キノホルムのカテゴリーは抗原虫剤、局所抗感染症(腟管)とし用量は経口で〇・二五g、一日三回一〇日間とし、昭和三五年(一九六〇年)版はカテゴリーを抗アメーバ剤のみとし、昭和四〇年(一九六五年)版はキノホルムの錠剤、粉末収載を取やめ、局所抗感染症に対するクリーム、軟膏、坐薬のみを収載した。

七 米国では毎年P・D・Rと称し医薬品の製造業者が提供した情報を医学ディレクター、医学コンサルタントが編集、校閲して出版するものがあるが、チバのビオホルムにつき昭和二二年(一九四七年)から同三一年迄(一九五六年)の分は内用の適応症としてアメーバ赤痢、一日一錠づつ三回(後に一日二~四錠)一週間の休薬期間をおいて一〇日間づつ二回としてあったが、昭和三二年(一九五七年)版は適応症として単純感染下痢の予防の治療として一日一ないし三錠を四回と記し、昭和三三年(一九五八年)版は単純な伝染性下痢の治療と球菌、腸アメーバ群、赤痢グループに対する殺菌作用とアメーバ赤痢に必要、吸収は僅かで血中ヨードの濃度はほんの短期間のみ存在するので悪作用の危険性最少にて連続投与しうるとした。しかしこれが後記のようにFDA当局の注目するところとなり警告され、昭和三七年(一九六二年)版から適応症としてアメーバ赤痢、投与は一日三回、二ないし三錠づつを一〇日間とし、昭和四四年(一九六九年)版は適応症としてアメーバ赤痢、アメーバ性疾患による腸けいれん腹痛とし、禁忌としてヨードに対し特異体質と判っている患者には投与してならない、皮膚に発疹が現われたら治療を中止せよとした。又昭和四六年(一九七一年)版はその補遺版でエンテロビオホルムにつき完全改訂を行い、エンテロビオホルムは「(指示)腸アメーバ症の治療のため、(禁忌)あらゆる8ヒドキシキノリン又はヨード含有化合物に対し過敏症を有する者、(警告)視神経炎、視力減退、末梢神経炎がエンテロビオホルムを含むヒドロキシキノリン類の長期大量療法に伴い報告されている。この薬剤の長期使用はさけねばならない。姙婦又は授乳中における安全な使用は確立されていない」とした。

八 以上の事実によると従来より世界主要国の薬局方はキノホルムの収載に慎重であり、収載するとしてもこれを劇薬とし常用量を一日〇・七五g以下、極量を一gとしていることが認められ、僅かにオーストリー薬局方が一日の極量を二gとしているのが見られるに過ぎない。

第五アメリカFDAのチバ社に対する警告

甲二七九ないし二八三号証、乙二九号証の一、二、乙三〇号証の一ないし一〇、乙三一号証、乙三二号証の一ないし七、乙三三号証の一、二によると次のとおり認められる。

昭和二九年(一九五四年)以降ワシントにあるアメリカのFDA(食品医薬品局)の係官とアメリカニュージャージーにあるチバ製薬会社との間で次のような書簡の交換がなされた。

一 昭和二九年(一九五四年)六月二四日、FDAはチバ製薬会社に対し「医学顧問団は下痢は細菌感染を伴わず、無分別な飲食に起因する可能性があると指摘しており、ビオホルムは微生物によらない単純下痢には多分効果がないから単純下痢に広く有効なような表示をしてあることの妥当性を疑う、他の表示を喜ぶ」との書簡を送った。

二 これに対し同年七月七日チバ社は「ビオホルムは多分微生物に起因しない下痢には効果がないが通常単純性下痢と呼ばれているものの原因は一般に知られておらず、発見されていない。チバ社の表示がすべての下痢症状に有効であることを意味しているのでこれを単純感染症下痢のため、普通の感染性の下痢、感染性起源の中のどれかにとりかえたい」と回答したのでFDAは同年九月一日これを諒承する旨返答した。

三 昭和三〇年(一九五五年)六月三日FDAはチバ社に対し「単純性下痢と呼ばれているものの大部分は感染性によるものだというチバ社の意見には注目せざるを得ず、ビオホルム錠を感染に起因する単純性下痢の治療用商品として推せんすることに疑問を生じている」と申入れたが、同年六月一五日チバ社は「単純下痢と呼ばれているものの大部分は感染に起因するものだというのは最近の医科大学の教育(少くともこの分野における)にもとづいている、大部分の学生は汚染のない食料品で胃腸を害することはないと教えられている」と回答した。

四 昭和三五年(一九六〇年)八月一一日FDAはチバ社に対し「医学顧問団がキノホルムの製剤の現状について一層の考察を行った結果キノホルムはアメーバー症のような重篤な症状用の要処方箋薬として販売すべきものである。下痢の治療には他の簡単な薬品の利用が可能であり、単純な下痢のためにキ剤が利用さるべき確たる理由はない」と申入れた。

五 昭和三六年(一九六一年)三月一四日FDAはチバ社に対し「単純感染性下痢というのは余りに広い概念で雑品入れという感じがする。又エンテロビオホルムが乳幼児の感染性下痢に使用されることを心配する。小児科の領域では感染性下痢のどの型も重症であり、ビオホルムを用いることを承認されたり受入れられていない状態の一つである。同剤はアメーバ赤痢の治療に有効なことは承認されている。これが能書にある疾病のみに提供されることを勧告する。」と申入れたところ同年八月二二日チバ社はFDAに対し「エンテロビオホルムがアメーバ赤痢にのみ提供さるべきであるとの勧告に完全な同意はしないがそれに同意する。今後は成人平均用量二~三錠、一日三回一〇日間と読めるラベルを印刷中である」と回答した。

六 FDAは昭和四五年(一九七〇年)WHOを通じ日本からのスモンの報告とキノホルムの毒性に関する文献を検討し、その翌年チバ社に対し神経毒性に関する報告を含めラベルの改訂を勧告した。チバ社はラベルを改訂した。

七 昭和四七年(一九七二年)、チバガイギー社はエンテロビオホルムの米国内の販売を中止した。

八 以上によれば慧眼をもつアメリカのFDA当局はつとにアメリカのチバ社に対しキノホルムはアメーバー赤痢のような感染症の薬品であって細菌感染と関係のない下痢のようなものに投与されないよう宣伝の自粛を申入れ、最後はアメーバ症のような重篤のものに限り要指示薬として販売せよと勧告していたのであるから、アメリカのチバ社と同じくスイスのチバ社の子会社である被告チバ社にこのことが伝えられなかった筈がないのに被告チバ社は平然として日本で下痢、整腸剤としてキ剤の大量販売を続けていたことになる。FDAが昭和二九年以来右のように執拗にチバ社に対しキ剤をアメーバ赤痢以外に用うることに疑問を表明していたのはスモンの発症を予見していたという証拠はないが、かなりの危惧を抱いていたと推察できる。毒にも薬にもならぬ偽薬の類を含む程度ならこうまで執拗に勧告を続けたとは思えないからである。チバ社程の大企業はこのような警告があったらキ剤の本質を再考し対処するのが当然であったといわねばならず、そうすれば今日のごとき大量のスモン患者の発生を未然に防止できたといえる。遺憾としかいいようがない。

第六吸収代謝等について

甲二一七号証の一、二、三、乙六号証の一、二、三、丁二三五号証によれば次のとおり認められる。

一 医薬品の安全性を考える場合それが吸収されるのかどうか、吸収されるならどの程度か、どこの部分に分布しどの位の速さで代謝されていくかということは大事な指標であるから吸収の有無を確かめることが大事である。

二 従前キノホルムは腸管から吸収されても僅かで害がないというようなことがいわれていた。例えば昭和四四年(一九六八年)三月三〇日のランセット七五四号は「キ剤が無毒であるという信念は摂取された量の大部分は恐らく吸収されることなく腸管を通過するという示唆によって支えられていた」と書いているがごときであり被告製薬会社らもそういう趣旨の宣伝をなしていた。昭和四一年(一九六六年)一月一日号のランセット(丁二三五号証)にも同趣旨の記載があり、厚生省薬務局推薦の第七改正日本薬局方第一部解説書(乙六号証の一、二、三)でさえ同趣旨の解説を行っていた。

三 吸収するということは服用されたものが血管の穴から生体の組織に出て行くということでこの穴は三〇オングストローム程度の穴であり、分子量が六万を超すとこの穴を通ることが困難であるが普通の医薬品の分子量は二〇〇~八〇〇程度でありキノホルムの分子量は三〇五・五一であるから通過できる。

四 しかし血管から組織内に出てゆくのは蛋白と結合していないものであるところキノホルムは約九〇%が蛋白と結合しているから、出て行くものは一〇%程度であるが、血漿蛋白と結合しているキノホルムの量と、血漿中に遊離しているキノホルムの量の比例はいつも同じなので血管から遊離型の分が(分子量の低いもの)が外へ出てゆけば蛋白と結合していたキノホルムが蛋白から外れて遊離型になって補充され、それが又外へ出てゆくのでたえず出てゆくこととなる。

五 蛋白との結合率の高い薬剤を大量投与すると薬物と結合する側の蛋白の量が限られているので、血液中の遊離型が増える。

六 キノホルムはイオン化型で非イオン化型のものより吸収速度がおそいが膜を通して出て行ったあとの比率はいつも同じである。イオン型でも脂溶性の高いものは透過性が高い。

七 戦後製剤技術が進化し微粒子となる度が高まったので吸収を一層よくした。

八 以上のように認められ、投与されたキノホルムは腸管を通して吸収されるものであって、吸収されないというのは誰がいい出したのか判らないが、全くの誤りであることは以上の外キノホルムをアメーバ赤痢に用いて有効なことを説いたデービッドがその研究「ヨードクロールオキシキノリン(ビオホルムN・N・R)によるアメーバ治療」(丙一七号証)の中でキノホルムは腸管から一部吸収されると述べている外、キノホルム又はその類縁化合物が生体内に吸収されることを人間や動物実験で示した文献がスモン調査研究協議会の研究結果にあること勿論であるが、それ以前から次の文献が報告していた。

1 甲七八号証丁二二一号証

A・パルムの「キノリン誘導体に関する研究第一〇報」

昭和七年(一九三二年)アルヒフ、フュル エクスペリメンテレ パトロギィ ウント ファーマコロギー一六六巻

本報告は兎に投与された、ジョードキノリン製剤とハロゲンを含んだナキシキノリンは吸収され尿中にグルクロン酸及び硫酸と結合した形で排泄されると述べている。

2 甲七九号証、丁二二七号証

A・Aナイトらの「人におけるアナヨジン、キニオフォン、ジョードキン、ビオホルムのヨー素吸収に関する比較研究」

昭和二四年(一九四九年)アナルスオブインターナルメディシン

本報告は次のように述べている。

(1) アメーバー症の治療を受けた三六人の血中ヨー素の研究が行われ八人にはアナヨジンが、七人にはキニオフォンが、八人にはビオホルムが、一三人にはジョードキンが投与され、その測定は誤差を少くするため二回づつ二八〇回の測定がなされた。

(2) アメーバ撲滅剤として人に投与されたこれらのオキシキノリンはすべてある程度吸収され血中ヨー素として測定された。

(3) 投与されたヨー素は、ミリグラム当りにすればビナホルムが一番よく吸収されついでジョードキンであり、アナヨジンとキニオフォンは最低であった。

(4) 推奨されている治療量を投与した際にはジョードキンが最高の血中ヨー素濃度を示しビオホルムがその次で、アナヨジンとキニオフォンが最低であった。

(5) これらの薬剤は投与七日以降ではこれ以上の血中ヨー素濃度の上昇はなく、その後の吸収や毒性に於て累積的傾向はみられなかった。

(6) 治療効果が血中に吸収されたヨー素濃度によっているとすればその有効性はジョードキン、ビオホルム、アナヨジン、キニオフォンの順である。

(7) 腸管以外の場所でのアメーバー赤痢菌に対するこれらの薬剤の効果は疑問である。

3 甲八〇号証、丁二二九号証の一、戊三三一号証

ハスキンスらの「家兎に投与したビオホルムとジョードキンの尿中排泄の研究」昭和二八年(一九五三年)

本報告は次のように述べている。

(1) 体重二~三kgの家兎を二重の仕切床のついたかごに入れ糞便の混入なしに尿を採集できるようにし、ビオホルムとジョードキンを一日一回五日間投与しその間とつづく二日間尿を採集して検査した。

(2) 一日の投与量はビオホルムは二〇mg/kgと二〇〇~二六八mg/kgでありジョードキンは二〇mg/kgと一〇〇~一三九mg/kgであった。

(3) ビオホルムの場合二〇〇mg/kg投与で、薬剤の一二~一五%が尿中に排泄され、二〇mg/kgでは三八~五〇%であった。ジョードキンの場合は二〇mg/kgも一〇〇~一三九mg/kg投与群もともに一一~一六%の排泄であった。

(4) ビオホルムの場合、投与量が少い時の方が著明に尿中排泄率が高くなるのは薬剤の腸内容物への溶解度が比較的低いため、大量投与では薬剤のかなりの部分が糞便として排泄されるからであると説明できるであろう。ジョードキンでは投与量によって排泄量に差がないのは、ジョードキンがビオホルムより溶媒にはるかに溶解しがたいからである。薬剤の量が二〇mg/kgでさえ飽和量を超えているから固形量の増加は溶解状態における濃度を増加させることができず、組織で吸収されるのにはさらに他の物質の利用が必要だからであろう。

4 丁一四七号証

レナルト・ベルグレンらの「8―ヒドロキシキノリン類から誘導された腸内消毒剤の吸収」

昭和四三年(一九六八年)三月クリニカルファーマコロジーアンドセラピューティクス第九巻第一号

これはジョード8ヒドロキシキノリンら数種のハロゲン化8ヒドロキシキノリン類を三名の正常な小児と五才の腸性末端皮膚炎患者及び四七才の結腸炎の婦人に投与して行った実験結果の報告であるが、これらの場合各種のハロゲン化キノリン類の経口投与した少量のうちのかなりの量が吸収されると断定できよう。グルクロン酸抱合体のほかハロゲン化8ヒドロキシキノリン類は又硫酸抱合体としても排泄される。従って総抱合体排泄はおそらく本報告で示した値より高いであろう。一回少量経口投与後にキノリンの遊離型を検出することはできなかったが大量では遊離型も認め得る。最近の報告は8ヒドロキシキノリン類の大量の長期投与は視神経萎縮を起す疑があることを示した。体内での8ヒドロキシキノリン類の運命についてはほとんど知られていない。同じ基本分子はクロロキンのような4アミノキノリン類にもある。これらの化合物は容易に吸収され、色素を含む組織並に肝臓、脾臓中で濃縮される。8ヒドロキシキノリン類の分布像はまだ不明である。しかしこれらの化合物の腸管からの吸収及び可能性のある慢性毒性はこれらの化合物の不注意な無制禦な使用に対する警告として役立つであろう、と述べている。

九 以上によれば投与されたキノホルムが腸管から吸収されることは明らかでありこれがスモンの原因となったことは否めない。又これらの文献があることはこのことにつき基準時以降被告らに予見可能性のあったことを証明するに十分であるといわなければならない。

第七キノホルムとその類似化合物の毒性、危険性等を示す文献及びキノホルムがスモンの原因たり得ることを示す文献

キノホルムは合成の化学薬品であるからその性質、作用、薬理効果等は過去に出されている文献により探究することは避けられない。当事者双方から当裁判所に提出された文献は多数に上っているが、その中被告らに於てキノホルムのもたらす結果を予見することが可能であるための資料と考えられるものとキノホルムがスモンの原因たり得ることを示す文献の幾つかを掲げる。

一 キノリン及びキノホルムの類似化合物の研究に関するもの

キ剤の類似化合物としては大別してジョードキン、ブロキシキノリン、キニオフォン、ステロサンのようにキノリンのハロゲン化により作られたもの、ペンタキン、イソペンタキン、プリマキン、パマキン、プラズモシド、クロロキンのようにアミノキノリン誘導体として作られたものがあり、前者は主に抗アメーバー剤、後者は抗マラリア剤として開発されたものであるが、何れもキノリンを含んだ類似化合物であるからこれらの研究文献は当然キ剤の投与に当って参考とすべきものである。

1 丁一六四号証

ロルフストックマンの「キノリン、イソキノリン及び若干のそれらの誘導体の生理的作用」

明治二七年(一八九四年)ザ ジャーナル オブ フィジオロジィ一五巻武田研究部図書館蔵

本報告はキノリンとその誘導体をカエル、ウサギに投与した影響を述べその間に差のないことを次のように述べている。

キノリン、イソキノリン及びその誘導体には、構造はよく似ているがそれらの原子又は基が互に異った関係に置かれている多数の異性体のアルカロイドがある。数種の複合アルカロイド(例えばキニーネ、シンコニン、ストリキニン、モルヒネ)はキノリンから誘導される。最近他のもの(例えばベルベリン、ナルコチン、パパベリン及びヒドラスチン)がイソキノリンから誘導されることが証明されたので化学構造の僅かの差異が当該物質の生理的作用に何らか評価できる影響を及ぼすかどうかを確かめることは興味深い。イソキノリンとキノリンとの唯一の差異は窒素原子が違った位置を占めていることである。キノリンは強力な消毒剤、解熱剤であり、中枢神経を抑制する。キノリン、イソキノリンの酒石酸塩各二・五mgをカエルに投与したら脊髄の著明な抑制をおこすに十分であって、これは数時間後に回復した。更に大量投与すると脳と脊髄を抑制し極めて軽度の反射亢進がこれに続いた。心臓と運動神経は極めて大量でのみ影響される。

ウサギの皮下に与えたキノリン、イソキノリンの酒石酸塩三〇mgは呼吸を幾分緩徐にし通常体温の僅かな下降を来たした。しかし一~一・五gの投与は多少の虚脱、神経系の著明な抑制、体温の著しい下降をひきおこした。呼吸も心臓も甚しく緩徐になった。

私は質的にも量的にもキノリン、イソキノリンの作用に差異を発見できなかった。

キノリンメトアイオダイドとイソキノリンメトアイオダイドも生理作用が全く似ていることが認められた。これらの化合物は、もとの分子に単にヨウ化メチルを付加するだけで作られ、全てのこのような付加産物と同様、これらの化合物が誘導されたもとのアルカロイドと同じ作用を本質的に保有するが運動神経終末に対しはるかに強い麻痺作用をもっている。蛙では五mgで脊髄の著しい抑制が起り、反射亢進がこれに続く。さらに大量投与すると運動神経終末に対し多かれ少なかれ著明な麻痺作用を示し、これが外の症状をいくぶんかくす。兎では三〇~五〇mgで運動神経麻痺による死を来すが、可成りの全身虚脱、体温の下降がある。

又キナルジン、レピジン、α―γ―ジメチルキノリン、オルトルキノリン、及びパラトルキノリンを蛙と兎に投与しその生理作用を試験したがキナルジン酒石酸塩は少し弱いがキノリン又はイソキノリンとよく似た作用をもちジメチルキノリンは少し弱いので、キノリンでの水素原子のメチル基による置換は神経系に対する抑制作用を弱めるように思われるがその他の物質の作用は全ての点でキナルジンの作用と類似しているように思われた。

2 丁二八〇号証、甲二四七号証

シューベルの「ヤトレンの毒物学について」

大正一三年(一九二四年)クリニッシェヴォヘンシュリフト三巻八号

本報告は当時アメーバ赤痢に投与され始めたヤトレンの殺菌作用、毒性を見るため動物実験を行った報告で次のようにいっている。

(1) 5~8cmのウグイを濃度一〇〇〇分の四のヤトレン(5ヨード8オキシキノリン7スルホン酸)溶液に入れると〇・五分後に魚に強い興奮がおこり急速に麻痺し側位、背位に移行した。

(2) カエルの致死量は〇・二四g/kgで二日後に死亡し、更に大量を与えると二〇~二五分後に呼吸困難、呼吸停止、不穏、逃走企画、次第に増大する後肢麻痺、最後に半拡張での心臓停止をする。

(3) ハツカネズミの皮下注射致死量は〇・六三g/kgで、呼吸困難、運動失調、四肢の麻痺を示し剖検で脂肪化充血を伴う肝臓肥大、腎臓の混濁した腫張、内臓血管の著しい拡張、拡張期の心臓停止が証明された。

(4) 皮下注射致死量はネズミが〇・六g/kg、モルモットは〇・二g/kg、ウサギは〇・四~〇・六g/kg、ネコは〇・三六g/kgであった。

(5) ネコはヤトレンの経口摂取時に激しい下痢にかゝるがこれはヒトでも認められた。この場合尿は塩化第二鉄で緑色の反応を示す。腎臓だけでなく腸、皮膚、粘膜、肺もヤトレンの排泄臓器としてあげられている。

3 丁一八三号証の三、四

A・S・オービングらの(一)「三日熱マラリアの再発率減少効果を有する治療薬ペンタキン」(二)「クロロキンの毒性に関する研究」

昭和二二年(一九四七年一月、三月)シカゴ大学医学部マラリア調査部の臨床調査誌

(一)はペンタキンの効果、毒性について次のように述べている。

ペンタキンは今迄のところ、一連の抗マラリア剤の中最有望なものの一つである。中毒量はパマキン(プラズモキン)と同程度であるがほとんどの患者に於て軽度の副作用しか来さない用量で三日熱マラリアを根治する特性がある。哺乳動物に於てペンタキンは胃腸管から急速に吸収される。

実験動物に於けるペンタキンの毒性はパマキンと質的に似ている。急性と短期間の慢性毒性試験に於てペンタキンの毒性はパマキンの四分の一から二分の一である。犬にパマキンを大量投与すると強度の食慾不振、痩衰、視覚交感神経支配の中枢障害に基づく眼麻痺をきたす。猿に於てはパマキンの大量投与でペンタキンには見られない白血球減少、好中球減少、貧血、メトヘモグロビン血症、痩衰、うつ症状、肝障害がみられる。

(二)はオービングらがイリノイ州立刑務所の囚人志願者にクロロキンを一日〇・三gづつ七七日間と〇・五gづつを一週間投与した結果の報告であるが投与を受けた者には視力障害、頭痛、白髪の出現、体重減少等がみられたがクロロキンは勧告された用量に従うなら抗マラリア剤として安全であると述べている。

4 丁一八〇号証

アイダ・G・シュミットらの「8アミノキノリンの神経毒性、プラズモシドの投与によって惹起された赤毛猿の中枢神経系統における障害」

昭和二三年(一九四八年)一〇月ジャーナル、オブ、ノイロパソロジー、アンド、エクスペリメンタル、ノイロロジー、七巻四号

これは戦時中抗マラリア剤として研究された8アミノキノリン誘導体の一つであるプラズモシドを二二匹の赤毛猿に投与した実験の結果それが中枢神経系統の障害を惹起する最も活性のある化合物であることを証明したとして次のように述べている。

投与された動物には極度の知覚過敏、眼球震盪、瞳孔反応の消失、めまい、運動失調、歩行困難、異作動(dysergia栄養失調症のような状態)運動測定障害(dysmetric小脳性失調症の一)が生じ、又しばしば斜視と明らかな視力消失を起した。これらの反応の強さと進展の速さは投与したプラズモシドの量により変化した。最大量を投与された猿は三六ないし七二時間以内に死亡し症状群は一二~一八時間以内に判然出現した。最も遅いものでも三六~四八時間で症状が出現した。変性的変化を示す最初の領域は脊髄と延髄の固有感覚の核、前庭核であり致死量(6mg/kg)では視覚反射核と滑車神経核のいくつかであった。結局は同様の核グループが両者の投与水準で障害を起したが障害は致死量以下ではよりおそく出現し、聴覚と前庭小脳路及び錐体外路運動系に於ては明らかにより小範囲であった。

プラズモシドの以上の影響は選択された神経単位に対する特別の毒性の結果と思われる。

5 甲八二号証、丁一八二号証

R・リヒターの「サルの神経系に及ぼすキノリン化合物の影響」

昭和二四年(一九四九年)四月ジャーナル オブ ノイロパソロジー アンド エキスペリメンタル ノイロロギー八巻二号

本報告は抗マラリア剤の研究のため多くの実験動物を使い、多数のキノリン誘導体の毒性研究を行ったもののうち猿についてのもので、次のように述べている。

(1) キノリン核を含む物質で、猿の中枢神経系に特別の影響を与えるもののうち8アミノキノリン類に属するものはプラズモシドと硫酸プラズモキンである。

(2) 一日一~五mg/kgのプラズモシドを二回にわけて投与した猿五匹の中四匹は四日以内に死亡し、一匹は毎日一mg/kgづつ九日間投与しても死亡せず、三〇日休んで又一mg/kgづつを三四日間、二mg/kgづつを一五日間、三mg/kgづつを六日間四mg/kgづつを七日間投与したら死亡した。これらの猿は投与後一二~四八時間以内に平衡障害、歩行起立障害、運動失調、瞳孔反射消失等著明な神経学的異常を示した。

(3) 一日一~二・五mg/kgの硫酸プラズモキンを二~五日間投与された猿三匹は二四時間以内に神経症状を示したがプラズモシドを投与された猿の場合より範囲も狭く、障害度も軽かった。神経症状とは頭と四肢の振せん、眼瞼下垂、内斜視、眼球運動麻痺等であった。

(4) 結論としてキノリン核より成る数種の化合物は中枢神経に対して特別な破壊的親和性をもっており、それは化合物の側鎖の性質と配置の如何によって異なるという結論に達した。この毒性の一部は脳幹核のうち運動神経と知覚神経に選択的に、局在性壊死を起すためにあらわれるのである。

(5) 即ちプラズモシドと硫酸プラズモキンを投与した二群の猿の脳幹での局在した損傷部位はかなり選択的で、後者の場合例外なく、より限局的であることは、ある種の毒物の神経系に及ぼす作用が選択的局在的であるという点で、よい例でありその原因について不可解な問をなげかけ解釈の糸口が見つからない。脳の破壊された部分の化学的構造と毒物との間に、直接、間接の特殊な選択的親和性があるものと結論せざるを得ない。8アミノキノリン類の場合、神経親和性はキノリン核自身によるのでなくて、側鎖の種類と位置によるもののように思われる。他の8アミノキノリン類も含めて多くのキノリン類は、神経組織に対して認むべき毒作用を示さない。プラズモキンがそういう化合物の一つである。しかし5の位置に硫酸が結合すると著しくかつ選択的に毒性を示す。一方硫酸のみではこのような作用を起さないことが知られているから原因は側鎖のみのものでないことを想像することができるであろう。明らかに毒作用に責任あるのは分子全体である。

以上のように本報告は8アミノキノリンの中プラズモシドと硫酸プラズモキンが猿に神経毒性をもつことを示すが前者が強烈で後者が弱い、その原因としてリヒターは解釈の糸口が見つからないが8アミノキノリン類の神経親和性はキノリン核自身によるのでなく側鎖の種類と位置によるものと思うが、側鎖のみによるものでもなく分子全体が毒性の作用をしているというのである。但しこの8アミノキノリン類の神経親和性がキノリン核自体によるのでないという点は議論の岐れるところである。

6 丁一八一号証

アイダG・シュミットらの「8アミノキノリン系化合物の神経毒性、ペンタキン、イソペンタキン、プリマキン及びパマキンの赤毛猿の中枢神経系への作用」

昭和二六年(一九五一年)三月、ジャーナル、オブ、ニュロパソロジー、アンド、エクスペリメンタル、ニューロロジー一〇巻三号

これは第二次大戦中に抗マラリア治療薬として開発された8アミノキノリン誘導体のペンタキン、イソペンタキン、プリマキン及び従来から使われていたパマキンを赤毛猿に投与してその反応、特に中枢神経系への影響を研究し、神経毒をもつプラズモシドとは異っているが、他の一四〇種の8アミノキノリン誘導体とほとんど同じく中枢神経系にかなり顕著で強い特異的損傷を引き起すことが判ったとして次のように述べている。

(1) これらの化合物と近縁の化学構造をもつプラズモシドを赤毛猿に投与すると脊髄、脳幹、小脳の種々の細胞群に重篤かつ変質した損傷が起りそれに関連した複雑な神経学的症候群が起るという観察結果があるのでそれとの比較をするため猿六匹にペンタキンを、三匹にイソペンタキンを、五匹にプリマキンを、九匹にはパマキンを投与して実験した。

(2) その結果ペンタキン、イソペンタキン、プリマキンはパマキンと比べ一般的に背側運動神経核や視索上核、旁室核或はマイネルト交連に関連した細胞を障害する点で差はなかった。背側運動神経核の変化はペンタキンが一番重篤であった。視索上核、旁室核、マイネルト交連における神経細胞の損傷はこれら薬物の投与量が多くなる程重篤であったがペンタキン、パマキンの方がイソペンタキン、プリマキンより障害の範囲が小さかった。パマキンは他の薬物に比べ外転神経核や滑車神経核或は外側動眼神経核に於ては中等度の障害をもたらす点で異っていた。

(3) これらの薬物は皆右の神経障害の外に、二、三の部位で軽度の損傷を起し、赤核における神経細胞障害や舌下神経核における神経細胞の損傷がもっとも共通していた。

7(1) 丙二五三号証

H・E・ホッブス外二名の「クロロキン療法による網膜症」

昭和三四年(一九五九年)一〇月三日、ランセット

これは(1)二三年間円板状紅斑性狼蒼に罹った五八才の事務員が一九五四年六月から翌年一一月迄一日一〇〇~六〇〇mgのクロロキン(四アミノキノリン誘導体)の投与を受けて盲目に近い網膜症となった例(2)三〇年間慢性関節リウマチに罹患していた六〇才の女性がその後約三年間一日二〇〇~三〇〇mgのクロロキンの投与を受けて視力障害を生じた例(3)四年間関節炎症状を訴えていた六六才の女性が三年間一日四〇〇mgのクロロキン硫酸塩の投与を受けて網膜症となった例の報告であるが筆者らはこれにより我々は抗マラリア剤による継続治療は好ましくないと考えた、これらの網膜症の重症度はクロロキン化合物の使用量と関係があるようであり、薬剤投与中止後も症状改善は認められていない。これらの網膜変化は基礎疾患のためひき起されたものとは考えにくく、クロロキンの薬剤投与に起因するものであると考える。クロロキンによって生ずることが知られている角膜変化が他の合成抗マラリア剤によっても生ずるので、関節炎や紅斑性狼瘡の治療にこれらの薬剤が使用される時に網膜障害が生ずる可能性が考えられるがこれに代りうる薬剤がないのでこの治療法が中止になるとは考えられない。しかしその治療期間は短期間であるべきで、不必要に永びかさないことが賢明であると述べている。

(2) 丙二五四号証

ローウィル外二名の「ヒトの眼におけるクロロキンの蓄積」

昭和四三年四月アメリカ眼科学雑誌六五巻四号

この報告は、クロロキンの投与が人間の網膜に損傷を与えることはほとんど疑う余地がなく、クロロキンの長期、大量投与が眼に与える副作用の臨床的、病理学的証明はあるがその発生機序は解明されておらない。幾つかの観察は網膜損傷が色素沈着眼構造へのクロロキンの選択的蓄積と関連していることを示唆しているので何れも既知量のクロロキンの投与を受けた眼球にひどい外傷を受けた七人の青年と糖尿病性網膜症の末期のため眼球を摘出された一女性患者の眼球を解剖して調べてみたところ眼の各種組織に蓄積していたクロロキンの濃度を測定することができた。脈絡膜並に色素上皮中に認められたこの薬物の濃度は眼の他組織中での値よりも可成り高かった。これはクロロキンが人の脈絡膜と色素上皮中に選択的に蓄積し、その濃度は投与された薬物の量と期間に関係していることを示しているというもので、クロロキンが網膜症の原因となる理由の一端の調査結果を示している。

右の二報告は何れもクロロキンが網膜症の原因となることを示す文献であるがこれに反対する投書もある。丙二五五号証にあるマッケンジーの「クロロキンに関する幾つかのドグマを捨てよ」(昭和四四年、「関節炎とリューマチス」七巻所載)というのがそれで同人はリューマチ性関節炎で長期間継続してクロロキン療法を受けた患者六五人に視力喪失はなかったというものであるが学理的な究明を行ったものでなく臨床経験を述べたに過ぎないので前記肯定例の報告に比べてどこまで信用してよいか判らない。

8 丁二三三号証

E・ロエシュらの「動物実験での5―ニトロ―8ヒドロキシキノリンによる多発神経病」

昭和四〇年(一九六五年)、アルヒフ・フュル・トキシコロギイ・二〇巻

本報告はラットに5ニトロ8ヒドロキシキノリンを経口投与した結果を報告しているもので次のように述べている。

(1) 5―ニトロ―8-ヒドロキシキノリン(NHC)は試験管内で抗菌的に作用する物質で、経口投与後尿に細菌抑制作用を与える。数年来人間の尿路感染症の治療に用いられ、有毒な副作用があった報告はないが、ラットに投与したところ一部には投与量と関係なく運動障害、知覚障害、一部は可逆性、一部は非可逆性の麻痺を起した。侵された部位の運動神経の髄鞘崩壊が組織学的に証明できた。

(2) 種々の所見は、NHC自体ではなく、その代謝で生成する還元物質が固有の有毒な動因になることを暗示している。排泄実験で芳香族アミンが、NHCを与えたラットの尿中に認められた。猫でもNHCは運動と知覚障害を起す。

二 キノホルムの研究に関するもの

1 丙一五号証、丁八九号証、戊一四八号証

アンダーソン、デービッド、コッホの「生物学的作用に対するオキシキノリンのハロゲン化の影響」

昭和五―六年(一九三〇―三一年)実験生物医学会々誌二八巻

本報告は筆者らが一九二一年以来殺アメーバ剤として試用されてきたキニオフォン(ヨードオキシキノリンスルフォン酸ナトリウム)及びその類縁化合物である、オキシキノリン、硫酸オキシキノリン、クロールオキシキノリン、キノホルム、ジエチルアミノジメチレンヒドロキシ、ヨードクロールキノリン塩酸塩等のハロゲン化オキシキノリン誘導体をモルモット、ウサギ、ネコに経口投与した際の毒性、自然感染したモルモットでの死亡率と経口致死量、経口バランチジウム殺滅量、試験管内殺アメーバ濃度(二四時間)を実験した結果の報告で次のように述べている。

(1) これらの薬剤をモルモットに投与した場合の結果は次の表のように要約されるがキノホルムの場合は二〇〇mg/kg投与でその七割が死亡しバランチジウム殺滅量も一五〇mg/kg投与でその八〇%が殺滅されるという具合で殺アメーバ剤として一番有効であることを示した。

いくつかのハロゲン化オキシキノリンの誘導体の毒性,バランチジウム殺滅作用及びアメーバ殺滅濃度に関するいくつかのデータの要約

薬剤名

モルモットでの

死亡率と

経口致死量

モルモットでの

経口バランチジウム

殺滅量

試験管内

アメーバ殺滅

濃度24時間

オキシキノリン

1200mg/kgで

2/10

1250mg/kgで

20%治癒

試験せず

水に不溶

オキシキノリン硫酸塩

1200mg/kgで

1/10

1250mg/kgで

治癒なし

1:10000

クロールオキシキノリン

1200mg/kgで

5/15

試験せず

1:10000

ヨードオキシキノリンスルホン酸ナトリウム

900mg/kgで

7/15

600mg/kgで

60%治癒※

1:500

ヨードクロールオキシキノリン

200mg/kgで

7/10

150mg/kgで

80%治癒※

試験せず

不溶

ジエチル・アミノ・ジメチレン・ヒドロキシ・

ヨードクロールキノリン塩酸塩

250mg/kgで

5/10

試験せず

1:50000

※ この用量での死亡率は20%

3,4の化合物はオキシキノリンのモノハロゲン化誘導体であるが,5,6の化合物では二つの異ったハロゲン原子がオキシキノリン分子に結合している。

(2) その毒性はオキシキノリンのハロゲン化につれて、又ハロゲンの原子量に比例して増大する。つまりクロールオキシキノリンはオキシキノリンよりやや毒性が強く、ヨードオキシキノリン化合物は塩素含有オキシキノリン化合物よりやや強い毒性をもつ。オキシキノリンにヨー素と塩素の両方を加えるとかなり毒性が増すが、その上更に可溶化基を加えると毒性は幾分減少する。同様に自然に感染したモルモットにおける殺バランチジウム作用は、オキシキノリンのハロゲン化が高まるにつれて強まるようである。しかし試験管内における殺アメーバ作用に関してはこれら一連の薬剤の化学構造との間に、これと同様な関係はないようである。

(3) アメーバ赤痢に自然感染したサルは九〇〇mg/kgのキノホルムの六週間にわたる分割投与によく耐え、アメーバは根絶した。これら化合物の、原虫が感染した動物の治療に対する有用性を評価するためには更に研究が必要である。

(4) 以上の如く本報告は筆者らがキノホルムの毒性が他のハロゲン化オキシキノリンより一段と高く従って殺アメーバ剤として役立つことを報告し、ヤトレンに代ってキ剤をアメーバ赤痢用に投与しようとした基礎実験報告であるから被告らの主張するようにキノホルムの殺アメーバとしての有効性を示したものであるわけであるがそれは又キノホルムの毒性が強いことを示しているものであるからその使用には慎重さを要することの警告となること当然といえる。尚本報告はチバ社とリリー社の一部の援助を受けて行われたことが註に記載されている。

2 丙一七号証、丁九〇号証、戊一五〇号証

デービッドらの「ヨードクロールオキシキノリン(ビオホルムN・N・R)によるアメーバ症の治療」

昭和八年(一九三三年)アメリカ医師会雑誌一〇〇号

本報告は前記1の研究結果を承けてキノホルムが殺アメーバ剤として従前用いられていたヤトレンよりは勿論他のハロゲン化オキシキノリン剤より一番有効であることを、四七名のアメーバ症患者にキ剤を投与して三八名が治癒したという成績によって述べたものでキノホルムがアメーバ赤痢に効くことを提唱した重要な文献である。従ってキノホルムの有効なことを報告し、副作用の言及は少いが「一日〇・七五gを一〇日間投与して一週間ないし一〇日間休薬し更に一日〇・七五gを一〇日間服用した(合計一五g)患者の何れにも毒性の徴候や不快な症状は認められなかった。通常、患者の便は治療開始三・四日後に固化し、若干の便秘も認められた。患者の糞便は独特の油状で緑色の外観を呈していた。但しラインハート博士の報告によるとキノホルムを二五〇mg/kg一回経口投与された動物一匹が死亡し、その動物には肝臓の脂肪浸潤と小さい壊死部分、腎細尿管に若干の障害が認められた。これらの観察はキ剤の療法中、療法後に肝臓又は腎臓障害の徴候があるかどうか慎重に監視すべきことを示唆している。又本剤は胃腸管から幾らか吸収され、一部尿中に排泄される」と述べている。

尚C・D・リークの「アメーバ症の化学療法」(昭和七年アメリカ医師会雑誌九八巻、丙一八号証)もキ剤がアメーバ症の治療に役立つことを述べたものであるが、その中でも「准致死量(五~一〇日間、毎日一〇〇mg/kg)を分割投与した後、空気注射で殺した兎では死後の組織学的検査に於て、証明され得るいかなる種類の組織障害も認められなかったが、薬剤の一回の致死量投与(二五〇mg/kg)で死んだ動物の同様な検索では肝臓障害を呈していた。これはこの薬剤を肝臓の疾患がある時に使うことには注意が払わるべきことを示している」と肝臓障害について警告していることが認められる。

右のようにこれらの報告は肝臓障害について注意喚起を示すとともにデービッドらの報告は後にわが国で椿忠雄らがスモンはキ剤が原因であるといったときの端緒となった緑色便のことを最初から述べ、かつ投薬は一日〇・七五gを一〇日間の二コース、その中間に一週間ないし一〇日間の休薬期間をおいて行ったと報告しているのは十分注目すべきことである。後記のようにデービッドはこの投薬方法を後においても強調し、C・Dリークもこれに従い、エンリケ・バロスらもこの投薬制限に従うべきだと述べていることに鑑みればデービッドらはキ剤は本来毒性をもちかつ人間に吸収されるから長期間の大量投与が危険であることを知ってこの投薬方法をとったものと推測される。

丙三〇三号証の一、戊一五六号証によればデービッドは中途に休薬期間をおいて投薬を一〇日間の二コースとしたのは正しい化学療法の慣行によったもので薬効のあるものは五、六日で効果が出ると証言している部分があり、そういう慣行があるのかも知れないが毒性への配慮がなければ休薬期間をおく必要はなく、原虫が陰性になるまで続ければよいと考えられるから投薬量、投薬期間の配慮はキ剤の毒性に対するものであると考えたい。これは又吸収を示す文献でもある。

3 丁二二三号証、戊一五四号証

H・H・アンダーソン、A・C・リードの「抗アメーバ剤の副作用」

昭和九年(一九三四年)アメリカ医学雑誌一四巻

本報告は抗アメーバ剤としてアメリカで投与されたエメチン、アセタルゾン、キニオホン、キノホルム等各種薬剤の反作用を述べたものであるがその中のキノホルムにつき次のように述べている。

キノホルムを経口投与したアメーバ症患者は六〇例であるが可溶性の塩酸塩は一対五〇〇の濃度で粘膜を刺激するので、本剤の直腸適用は不可能である。不溶性のキノホルム乳化剤も下部腸管を刺激する。六人の患者にかなりの不快感を招来し、直腸の出血を増大させ、直腸S状結腸粘膜の著しい充血を来した。

キノホルムを経口投与することで六〇例中三例に副作用を認めた。一例はキノホルム一日一g一週間投与で動悸、呼吸困難、頭重感、頭痛が生じた。一例は腹痛、下痢、甚だしい鼓腸、粘血便を伴った激しい胃の不調を経験した。彼女はキノホルムを一週間に四g服用した後吐気を催し嘔吐した。もう一例の患者はアメーバ症に加えて肝臓への転移を伴ったS状結腸がんを有していたが反応は他の例と同じであった。

以上のごとく本例はキノホルムの神経毒性を報告したものでなく胃腸障害の報告であるがキノホルムが右のような副作用をもつものであることの報告といえる。

4 丙二三七号証の一、二

P・B・グラビッツの「アメーバ症治療の新しい方向」とエンリケ・バロスの「アメーバ又アメーバ」

昭和一〇年(一九三五年)、ブエノスアイレスで出された、ラ、セマーナ、メディカ誌四二巻七号と一二号、東北帝大図書館蔵

本報告の前者の執筆者グラビッツは南米の医師で同人は本報告でアメーバ赤痢に対する種々の治療法を試みたこと、ヤトレンとエメチンとのコンビネーション投与も効果的であったがアメリカのデービッドらの提案に従いビオホルムを一回〇・二五g一日三回一〇日間投与したが患者の約二四・三%が反応を示さなかった。そこでビオホルムと同量のヤトレンを組合わせてみたが余り成功せず、一回〇・五gづつのビオホルムを一日三回三〇日間続けたところ、一五三例で成功し、八一・五%の成功を示した。この中第三回目のクールが必要であったのは僅か四名の患者に対してのみで失敗例はなかった、と述べた後ビオホルムの副作用として便秘、鼓腸が心悸亢進、苦痛、膨満等の不快さとともに起きたが浣腸によってこれを除去できた、ただ一例に横断性脊髄炎に似た下肢の麻痺症状と精神聾の発現を観察することが出来たがこれは一つの孤立例で他の原因に帰することのできる偶然の一致である。私は絶対的な不耐容性のためキ剤を放棄せねばならなかったことは一度もなかったと述べたのに対しエンリケ・バロスは後者の「アメーバ又アメーバ」に於てグラビッツの独断的な用量の使用を戒しめ、チバ社のキ剤は一回に〇・二五gづつを一日三回投与し一ヶ月の間に一週間の休薬期間を設けて二クールの治療方法で使用すべきであるといい、キ剤の高用量投与のため重症の神経病変が見られた次の二例をあげた。

(イ) 三一才のJ夫人の症例

この夫人は一九三四年六月二六日、病院で第一子を分娩したが退院時の八月二〇日から一日三回〇・五gづつのキ剤の投与を受けたところ、三日後に胃痛、嘔吐、頭痛、それから少し後に足にしびれ感が生じた。一〇日後に投薬を中止したところ患者は軽快するも異常知覚が残った。七日後にキ剤の投与を再開したところ数日後嘔吐、疝痛が起ったのでキ剤の投与が中止され軽快したが彼女の脚は常に重かった。九月二一日キ剤を再服用したところ疝痛と下肢の知覚、運動障害が増悪し、一日毎に悪化して脚をひきずり、歩行のためには壁によりかかって身体を支えねばならず、乳児を抱いて床に四回転倒した。治療を中断しても今回は殆んど軽快しないので、医師は強壮剤を彼女に勧めた。九月二八日ビオホルムの服用を再開し、一九三四年一〇月三日、処方された全部を服用した。少しづつ下肢の柔軟性を失い、一〇日後には著しいけいれん性の歩行をみるまでになった。一一月一〇日、目が覚めると発熱していて、数日間続き、そして彼女は私の診察を受けることを決心した。私は痛覚減退、両下肢腱反射亢進、両足両膝のクローヌス、腹部皮膚反射の消失、バビンスキー高度に陽性、少ししてから拘縮を認めた。相当の栄養不良、一過性であるが尿中に糖分を認めた。

バロスはこの患者を脊髄炎と診断し、患者に前記のような投与量でのビオホルム投与を強制しないこと、オブラート包でなく、ゼラチンカプセルによることを約束させ、グラビッツには同人が考え出した投与量の修正を約束させた。この症例はバロスから直接製薬会社に伝えられたところ、製薬会社は返事をよこし、情報提供を感謝し、医師に対して能書の投与量を超過することのないよう勧告すると述べて来た。バロスはこの患者の生命の予後は良好であろうが全治は無理であろう、この患者に感染症的因子は関与していないし、姙娠により助長された毒性因子はこの重大な臨床像の原因として除外できると考えられると述べている。

(ロ) 四五才の男性の症例

この患者も前記(イ)の患者より少し前に同様な治療を受け不全対麻痺及び糖尿を伴う類似の知覚異常が発現した。二、三ヶ月後に開腹手術をしたところ予想されていたアメーバ症ではなく、重大な結果をまさに惹起せんとしていた盲腸炎であったことが判明した。

バロスは右の二症例を報告した後、自分は他人のことに干渉することを好むのでないが一般大衆に恐るべき結果をもたらすことには発言せざるを得ない、適切な実験、検査による支持を得ることなく論理に反し、適切な観察の結果に反し、それでいながら「脚になんらかの障害がみられたら知らせなさい」(悲しいことに、これが実際に起った)という指示だけでそのような薬の処方を続けるとき、それは最早単なる間違いではない、誠意を以て実行された研究の問題でもなく無責任の問題である。アルゼンチンにアメーバ症はそんなに多くは存在せず、被験者二万人の中一三・五%が顕微鏡検査で保菌が確認されたに過ぎない。ビオホルムはヨードホルムの代用物であり、ヨードホルム以前には毒性学に於て重要な薬剤であった。従って我々は実験による研究をなすに値する新しいタイプの中毒に直面しているのである、と警告しビオホルムが前記二症例の原因であることをほぼつきとめ、その研究の必要性を説いている。

この報告は南米でスペイン語で書かれた文献ではあるがデービッドらがキ剤がアメーバ症に効くことを提唱してから四、五年後に発表された貴重な臨床実験報告といえるし、当裁判所はこれらの文献で報告されている三症例はキ剤によるスモンとみてよく、スモン報告の先駆的役割を果しているものと考える。特にエンリケ・バロスがキ剤の多用を警しめ、デービッドのいっている用量、用法を超えるべきでないといい、態々チバ社に対し医師に能書の投与量を守らすべきだと警告したこと、キノホルムが研究に値する新しいタイプの中毒でないかとしていることは重要である。

グラビッツは自分の取扱った症例を孤立例であるといってキ剤にほれこんでいるが、バロスは学究らしくこれを警しめているもので南米で発行されスペイン語で書かれた文献であるからといって看過すべきものではない。特に被告チバはバロスから直接この症例報告を受けているのであるからスモン様症状について十分知っていたことは勿論甲二八九号証によれば同被告はこのグラビッツの報告を自社発行のチバ時報六二号(昭和九年)に載せ宣伝に供していることが認められるのであるからこれらの報告を知らぬことはあり得ない。又丁九九号証(戊一七二号証)によると遠くサイパンにいた南洋庁医院医官の岡谷昇は昭和一一年六月二〇日発行の「日本伝染病学会雑誌」一〇巻九号に於て「一九三四年グラビッツが一七五名のアメーバ赤痢患者にビオホルムを投与して治療し好成績をあげた、同氏は〇・五gのビオホルムを毎日三回に分服せしめ三〇日間継続投与を行った」とグラビッツの報告を読んだことを報告していること、丁九二号証(戊一五二号証)によると台南医院の赤司和嘉も「昭和九年の台湾医学会雑誌三二巻一二号」でグラビッツの報告を読んでいることを報告しているのが認められるので、文献に掲げたグラビッツとバロスの報告が当時わが国でこれを読むことが十分可能であったことを物語っており、この報告が遠い南米でスペイン語で発表された孤立例であるというがごとき主張はこの雑誌が当時既に東北大学に所蔵されていることからして被告田辺の研究不十分を物語るだけである。又後記のごとくエマホルムを創った三沢敬義、渕上、寿の研究不十分も見逃すことはできない。

5 丙二〇一号証

アルマンとマイヤーの「サパミン及びビオホルムの合剤(エンテロ・ビオホルム)に関する研究」

昭和一四年(一九三九年)六月一九日

これはチバ社がサパミンとビオホルムの合剤であるエンテロビオホルムを猫と兎に投与して行った実験の報告書でその毒性が相当強いものであることを次のように述べている。

(1) 九匹の猫に〇・一二五~一・七g/kgのビオホルム又はエンテロビオホルムを投与したところ痙攣、振顫、よろめき等の症状を示しその七匹は死亡した。死亡しなかった二匹は〇・五g/kgのエンテロ・ビオホルムを投与されたものと〇・一二五g/kgのビオホルムを投与された猫であった。死んだ猫の剖検によると腸、腎臓の潮紅炎症を起しているものが多かった。

(2) 四匹の兎に〇・二五~一g/kgのエンテロビオホルムを投与したところ四日ないし六日目迄に三匹が死んだ。死んだ兎の剖検結果によると腸や腎臓に潮紅、炎症を起しているものが多かった。

(3) 〇・三~〇・四g/kgのエンテロビオホルムを投与した六匹のマウスの中一匹のマウスが実験第六日目まで生きのびただけで他は全部死亡した。その耐容は〇・二g/kg迄である。

(4) 以上のごとく猫は〇・二五g/kgでヨード中毒及び致死的中毒症状が出現する。〇・一二五g/kgではただ一過性の不快を生じたに過ぎない。ビオホルムとエンテロビオホルムとの間に毒性的特徴についての区別は証明されない。

兎は〇・二五g/kgに耐容した。度々投与せば蓄積が生ずる。一回量〇・五~一g/kgでは耐容しなかった。

マウスは〇・三~〇・四g/kgのビオホルム及びエンテロビオホルムに例外なく耐容しなかった。

サパミンの毒性はキ剤の毒性に比較して軽い。

これはチバ社の社内報告であるがチバ社がこうした知見を有していたことは重要である。

6 丁一三一号証、戊一五五号証

N・A・デービッド外二名の「ヨードクロールハイドロキシキノリンとジョードヒドロキシキノリン、動物での毒性と人での吸収」

昭和一九年(一九四四年)アメリカ熱帯医学雑誌二四巻大阪大学図書館蔵

本報告はキノホルムとジョードキンを動物に投与した場合の毒性と人に投与した場合の吸収、排泄を報告したもので次のように述べている。

(1) 前回の実験でキノホルムをモルモットに一回経口量二〇〇mg/kgを投与せば一〇匹中七匹の死亡が判ったがキノホルムの三〇〇mg/kg以上の投与では更に大多数を確実に死亡させた。このことからモルモットに対するキ剤のLD50は一七五mg/kgであると推定できる。しかしジョードキンの場合、一群五匹からなる二群のモルモットにジョードキン五〇mg/kgと一〇〇mg/kgを投与したところ一〇匹中四匹が死亡したがより高投与では予期したような毒性の増大はなかった。

(2) キノホルムを三〇〇mg/kg投与された子猫七匹中二匹が死亡したがそのLD50は更に高いであろう。ジョードキン三〇〇mg/kgの投与を受けた子猫は一四匹中二匹が、五〇〇mg/kgの投与を受けた子猫は一六匹中二匹が死亡したが七五〇mg/kgの投与を受けた七匹は皆生き残った。

(3) それら動物の剖検では若干の肝障害がみられた。この障害はビオホルム投与で死亡した兎について既に報告されているものに類似し、クロロホルム中毒に見られるものと同じタイプであった。

(4) 健常な人間が、キノホルム或はジョードキンの治療量を一〇日間経口投与された場合ヨー素の吸収が起る。このことは血中ヨー素の上昇によって示され、その値はキノホルムよりジョードキンで変動が大きい。

(5) ジョードキンはヨー素をより多く含んでいるのでキノホルムより毒性を起す危険性が高い。

(6) この治療法を厳密に管理して実施すれば、人間にこれらの薬剤を経口投与した後に時たま毒性がみられるからといって、アメーバ症予防への使用を妨げるものではない。

本報告もデービッドらがキノホルムをアメーバ症に投与することの可能性を述べているものではあるが動物実験によるキノホルムの毒性の結果を報告し、人間に吸収されるものであることを述べているのであるから無視すべきものではない。特にキノホルムをアメーバ症の予防に投与するにしても厳密に管理してと述べているのであるから十分な管理を忘れてはならない警告としての意味は大きい。

7 甲三〇一号証の一、二、戊一五六号証

N・A・デービッドの「経口殺アメーバ剤の無規制な使用」

昭和二〇年(一九四五年)アメリカ医師会雑誌一二巻八号

これはデービッドが編集者に対する書簡という形で寄せた警告で次のように述べている。

(1) 本誌八月一一日号のシルヴァーマンとレスリーの「ジョードキンの有害作用」という論文は経口殺アメーバ剤が、やや不注意に無規制に使用される傾向が強くなりつゝあることに対しての時宜を得た警告である。

(2) アメーバ症の診断には注意深い検査が必要であり慢性下痢をアメーバ症と誤診するようなことがあってはならない。

(3) アメリカでは殺アメーバ剤としてキニオフォン、カルバルゾン、塩酸エメチン、キノホルム、ジョードキン及びアセタルゾンが認められているがこれらの薬物はもともと毒性があり、予期せぬ作用を生ぜしめることがあるからそれらの使用はある一定の規則に従うべきである。即ち(a)治療は一〇日から一四日の短期間に制限すべきである。(b)これら経口殺アメーバ剤のうち何れかにより、更に別の治療コースを始めるときは少くとも二、三週間の休薬期間をおき、糞便がアメーバ陽性であることを確認しておかなければならない。(c)ヨー素含有化合物のキニオフォン、キノホルム、ジョードキン及び砒素剤のカルバルゾンとアセタルゾンは肝障害又はその疑のある患者や、薬物過敏性を有することが判っている患者には禁忌である。(d)これら薬物のうち何れも非アメーバ性下痢の治療に対し経験的に使用すべきではない。

(4) 我々の研究に於てモルモットや子猫におけるジョードキンの一定のLD50を算定できなかったが、それはジョードキンの吸収が一定でないためだとした。しかしながら経口投与した動物の中何例かが種々の用量(50~2000mg/kg)の投与により死亡したという事実は、その動物を死亡せしめるに足るだけの吸収が起ったことを示している。ジョードキンの服用時に多少のヨー素の吸収が起り得るという別の証明があるが、それはヒトに於て通常とは異った用法、用量でジョードキンを投与した前後の血中ヨー素濃度研究によって示された。一〇人に於て、正常血中ヨー素は一〇〇cc中五・三~一八・〇二μgであるが、ジョードキン一錠一日三回一〇日間服用後には一〇〇cc中四五・六~四三七・二五μgに血中ヨー素濃度が上昇しているのが認められた。これらの者の中四人は治療開始後間もなく肛門痒感或は肛門刺激感を、二人は胃の不快感を、一人は皮膚温の上昇感を訴えた。通常の一〇日間コースでキノホルムを投与した学生九人のグループにもほぼ同じ結果と症状が見られたが血中ヨー素濃度の上昇に於ける個人間の変動はジョードキンよりは少なかった。我々がジョードキンを一日七~一〇錠、一五~二〇日間服用という推奨治療量よりもむしろ一日三回のみ、一〇日間服用の用量で投与したということを注目すべきである。

(5) 以上ジョードキンもキノホルムもキニオフォンも服用後にはヨー素吸収が起り、これらの薬物はある用法用量で動物を死亡させ、ヒトに副作用を起しうることが判ったので医師はこれらの化合物を処方するときに留意すべきである。

尚デービッドはこれより先昭和一九年(一九四四年)前記6で述べた「ヨードクロールハイドロキシキノリンとジョードハイドロキシキノリン、動物での毒性と人での吸収」に於て本警告とよく似たこと、即ちキノホルムの経口投与によるLD50はモルモットで約一七五mg/kg、子猫で約四〇〇mg/kgである、キノホルム又はジョードキンをヒトに経口投与せば人の血中ヨー素が上昇するのでヨー素は吸収される。キノホルムやジョードキンのヒトへの経口投与でときに毒性が見られるが、もし厳格な管理のもとに行われるならアメーバー症の予防薬剤として使用することに妨げはないと述べているので本警告と合せて考えるべきである。

デービッドの報告は以上のようにキノホルムが動物と人間に於て毒性を現わすこと、反作用のあることは述べているがなぜか神経毒性のことには触れていない。これは彼のキノホルム投与が一〇日間から一四日間の短期間に制限し再投与する場合でも二、三週間の休薬期間をおけといっているように慎重であったためさような発現がなかったためかと推測される。ともあれデービッドがこれらに於てキノホルムを非アメーバ症の治療に使ってはならない、アメーバ赤痢の治療に投与する場合でも短期間に制限し再投与するにしても二、三週間の休薬期間をおけと強く警告していることはキ剤等の反作用を知っているために外ならず、デービッドらは前記4のグラビッツやバロスの報告をよく読んでいたものと推測できる。

尚丁二二五号証、甲一〇三号証、証人高野哲夫の証言によるとデービッドのこの警告はそれより三ヶ月前に同じ雑誌の一九四五年八月一一日号にシルバーマンらが発表した「ジョードキンの毒性効果」を見て同じ意図で書いたものであること、シルバーマンらは右の論文で製薬会社のシャーレが、アメーバの治療にはジョードキン(5・7・ジョード8ヒドロキシキノリン、キノホルムとの違いはクロール(塩素)をヨードに替えただけである)を副作用なしに使用できる、その毒性は無視できる、増量、長期投与は差支えないと宣伝しているのに対し、そんなことはないといって投与の結果発疹、皮膚疹等皮膚に中毒が現われた三症例をあげ、又製薬業者はこの薬剤が吸収されないようなことをいっているが吸収が起りその結果皮膚毒性が生じているのだと警告していることが認められる。又このシルバーマンらのこの論文はキノホルムと類似化合物のジョードキンの毒性を示すもの従ってキ剤についても注意すべきものであることを示す文献の意味をもっているといわなければならない。

8 丙二五号証、丁二三六号証、戊二〇〇号証

L・M・ゴルツらの「ヨードクロールヒドロキシキノリンによるアメーバ症及び細菌性赤痢の予防並に治療」

昭和三九年(一九六四年)アメリカ熱帯医学衛生学雑誌一三巻 田辺東京研究所蔵

本報告は、チバ社の援助を受け四年間に、四〇〇〇人の医療施設内患者に一人につきキノホルム〇・二五gを一日三回づつ投与したところ細菌性赤痢とアメーバ症に有効な予防効果が観察され、これら微生物に対して本剤による有効な治療成果も確認されたもようである、治療時の毒性発現は極めて稀で、軽い性質のものであり、投薬中止により完全に回復しうるものであったと述べているように、チバ社の宣伝に役立てているものであるがこんな大雑把な研究で正確な成果が得られたとは思われないしキノホルムはゾンネ菌とフレキシナー菌に殺菌作用があるが、ネズミチフス菌、腸炎菌、サルモネラ菌、ランブル鞭毛虫、鞭虫、糞線虫、蟯虫には殺菌作用がない。四〇〇〇人の中二〇人がある種の異常な歩行変化を示したが一八人は完全に回復した、と反作用報告を行っている方が注目されねばならない。

9 甲二七七号証、甲二一七号証の一(五七丁以下)

M・J・ホーグの「抗アメーバ薬の組織培養細胞に対する作用についての研究補遺」

昭和九年(一九三四年)

本報告はキノホルム等の抗アメーバ剤を鶏胚消化管の組織培養細胞に与えた影響の研究結果である。この中ビオホルムに関するものはその千倍一万倍五万倍に稀釈した組織培養液の中に入れた鶏胚の消化管は五万倍稀釈の場合でも一八例中の八例に於てよく成長していた交感神経が翌日には全ての線維芽細胞と神経部分が死滅していたというもので五万倍でさえこのとおりであるからそれより濃度の高い場合は尚一層強い障害の出たことを示している。

尚甲二一七号証の一によると右の組織培養による研究は一個の動物全体による研究とは異なるがこの方がまるごとの動物を使ったときにみられないものを見られる特徴があって優れた研究結果が得られ、スモン調査研究協議会でも同じ実験をしてホーグの実験と同じ結果を得たことが認められている。

三 腸性末端皮膚炎とキノホルムに関するもの

丙二五二号証によると腸性末端皮膚炎というのは昭和九年(一九三四年)頃以降分類され始めた病因不明の遺伝病で乳児初期、離乳後又は補充食開始後に現われ始め全身脱毛、開口部、四肢に局在する対象性紅斑性皮膚炎、膿疱性水疱症をもつ疾患といわれ従前治療法が不十分であったが昭和二八年(一九五三年)シュロモビッツがキノホルムの経口投与で好成績をあげたためキノホルムが腸性末端皮膚炎の治療薬として用いられるようになったことが認められる。

ところがキノホルムは腸性末端皮膚炎の治療には効果をあげたがその後反作用として視神経障害、不全麻痺が現われるようになったのでその知見症例報告が現われた。次はその例であるがキノホルムとスモンとの因果関係を示すに十分役立つ資料といえる。

1 甲八七号証、丁二三一号証

水間圭祐、今井信子が昭和三五年(一九六〇年)四月の第五九回日本皮膚科学会総会で行った報告、日本皮膚科学会雑誌第七〇巻

この報告は次のように述べている。

生後半年目より陰部、肛囲、口囲に発赤、小水疱、痂疱落眉よりなる皮疹が発来し、次第に膝蓋、肘関節、手脚に波及し、爪、頭髪、眉毛、体毛はほとんど脱落し、下痢を反復した腸性末端皮膚炎患者にエンテロビオホルムを内服させたところ一年後には発毛し皮疹は殆んど消失した。しかし不全麻痺性歩行と視神経萎縮による視力障害を来たした。脳波、脊髄波等に異常はなかった。以上により本疾患は内分泌障碍を伴う系統的疾患と思われるが歩行及び視力障害と皮膚の一連の症状についての確たる関係は解明し得なかった云々。

これは報告者が患者の不全麻痺性歩行と視力障害がエンテロビオホルムによるものであること又はその間にどういう関係があるか判らずにいるが今ならスモン症状とみてよいものであろう。

2 丁二三五号証

L・ベルグレンとO・ハンソンの「腸性末端皮膚炎の治療」

ランセット昭和四一年(一九六六年)一月一日号

この報告は、腸性末端皮膚炎の治療で選りぬきの薬剤は、ジョードキン、エンテロビオホルム、ステロサンのようなハロゲン置換8―ヒドロキシキノリンである。既発表の報告ではこれらの薬剤は胃腸管から吸収されないと述べているが兎や人間に経口投与されたジョードキンやエンテロビオホルムの硫酸及びグルグロン酸抱合体が尿中に排泄されることが証明されている。ハロゲン置換8―ヒドロキシキノリン類による大量の長期治療の際、合併症として視神経萎縮が発現する可能性に注意を促したい。重い腸性末端皮膚炎の一九六一年生れの男の子は十分な治療効果のために一日二〇〇〇mgの5―クロロ―7ヨード―8ヒドロキシキノリンを必要とした。治療開始時彼の眼底は正常であったが治療開始後一四ヶ月目に波状眼振、視力障害、視神経萎縮が認められた。彼は一日一二〇〇mg以上を一一ヶ月投与されていた。我々の知る限り腸性末端皮膚炎と視神経萎縮とは関連がなく視神経萎縮を起す他の薬剤は投与されたことがなく視神経萎縮の家族歴もなかった。長期治療には最少用量を決定することが重要である、というものでキ剤による視神経萎縮障害を認めている。

3 丙二七号証

J・E・エサリッジ三世外一名の「腸性末端皮膚炎の治療について」

ランセット昭和四一年(一九六六年)一月二九日号

これは次のように述べている。

我々もベルグレンとハンソンがランセット一九六六年一月一日号に発表したのと同じ症例を別のハロゲン置換8―ハイドロキシキノリンを用いて経験した。

腸性末端皮膚炎と診断された生後三年六ヶ月の男子は二年間にわたり一日当り三二〇〇mgのジョードキンを投与されていた。一九六五年六月、投与が一日三六〇〇mgに増加されたところ家族はその子が家具に衝突しその目がよく見えないことに気付いた。投与を減らされると視力は回復するが皮膚の症状がひどくなり、投与量を元に戻すと視力が低下した。

小児神経医の診断で患者の視力は両方とも大体〇・一であることが判明した。乳頭は蒼白で色素の変性による腫斑があった、異常な眼振が見られた。

各種の置換基をもったオキシキノリンは吸収が少なく毒性が低いと信じられているが経験は多量の継続した投薬が視神経萎縮を起しうることを示唆している。

4 丙二五二号証、丙三〇七号証の一、二、丁二三五号証

O・ハンソンの「腸性末端皮膚炎、疾病病因論に関連する仮設にもとづく二症例についての報告」等

昭和三八年(一九六三年)、スエーデン皮膚、性病学誌四三号等

冒頭の各号証によると次のとおり要約できる。

(1) スエーデンの医科大学の助教授で小児科専門医のハンソンは昭和三七年頃(一九六二年)、その前年生れの少年の腸性末端皮膚炎治療のため当初一日二gその後一日一・二gのキ剤を一一ヶ月余投与したところ、一四ヶ月目に波状眼振視力障害、視神経萎縮が現われその後皮膚炎の方は治ったが眼の方は改善されず今日尚新聞を読むのに拡大鏡を要する状態が続いている症例の治療に従事した。

(2) ハンソンはキ剤が腸管から吸収されないということに疑問をもっていたのと前記少年にはキ剤を長期間投与せねばならなかったのでスエーデンにある、ガイギー社の代理店を含む、キ剤製薬会社に対しその毒性、吸収、代謝、排泄、副作用等について質問状を発したところ、ガイギー社はキ剤は安全で吸収はないといってきたがこれはそれ以前動物実験で8ヒドロキシキノリン類が吸収されることを実験して発表しているハスキンス、ルッター、モーゼルの説とも異なり自分の実験にも反していた。しかしチバ社はエンテロビオホルムを投与された患者の血中にヨー素が発見できるとはいってきたが副作用や吸収はほとんどないといい、キ剤に投与制限は要らぬといってきた。

(3) ハンソンは当時クロロキンが眼に反作用をもたらすことも知っていたのと腸性末端皮膚炎と眼疾とは関係がないこと、クロロキンと8ヒドロキシキノリン類の化学構造がよく似ているので眼科医、小児科医、学者らと検討の結果前記少年の眼の障害はキ剤の反作用だと判断した。

(4) ハンソンはベルグレンとともに昭和四一年(一九六六年)一月一日ランセット誌上で「腸性末端皮膚炎によく効くエンテロビオホルムのようなハロゲン置換8ヒドロキシキノリンは胃腸管から吸収されないと報告されているがその長期大量投与には合併症として視神経萎縮の発現する可能性に注意したい」といって前記少年の症例報告を行い長期治療にはその最少量の使用が重要である、と警告しその前年一一月一〇日このケースをスエーデンの副作用調査委員会に報告した。同委員会とスエーデン政府はこの報告及びその頃シャンツから出された「犬に対するオキシキノリン中毒の疑い」(丁二三四号証)によってキ剤と視神経萎縮との関係を除外することはできないと判断し、スエーデンの医師に警告し昭和四四年製薬会社に対しキ剤を一般紙に宣伝しないこと、予防薬としての使用を勧めないよう、キ剤の継続使用は三、四週間をこえてはならないと使用説明書に書くことを求め、その後昭和四七年(一九七二年)六月一日からこれを要処方箋薬としそれから一ヶ月後その適応症を腸性末端皮膚炎に限定した。

(5) ハンソンは昭和四六年スエーデンの医師会雑誌にキ剤は逓減して使う必要があり医師の処方箋によってのみ用うべきでありキノホルムがなくても人間は生きていけるのでないかと提言した。

(6) 昭和四〇年(一九六五年)頃、スイスチバ社はハンソンに対し討論のため来訪を求めたが、ハンソンはシャンツが犬に対するキ剤の投与についてスイスチバ社へ行った時成果がなかったときいたこともあったので討論ならチバ社の方で来るべきだと思って断った。

(7) スエーデンの製薬会社、フェロサン社は一九六〇年代にキノホルム製品のエンテロセプトを回収し販売を止めた。

以上によれば腸性末端皮膚炎にキノホルムは効くが、大量に使わねばならず、それが視力障害をもたらすことは明らかといえるし被告チバはつとにこれを知っていたのである。

5 丙二八号証

ストランドビクらの「ブロキシキノリン投与後の黒内障」

昭和四三年(一九六八年)、ランセット同年四月二七日号

これはストックホルムの小児科医である筆者らがエンテロビオホルムのようなハロゲン置換8ヒドロキシキノリンを長期投与した者に視神経萎縮が続発するが他の類似薬の短期間投与後でも、脱髄疾患でみられるものを想起させる進行性の視神経萎縮や一過性の神経症状の発現をみた例を報告するといって次のように述べている。

この患者は一二才の男子で高度の近視であった。入院四週間前に急性胃腸炎に罹った。ブロキシキノリン(ディブロム、ハイドロキシキノリン)一日当り一・五gで二七日間計四〇gが入院迄に投与された。患者は失調性歩行と両側第一趾の伸筋の筋力低下、触覚の喪失と両脚の疼痛を訴えた。バビンスキー徴候はなく、深部知覚は正常で腹壁反応は保たれていた。患者には右眼の視神経萎縮を認めた。歩調は正常となり神経的異常は数ヶ月で消退したが視神経萎縮が進行し両側性となり、発症後三ヶ月で黒内障となった。この患者ではブロキシキノリンが神経疾患を起したと想定しうるが、これは胃腸炎の結果として腸吸収の亢進により発生したこともあり得る。

この報告はキ剤と類似化合物であるブロキシキノリンの投与で歩行障害と視神経萎縮、黒内障の発症をみたものの報告でスモンによく類似している。しかも筆者は冒頭でキ剤のようなハロゲン置換8ハイドロキシキノリンと断っているのであるから、キ剤を発売していたものは当然注目したであろうし、注目すべきものであったといえる。

四 キノホルムを投与された犬に見られたてんかんや神経症状を示すもの

昭和四〇年(一九六五年)頃からビオホルム、メキサホルム又はその類似薬品を投与された犬にてんかんや神経症状を現わす症例報告があいつぎチバ製薬会社は獣医に、エンテロビオホルムやメキサホルムは人間用で犬に無造作に使用しないようにとの回状を送るまでになったが次はそれを示す文献である。

1 甲九〇号証、丁二三二号証

P・ハンガルトナーの「エンテロ・ビオホルム・チバの服用後に犬で認められる神経障害」

昭和四〇年(一九六五年一月)、シュバイツァ、アルヒフ・フュル・ティールハイルクンデ一〇七巻一号、東大図書館蔵

これはスイスローザンヌの獣医師であるハンガルトナーが、獣医の介入を要する程と考えず下痢止のためエンテロビオホルムを一錠ないし数錠投与した犬一一匹と猫一匹が発作を起す前駆症状なしに突然てんかん様発作を起したことの症例報告で次のように述べている。

昭和三七年(一九六二年)八月から翌年一〇月にかけ下痢の犬一一匹と、皮膚炎の猫一匹にエンテロビオホルムが投与されたところこれらの犬猫は側臥位に倒れ口から濃厚な泡を出す程のよだれと歯のきしみ、全身の後弓反張やふるえ、四肢の硬直が観察された。筋肉のけいれんは発作の持続とともに強まり、呼吸は早くなったり浅くなったりする。発作は数分に数秒続き、数時間に数分の間隔で再来するものがあった。

こうして犬四匹と猫一匹は安楽死させられ犬二匹は死亡し他は治癒した。

この間にチバ製薬会社から獣医に回状が送られ、エンテロビオホルム、メキサホルムは人間用であるから犬に無造作に使用しないよう、代りのものとしてフォルモーチバゾールが推奨されるといってきた。

2 丁二三四号証

シャンツらの「犬におけるオキシキノリン中毒の疑い」

昭和四〇年(一九六五年)二月、スエーデン獣医新聞一七巻四号

これは次のように述べている。

(1) 下痢のためオキシキノリン誘導体の投与を受け急性症状を起した犬二九匹をみた。二三例はエンテロ・ビオホルムを、二例づつはインテストバンとエンテロキノールを、一例づつがコールプルとフェニロールを投与されたのであった。

(2) 下痢に対する治療は有効であったが半日ないし一日後興奮、痙攣、アチドーシス、心筋変性など中枢神経症状を呈し死亡率は三分の一であった。

(3) オキシキノリンとこの症状の因果関係を断定することはできないが一定の関連がありうるとみられる。そのため、一層の調査研究が行われるまでこの治療法は警戒を要する。

3 甲九一号証

L・フェリックスミラーの「犬のメキサホルム中毒」

昭和四二年(一九六七年)

これは次のように述べている。

(1) メキサホルムSを三錠投与された体重一〇瓩のスコッチ犬が一八時間内にてんかんを起した。タラクタンやマイレプシンでてんかんの痙攣はおさめさせることができたが犬は最初の疾病出現後四日で死亡した。解剖の結果髄膜や脳の充血した血管の側に多くの滲出性の出血があり、特に脳幹に多く、そこにはところどころ空胞を認めた。又腎や腎孟の間質に出血を認めた。

(2) ビオホルムが犬や猫にてんかん誘発作用を有することはハンガルトナー(スイス)やシャンツ、ヴィルクストロム(スウェーデン)の臨床調査で知られている。同じような製剤であるブロキシキノリンも亦、この中毒性を有している。尤もこの調査例の投与量は人間の治療に用いられる量の三~五倍であった。外の六匹の犬はメキサホルムS投与後血尿を見、その中の何匹かは激しい尿通困難や尿中に血液コアグラの出現を見た。神経症状の出現を見た犬への投与量はてんかんを起した犬への投与量より明らかに少なかった。

4 甲九二号証

H・プッシュナーとR・フランクハウザー「白マウスの実験的ビオホルム中毒症に関する神経病理学的所見」

昭和四四年(一九六九年)七月

これは次のように述べている。

犬や猫に投与して神経症状が観察されることのあるビオホルムを〇・六~一%を含む飼料をマウスに投与したところ、同様な所見を得た。このマウスによる組織病理学的脳所見は特にアンモン角のニューロンに顕著な細胞壊死を示した。

五 ケーザーの報告

以下に掲げる三個の文献はバーゼル大学神経科クリニック及び総合病院の主任で教授であるH・E・ケーザーが日本のキ剤使用停止措置直前の昭和四五年(一九七〇年)二月二〇日から八月一四日迄の間に発表したものであるが当時既にキ剤が人間の視神経、知覚、運動神経を侵すものであることが判っていたことを物語っている。後記2の報告で発表している二例のうちの一例はキ剤によるスモンとみてよいと考えられる。

1 甲九三号証

H・E・ケーザーらの「オキシキノリン誘導体の大量服用後の急性脳障害」昭和四五年(一九七〇年)二月二〇日ドイツ医学雑誌九五巻八号

(1) 二四才の男性薬剤師が一九六九年七月一六日自動車旅行の途上、下痢にかゝり二四時間以内に約三〇錠のエンテロビオホルムを服用したところ一二ないし二四時間後に錯乱、頭痛、視力障害、前昏睡、高血圧の状態を来たし四日間の出来ごとについて逆行性健忘が認められた。

(2) 当初認められた基礎リズムの緩徐化を伴う高度かつ広範囲の脳波異常はその後の検査で消失したが両側前頭ないし側頭部の徐波と局在性の鋭波(sharp waves)は一四日後の検査でも認められた。

(3) 各種の動物にオキシキノリン誘導体を投与せば急性脳症状が観察され我々は実験でそれを発症させることができる以上、人についても同様なことが起り得るのでないかと考えてみるべきであり我々の観察はこの推察を裏付けている。

(4) エンテロビオホルム等、腸障害に用いられるオキシキノリン誘導体は単なる腸内殺菌剤で任意の量を服用しても差支えないという当初の考えにはつとに反論がなされている。これらの物質は吸収されて尿中に排泄される。動物実験によれば、これらの物質を一回又は長期間に大量投与せば神経毒性を示すことがある。従って不明の急性脳障害殊にそれが下痢を伴って現われる場合には患者が何らかのオキシキノリン製剤を服用していないかどうか念入りに検討する要がある。

2 丙一八三号証

H・E・ケーザーの「メキサホルムの副作用」

昭和四五年(一九七〇年)七月一九日、ドイツ医学雑誌九五巻二五号

(1) メキサホルムの非常に高用量の長期継続投与、特に腸性末端皮膚炎において、早いもので三ヶ月後、通例一~二年後に数例の視神経萎縮と知覚運動性の多発性神経炎が観察されてきた。この危険性は既知のものであり、これらの症例では基礎疾患が生命にかゝわるものであるから甘受される。しかし時折、視神経障害を伴う多発性神経炎が一日三~六錠のエンテロ・ビオホルム又はメキサホルムを数年にわたって使用した場合に観察された。不完全な文献記載に基づいているが、長期継続投与の場合に多発性神経症が〇・五%の症例に生ずるようである。私は三五〇例の多発性神経炎と多発性神経症のうちエンテロ・ビオホルムが原因とみられる蓋然性の高い二症例を見出した。一例は潰瘍性大腸炎のためエンテロビオホルムを後にはメキサホルムを服用した女医で知覚性の多発性神経炎となり、非常にゆっくり消退した。他の一例は痙攣性大腸炎のため数年にわたりエンテロ・ビオホルムを一日平均六錠使用した女性患者で精密に筋肉と神経の生検が行われたが極めて重症で重篤な運動障害、知覚障害、強度の視力減退、聴力障害を呈した。運動障害は数年内に治癒したが、両側性の不全性視神経萎縮と深部知覚障害は残っていて、彼女は今日尚著しい不便を来している。

3 丙一八二、一八三、一八四号証、甲九四号証

H・E・ケーザーの「オキシキノリンの神経毒の問題について」

昭和四五年(一九七〇年)八月一四日「ドイツ医学雑誌」九五巻三三号

これは次のように述べている。

著者自身による二観察を含む若干の観察はハロゲン化オキシキノリンが潜在的に神経毒性を有することを示し、その長期大量投与により視神経萎縮や多発性神経症が惹起される可能性がある。従って長期治療は厳格な適応症に限って許される。

ハロゲン化ヒドロオキシキノリン誘導体類が潜在的に神経毒性を有する理由は次のとおりである。

(1) これらは単に腸内で殺菌作用をなすばかりでなく、体内に吸収される。

(2) 類似した構造をもつ4―アミノキノリンであるクロロキンは長期使用の場合、比較的頻繁に神経筋疾患や網膜症を誘発する。

(3) 個別の犬や猫の例では大量の、或いは又体重相応の投与量でさえ、てんかん状態を惹起し、時として、主として大脳辺縁系の領域における神経節細胞破壊の結果として持続的な記憶障害を惹起する。

(4) 腸性末端皮膚炎の効果的な治療に必要な長期大量投与によって、数年後に視神経萎縮や多発性神経炎が誘発される可能性がある。

(5) モルモットと子猫の致死量は〇・二~〇・四g/kgであり犬は〇・二五~一・五gの一回投与で痙攣を起した。

(6) ハロゲン化オキシキノリン剤を用いた長期治療は厳格な適応症に限って行わるべきで、成人の一日服用量〇・七五ないし一gをこえることが許されるのは腸性末端皮膚炎のごとき生死に関わる適応症に限らるべきである。

(7) 急性腸炎の治療には成人に一日一・五g及び小児には年令相応の小児量をこえるべきではなかろう。

(8) 治療中原因不明の視力障害、特に色覚障害、知覚異常、歩行障害が生じたならば治療を直ちに中止すべきである。

(9) 旅行者の通常の下痢は大抵大腸菌によって発生するものであるからオキシキノリンを用うべきでなくサルファ剤や抗生物質を使用すべきである。

六 その他の副作用を報告したもの

神経症状に言及したものではないがキノホルムが腹痛、胃部膨満感、灼熱感、心悸亢進、食慾不振その他の胃腸障害の症状が出ることを述べたものには徳山康秀「腸疾患とビオホルム」(一九三六年戊一六九号証)田辺操「アメーバ赤痢の化学療法」(一九四〇年丁一三九号証の二)栗本要「最新薬理学Ⅱ」(甲八六号証)等いろいろあるが次の二つのみを掲げる。

1 戊一八一号証

奥津汪「キノホルムの肺結核患者下痢に対する使用効果に就て」

昭和二五年四月「日本臨床結核」

これは筆者が二〇人の肺結核患者の下痢止めにキノホルムを投与して有効なことを認めたという報告であるためキノホルムを讃えた文献であるが、副作用として極量を使った場合、稀に腹痛、頭痛、下痢、悪心、心悸亢進、呼吸困難、粘血便の見られたものもあるといい、筆者の場合は投与量を一日〇・六gを三回に分けて毎食後分与し他の薬剤との伍用を避け副作用を考慮して連続投与は七日以内としたが例外的に連続投与したものもあった、キノホルムを服用すると糞便は油様の緑色を帯びてくるとしている。

この文献は当時キノホルムを売出した八洲化学株式会社が自分のところの宣伝のため引用していたと思われるが副作用を警戒し一日〇・六gで、連続投与は七日以内としているといっているのであるから被告製薬会社ら就中被告田辺はキノホルムの投与量はこの程度にすべきであることをよく知っていたことを物語っている。この程度の投与量なら反作用が少いことに不思議さはない。

2 戊一八六号証

日野友雄「エマホルムの試用経験」

昭和三二年三月「臨床消化器病学」第五巻第三号別冊

これは筆者が一九例の急性腸カタル、八例の亜急性腸カタル、二九例の慢性腸カタルにエマホルムを投与して得た結果の報告書で急性では無効二例、亜急性では無効なし、慢性では無効一一例であった、といい「私は可成り長期間エマホルムを使用した例を経験し副作用を認めなかったが菌耐性菌交代現象の発現はなしといい得ない。やはりエマホルムも余り長期使用するのは考えものと思う、現に私の使用例でも二例の奏功例が一ヶ月続けていたところで再び下痢を起している。

エマホルムの副作用は比較的少いが絶無とはいえない。五七例中三例に胸やけ、一例に心窩部痛をみとめている。恐らくはキノホルムの胃刺戟作用と思われる。といい、エマホルムが腸カタルにどれだけよいかの疑問を呈している。尚この例での投与量は一日四~一〇錠(〇・四~一g)であった。

七 まとめ

(1) 以上のとおり、これらの文献はつとに世に出され被告らの知っているものがあるのは当然、知らないものでも知ろうと思えば当然知り得たものであるからこれらによって被告らはキノホルムが人間の神経に障害を与える危険なものであると予見することは当然可能であったといわなければならない。

尤もこのうち被告田辺がエマホルムの製造許可を得た昭和三一年一月一七日当時を基準として考えれば、それ以前に人体にスモン様症状が出たことの報告としては前記二の4の昭和一〇年(一九三五年)のグラビッツとバロスの報告のみでそれ以外はキノホルム又はその類似類縁化合物の動物実験の結果の報告等であり人体に対するキノホルムの投与実験報告はその後昭和三九年のゴルツらの報告迄なかったのであるがキノリン、キノホルム、その類似、類縁化合物である八ヒドロキシキノリン類、アミノキノリン類等の各薬剤を動物に投与して現われた実験結果、試験管試験、臨床治験に現われた現象はその類似性の故にキノホルムの人間に対する毒性、神経毒性、神経親和性を疑って然るべき資料であるから当然文献的価値があり、予見可能性を認めうる資料たり得るといわねばならない。甲二一七号証の一によれば証人熊岡熙はキノホルムの神経毒性を予測させる基本的文献は昭和二〇年頃迄には出ており昭和二五年以降になるとこれを充分に予測させるデーターが蓄積されていたといい、以上に掲げた文献は当然この中に入っていると考えられるので基準時以降における被告らの予見可能性は十分肯定されてよい。

又本件原告らの場合がそうであるように一般に、人間の神経は一旦侵害されて障害を生ずると不可逆的で治療によって原状に復することはほとんど不可能であるといえるので人間の神経を侵すことの予見は不可逆的な神経障害を起すことの予見が可能であったことを示すものというべく、専門家である被告製薬会社らや厚生省係官は当然このことを知り得たといわなければならない。

医薬品に関する文献は極めて多くその中に占めるキノホルムの毒性についての予見可能性を示す文献は僅かで全部注意できなかったというがごときは医薬品という人間の生命、健康に重要な影響をもつものを取扱う被告らの弁解として取上げる余地はない。

(2) 動物実験は人間そのものの実験と違うことはいうを俟たず、医薬品の反応も異るであろうし、動物は喋らないから主観的症状は把握しにくい等不十分な点のあることは当然であるが一面大量、長期投与というような人間では到底行えぬ実験でも動物でなら行えるものもあるのみならず、人間も哺乳類動物の一種類であって他の動物と類似した点も多々あり、動物実験により人間に現われる現象を類推することは古くから行われており、動物実験に現われた結果は人間にも現われると予想し、動物実験で現われぬものでも人間に現われるものはないかと疑って慎重に検討する必要があるといわねばならない。

(3) 甲二八八号証によると慢性の中毒症状とは有害作用の反復の結果現われるもので急性の中毒症状には現われなかった症状が加わるものであることが認められるので、被告製薬会社らが行った実験で急性中毒症状には出なかったからといってそれとは別の慢性の中毒症状が出ないとはいえないので、連用されたのでない実験の結果のみに頼ることは不正確といわねばならない。

又動物の急性毒性実験で痙攣や歩行障害などの神経症状がみられた場合は(前掲丙二〇一号証)当然脳などの中枢神経系のくわしい病理組織学的検索をするとともに慢性毒性実験をして右神経症状を確めるべきは当然のことであり(甲二四四号証の一岩本多喜男の証言一〇一頁、戊第四八〇号証、白木証言二一頁)、これに反する被告チバの主張は採用できない。

(4) 被告武田、チバ、田辺らは、種々の物質の薬理作用には、その物質の化学構造上の特異性に依拠していないものと依拠しているものがあり、前者は構造非特異的薬理作用物質であるといわれこれは物質の薬理作用が化学構造には関係がなく、その化合物の物理的、物理化学的性質に依存しているもので、その薬物は生体組織のある特定の部分と反応するのではなく、生体の全体にわたって分布し、そこにはファーグソンの原理等熱力学的法則が支配している。ベンゼン、クロロホルム、エーテル等これらに共通する薬理作用の一つである全身麻酔作用は化学構造の類似性に依存しない。一方後者は構造特異的薬理作用物質と呼ばれ、その生物学的活性はその物質における分子の立体化学的配列、官能基の位置形状等その特異な化学構造によってもたらされ、その作用は官能基と生体組織中の受容体との相互反応によって起こり、特異な化学構造部分が異なれば他の部分がいかに似ていても類似の薬理作用は期待できない。抗生物質などのいわゆる化学療法剤がこれにあたる。ところでキノリンは構造非特異的薬理作用物質であるから、これと類似の化学構造あるいは共通の部分構造をもつ別の化合物のすべてが同様の薬理作用を有すると考えるのは誤りであり、キノホルム及びアミノキノリン類はいずれも構造特異的薬理作用物質であるから、官能基の違いにより薬理作用は全く異なる。したがってキノリン及びアミノキノリンの毒性(薬理作用)からキノホルムの毒性を予見することは薬理学上の右知見からしても到底できない、概ね以上のとおり主張する。

たしかに近代薬理学の祖といわれるエールリッヒの打ち立てた受容体概念やアルバートらの選択毒性の概念などが薬理学上注目すべき研究成果であり、薬物の作用機序の解明、新薬の開発等に相当の寄与をしたことは否定し得ないと思われ構造特異的作用、非特異的作用の分類も薬理学上意味のある有用な概念構成であろう。しかし、エールリッヒの受容体理論にしてもそれはいわば説明の道具にとどまり、受容体の実体がいかなるものであるかについてはいまだ十分に解明されていないように思われ、薬理学者によってさえ「化学構造と薬理作用との関係はこれまで多くの努力がなされたにもかかわらず十分明らかにされていない。」(丁一四一号証、高木敬次郎、小沢光共著「薬物学」昭和四八年)と述べているのである。

被告らはリヒターの研究などに基づき、アミノキノリンの薬理作用は側鎖の位置形状によるとするが、キノリン核を除いた側鎖のみで同様の薬理作用があるとはいえず、キノリン核自体の持つ作用を否定できないのは明らかである(甲二四四号証の一、二三三頁)。

また被告らはキノホルムの薬理作用はキノリン核のN(窒素)とペリ位にある水酸基によってもたらされるキレート能がその本体であり、これを持たないキノリンやアミノキノリンの薬理作用とは全く異る旨主張する。

しかし一九五〇年(昭和二五年)のクレスサイテリーの報告によれば、キレート能を持つ8ヒドロキシキノリンとこれを持たない2ヒドロキシキノリン(カルボスチリル)及びキノリンの両者ともカエルの神経に対し伝導遮断作用を持つことが実験で確められていることが認められる(甲二七〇号証)。

又一九七四年に報告された丸山らの実験によれば、キノリン、オキシン(8ヒドロキシキノリン)、キノホルムをラットに静脈投与したところ、キノリンでは末梢下肢神経に軸索の脱落、脱髄現象を示す神経線維束変性像が認められ、オキシンには中枢神経系に対する障害が認められ、しかも頸髄以下の下方に行くほど変性を起こす頻度が増大し、いわゆる下方変性形態をとる傾向がみられ、キノリンとは異った強度のものであった、キノホルムでは前二者の病変が入り混じった形態をとり、その部位も中枢神経系よりは末梢神経、内臓臓器と徐々に広域に広がり、かつ変性も強度であったとして、「以上の成績からキノホルムの持つ神経に対する毒性はキノリン骨核に水酸基、さらにはハロゲンが導入されるとキノリン核そのもののもつ毒性がさらに増強され、中枢神経系及び末梢神経系に影響を及ぼすものと思われる。」と結んでいる。(甲二五二号証、戊五〇七号証)。岩本多喜男は右丸山らの研究はキノリンや8ヒドロキシキノリンの作用が特異的か非特異的かという論争にとどめをさすものと評価している(甲二四四号証の一、九四頁)。

なお又熊岡熙はキノリンと8オキシキノリンに共通にみられる性質として解熱作用、抗アドレナリン作用、右クレスサイテリーの研究による神経伝導遮断作用、抗イモチ作用などキレート能に無関係な薬理作用ないし毒性があるから、「8オキシキノリンがキレート能を有することにより構造非特異的な薬物になってしまい、キノリンのもつ神経毒性を疑うことができない」という立場は論拠がない旨述べている。(甲二一七号証の一、三七~三八頁)

以上要するに薬物を構造特異的作用物質と非特異的作用物質に分けることが薬理学上有用な概念構成であるとしても、キノホルムについてはその両者の性質を併有していることが窺われるのであり、アミノキノリンの生物活性も側鎖のみに由来するといえないことは前示のとおりであって、いずれにせよキノリン核のもつ薬理作用を無視し得ないことは明らかである。

一方薬理学上化学構造の類似した薬物は類似の薬理作用を有するという類似構造類似作用の法則は古くから知られており(前掲岩本、熊岡証言調書)、新薬の開発にあたっては右法則が手掛かりとされている。本件で問題となっている抗マラリア剤であるアミノキノリン類は経験的にマラリア治療薬であることが知られていたキニーネからキノリンが抽出され、これが抗マラリア作用に重要な役割を果していると考えられたことからキノリンの四位、八位にアミノ基を有する側鎖が導入されて合成されたものにほかならない。そして右の類似構造類似作用の法則は薬物の有効な薬理作用のみならず、毒性についても同様に妥当するといわねばならない。

結局現時点においてさえ化学構造と薬理作用との関連は十分明らかにされておらず、キノホルムは構造非特異的作用物質と決めつけることはできない一方、薬理学上類似構造類似作用の法則が古くから承認されていたのであるから、被告らはキノホルムの合成の基礎となったキノリンや8ヒドロキシキノリン及びキノリンの誘導体であるアミノキノリン類の毒性や副作用報告にも十分留意すべきであったことは明らかである。

第八キノホルムの適応症と用法、用量、下痢整腸剤との関係

一 右の第一ないし第七でみてきたところによるとキノホルムの適応症は外用の消毒剤のことはさておきアメーバ赤痢、トリコモナス腟炎の原虫殺滅及びその後治療に用いられて効果のあった腸性末端皮膚炎とみるのを相当とする。腸性末端皮膚炎のことはデービッドらも言及しておらず、かつわが国における被告製薬会社らの能書宣伝文にもそれを掲げていないが、キ剤が昭和二八年頃から腸性末端皮膚炎に使用され始め昭和四五年九月厚生省がキ剤の一般的な使用中止を指示したときも腸性末端皮膚炎のための投与は例外的に認めるとしていたのであるから適応症の中に入れてよいと考える。尤も丙三〇七号証の一、二(オレ、ハンソンの証言)によるとスエーデンでも昭和四九年以降腸性末端皮膚炎の治療に亜鉛治療法が開発されキノホルムの必要がなくなったことが認められるのと本件原告らは後の各論で認定するようにトリコモナス腟炎とか腸性末端皮膚炎でキノホルムを投与されたものはないのでここでは内用の適応症としてはアメーバ赤痢のみを考えれば足りる。それすら甲二一七号証の一(熊岡熙の証言)にあるようにキノホルムはアメーバ赤痢にそれ程効くというものでないし、そんな危険なものを内用に供すべきではない、他に用うべきものがあるという見解もある。

それはともかく当裁判所はキノホルムの内用の適応症としてアメーバ赤痢はこれを認めてよいと考えるがそれに用いるにしてもつとにデービッド、バロスらが提唱していたように反作用を考慮し一回に〇・二五g一日三回として一日〇・七五g一〇日間を一コースとして投与しそれで尚原虫が陰性にならなければ一〇日間位の休薬期間をおき更に一〇日間の一コースを繰返す位が限度であるというべきである。

又薬剤の投与量は体重等に比例すべきが化学療法の原則(小児への投与量は大人の半分以下というのが普通)という点からいえば一般に欧米人より体格に於て劣り体重の少い日本人に対する投与量は欧米人より少いのが相当と考えられる。現に丁三三号証によって認められる清水藤太郎外一名編の「注解第六改正日本薬局方」(昭和二九年版)はキノホルムの適応症欄に「アメーバ赤痢とトリコモナス腟炎」を掲げ常用量を「一回〇・二g、一日〇・六g」とし、乙三号証の二、乙四号証の三、乙五号証の四、乙六号証の三、乙七号証の二、乙八号証の三、乙九号証の四によって認められる第六ないし第八改正日本薬局方の解説書が何れもキノホルムの常用量を「一回〇・二g一日〇・六g」としているのはかゝる点を考慮したもので妥当といわねばならない。デービッドらの発想も人間の体重一kgにつき一日一〇mg投与というものとみてよい。羽野久、安藤鶴太郎、津田恭介らの著書、非凡閣の「薬学大全書」もそれを理解してキノホルムの投薬量を一日〇・六g又は〇・五gとしていた。岡谷昇の治験報告もその点を配慮して投薬していた。

二 しかるに被告製薬会社らは梶川静夫が昭和四年に「ビオホルムを急性大腸カタル、疫痢、急性慢性醗酵性(腐敗性)等に投与し可成り良好な効果を認めた」(丁八四号証)と発表しついで高原憲、大森静樹、中山多計士らがキノホルムが下痢止め腸内殺菌薬としてよいと発表し外国に於ても一部の人間が同趣旨のことを発表した(丙一四号証)のを利用し、昭和二八年頃よりわが国内でキノホルムが各種の下痢大腸炎等に効くとして宣伝販売したものであるがキノホルムが一時的に下痢現象を抑える作用をもつことはデービッドらが当初アメーバ赤痢の治療にキノホルムを投与する実験を始めた時以来それが糞便を固化させ便秘がみられると述べていること(戊一五〇号証)グラビッツもキノホルムの主な副作用は便秘であると述べていること、その他便秘症状が出ることを報じているものが多いことからして不思議でないが、梶川らの報告は臨床医が試みに投与したら下痢止めの役を果したという現象面の観察に過ぎず、キノホルムの本質をみればこれは人間の胃腸を健常なものに直して下痢を癒す効果をもつものでないから下痢その他の胃腸に効くということの機序、薬理について綿密な実験研究がなされた結果によるものとは到底いえない。

又甲六七号証によると被告チバはメキサホルムの適応症として慢性の膨満感、鼓腸、便意亢進、便秘等にも優れた効果を示し、また開腹術後のガス膨満の予防にも有効といわれているといって治験報告をあげているがキノホルムはその実体からして下痢と正反対の便秘に効果があるとは考えられないしキノホルムが虫垂切除術等の開腹術後のガス膨満の予防に有効な理由、機序は全く判らないからたまたまそれに役立ったらしい報告があったからといってキノホルムがこんなことのために投与さるべき薬剤と考えることはできない。

三 昭和二〇年代迄のキノホルムの投与報告に反作用の報告がないか、あっても少いのはデービッドらの投与制限を心得て慎重に投与されたためであるから少しも不思議でなく、昭和三〇年以降はスモンが発生し始めたがキノホルムによるものであることを認識しなかったため反作用として報告されなかったに過ぎない。

デービッドが昭和二〇年当時つとに「非アメーバ性下痢の治療にキノホルムをem-pirically(経験的にと訳されるが学問上の理論を軽視し経験にのみ頼ることをいう。そのことからempiricは旧式医師、やぶ医師を指す)に用うべきでない」(戊一五六号証)と警告し、丙三〇三号証の一によればデービッドはわが国の法廷で、一九四五年当時キノホルムがアメーバ症以外の種類の下痢に効くという臨床治験例はなかったと証言しているのはこのことを裏書している。ここにいう臨床治験例とは臨床医がたまたま使ってみたらよかったというものではない、研究された治験例と解すべきである。キノホルムはアメーバ原虫を殺滅する力をもっているからそれより弱いとみられる細菌類に対する殺滅力をもつとしても不思議でないがキノホルムの劇性、反作用の強さ、他によい薬剤があることと比較すればキノホルムがそんなものに投与さるべきものとは考えがたい。

下痢というのは寄生虫、細菌によるものも一部にあるが、冷えとか、消化不良、神経性に由来するもの等原因は多方面にわたり、下痢自体生理的な排泄作用であって腹を暖めて放置しておけばよいというものもあるのであるから劇性の強いキノホルムを用うべき対象ではなく、整腸剤等という漠然とした広い概念の使用は許されないというべきである。被告チバが自ら書いた「抗菌剤としてのキノホルムの歴史」(丙一四号証)は「南国や多くの他の国々へ旅行する人の急性の下痢は知られているが病因は不明である、一九五九年キーンとウォーターズが旅行者の下痢の予防のため、エンテロビオホルム、ネオマイシン、偽薬の三者を複式ブラインド方式でアメリカ人学生六一〇名に二週間投与する比較研究を行ったがエンテロビオホルムもネオマイシンも偽薬より効果があったとはいえぬ」といって自らの実験結果によってもキノホルムが下痢予防等に役立たぬことを知っていたのである。又甲一〇一号証の添付文書中にある都立荏原病院伝染科医長の報告は一三人の赤痢患者に一日三~八錠のメキサホルムを五~一〇日間投与してみた結果有効と思われたのは一例のみで無効ないし有効と思われないものが八例あり、メキサホルムは赤痢に対する応用として価値低く、病原体的効果も劣っているので保菌者への応用も期待できないといゝ丙三〇七号証の一に於てグラビッツはビオホルムはエンドアメーバコリ以外の寄生虫の除去はできず、ランブル鞭毛虫の絶滅作用も観察されなかったと報告している。

四 まとめ

以上のごとくキノホルムは内用としてアメーバ赤痢の治療用には用いてよいがその他特に細菌と関係のない下痢、胃腸炎、整腸剤等として用うべき薬剤ではなく、用うるとしても十分用法用量を制限すべきものであるのに被告製薬会社らは後の第一〇にある一覧表にあるような各種下痢胃腸障害に効くとして製造等の許可、承認を受け宣伝販売したものといわねばならない。

第九わが国におけるキノホルム販売、製造の歴史とエマホルムの製造

一 甲五六号証、甲一一七号証の一、二、三、甲二三二号証の一、二、甲二九三号証、乙二一号証の一、二、戊三五六号証の一、二、丁九号証によると次のとおり認められる。

キノホルムは明治三三年(一九〇〇年)スイスのバーゼル化学工業会社より製造発売され、わが国へは大正二年頃から同社の日本総代理店たるカール・ローデ商会と契約していた三共合資会社を経て外用薬として輸入販売され、昭和四年梶川静夫が内用を始め、ついでデービッドらのアメーバ赤痢に効くという情報とともに順次内用へ提供されるようになった。スイスのチバ社は昭和九年キノホルムにサパミンを加えたエンテロビオホルムを作り発売したので、わが国へは間もなく武田長兵衛商店を経て輸入販売され、又昭和三三年にキノホルムにエントベックスを配合したメキサホルムを作りわが国へも輸入した。チバ社は当初キノホルムの原末を日本に輸入し被告武田に打錠、小分け等キ剤製品を作らせて販売していたが昭和三五年自ら宝塚に工場を作って製造を始め、被告武田を通じて販売した。

国産のキノホルムは昭和二年頃より陸軍が、同一二年頃から内務省が試作を始め、昭和一四年五月頃東京衛生試験所の技手篠崎好三がキノホルムの中間原料たる5クロル8オキシキノリンの製法特許を得、その翌月頃から国内でキノホルムの生産を開始し、大部分を軍用に提供した。戦争が終り、昭和二一年八月頃八洲化学株式会社が厚生省衛生試験所よりキノホルムの製造機械を譲受けて生産を開始した。同時に篠崎好三は八洲化学株式会社に入社した。

二 甲二三二号証、戊三五六号証の一、二、戊二〇二、二五〇号証によれば次のとおり認められる。

(1) 昭和二六、七年頃、東大医学部薬学科教授であった野上寿は同大学医学部の三沢敬義教授より、エンテロビオホルムの主成分のキノホルムは日本でもできるがこれに手を加えエンテロビオホルムと同等又はそれ以上のものを作れないかとの相談を受けエンテロビオホルムに加えられているサパミンの代りにCMC(カルボキシ、メチルセルローズ、ナトリウム)を加えてエマホルムを作った。このCMCは一種の高分子化学物質で水に溶かすと糊のようになり日本薬局方にも収載され食品添加物、製剤の補助剤として用いられているもので、大量に使用せば下剤になるが少量では余り薬理作用のないものである。サパミンは、一種の界面活性剤で油を水によく分散させる働きをするものでキノホルムは水に溶けにくい物質であるから、その分散を助けるために配合されエンテロビオホルムが作られたがエマホルムもこれとよく似たものである。以上のように野上と三沢はキノホルムにCMCを加えたものをエマホルム(乳化キノホルム)と称し昭和二九年に特許をとり八洲化学株式会社にその実施権を与え同社が乳化キノホルムヤシマと称して発売した。

昭和三一年八洲化学株式会社が倒産したので被告田辺がその工場を引取り田辺が全額出資した資本金五〇〇万円の立石製薬株式会社を作り、ここと被告田辺の大阪工場(加島)でエマホルムを作って発売した。

(2) 三沢敬義と野上寿は当時キノホルムは日本薬局方に収載されていた普通薬で、曽て劇薬に指定されていたことについて余り調査せず、その効能についてもサパミンをCMCにかえたに過ぎないと考え、キノホルムの毒性、劇性について薬理試験、毒性試験を行わずにエマホルムを作り三沢敬義はこれを勤務先の東大付属病院物療内科で患者に投与して臨床試験を行うに止まった。昭和二九年一一月の日本温泉気候学会雑誌一八巻四号に北原静夫外九名が書いた「乳化キノホルムの抗菌作用とその臨床的効果」(戊一八三号証)はその報告である。野上も当時外国におけるキノホルムの投与制限等について余り研究しなかったらしく医師は文献、永年の臨床データ、経験があるから重篤なものでない限り禁忌なんか能書に書かなくてよいといい、キノホルムは人間の腸管から吸収されても僅かしか吸収されず影響はないと考えていた。但しキノホルムが人間の腸管から吸収されることは当時でも判っていたし、丁九号証にあるその後のスモン調査研究協議会の金光正次、笠井美智子らの研究結果によると、スモンはキノホルムのみでは発症に至らぬ量でもCMCを配合すれば高率に而も早く発症すること、これはCMCがキノホルムの腸管吸収を増強することを示唆しているとしている。

被告田辺が自らエマホルムの創製に当り動物実験等を行わなかったことは同被告の認めるところである。

(3) エマホルムは三沢、野上の以上のような思考で作られたものであるに拘らず、被告田辺はエマホルムは東京大学三沢名誉教授と同大学医学部薬学科の野上教授の協同研究によって創製されたもので云々、副作用は全く見られずトリコモナス腟炎、胃腸炎、夏季下痢、細菌性赤痢、アメーバ赤痢等の腸内諸感染症疾患に投与でき卓効を収めると宣伝した。

第一〇被告製薬会社らが行っていた宣伝文言

被告製薬会社らは本件キ剤製品の販売に当り各種の宣伝を行っていたがその幾つかを掲げる。

一 被告チバが行った宣伝

甲六六、六七号証、甲一〇八号証の一ないし二一によれば被告チバはわが国内で頒布していた宣伝文等に於てメキサホルム、強力メキサホルムの適応症として「急性非特異性下痢、慢性再発性下痢、夏季下痢、胃腸炎、腸炎、小腸大腸炎、大腸炎、細菌性腸疾患アメーバ症(特に慢性アメーバ症)」「慢性の膨満感、鼓腸、便意亢進、便秘等にも優れた効果を示し開腹術後のガス膨満の予防にも有効といわれている」と記載し、又優れた忍容性と題し「メキサホルムは優れた忍容性を有している。副作用は決して重篤なものではなく、しかもその発生は極めて少い(一%以下)。副作用と治療中の実際の疾患の症状とを区別することが困難な場合が屡々ある。これに関連して指摘しておかねばならないことはメキサホルムは生理的腸内細菌に何ら有害な影響を与えないということである」「腸内病原殺菌、整腸剤」と宣伝し、エンテロビオホルムを「世界的に用いられている腸内殺菌剤」「あらゆる型の下痢及び赤痢に」「経済的有効安全な」「御旅行・行楽の際の食あたり下痢の予防と治療に好適」「種々の原因による下痢に」と、強力メキサホルム散・錠を「生理的腸内細菌叢の保護・種々の腸疾患に合理的・腸内病原菌整腸剤」等に効くと宣伝し、又その投与制限にふれることはほとんどなく、反作用の警告をしなかった。

二 被告チバ、武田の行った宣伝

甲七三、七四号証によれば被告チバ、武田は甲七三号証の能書では製造被告武田、提携被告チバと表示し、又甲七四号証の能書では製造チバ、提携武田と表示し連名でその薬効等を「エンテロビオホルムは夏季下痢、細菌性赤痢、アメーバ赤痢、腸結核による慢性下痢、大腸炎、小腸炎予防用によく効き、長期にわたる治療、特に敏感な患者や小児、老年者にも使用することができる」と宣伝した。尚丙二九九号証の二(フランツ・グロスの証言)によると、被告チバが昭和三八年(一九六三年)当時、適応症に「腸結核による下痢」を加えていたのは日本で出していた能書のみであるというから日本以外ではこの宣伝は行っていなかったことになる。

三 被告田辺の行った宣伝

甲一〇六、一〇七号証、戊二五〇号証、戊二五二、二五三、二五四号証によれば、被告田辺はその能書に於て同被告製造の各種エマホルムにつき

(1)各種の細菌(ブドウ球菌、連鎖球菌、大腸菌、チフス菌、赤痢菌、枯草菌、肺炎球、緑膿菌、脾脱疽菌)及び原虫(アメーバ、ランブリア、トリコモナス)に対し強力な殺菌と発育阻止作用を有する。適応症慢性下痢、神経性下痢、腸内異常発酵、疫痢、細菌性赤痢、急慢性アメーバ赤痢、パランチジウム赤痢に有効で(2)内服された大部分は吸収されることなく排泄されると考えられている。(3)副作用はほとんどみられない。ヨードに敏感な人に極めて稀にヨード疹をみることがある。(4)エマホルムは殺菌力も強く、繰返し使っていても耐性菌を作るおそれが少い上心配な副作用がないので安心して使用できる。又この薬は新しく開けた団地等地下水を使っている人で赤痢の心配があるときはこれを少量づつのんでいるとその予防にも役立つ等と宣伝した。

四 以上によれば被告製薬会社らはキ剤製品の適応症をアメーバ症、トリコモナス腟炎以上に大巾に拡大宣伝し投薬についての十分な制限、予想される反作用の警告を怠っていたことは明らかである。

被告製薬会社らが各種キ剤につき製造、輸入の許可、承認を受けていた適応症、用量等を一覧表にすると次のようになるので宣伝はこれに則って行っていたと推測できる。

10

11

製造(輸入)許可(承認)年月日(昭和)

31.1.17

31.1.17

35.3.12

35.10.3

35.10.3

36.1.31

37.5.12

37.11.26

38.6.8

38.6.20

39.8.6

キ剤製品名

細菌性赤痢

疫痢

急慢性アメーバ赤痢

パランチジウム赤痢

神経性下痢

悪性下痢(急性及び慢性)

腸内異常醗酵

モニリヤ症

急慢性腸カタル

大腸カタル

夏季下痢

細菌性赤痢、細菌感染性腸疾患の予防

大腸炎

醗酵性、腐敗性消化不良

寄生虫性腸疾患

ランブリア病

熱帯、亜熱帯地方の胃腸障害

腸カタル

腸内異常醗酵等の予防

腸炎

赤痢後遺症

胃炎

鞭虫感染症

肺結核患者の下痢

食中毒

腹痛

けいれん性便秘

胃痛

胃カタル

消化不良

細菌性腸疾患

用量

一日の投与量(成人)

キ剤換算g

0.3~0.6

0.63~0.9

0.5~1

0.75~1.5

0.75~1.5

0.54

0.3~0.6

0.6~1.2

0.6~1.2

0.7~1

0.6~1.2

増量可能量

キ剤換算g

0.9~1.2

増量可

1.5~3

4.5

1.5~3

1.2~2.4

2.4

2.4

増量可

2.4

第一一被告チバ、田辺両製薬会社の責任の総括

一 以上第一ないし第一〇に述べて来たこと及び次節の被告国の責任において述べるようにキノホルムは当然劇薬に指定さるべき性質をもっていることからみるならば、キノホルムの内用の適応症は前記のようにアメーバ赤痢に限られ、それに用いるにしてもわが国では成人の場合一回〇・二g一日三回計〇・六gを一コースとして一〇日間投与し一旦休薬期間をおいて経過を観察し更に必要あらばもう一コース一〇日間繰返す位が限度で、それ以上の連続投与、多量投与は危険であるのに、被告製薬会社らはこれらの制限をほとんど無視し、反作用についての警告を行わず、本来用うべきでない各種下痢とか整腸剤、各種の胃腸疾患はてはその予防に役立つといって宣伝販売したため、これを信じた医師や患者が後の第四章で認定するように、アメーバ赤痢に罹ったのではなく、その大部分は下痢症状等を訴えたに過ぎない原告らにほとんど制限なくキノホルムが投与されたためスモンを発症させたものであるといわなければならない。

本件原告らを含めスモン患者には虫垂切除術を受けた者が多いことは知られているが、本件原告の上条茂登子は虫垂切除術後の便秘のため強力メキサホルムを投与されて重症のスモンに罹患した気の毒な例で、虫垂切除術後に於て下痢と正反対の便秘の患者になぜキ剤が投与されたのか理解に苦しむところ、甲六七号証によると被告チバはメキサホルムの適応症として慢性の膨満感、鼓腸、便意亢進、便秘等にも優れた効果を示し、開腹術後のガス膨満の予防にも有効といわれていると宣伝し臨床例抄を掲げていることが認められるので、投与者はこの宣伝文をみて右原告に強力メキサホルムを投与したのでないかと推測されるのであるが、これも被告チバが確固たる根拠もなく徒らに適応症を拡大して宣伝していたための例といえる。キノホルムと虫垂切除術との関係は明らかでないが、スモン患者に虫垂切除術を受けた者が多いことは、そこに何らかの関連を予想されるので、むしろ禁忌のうちに入れるべきであったと考えられる。

又キノホルムの実体と各種の文献、報告からすれば、被告製薬会社らは基準時は勿論それ以前からキノホルムがかかる重大、不可逆的な反作用の出る可能性を予見したか予見し得たにかかわらず、これを製造輸入、販売したものであり、時日の経過とともに反作用の知見、報告が集積し予見可能性は深まり被告製薬会社らは直接キ剤を扱う者として一番よくこれを探究し得たのに、厚生省の使用中止指示があるまで製造輸入販売を続けたため患者は増え症状は増悪の一途を辿ったのであるから、被告製薬会社らは当然守るべき注意義務を怠った過失があるので民法七〇九条によりそれと相当因果関係の範囲にある被害者の損害を賠償すべき責任があるといわなければならない。

これに反する被告製薬会社らの主張は到底採用できない。

尚後に各論で認定するように原告らの中被告チバ、武田の製品と被告田辺の製品を併せて投与され発症したものについてはこれら各被告間に民法七一九条一項の共同不法行為が成立する。

二 繁用されていたということについて

被告製薬会社らはキノホルムは内外国の薬局方に収載され繁用の歴史があり到底スモンの発症を予見できなかったと強調するが、既に述べたごとくデービッドらがキノホルムを抗アメーバ赤痢の内用として提唱したのは昭和六年以降のことで、それから徐々に宣伝されていったとしても主要外国の薬局方収載もそれ程多く一般的であったわけでなく、被告製薬会社らがわが国で製造、輸入を盛にし始めた昭和三〇年頃迄は約一〇年に及ぶ戦争という異常な期間を含んで僅か二〇数年に過ぎず、その間のキノホルムの国内使用数量(甲五六号証によると昭和一一年が八・一kg、同二八年で三八・三kg)を見ても僅かなものであり、アメーバ赤痢についてもキノホルムがなければならぬという程重要かつ必要な薬品であったとはいえないので、繁用の歴史があったという主張は採用できない。

昭和三〇年以降キノホルムの使用量が年々増加したことは後に説明するとおりであるが、これと同時にスモンの発症が始まっているから多用は被告製薬会社らが作り出したものであるに過ぎず、繁用の実績があったということはできないので、この点に関する被告らの主張は採用できない。

三 行政取締との関係

被告チバは新医薬品の安全性確認の方法は各時代によって異り、各時代の科学水準の向上に伴ってその手段方法も変化するから、その時代の規制を考察することによって当時どの程度の手段を講ずればその時代の科学技術水準のもとで最善の安全性確認措置をとったかということを推測でき、旧現薬事法に基づきキ剤製品が当時の医学薬学の最高権威者を集めた薬事審議会の答申を得て製造等を許可承認されたことは、その当時の最高の科学技術の水準を反映したものであるという。この主張は結局被告チバが製造等の許可承認を得たことは、その当時の水準における注意義務を尽したという趣旨と解される。

人間の知恵といってもその当時の学問、科学水準以上に出得るものでないことはそのとおりであるが、当時メキサホルム散チバ以外はいわゆる包括建議により中央薬事審議会の審議を経ずに製造承認がなされたことは原告らと被告国との間で争いのないところであり、甲三五五号証の一、乙二七号証によると、厚生省が承認申請者に対し医薬品の安全性審査のため当該薬品自身の試験結果の外毒性、胎仔、吸収、代謝、排泄等の薬理臨床試験の結果報告、副作用の報告を求め、厳格な審査をするようになったのはサリドマイド事件のあった昭和三八年以降又は昭和四二年九月のいわゆる基本通達以後のことで、それ以前は各種資料の提出も少く、大まかな審査が行われていたに過ぎなかったことが認められるのみならず、当時被告チバがエンリケバロスの報告やデービッドの警告を正直に添付して審査を求めたとは想像されないから申請者が完全な資料を添えたという保証はなく、国の許可、承認と関係なく製薬会社らは独自の立場で医薬品の安全性について研究検討すべきものであるから、製造等の許可、承認があったことの故を以て被告チバが注意義務を尽したということにはならないのでこの点に関する同被告の主張は採用できない。

四 公定書収載との関係

被告田辺はキノホルムが日本薬局方に収載されたことは国がその安全性を保証したもので、公定書収載品を製造する者は安全性に関する調査研究義務を免除又は大巾に軽減されているという。この点は被告国の主張にも同趣旨に近いものがある。公定書というのは医薬品の性状、純度の規準を定めるのが目的で、その用法、用量は必ずしも収載の必要がなく、公定書に収載することがその安全性を保証したとか安全性に関する調査研究義務を免除又は大巾に軽減したものという根拠は何処にもないが、国民が一般にこれを以て国が収載医薬品の安全性を公認したのだからその性状基準に合致するものを作ることは安全だと解釈するのはやむを得ないものがあると思われ、被告田辺もそう思ってキ剤製品を作ったものと認められる。

しかし後に被告国の責任について説明するようにキノホルムの第五改正日本薬局方への収載は戦争中の国策に副い繁用の実績がなく、是非必要とか重要な医薬品というのでもないのに慎重な検討を加えることなく収載されたものであり、その後の収載も同じでこれがスモン発症の原点となったものであって、この公定書収載自体に被告国に過失があったといえること、医薬品はその用法、用量、投与期間、総投与量との関係で有効性、安全性が左右されるものであるから、公定書への収載のみで安全性が保証されたとはいえず、キノホルムの公定書収載の歴史で明らかなように、収載を決定した委員等は第六改正に当って医師会や薬局方改正委員会の幹事会がキノホルムの収載に反対したにかかわらず確固たる理由もなく収載を決定するような不明さをもっていたこと、人間の知見、治験例は集積され、薬事法は薬局方が常に検討、改正されるべきものであることを予定していることからすれば、公定書収載が当該医薬品の安全性をいつも保証したとはいえず、被告らのような製薬会社はこうした実情をよく知っているのであるから公定書収載を以て被告らの安全性の調査研究義務を免除したとか大巾に軽減したものということは出来ず、この点に関する被告田辺の主張は採用できない。

五 輸入業者の義務

輸入というのは自ら製造するというのではない意味で製造とは異るが、消費者に対する最初の提供者であり国の規制を受ける最初の段階の提供者という点では製造者と同じであり、薬事法等も製造業者と輸入業者を同じに扱っておるから、その輸入に当って守るべき注意義務等は製造業者のそれと全く同じといわなければならない。

第一二被告武田の責任

医薬品販売業者は医薬品製造輸入業者と異り、出来上った製品を流通におくことを目的とし、その第一次供給者ではないから製品の性質、安全性の確認について製造輸入業者と同様の注意義務を負うものでないことは薬事法が製造輸入業者と販売業者を区別して扱っていること等からみて被告武田の主張するとおりである。しかし同被告の主張及び甲七三、七四、三六三号証、乙二一号証の一、丁一一、一二、三〇〇号証、丁三〇七号証の一、二によれば、被告武田は前記認定のごとく大正二年以来チバ社の前身であるバーゼル化学工業株式会社の関西における特約店となり昭和九年頃からエンテロビオホルムの輸入販売に当り昭和一三年頃にはキ剤の日本における製造権を譲受けビオメチンという名で自らキ剤製品を製造し、戦争中一時途絶えていたが昭和二七、八年頃からチバ社との取引が再開され、同二八年三月三一日その前年日本法人として設立された被告日本チバガイギー株式会社の前身たるチバ製品株式会社との間にチバ製品の配給契約を結んでチバ医薬品の配給人となり、同三三年の契約改訂では一手配給人となりチバ社の製品は全て被告武田を通じてのみわが国内で販売されるようになったこと、被告武田は昭和二八年から被告チバが宝塚に工場を作って自らキ剤製品を作り始めた同三六年四月頃迄被告チバが輸入したエンテロビオホルム原末の打錠又は小分けの受託加工をして販売したこと、キ剤の能書、包装、説明書等には製造者の被告チバの社名と並び販売武田薬品工業株式会社と表記していたこと、打錠小分けであっても薬事法一二条一項の趣旨に則れば製造と解すべきこと、昭和二八年四月二〇日厚生大臣宛提出された「エンテロビオホルムチバ」の公定書外製造許可申請書は、被告武田名義でなされ、その通りの許可を受けたのであるからその限りに於て製造者といわねばならないこと、被告武田は自ら研究、実験施設を有すると想像できる日本最大の製薬業者であってその絶大な信用が購入者をして提供医薬品の安全を確信せしめた原因となったであろうことは否めないのであるから、同被告は普通の中間流通業者と異り被告チバと密接に関係し同チバと一体となってキノホルムの供給に当ったといえるので、被告武田の寄与の大部分が販売者であったとしてもかかる場合は製造者輸入者と同じ注意義務があるというべきであるから、被告武田がそれを怠った場合は不法行為の責任を免れないというべきである。このように被告武田を同チバと並ぶ責任者として対外的に連帯債務者であるとみるとしてもそのため賠償額が二倍になるわけでないから、右被告ら相互の内部の負担部分は当事者間で処理すれば足りるのである。

従って本節の第一ないし第一一に於て説明してきたことがそのまま被告武田にもあてはまり、同じ理由によって被告武田は同チバが製造輸入販売したキノホルムによりスモンに罹患した原告らに対し、被告チバと共同不法行為者として損害賠償の義務があるといわねばならない。

被告武田の主張によると同被告は永年被告チバのキ剤の販売に当って来たが、チバが従来行った動物実験の結果、チバ社が犬にてんかんが生じた情報等につき獣医師に対しキ剤は人間用で犬用でないからとの廻状を出したこと、チバ社作成の「ハイドロキシキノリン治療時の神経及び眼科的障害」という報告書とそれの症例報告書、チバ社とハンソン、ハンガルトナー、スエーデン政府との交渉経過、米国FDAとの交渉経過については当時チバ社より何ら知らされるところなく何れも昭和四五年八月下旬又はそれ以降のスモン訴訟の段階や新聞で知ったといい、もしその通りであるとすると、被告チバ社の武田に対する背信行為であって甚だ遺憾なことといわねばならない。又このことは被告武田がチバ社を全面的に信頼し、自らはそうした各種の情報入手に努力していなかったことを物語るとともに、被告武田を以て同チバと一体の関係にあったとみる当裁判所の立場からみると、そうした不信なチバ社の一手販売業者なれば被告武田は尚一層の注意義務を尽すべきであったというべきであり、そのため被告武田に予見可能性がないとか注意義務がないということにはならないので同被告に過失があったという判断の妨げになるものではない。

第一三被告製薬会社らの責任と医師の責任との関係

医師は疾病の診断、治療を業とする専門家であるから医薬品の性質、効能をよく知ってこれを投与すべき義務がある点で一般の消費者と異ることは勿論である。しかし本件の例がよく物語るように医師も医薬品の効能、用法、用量は製薬会社の提供した能書や宣伝に専ら頼っているのが実情のようで、患者から見れば頼りない話ではあるが、製薬会社の能書が完全に正確な情報を伝えているのに医師がそれを守らなかったというのならともかく、そうでなければ医師の介在によって被告製薬会社らの安全な医薬品を提供すべき義務が軽減される理由となったり医師によって因果関係の中断があったとはいえないので、医師の介在によって被告製薬会社らの責任に消長を来すものということはできない。

第二節被告国の責任

第一はじめに

一 原告らは被告国は積極的に公衆衛生の向上、増進に努めるべき責務を有し厚生大臣をして薬事々項を規制させその適正を図らしめ、薬事法は医薬品の自由製造販売を禁止し、各別に厚生大臣の承認、許可にかゝらしめているのであるから、厚生大臣が右の承認、許可をなすに際しては、承認、許可申請者をして文献の精査、毒性、薬理試験等の動物実験を遂げさせ数段階の臨床試験を実施させる等して最高の学問技術水準を以てその安全性を確認させるとともに、自らも同様の調査研究を行った上審査を行いその安全性に疑いがあるときは承認、許可してはならず、一旦承認、許可後でも常に文献報告、臨床試験を蒐集した上新たな研究成果を適用して安全性に疑があるときはその旨警告するとともに当該医薬品を回収させるなど適正な規制を加えて重大な結果を未然に防止する注意義務があり、本件医薬品の製造等の承認許可をなすに先立ち安全性を疑わしめるに十分な事実の存することが判明していたのに被告国はこれを看過もしくは無視し以て安全確認義務を怠り夏季下痢、悪性下痢、胃腸炎等に対する整腸剤としてキ剤を承認、許可をした過失及びキノホルムを公定書に収載した過失があるという。

被告国が憲法上、公衆衛生の向上増進に努めるべき責務を有し厚生大臣をして薬事々項を規制させてその適正を図らしめ、薬事法が医薬品の自由なる製造販売を一般的に禁止し各別に厚生大臣の承認、許可にかゝらしめていることは被告国の認めるところである。

二 又被告国が昭和一四年の第五改正日本薬局方の一部改正に於てキ剤原末を同薬局方に収載して以来、昭和二六年の第六改正、同三六年の第七改正にもそのまゝ収載したこと、事実摘示欄の原告らの請求原因の別紙(二)にあるごとく被告国が被告製薬会社らに対しキノホルムを主成分とするエンテロビオホルム、エマホルム、メキサホルム等の各種キ剤製品の製造輸入に許可承認を与えたことは原告らと被告国との間で争いがなく昭和四五年九月キ剤販売中止の行政措置をとった際の許可承認内容が本節末尾の別紙のとおりであることは被告国の認めるところである。

三 被告国は被告会社らと異り製薬企業を営んで収益をあげているものではなく監督官庁として医薬品の製造等を規制しているもので被告製薬会社らとは立場を異にしているのでその責任については別個に考察すべきである。

医薬品の性質、その製造、輸入、販売業者の注意義務、被告製薬会社らがキ剤製品を製造、輸入販売したことに注意義務懈怠があり損害賠償の義務があることは前節で述べたとおりであるところ、後に第四章で認定するように被告国が製造、輸入の許可承認を与えたこれらキ剤製品がわが国内で製造販売され原告らに投与されスモンの発症となったものであり逆にいえば被告国がこれらキ剤製品の製造、輸入に許可、承認を与えなかったならこれらキ剤製品が原告らに投与されなかったのであるから被告国の許可承認とスモン発症との間に相当因果関係があることは明らかである。そこで被告国の注意義務と過失について考察する。

四 尚本件において被告国がキ剤製品の製造を許可した最初は昭和二八年六月三〇日被告武田に与えたエンテロビオホルム「チバ」の許可であり次は同三一年一月一七日被告田辺に与えたエマホルム錠の許可であり一番最後は同三九年八月六日被告チバに与えた強力メキサホルム錠「チバ」の医薬品製造品目追加許可であるがそれが原告らに投与された時期は前節で述べたとおりであるから被告国の責任を問う場合も昭和三五年初頃を以てその基準時とみれば足りるのであるが被告国の場合は少し遡及させて被告田辺にエマホルムの製造許可を与えた昭和三一年一月以降を以て責任を問う基準時とみることとする。従って旧現薬事法下の規制を考えれば足りる。

第二わが国の薬事法制の歴史

丁四二号証、甲五八号証の一、乙二一号証の一、二、甲二一五号証の一、甲七六、七七、一三八、一四五号証によると次のとおり認められる。

医薬制度は人類に不可欠であるとともにこれを全く放任しておいては弊害を招き易いので、昔から国の政治として何らかの形でこれに干渉していたと想像されるが、わが国が欧米に傚い、近代的な薬事法制を定め、医薬品の規制を始めたのは他の文物制度一般と同様、明治以降のことで、次のような経過を辿った。

(1) 明治 七年 衛生行政の組織、医師免許、売薬等についての医制発布、不良薬品の禁令の施行

(2) 〃 一〇年 毒薬劇薬取締規則の制定施行と売薬規則の発布

(3) 〃 一三年 薬品取扱規則の発布

(4) 〃 一五年 売薬印紙税規則の発布

(5) 〃 一九年六月 日本薬局方の公布、翌年七月から施行

(6) 〃 二二年 薬品営業並薬品取扱規則の公布施行と薬剤師試験規則の公布、薬品巡視規則の公布、毒劇薬品目の公布

(7) 〃 四四年 何レノ薬局方ニモ記載セサル薬品又ハ製剤取締ニ関スル件の公布

(8) 大正 三年 売薬法の制定公布

(9) 昭和 七年 売薬部外品取締規則の制定公布

(10) 〃 一八年一月 薬事法の制定公布(旧々薬事法)

この旧々薬事法は「薬事衛生ノ適正ヲ期シ国民体力ノ向上ヲ図ルヲ以テ目的」として従前の薬事関係法令を整備統合したもので、医薬品の製造、輸入移入業者は主務大臣の許可を(二二条)、販売業者は地方長官の許可を(二三条)要することとし日本薬局方収載医薬品はその性状、品質が薬局方所定に適合しなければ製造輸入販売等ができず(二六条)日本薬局方収載外医薬品は容器等に名称、成分、分量、成分不明のときはその本質、製造法の要旨の記載を要する(二七条)とした。又同法施行規則五〇条二項三号五一条は局方収載外医薬品の製造業許可とその変更申請者は、製造品目とその成分、分量及び製造法の要旨、成分不明なるときはその本質及び製造法の要旨並に効能、用法、用量を記載した申請書を提出すべきものとし、同規則八六条は厚生大臣は日本薬局方収載外医薬品につき性状、品質の適正を図るため特に必要と認めたときは名称、成分、分量、その他必要事項を定めることができこれを定められた医薬品は公定医薬品と称され、その所定に適合するものでないと製造販売等ができないと定めていた。

以上の歴史をみると明治以来わが国の薬事法制は序々に医薬品に対する国の規制を強め国民の生命、健康を守るため不良医薬品の出現を取締り、旧々薬事法では後に述べる旧現薬事法と同じく医薬品を公定書収載品と非収載品に分け前者は公定書の規準に適合したものでなければ製造販売してはならず後者即ち非収載品の製造は当該医薬品の効能、用法用量等を記載した申請書によって製造業の許可を受けた者のみが製造できるとしていたので公定書収載品であるかどうかによって取扱を分ける方法は旧々薬事法以来定着していたことを知ることができる。

第三旧現薬事法

一 昭和二三年七月二九日薬事法(法律一九七号)の制定公布、同日施行(旧薬事法)

これは新憲法の制定に伴い旧々薬事法に代るものとして、「薬事を規制し、これが適正を図ることを目的」(一条)として制定されたもので、医薬品とは「公定書に収められたもの、人又は動物の疾病の診断、治ゆ、軽減、処置又は予防に使用することを目的とするもの」をいい、新医薬品とは「その化学構造、組成又は適応が一般には知られていないもの」をいい、毒薬又は劇薬とは「人又は動物の身体にこれが摂取され吸入され又は外用された場合に極量が致死量に近いため、蓄積作用が強いため、又は薬理作用が激しいため、人又は動物の機能に危害を与え、又は危害を与える虞がある医薬品であって厚生大臣の指定したもの」をいうと定義し、公定書とは日本薬局方、国民医薬品集又はその追補をいい、「厚生大臣は医薬品の強度、品質及び純度の適正を図るため、薬事委員会(後に薬事審議会)の意見をきいて、日本薬局方、国民医薬品集又はこれらの追補を発行しこれを公布しなければならない。公定書に収められた医薬品はその強度、品質及び純度が公定書で定める基準に適合するものでなければこれを販売し、授与し又は販売若しくは授与の目的で製造し輸入し、貯蔵し若しくは陳列してはならない。」(三〇条)とし「公定書に収められていない医薬品は二六条三項の規定により厚生大臣の許可を受けた基準に適合したものでなければこれを販売し、授与し、又は販売若しくは授与の目的で製造し、輸入し、貯蔵し、若しくは陳列してはならない」(三一条)とし「医薬品の製造業を営もうとする者は省令の定めるところにより、手数料を納めて製造所ごとに厚生大臣の登録を受けなければならない。

医薬品の製造業者が、公定書に収められていない医薬品を製造しようとするときは品目ごとにその製造について厚生大臣の許可を受けなければならない、厚生大臣が新医薬品その他公定書外医薬品について前項の許可を与えるには薬事委員会の建議に基づいてしなければならない」(二六条)と規定し、同法施行規則二二条は右の許可申請者は「品目、成分、分量、製造法、成分不明の時はその本質、製造法、用法、用量、効能の記載した申請書を提出せねばならない」としていたので厚生大臣はこれらを審査して許可の可否を決すべきものとされていた。

但しこの薬事委員会の建議を必要としていた規定はその後間もなく薬事委員会の名称が薬事審議会と変更され乙一三号証によれば対象医薬品が公定書医薬品を主な有効成分とするとか主な有効成分が既往に受けた公定書外医薬品より成る製剤で従来これに類するものが存在し効能その他の内容が適当なものについては薬事委員会の個々の建議を求めることなく、許可を与える運用が包括建議と呼ばれて運用されたことが認められ(この点は原告らと被告国との間で争いがない)かつ昭和二六年六月の改正で薬事審議会の性格が諮問機関に変じたためこの薬事委員会の建議を要するとした部分は削除された。

その他医薬品販売業者、配置販売業者は登録を受くべきこと、医薬品に関して誇大広告等をしてはならないこと、毒劇薬はその旨を表示し薬剤師でなければ販売等をしてはならないと規定していた。

二 昭和三五年八月一〇日薬事法(法律一四五号)の制定公布、翌三六年二月一日から施行(現薬事法)

本法は旧薬事法を改正し必要とされた整備を行ったもので、従来日本薬局方と国民医薬品集の二本立となっていた公定書を日本薬局方の第一部、第二部となし、厚生大臣の諮問に応じ薬事に関する重要事項を調査審議させるため厚生省に中央薬事審議会(二条)を、都道府県知事の諮問に応じ、薬事に関する都道府県の事務、政令で定める重要事項を審議させるため各都道府県に地方薬事審議会(三条)を設け、厚生大臣の製造許可を受けた者でなければ医薬品を製造してはならない、右の許可は製造所ごとに与える(一二条)、その許可申請者が日本薬局方に収載されていない医薬品の製造承認を受けずにこれを製造しようとする場合は製造業の許可を与えない(一三条)、厚生大臣は日本薬局方に収められていない医薬品の製造承認の申請があったときはその名称、成分、分量、用法、用量、効能効果等を審査して承認を与える、この承認を受けた者は承認の変更を求めることができる(一四条)と定め旧薬事法が許可といっていたのを承認に改め、この承認に際しての中央薬事審議会への諮問は必要的でなく諮問するかどうか厚生大臣の載量に委されることとした。従って公定書収載医薬品については製造業者となることの許可さえ受けておけば個別的な製造承認を要しないことは旧薬事法の場合と同じである。又医薬品の輸入販売業者は営業所ごとに厚生大臣の許可を受けなければならない(二二条)とし、医薬品の販売については一般販売と薬種商販売、配置販売、特別販売に区別し店舗ごとに都道府県知事の許可を要し(二五条以下)、許可を受けた者でなければ、医薬品の販売をしてはならないとし、七九条は許可や承認には条件を付することができるが、それは保健衛生上の危害の発生を防止するため必要な最少限度のものに限り、許可を受ける者に対し不当な義務を課することとならないものでなければならないと規定した。右のように現薬事法は旧薬事法が許可としていたのを承認と改め七九条のような製造業者らの営業の自由を尊重する趣旨に解される規定をおいたがその実質大筋はほとんど同じとみてよい。許可と承認とは観念的には異っているが運用の実際に於て差があるとは認められない。

尚包括建議についても旧薬事法のときと取扱いは同じで本件では被告チバがキノホルムにエントベックスを加えて作ったメキサホルム散チバの輸入承認を求めた時以外はキノホルムが既に公定書に収載されていたので中央薬事審議会の諮問を経ずに許可、承認されたことは被告国の認めるところである。

尚旧薬事法のもとでも現薬事法のもとでも公定書外医薬品の製造輸入の許可承認に当っての詳細な審査基準、許可、承認後における追跡調査、許可承認の取消等に関する具体的規定はなく、それらは専ら行政指導によって行われた。サリドマイド事件に鑑み昭和三八年四月三日に出された「医薬品の安全確保の方策について」という薬務局長通知、医薬品の製造承認等の規制を一層厳格にするために出された昭和四二年九月一三日と同年一〇月二一日の薬務局長通知「医薬品の製造承認等に関する基本方針について」とその「取扱いについて」等は皆通知という形式による行政指導であった。

又旧現薬事法とも医薬品製造についての規制はそのまゝ輸入にも準用され全く同一の規制をしている。

第四薬局方の制定、改正

甲三一九号証、甲三五五号証の一、二、三、甲三五六、三五七号証の各一、二、乙一号証の一、二、乙五号証の二、三、乙六号証の一、二、乙九号証の一、二、三、乙一四号証、乙二一号証の一、二、丁三六、四二号証によると次のとおり認められる。

一 薬局方というのは医薬品の性状、品質を法的に統一し、処方製剤の標準を定めるもので、わが国では明治一九年に最初の日本薬局方が制定され四七〇種の薬品が収載された。しかし薬品の研究は不断に行われ、人間の経験は蓄積されるので小部分の改正、追加はもとより一定期間の経過によって改正がなされるのは必然の運命であり、現薬事法四一条一項も厚生大臣は医薬品の性状、品質の適正をはかるため中央薬事審議会の意見を聞いて、日本薬局方を定めこれを公示する、厚生大臣は少くとも十年ごとに日本薬局方の全面にわたる検討が行なわれるよう改定について中央薬事審議会に諮問しなければならないと規定している。旧薬事法三〇条一項も同趣旨であった。

二 わが国の薬局方は明治二四年に第二改正が行われたのをはじめとして明治三九年(第三)、大正九年(第四)、昭和七年(第五)、同二六年(第六)、同三六年(第七)、同四六年(第八)、同五一年(第九)の各改正日本薬局方が公布施行されてきた。この薬局方を書いたものを公定書という。旧薬事法施行当時、アメリカの影響で米国の国民医薬品集NFに傚い昭和二三年九月国民医薬品集が定められ、その中にキ剤のキノホルミンとキノホルミン錠が収載された(丁三六号証)。従ってその当時はこの国民医薬品集と日本薬局方とを合せて公定書といっていたが現薬事法はこの国民医薬品集を廃止し、日本薬局方を第一部第二部となし、第一部には主として繁用される原薬たる医薬品及び基礎的製剤を収め、第二部には主として混合製剤及びその原薬たる医薬品を収めることとした(四一条)。

三 旧薬事法は公定書に収められた医薬品はその強度、品質及び純度が公定書で定める基準に適合するものでなければこれを販売、授与、製造、輸入、貯蔵、陳列してはならない(三〇条)とし、公定書に収められていない医薬品は厚生大臣より製造許可を受けた品目ごとの基準に適合したものでなければならない(三一条)としていたが現薬事法五六条一号二号は、日本薬局方に収められている医薬品であってその性状又は品質が日本薬局方で定める基準に適合しないもの、右収載外医薬品で製造、輸入、承認を受けた医薬品はその成分又は分量(成分が不明のものにあってはその本質又は製造方法)がその承認の内容と異なるものは製造販売等をしてはならないとした。但し実質上両者の間に差はない。

四 薬局方の機能としては医薬品の純良度を保持し不良医薬品の排除ができること、このため安価に医薬品が供給され、薬剤師、医師等には便利であり、規準が判然しているので行政上の取締が容易であることがあげられている。

五 以上のごとく医薬品は日本薬局方に収載されるか収載されないかによって規制が異っているが薬事年鑑(乙五二号証の三)によると日本薬局方への収載基準は次のとおりとなっている。

(1) 繁用されている医薬品

(2) 繁用されていないが薬効が明らかで治療上重要な医薬品

(3) 治療上必要なもので使用に当って危険を伴う虞があるから規格を一定する必要のある医薬品。

(4) 医薬品の製剤用原料(例溶解補助剤、賦形剤など)

尚甲三五五号証の一、二、三(石館守三の証言)によると繁用ということは有効性が高く安全性も比較的高いという意味であるといっているが、乙二一号証の一、二(中川米造の証言)によると実際はそのとおりではないという。

六 昭和二六年、世界の統一的国際薬局方第一版第一巻が出されたのでわが国の薬局方は第七改正以来収載品の九〇%をこの国際薬局方に依存し同一のものを収載している。

七 薬局方は収載薬品の名称、性状、定量法、貯法を記載するが薬効、用途等は通常記載しない。旧薬事法三一条は「医薬品の強度、品質、純度の適正を図る」ため、現薬事法四一条は「医薬品の性状及び品質を図る」ため日本薬局方を定めると規定しているからである。常用量の記載も必要でないと解されるが、乙三、四、五、六号証の各一、二、三によると第六改正以後は常用量が記載されている。常用量とは乙六号証の二によると医薬品が最も普通に用いられる場合に治療効果を期待しうる量で別に規定がなければ大人の経口投与量をいい、これも参考のため記載される。

以上によれば特定の医薬品が日本薬局方に収載されるということは収載当時に於て繁用の実績をもつか繁用されてはいないが治療上重要又は必要な医薬品であることを国が公認したということにならざるを得ないが、医薬品の性質と、それに対する人間の知見は蓄積されるから流動的で絶対不動というものではないといわなければならない。従って専門家はそういうものとして薬局方を理解すべきものといえる。

尚甲三五七号証の一、二、乙一四号証によると日本薬学会という私的機関が日本準薬方というものを編纂し、昭和四年に初版を、昭和八年に第二改正を、昭和一六年に第三改正を編纂したこと、その企図するところは日本薬局方に随伴しこれを補佐することにあると称し日本薬局方に収載せられていないもの、日本薬局方から削除されたものを収載していたこと、その第二、第三改正にはキノホルムをクロルヨードヒノリンと称し類薬として「ビオホルム(チバ)」を掲げ「一回の極量〇・三g一日の極量一g」応用として「ヨードホルムに代用し無臭なり」と記載していたことが認められる。

第五毒劇薬の指定基準とキノホルム

乙九一号証によれば刈米達夫は昭和一一年七月二〇日発行の「日本薬報」に掲載された「毒劇薬並に毒劇物品目改正に就て」に於て「毒劇薬として一般人に濫に入手させないものとは1.少量にて危害を生ずる虞のあるもの、2.中毒量と薬用量の極めて接近せるもの、3.慢性中毒その他連用により危害の生ずる虞れのあるもの、4.特異体質に対し危険なる反応を呈し易きものをいい、右1にいう少量とは従来の例や諸外国の規定を参照し、大体に於て成人経口致死量一g以下のものを毒薬とし、一g以上一五g以下のものを劇薬とするという標準を仮に設けて参考とした、人の致死量に関する文献の拠るべきものなき薬品についてはやむを得ず、動物に対する致死量を参照し、大体に於て動物の体重一kgに対し経口的致死量二〇mg以下、或は皮下注射致死量一〇mg以下、もしくは静脈注射致死量七mg以下の程度のものは毒薬として考慮し、又同様に経口三〇〇mg、皮下注射一五〇mg、静脈内注射一〇〇mg以下をもって死に至る程度のものは劇薬として一応調査上の参考に供した云々」と述べ、又現薬事法の解説書たる丁四二号証によれば牛丸義留は毒劇薬の指定基準は「(1)急性毒性の強いもの(急性毒性の強弱は五〇%致死量即ちLD五〇mg/kgを以て判断される、毒薬は体重一kgにつき経口投与の場合三〇㎎以下、皮下注射の場合二〇mg以下、静脈注射の場合は一〇mg以下、劇薬は経口投与の場合三〇〇mg以下、皮下注射では二〇〇mg以下、静脈注射では一〇〇mg以下の値を示すものが指定される)(2)慢性毒性の強いもの(長期間連続投与した場合、機能又は組織に障害を与えるおそれのあるもの)(3)安全域の狭いもの(致死量と有効量の比又は毒性勾配により判定する)(4)中毒量と常用量が極めて接近しているもの(5)副作用の発現率の高いもの(6)蓄積作用の強いもの(7)常用量に於て激しい薬理作用を呈するものをいゝ、右の(1)~(7)の何れかに該当するときは毒薬又は劇薬に指定されるのが通例である。即ち急性毒性(1)が弱くても他のものが強ければ指定されるのである」と述べていることが認められるのでこれらを以て毒劇薬指定の基準とすべきところ、丙一五号証丁八九号証(アンダーソンらの昭和六年の報告、生物学的作用に対するオキシキノリンのハロゲン化の影響)によればモルモットに対するキノホルム経口投与によるLD50は二〇〇mg/kg以下即ちその量で七〇%のモルモットが死亡したと述べ又丁一三一号証(デービッドらの昭和一九年の報告ヨードクロルヒドロキシキノリン及びジョードヒドロキシキノリン、動物毒性とヒトにおける吸収)によればビオホルムのモルモットに対する経口投与によるLD50はモルモットで約一七五mg/kgと推定され、子猫で約四〇〇mg/kgであること、キ剤やジョードキンのヒトへの経口投与で、ときに毒性がみられるがもし厳格な管理のもとで行われるならアメーバ症の予防に使用することを妨げるものではないと述べていること、キノホルムがもともと強い毒性、劇性をもっていること、スイス、オーストラリア等がつとに同剤を劇薬に指定していることからみるとその取扱いを厳重にさせるためわが国においても同剤を劇薬に指定すべきものであったことが認められる。

第六キノホルムの日本薬局方収載の歴史

丁二八、二九、三〇、三一、三二、三四、三六、三七号証、乙二一号証の一、二、甲一四五号証、甲二一五号証の一、甲五八号証の一、二によると次のとおり認められる。

一 国は昭和一一年七月三日、内務省令一九号を以て初めてキノホルム原末を第五改正日本薬局方の第三表劇薬表の中に「ヨードクロルオキシキノリン」として収載した。

二 その後昭和一四年八月二三日、厚生省令二七号を以てキノホルムを第五改正日本薬局方の一部改正に追録として次のように収載した(丁三一号証)。

(1) キノホルム、ヨードクロルオキシキノリン  C9H5ONCIJ=305.4

キノホルムは灰褐色微ニサフラン様ノ臭気ヲ有シ殆ト無味ノ粉末ニシテ170°~178°ニ於テ溶解分解シ水、アルコール並エーテルニ僅ニ溶解ス

(2) 本品少許ヲ試験管中ニ熱スレバ紫色ノ蒸気ヲ発生ス本品ノ熱アルコール溶液ハ塩化第二鉄溶液一滴ニ由テ暗緑色ヲ呈ス

(3) 本品ノ0.2gハ熱醋酸エチル4cc熱純アルコール15ccニ澄明ニ溶解シ溷濁スルコトアルモ僅微ニ過クヘカラス

(4) 本品ハ湿潤セル青色リトマス紙ヲ微ニ赤変スルニ過クヘカラス

(5) 本品約0.1gヲ水5cc及ヨードカリ溶液五六滴ト共ニ振盪シ其瀘液ニ澱紛溶液1ccヲ和スルニ藍色ヲ呈スヘカラス

(6) 本品0.2gヲ燃化スルニ秤定シ得ヘキ固性物ヲ残留スヘカラス

(7) 光ヲ遮リ密閉シ貯フヘシ

清水藤太郎編者の「注解第五改正日本薬局方」(丁三二号証)はキノホルムを以て「防腐剤でアメーバ赤痢に内用し又散布剤、軟膏、坐薬として外用する。ヨードホルムより有力で毒性が少い。常用量一回〇・二五g一日〇・七五g」とした。

三 ところが昭和一四年一一月九日、厚生省は省令九号を以て従来劇薬表中に掲げていたキノホルムを劇薬品目中から削除し翌一五年二月一日からこれを施行したためそれ以来同剤は普通薬として収載されることになった。

四 戦争を挾み日本薬局方の改正はしばらく行なわれなかったが戦後アメリカの影響で昭和二三年九月二一日国民医薬品集(その第一版解説は丁三六号証、第二改正国民医薬品集は丁三七号証)が制定されたがキノホルムはそれに普通薬として収載された。但し昭和二二年九月一六日付の薬事日報によると当時の医師会は同剤を重要医薬品から削除すべきことを提案したが結局その案は通らず重要医薬品に指定されて収載された。

五 昭和二六年の第六改正、同三六年の第七改正日本薬局方においてもキノホルムはそのまゝ普通薬として収載された。但し第六改正の原案作成に関与した局方改正審査委員会幹事会は昭和二三年一〇月、同剤を第六改正の収載品目から削除することを決め公表したが結局この案は通らず収載された。昭和二六年厚生省発行の「第六改正日本薬局方」(乙三号証の一、二)はキノホルムの常用量を「一回〇・二g一日〇・六g」とし南江堂発行の「第六改正日本薬局方註解一九五一年」(乙四号証の一、二、三)は同剤の常用量を「一回〇・二g一日〇・六g」としその注で「応用、無刺戟性で強い殺菌、防腐、止血、乾燥の作用があるからそのまゝあるいは一〇%軟膏として外用する。ヨードホルムよりよい薬である。水虫にも初期ならばよくきく。内用としては腸内異常醗酵、急性腸疾患に腸内殺菌、防腐の目的に使用する、一回〇・二g一日三回症状によりて増加してさし支えない、製剤Entero Vioform(Ciba)はキノホルム〇・二gを含み、腸内で乳化と分布を容易ならしめるためサパミンを配伍した錠剤で、アメーバ赤痢の治療に使う。Viome-tin(武田)はキノホルムにベクチンを同量配伍した粉末及び錠剤でアメーバ赤痢、バランチジウム赤痢、ランブリア性伝染病その他各種細菌並に寄生性腸疾患腸内異常醗酵、腸チフスあるいは熱帯地方の胃腸障害等に使用する。一日三回〇・二五~〇・五g(一~二錠)づつ服用する」と載せ、はじめてキ剤がアメーバ赤痢以外の胃腸障害に効くとチバのエンテロビオホルムと武田のビオメチンを紹介した。

但し南山堂発行清水藤太郎、不破龍登代共編の「注解第六改正日本薬局方(初版昭和二六年)は昭和二九年発行の追補訂正第三版(丁三三号証)に至るもキノホルムを「アメーバ病薬、防腐剤で、アメーバ赤痢に用いる。腸内のアメーバ赤痢には急性慢性ともによく運動型、胞嚢型のアメーバに有効である。直腸投与は無効である。又トリコモナス腟炎に用いる。又軟膏や散布剤(一対九)として外用する。ヨードホルムよりも効あって毒性は少い。常用量一回〇・二g一日〇・六g」と記載するに止まりアメーバ赤痢以外のものへの投与は紹介しなかった。

六 然るに厚生省発行の「第七改正日本薬局方第一部」(乙五号証の一ないし五)はキノホルムの常用量を「一回〇・二g一日〇・六g」としたものの広川書店発行厚生省薬務局推薦日本公定書協会責任編集の「第七改正日本薬局方第一部解説書」(乙六号証の一ないし三、丁三四号証)は同剤の常用量を一回〇・二g一日〇・六gとしながらその注に於て「薬効、本品は各種細菌(ブドウ球菌、レンサ球菌、大腸菌、チフス菌、肺炎菌など)及び原虫(アメーバ、ランブリア及びトリコモナス)に対して殺菌又は発育阻止作用を有している。内服により腸内殺菌、防腐、異常醗酵防止などの作用を発揮する。外用薬として局所に適用しても刺激性がなく、防腐殺菌乾燥及び止血作用を示す。副作用は極めて少ない。本品の代謝に関してはほとんど知られていないが内服された大部分は吸収されることなく腸管を通過するものとみなされている。適用、外用には粉末のまゝ又は五~一〇%含有の軟膏又は坐薬として使用する。創傷、火傷、化膿剤、とこずれ、トリコモナス腟炎など及び手術中の防腐、殺菌、止血等の目的に用いられている。水虫にも初期は有効である。内用としては細菌性の下痢、胃腸炎等には一日量〇・六~一gを三回に分服する。アメーバ赤痢の急性症には一日二~三gを一〇日間投与、慢性症には一日〇・九~一・五gを一~二週間、細菌性赤痢には一日一・五~二gを投与する」と記載し、広川書店発行厚生省薬務局推薦日本公定書協会責任編集「第七改正日本薬局方第二部解説書」(丁三八号証)、は「複方キノホルム散」の注において「キノホルムは無刺激性で殺菌、防腐作用があり、腸内異常醗酵、急性腸疾患に腸内殺菌、防腐の目的に使用する」と説明した。

右のように、第六改正、第七改正日本薬局方自体はキノホルムの常用量を一日〇・六gに抑えていたのに南江堂発行の「第六改正日本薬局方註解一九五一年」と、広川書店発行、厚生省薬務局推薦の第七改正日本薬局方第一部及び第二部の解説書が投与量を増加し、適応症をアメーバ赤痢から細菌性下痢、胃腸炎に拡大し、副作用は極めて少いとか内服された大部分は吸収されることなく腸管を通過する等と解説を施したことがキ剤を下痢一般に広く制限なく投与される役割を担ったといえる。

被告国自ら「本件医薬品の効能、用法、用量について承認したのは前記第七改正日本薬局方の解説書によった」といっているがその解説書を推薦しているのが外ならぬ厚生省薬務局であるからその不明は自らの責任といわねばならない。

七 又前記第五で述べたようにキノホルムはその毒性、劇性からして当然劇薬に指定して取扱いを厳重にすべきであったに拘らず、昭和一四年、それまで劇薬として公定書に収載されていたものを解除して普通薬として収載したのであるが、その解除理由については当時は中国との戦争が拡大していたため戦地用と外地帰りの軍人への使用を容易にするためでなかったかと想像される外、乙二一号証の一、二によると証人中川米造は、昭和一四年五月厚生省の東京衛生試験所の技手篠崎好三が同剤の中間原料たる5クロル8オキシキノリンの製法特許を取得し同試験所が同剤の製造を始めたこと、昭和二一年八月八洲化学株式会社(被告田辺がその後買収した会社)が厚生省よりキノホルムの製造機械を譲受け篠崎好三が同社に入社したため、曾て篠崎好三の直接上司で局方改正審査委員でキノホルムの審査を担当していた近藤龍が削除に反対したのと当時日本に強い影響力のあったアメリカの薬局方(U・S・P)第一四版が従前の第一三版迄収載していなかったキノホルムを収載したためでないかと推測し、甲五八号証の一、二、及び証人片平洌彦の証言によると同人は自らの調査に基づき「日本でキノホルムが最初劇薬に指定されたのは当時のスイス薬局方に傚ったためだがそれをその後解除したのは、被告らのような製薬会社の、同剤はほとんど吸収されず無害、安全だという申請によったためでないかと推測される。しかし投与されたキノホルムが吸収されることはデービッドらが一九三三年以来指摘しているところであり、キ剤を開発し世界各地に販売して来たのはその後ガイギー社と合併したチバ社でありその本社はスイスのバーゼルにある。その本拠のあるスイスではキノホルムが一九〇七年以来今日迄劇薬に指定されているのであるからチバはこれを十分知って日本では普通薬として大量に阪売したのである」と述べていることが認められることに加え、前記のごとくキノホルムは劇薬とされるに相当する劇性をもっていることに鑑ると同剤の劇薬指定を解除したこと、その後も厚生省がこれを劇薬に指定しなかったことに合理的理由を見出すことはできない。

第七被告国の安全確保義務と注意義務

一 以上第一ないし第六に述べてきたところによると旧現薬事法が医薬品を製造、輸入、販売する者は予め許可、登録を要し、医薬品を公定書収載品と非収載品に分け前者は公定書の定める規準に則った性状純度をもつことを要し、後者の製造等については品目毎に厚生大臣の許可、承認を要するものとし、その許可、承認の申請があったときは厚生大臣は成分、分量、用法、用量、効能、効果等を審査して許可、承認を与えることとし、厚生臣が公定書収載、削除を決定し毒劇薬を指定すると定めているのは国がこれを以て厚生大臣をして国民の生命、健康に重大な影響をもつ医薬品の適正な規制即ちその有効性と安全性を確保させるためであって、そのために厚生省があり薬務行政が行われていると見るべきである。現薬事法には七九条二項のように厚生大臣が与える許可や承認に付する条件は保健衛生上の危害の発生を防止するため必要最少限度のものに限り、許可を受けるものに不当な義務を課することとならないものたるを要する旨、即ち製薬業者らの自由を尊重せねばならぬという趣旨の規定があるけれども旧現薬事法の基本目的はあくまで有効安全な医薬品の確保にあるのであって、製造業者らの利益はその上でのことに過ぎないといわねばならない。医薬品が両刃の剣であることは全当事者の主張するところで有効性だけでは足りず、安全性を考慮せねばならぬものであるから有効性という片面のみを審査して足りるものである筈がない。

二 わが国の薬事法制の歴史、旧現薬事法の規定からしてそれが医薬品の性状、品質を確保し、これに違反した不良医薬品を取締る警察法規の性格をもち、公定書外医薬品の製造輸入の許可、承認に当っての詳細な審査基準、審査手続、審査機関、許可、承認後における追跡調査、許可承認の取消等に関する規定のないことはその通りであるが、このことは許可、承認の審査に当り行政上弾力的な運用を可能にするものでこそあれ、安全性の確保のための審査義務がないことを意味するものでは到底あり得ない。

昭和二五年九月二六日、薬務局長が発した「医薬品、用具、化粧品の輸入販売業者の薬事法に基く諸手続について」という通牒が、公定書外医薬品輸入販売許可申請に当っては「新医薬品については特にその内容が判明し得るよう文献、臨床実験成績又は該品目について詳細に説明する文書を添付せしめること」と指示し(丁七八号証)昭和三五年五月新医薬品製造許可申請書添付資料の基準が作られ、昭和三七年以来出版されている厚生省薬務局監修の「医薬品製造指針」が「新医薬品の承認申請の取扱いについては先づ第一に薬事審議会の幹事会に於て当局と専門の委員との間で検討され更に一部のものは厚生大臣の諮問により薬事審議会において審議される」「新医薬品製造承認申請書には当該医薬品の(1)基源又は発見の経緯に関する資料、(2)構造決定等物理的、化学的基礎実験資料、(3)効力及び毒性に関する基礎実験資料、(4)臨床実験に関する資料、(5)外国文献等その他の参考資料の添付を要する」「臨床実験はダブルブラインド法を採用するなど慎重な配慮を要する」(丁七九ないし、八二号証)と述べ、サリドマイド事件を契機として米英西独等の外国では医薬品の安全性確保のため新立法が行われたがわが国では新立法を行わず、昭和三八年四月三日、薬務局長が、新医薬品の承認審査には従来の基礎実験に加えて当該医薬品の胎児に及ぼす影響に関する動物試験成績の提出を求め、製薬課長がその動物試験方法を具体的に指示し(丁八〇号証)昭和四二年九月一三日薬務局長が医薬品の規制についての取扱を集大成し、医薬品の製造承認等に関する基本方針を発し、副作用報告の提出、添付資料として従来のものの外医薬品についての経時的変化等製品の安定性に関する資料、急性、亜急性、慢性毒性に関する資料、薬効を裏づける試験資料、一般薬理に関する試験資料、吸収、分布、代謝、排泄に関する試験資料、精密かつ客観的な考察がなされている臨床試験資料等多方面の資料の添付を求め更に同年一〇月二一日、薬務局長が「医薬品の製造承認等に関する基本方針の取扱いについて」を発し医薬品の添付文書容器、被包に記載する禁忌症、副作用その他特別な警告事項等使用上の注意案の提出を求める等前記基本方針を徹底するための取扱方針を指示し(丁八二号証)、昭和四六年六月二九日薬務局長が新医薬品、配合剤、麻薬その他の薬品について従来の資料の外三ヶ月又は一年以上の期間についての経時変化成績に関する資料その他の資料の提出を指示し(丁八三号証)以て各方面から安全な医薬品の確保に努めたことは形式は通知という行政指導であるが、旧現薬事法が医薬品の有効性とともにその安全性を確保せねばならぬ義務を負っているからに外ならないし、それが可能だから前記のような行政指導が行われたといわなければならない。総じて公務所、公務員に与えられている権限は義務によって裏打ちされているものである。

又甲三二〇ないし三二四号証によって認められるように昭和二五年に製造許可申請のあった抗結核薬チビオン(チオアセタゾン)は厚生省が二年余をかけて毒性その他の研究解明に当り昭和二七年一〇月二一日になってようやく医師の直接指導下に服用する場合は有効であるとして申請者三〇数社に製造許可をなしたこと、甲三四三号証によって認められるように有名なサリドマイド事件訴訟の和解に於て厚生大臣がサリドマイドの製造を許可したことは安全性の確認について落度があったとしてその責任を認めたこと、甲三四四号証によって認められるように昭和四三年五月七日の参議院社会労働委員会々議に於て厚生大臣がサリドマイド事件に関連し、「医薬品は理論的な上に動物、人体、臨床の各実験を経て万間違いのない場合に許可すべきものである、サリドマイドの場合もおかしいと思ったら直ちに製造中止、販売中止を命じてその上で実験すべきであった、製薬会社は人の生命につながる企業体であって一般企業体ではない、製薬企業だけは厚生大臣に企業育成の責任を負わされている」という趣旨のことを述べているのは厚生大臣が重要な薬務行政の一環として医薬品の安全性を確保する義務を負っていることを物語っているのであり、旧現薬事法が医薬品の安全性確保を重要な目的としていないといったらその存在価値の大半は失われ国民は失望する外ないであろう。

後に説明するごとく当裁判所は医薬品の安全性確保の第一義務者はあくまで製薬業者等の企業自身にあるとみるのであるが、製薬業等を営利事業である企業側の自由に任せておいただけでは営利に走り危険を顧ない弊害が出るのでそれを防止するため国が後見的に医薬品の有効性と安全性即ち有用性の審査をなし規制しているのであって被告国に安全性確保義務のあることは当然のことといわなければならない。

三 以上のごとく当裁判所は被告国は医薬品の公定書収載の決定、毒劇薬の指定、公定書外薬品の製造輸入等の許可承認の権限を適正に行使し以て医薬品の有効性と安全性を確保すべきであるといったが旧現薬事法が厚生大臣に与えている権限責任はこれのみに尽きるものではなく、その延長としてこれらの権限が行使され一旦公定書への収載、毒劇薬の指定、公定書非収載品の製造輸入の許可承認がなされた後に於ても医薬品就中化学薬品はその性質上未知の分野が多く、学問上の知見、各種の実験、臨床例は蓄積され研究は進み、又進まねばならぬものであるから常に追跡調査を行い、一旦なされた各種決定がその後不適当と判ればいつでもこれを取消し変更する権限を含んでいるとみるのを相当とする。

被告国は右のような権限は旧現薬事法に定められていないというが研究の進歩とともに公定書の収載が常に改定すべきものであることは薬事法の予定しているところであることは勿論、キノホルムが一度劇薬に指定されていたのに解除されて普通薬になったのがその例であるように毒劇薬の指定又は不指定が不相当と判ればこれを変更するのは当然のことであり、製造、輸入の許可承認もその製造輸入が一回限りで終了するものはほとんどあり得ず、引続き行われるのが通常であるから月日の経過によって不相当と判ればその取消、変更をすることは可能であり薬事法はそれをできないとはしていない。前にも述べたように厚生省が本件キ剤について昭和四五年九月販売中止の行政指導をしたのもそれが可能であればこそ出来たことといわねばならない。変更というのは許可承認の内容を部分的に修正することをさす。その許可、承認に永遠の生命を与える等と考える余地はない。

四 医薬品の製造等に対する許可承認は、当該医薬品の有効性と安全性とを比較考量する有用性の判断の外社会の需要等種種の要因を考慮してなされるもので行政になじみ易い自由裁量の面のあることは被告国の主張するとおりであるがその安全性は直接国民の生命、健康に影響し本件スモン患者の重症例がそうであるように取返しのつかない重大な結果を生むのであるから、その当時における最高の学問水準、知見を以て慎重、綿密な審査を行って決めるべき性質のもので、安全性に疑があって薬品としての価値に疑問があれば簡単に許可、承認をなすべきものでないから安全性の面で自由裁量の余地はほとんどないものというべきである。又それでも尚厚生大臣がこれを許可承認する必要のある場合はその本質を説明し反作用を警告し、用法、用量、投与期間、従ってその総投与量はいかにあるべきかを十分検討し、安全、有効な領域を設定してそうした内容の許可、承認をなすべきであって過大投与、無制限投与を許すような結果の発生を未然に防止すべきものといわねばならない。

医薬品の有用性を判断する手段方法は民訴法の弁論主義のような制約があるわけでないから厚生大臣は申請者たる製造業者等に動物実験、臨床その他内外の各種資料の提出を命じ又自ら内外の文献を収集調査する等あらゆる手段を用いて審査し許可、承認、又はその取消変更等の処分を行うべきものといわねばならない。当裁判所は被告国が常にあらゆることを自ら実験せねばならないとは考えないが必要な実験は申請者にそれを命じ結果の報告を提出させて検討すればできるものと考えるしそれで不十分なものは自ら実験することを辞すべきでなく、その規模等の理由で自ら実験できないものはそれができるまで許可、承認を待たすなり、販売中止を命じて安全性の確認をなすべきものである。

五 被告国は医薬品製造の許可、承認等薬事法の目的は公衆衛生の向上、増進という公衆の利益を保護するにあって、その結果個々の国民が副作用のない医薬品の供給を受けられるのはその反射的利益に過ぎず、かゝる利益が侵害されたとして国と第三者たる国民との間に於て不法行為は成立しないという。

確かに一般国民が国の行政その他の施策によって受ける恩恵、利益には濃淡様々のものがあって、行政事件訴訟等における原告適格は行政処分の取消等を求めるにつき直接法律上の利益を有する者たるを要することは被告国の主張するとおりであり、行政上の規制や取締りが不充分で、そのため国民が損害を被っても国の規制や取締りの不充分さを理由として国に不法行為責任を問うことはできない場合が多いのであるが医薬品は基本的人権の中一番根幹をなす国民の生命、健康保護のため国が排他的全面的にこれを規制し、国民の自由な製造、輸入販売を許さないとともに消費者はその実体を知る能力と機会に欠け、製薬会社の宣伝、能書とそれらを許可、承認した国の判断を信頼する外ないのであるから製薬業者らの安全性確保義務の後見として被告国の許可、承認等によって守られている国民の利益は抽象的な反射的利益に止まらず、法律の保護を受けている具体的な国民各自の利益であると認めるのを相当としこれに反する被告国の見解は採用できない。

本件原告らは被告国が行ったキノホルムの公定書収載とかキ剤製品の製造、輸入の許可、承認という行政処分の取消又はその無効確認を求めているのではなく、国は単なる警察国家たるに止まらず、積極的に国民の福祉増進に努力せねばならないと定めた憲法二五条等のもとにある旧現薬事法によって国に課せられている医薬品の安全性を守るという適正な処置を国がとらなかった過失のため原告らの生命、健康が侵されたことを理由として不法行為の責任を追求しているのであるから被告国の注意義務とその懈怠、損害との因果関係の有無を判断すれば足りるのである。契約当事者間に生ずる債務不履行責任と異り、不法行為責任は特定の当事者間に発生するのではなく、国や地方公共団体を含む法人たると自然人たるとを問わずこの社会に於て要求される注意義務を怠り、このため他人に損害が生ずれば誰にでも損害賠償の責任が発生するものなのである。

第八厚生大臣の注意義務の懈怠

一 キノホルムは前節で述べたごとくアメーバ赤痢殺滅用として内用が提唱されたもので本来毒性をもち又劇薬に指定されるのが当然という劇性をもっているものであるからその内用はアメーバ赤痢等の原虫殺滅用に限らるべきで広く胃腸炎とか下痢止、整腸剤等に用いらるべきものではなく、又これをアメーバ赤痢の治療のため用いるとしても使用者にその性質、反作用を警告し、その投与量もデービッドらの提唱に鑑みわが国では一日三回、一回につき〇・二g、一〇日間投与してみて一週間以上の休薬期間をおき更にもう一〇日間投与する位が限度であるから一日の投与量、総投与量を右の限度に制限すべきものであったのに被告製薬会社らはこれを無視し、数多くの胃腸疾患、多くの下痢、はてはそんなことに役立つはずがない消化不良、腸内異常醗酵等の予防に効くといって各種キ剤製品の製造、輸入等の許可、承認の申請をなしてきたのに対し審査に当った厚生大臣(実際は担当係官、中央薬事審議会委員等)は、基準時以降当時既に、前節の製薬会社らの責任について説明したごとく、キノホルムが不可逆的に人の神経を侵す可能性をもっていることを示す文献、報告、警告があって予見は可能であったのであるから、これを慎重に審査し、投与すべきでない疾患への投与、過大投与となるものはその許可、承認をしないか或は十分な投与制限をした上、許可、承認をなすべきであったのに、キノホルムが既に日本薬局方に収載されていることに安住し、キノホルムは内用されても吸収されないか、吸収されても少くて有害でないといった誤った報告を軽信し、詳細別紙のごとく適応症はアメーバ赤痢以外に極めて広範囲に、投与量は一日〇・六gをはるかに超過し増量せば一・六から四・五g迄可能等と被告製薬会社らの申請を容れ被告チバ、田辺に各種キ剤製品の製造、輸入等を許可、承認したため被告製薬会社らがその宣伝力にものをいわせアメーバ赤痢等余り発生していないわが国でキ剤製品の大量販売を行うことを可能にしたものであるから厚生大臣従って被告国には旧現薬事法によって守るべき注意義務を怠った過失があったといわねばならない。

被告国が被告製薬会社らに与えた別紙の許可、承認の内容を見るとエンテロビオホルム錠チバの場合に「大腸炎には本剤を一〇~一五日間内服し」、等とあるように投与総量の制限を示すやに解される部分が一部にあるが一五日間というのが既に多いしこれ以上投与せばいかなる結果になるかという警告がなければ本当の制限とは理解できず、アメーバ赤痢の場合に糞便検査陰性となっても休薬期間をおいて更に治療を続けるとある等必要以上の投与を促す部分があるのになぜこれらを許可、承認したか理解に苦しむ部分さえあってキノホルムの実体について当然なすべき検討を怠ったとみるより外ない。

被告国は厚生大臣の行う承認、許可は自由裁量行為であるから裁量に逸脱、濫用がない限り違法とすることはできないという。しかしこの場合の自由裁量をキノホルムに危険性のあることが判っていても他にこれに代る薬品がないから許可、承認したというのなら理解できるが本件はそうした場合でなくキノホルムにはその危険性を上廻る程の必要性があったと認むべき理由はないのでこの点に関する被告国の主張は採用できない。

二 又かりに厚生大臣が基準時の初期に於てスモンのような疾患を予見できる可能性に乏しいものがあったとしても時日の経過とともに文献、報告、知見が増加しその予見可能性は深まりキノホルムの実体を把握しようとすればできたのであるから一日でも早くこれを察知し、既に与えた許可、承認を取消すなり、せめてアメリカFDAが行ったような警告をなし、投与制限を指導したならば厚生省がキ剤製品の販売中止措置をとった昭和四五年九月をまつことなくキノホルムの投与は中止又は制限されそれだけスモン患者の発生を防止するか症状の増悪を阻止し得たのにことここに出ることのなかった点にも厚生大臣に過失があったといわなければならない。

三 被告国が許可、承認した本件キ剤製品は主要成分のキノホルムにサパミン、CMC等の添加剤やエントベックスが加わって作られたものなるところ被告国がエントベックスが加わったメキサホルム散チバの場合を除きいわゆる包括建議で審査しその許可、承認をなしたことは被告国自ら認めるところであるがこれら添加剤等が全部常に安全とはいえず(甲二三四号証の一、丙二〇一号証によるとサパミンは陽イオン性の界面活性剤で殺菌、消毒、乳化作用毒性をもち、〇・一g/kgのサパミンを経口投与されたマウス八匹の中三匹が死亡したというチバ社の実験報告がある位である)、それ自体は安全であってもこれらがキノホルムに添加されることによってキノホルムの生体内への吸収、代謝作用に変化を与えるものであって薬効に変化を来す可能性があり本件キノホルムがまさにその例であるように当該薬剤が日本薬局方に収載されているから安全が保証されているというものでもないから、審査を簡略にしてよいとはいえずこれら添加剤が加ったものにつき新薬として許可承認の申請があった時はキノホルムの再吟味のためにも十分審査するよい機会であったのにそうした配慮の少なかったことを遺憾とせざるを得ない。

被告国の主張や証人高野哲夫の証言によると厚生省に提出される新医薬品の承認申請件数は昭和四二年薬務局長の基本方針が通知される迄は年間六、七千件から一万件あり、右の基本方針以後は年間三千件内外であること、それに対する審査担当官は外国特にフランス等に比較すると大変少く不十分であったことが認められるのでそれがいわゆる包括建議を生み綿密な審査を欠く結果を生んだ一原因と推察されるが薬務局の実情がそうであったからといって厚生省の懈怠責任を緩やかにみることはできない。営利を目ざし徒らに新薬品を作って許可、承認申請をしてくる業者らに自粛を促し真に有用性のあるもののみの申請を指導し厳正な審査ができるようにすることも行政当局の使命というべきである。

四 尚、当裁判所は本節第六の六で説明したごとく、昭和三六年に発行された広川書店発行の厚生省薬務局推薦日本公定書協会責任編集「第七改正日本薬局方第一部解説書」「同第二部解説書」が充分な調査、研究と慎重な考慮を払ったとは思えないのに過去の幾つかの臨床家の報告や多分被告製薬会社らの申請をそのまゝ信じてキ剤製品の適応症、投与量を拡大し、副作用は極めて少く内服された大部分は吸収されることなく腸管を通過する等と解説したことは厚生省薬務局推薦とあって当時の厚生省係官が関与したに違いないと思われるだけにその影響と責任は大きいものと判断する。市井の単なる出版物と異り厚生省薬務局推薦の薬局方解説書とあれば権威をもち多くの読者がその内容を信じたであろうし、それがキノホルムの無制限投与を助長したであろうことは明らかであり執筆者と推薦者の氏名は明らかにできないがこれだけをみても厚生省薬務局係官の過失は免れない。

五 国家賠償法一条一項は「公権力の行使に当る公務員がその職務を行うについて故意又は過失によって違法に他人に損害を加えたとき云々」と規定し過失の外に「違法に他人に損失を与えた」ことが要件となっているように見えるが当裁判所はこれを民法七〇九条と別異に解釈せねばならぬとは考えず、当該公務員の守るべき義務を判定し、それを怠った過失があれば違法性があるのが原則で、違法性阻却事由のあることは被告国側の抗弁として考慮すれば足りると解するところ、被告国はこれら薬品の製造輸入の許可承認後に於てその取消、変更をなさなかったことが行政庁の権限不行使の違法となるためには、三権分立の建前から行政権限を行使するかどうかの第一次判断権が行政庁にあるを以て(1)当時その公益侵害の状態が一義的に明白であると判断しうること、(2)行政権限の行使こそ被害回避の唯一ないし最も有効な手段であり、行政権限が行使されなければ回復し難い損害が生ずるような救済の緊急の必要がなければならないところ、本件原告らが引用するキノホルムに関する文献報告は報告のあった当時これを見る者をしてキノホルムにより重篤な副作用が発生するとの認識を抱かせることが一義的に明白であったとはいい得ず、又被告製薬会社らが本件医薬品による副作用の発現を認識しながら敢て製造販売行為を続けていた(被害の原因者自らが被害の回避措置を採らず、行政権限の行使しか被害回避手段がない)場合であったと認めることはできないと主張しているので考察を加える。

この主張は医薬品の製造等が一旦許可、承認された後、これを取消変更することは厚生大臣の自由裁量によるのであるが、この自由裁量の余地がなくなって取消、変更をしなかったことが違法だと見られるのは前記(1)(2)の場合に限るというにあると解されるが、先づ危険な医薬品であることが判っているのにそれを規制する厚生大臣にそんなに広い自由裁量の権限があるとみるべきでないし(1)第二章で述べたように昭和三〇年以降スモン患者は増加の一途を辿り救済を必要とする状態にあったことは明らかであるから公益侵害が一義的に明白であったといえる場合に当り、(2)昭和四五年九月、厚生省の行ったキ剤製品の使用中止措置でスモンの発生が一挙に止ったように本件の場合は被告製薬会社らが被害の回避措置をとらず、まさに厚生省の使用中止措置こそ被害回避の唯一又は最高の方法であったという場合に当りかつ、(3)キノホルムがスモンの原因であることはバロスの警告以来知見が深まり被告製薬会社らも厚生省ももっと真剣にキノホルムの本質を追及せば更に早期にこれを探知できたのにその探究をしなかったに過ぎない、即ち予見可能性があったのに過失によって予見しなかったに過ぎず、国民の生命健康を守る責任をもつ厚生大臣のこの対応は十分非難に値するものであるから違法性をもつものといわなければならない。営利本位の製薬企業はともかくとして厚生省さえしっかりしていて早期に規制してくれたらもっと早くスモンの発生を防止できたのにとの国民の嘆き、非難は即厚生大臣の不作為に対する評価といえる。

尚被告国は、国がキ剤製品の製造等に許可承認を与えた後、その取消変更等の行政権限を行使したとしてもこれを強制力を以て被告製薬会社らに従わせる根拠がないから行政権限不行使と損害との間に因果関係がないというがその程度の指導力しかない厚生省ならその存在意義が問われるだけであり、弁論の全趣旨によれば実情はそんなことはないと判断できるのでこの点に関する被告国の主張も採用できない。

六 以上のごとく当裁判所は被告国は予見できかつ予見すべきキノホルムの反作用を予見せず、キ剤製品の製造輸入の許可、承認を行い又その後もその取消変更をしなかったためスモンの発生、増悪に原因を与えたとみるものであり予見可能性については被告製薬会社らの責任について述べた前節第一~第九までの説明が被告国の責任に着いてもそのまゝあてはまるので右の部分の説明を全部ここに引用する。

七 よって厚生大臣従って被告国には厚生大臣が与えた各キ剤製品の製造、輸入についての許可、承認、その後に於てその取消又は変更をなさなかった点に過失があるので国家賠償法一条一項により、これを相当因果関係にある被害者に生じた損害を賠償すべきものといわねばならない。

八 公定書収載の過失について

何度も述べたごとくキノホルムの用途は消毒のための外用、アメーバ赤痢、トリコモナス腟炎、腸性末端皮膚炎に限らるべきであり、甲五六号証によると、わが国におけるキノホルムの生産販売量は昭和一四年から二〇年頃迄は年間四〇〇~八〇〇kg位でその外にエンテロビオホルムの販売量が昭和一一年から同一五年迄は年間一・二~三三・九kgあり、昭和二八年は三八・三kg、昭和二九年でさえ一七六・五kgにすぎなかったこと、その頃からその生産販売量が急激に増え、昭和四四年になるとエンテロビオホルムの生産販売量が一〇、六七二・五kgキ剤原末の製造輸入量が三六・三tと最高量に達していることが認められるのであるが、その使用量が急激に増加したのはスモンの発症と同様、昭和三〇年代以降のことでそれと同時に本件の薬害を起しているのであるからこの程度の数字実績では戦後国民医薬品集が作られた頃や第六改正日本薬局方が制定されたときは未だ繁用といえる程のものでなく、その後の使用量の増加は被告製薬会社らが下痢止めその他数多くの胃腸疾患に効くと宣伝したことから生じた作られた繁用に過ぎないこと、昭和二二年九月当時医師会がキノホルムを公定書に収載することに反対したこと、同二三年六月第六改正日本薬局方の原案作成に関与した局方改正審査委員会幹事会もキノホルムを日本薬局方の収載品目から削除することを決めて公表した事実があること、もしキノホルムが第六改正以降の日本薬局方に収載されなかったなら包括建議という安易な方法で本件キ剤製品の製造輸入等の許可承認がなされなかったこと、被告製薬会社らが公定書に収載されたことは国がキノホルムの安全性を保証したものである等という主張ができず、慎重に安全確認を行ったであろうとみられること、第六、第七改正薬局方制定の審査に当った石舘守三も繁用というのは有効性が高く、安全性も比較的高いことをいうといっていること、アメーバ赤痢のためにもキノホルムがなくてはならぬという程重要とか必要性の高いものとみることはできず、わが国の第九改正薬局方もその収載をやめたことに鑑みると、被告国がキノホルムを公定書に収載したことがスモン発症の原点とみられるので公定書収載を過失だという原告らの主張には理由がある。ただ日本薬局方は当該医薬品の性状、品質を保つことが使命でその用途、用法、投与総量について直接指導したわけでなく、原告らに投与されたものはキノホルムを含んだ製品で何れも被告国の許可承認を得ているのでそこで過失を問えば足りること前記のとおりであるからこれ以上言及しない。

第九被告国の責任と医師の責任との関係

医薬品製造の許可承認は医薬品の有用性を総合的、統計的に判断したもので具体的に個々の患者に投与された場合全ての患者に有用であることを意味せず、医師が当該患者の疾患程度、状態、推移を把握し専門的な判断によって投薬するのでなければ医薬品の副作用から患者を守ることは不可能であることは被告国の主張するとおりであり、いかにキノホルムが製造されようとも医師が投薬しなければスモンの発生をみなかったことは事実で本件原告らの発症につき医師にも重大な責任のあることはいうを俟たないが一方被告国がキノホルムを普通薬として公定書に収載し各種のキ剤製品の製造等を十分な反作用警告、投薬制限を指示せずに、許可、承認したため医師がそれを信頼しこれを投与したことも事実であり、本件原告らの中には医師を経由せず、直接薬品店からキ剤製品を購入使用した者もあるから医師の介在によって被告国の責任がなくなるわけではなく両者の責任は併存する関係にあるので被告国に責任なしということはできない。

第三節製薬会社らの責任と被告国の責任との関係

第二節で述べたごとく当裁判所は被告国に過失ありとしその責任を肯定するものであるがわが国は自由経済の社会であって、国民一般、企業の自主的創意工夫を尊重し国の規制はなるべく少しとすることを以てよしとしていることも事実であり、(薬事法七九条はその配慮といえる)被告製薬会社らは自らの企業利益創出のためキ剤製品を売出し、その結果多数の被害者を出したものであるから損害賠償の第一次的責任者はあくまで企業者であって被告国というべきではない。製薬会社らが被告国を同列の加害者とみることは厳に慎しむべきである。而して被害者に対する関係では被告国も被告製薬会社らもともに全部義務を負う不真正連帯の関係にあるが内部関係をみれば第一次加害者は製薬企業者であって被告国の責任は民法七一五条の使用者責任又は連帯保証責任に類似しているとみるのを相当と考える。斯様に判断することの明文の根拠はないが民法七一五条が、直接の加害者はあくまで直接の行為者であるがそれでは被害者の保護に欠くるものがありかつ企業は被用者を使用し被用者の行為によって企業が成立っていることに鑑み、被害者に対し加害者と不真正連帯の責任を負わせている趣旨は本件の場合に類推されてよいと考えるからであり被告国に過失があるとしてもその過失の程度はこの医薬品の製造販売業者たる被告製薬会社らと同列とみるべきでないと考えるからである。又契約なくして連帯保証責任が発生する根拠は乏しいが以上のごとき責任の性質は主債務者たる企業に対する連帯保証責任者のそれに類似しているといえるからである。

第四章損害

第一節損害総論

第一スモンの認定について

一 被告らの主張

被告チバ、同田辺は、本件各患者につきすべてスモンであることを争っている。その主張は大別して次の諸点に分けられる。

(一) 原告ら提出にかかる書証(診断書、投薬証明書など)及び原告本人尋問の結果並びに鑑定結果からはスモンである証明がされていない。各患者がスモンであることを認定するためには、その診療録(カルテ)の提出が不可欠であるところ、カルテは一部の者についてしか提出されていない。また被告国申請にかかる鑑定は、本件各患者がスモンであること及びその症度の結論のみを記載した簡単なものでおよそ医療鑑定の名に値せず、かかる鑑定結果をスモン認定の資料に用いることはできない。

(二) スモンと類似した疾患は種々多数あり、本件各患者は厳密な鑑別診断を要するが、(一)の主張の如くスモンである立証は不十分であり鑑別診断がなされていない。

(三) 本件各患者の中にはキ剤の服用がごく少量で発症した者や服用量に比して重症になった者がおり、さらに症状の経過とキ剤服用とが対応しない者もいるのであって発症ないし症状とキ剤との投薬関連がないか明らかでない者が多い。

右のとおり主張するので以下順次検討することにする。

二 スモンの臨床症状等について

前記(一)、(二)の主張に関連して被告らは原告ら(被相続人を含む)の中にスモンの典型症状からはみ出した者もいること、原告らの提出した資料の中には客観的な他覚的所見に関するものがないものが多いこと、(三)との関連で被告田辺はスモン特有の腹部症状発症前のキ剤の服用がないか、極く少ない者がいることなどを主張するので、ここで今一度スモンの臨床症状及び臨床検査所見につきやや詳細にみていくことにする。

甲四三号証、二一一号証、戊三八五号証によれば次のとおり認められる。

(一) スモンの臨床症状

1 腹部症状

前叙の如く本症が注目されはじめた初期の呼称は腹部症状を伴う脳脊髄炎症や下痢を伴う脳脊髄炎であったように下痢をはじめとする腹部症状は本症に特異なものと考えられていた。又この腹部症状は下痢、腹痛、便秘、鼓腸、悪心、嘔吐など様々であり、痛みの性格も鈍痛から疝痛まで種々であった。

その後キノホルム説が登場するに及び本症の腹部症状はキ剤投与の対象となった腹部症状とキ剤投与によって出現するとみられるひどい腹痛、腹部膨満、便秘を主体とする特異的な腹部症状とに区別して考えられるようになった。

ことに東京都I病院においては手術後腹部症状のない患者にも予防的にキ剤投与が行われ、その結果嘔吐、腹痛、下痢などの腹部症状が起きた事実やスモン班において、祖父江、安藤、藤原らが五施設で神経症状発現前の腹部症状とキノホルム投与状況が判明している三四八例について調査し、キ剤投与後内容の異った腹部症状が七割の症例についてみられ、キ剤投与後ひどい腹痛、腹部膨満、便秘が著しく増加し、その持続期間は大凡一五日間以内であった調査結果(甲四三号証、スモン班昭和四七年度研究業績)などはキ剤投与によって特異的腹部症状が起きることを強く推定させるものである。

前叙のとおり被告田辺はキ剤の服用によって起こる特異的腹部症状をしばしばキ剤投与の原因となったと認められる腹部症状の中に求め、そこからキ剤とスモン発症との関連性を否定しているが、右主張は被告田辺独自のもので到底採用することはできず、各原告につき個別にその不合理なことを指摘することはしないこととする。

2 神経症状

(イ) 初発神経症状

神経症状は両下肢ことに足部のしびれ感で始まることが多い。しかし歩行障害が初発したり、異常感が大腿部から始まったり、下肢冷感、足の知覚過敏、下肢筋痛、視力低下、下肢全体や大腿・下腹部のしびれ感、脱力や倦怠感で初発したことを指摘する報告例もある。したがって初発症状が、足部しびれ感でないからといって必ずしもスモンを否定する論拠とすることはできない。

(ロ) 神経症状の完成

神経症状の完成は急性ないし亜急性で数日から二週間とされているが時には一、二か月にわたり進行するものもある。症状が上行性の進展をたどることは多くの研究者が認めているが、下肢全体に同時にしびれをきたすものや、下行性の進展を示すものも少数例ながら認められたという報告もある。

(ハ) 知覚障害

スモンの知覚障害は全例にみられた中核的な症状である。両側性で末梢優位性であり、その上界は不鮮明で明らかな横断性レベルを示さない。知覚の障害レベルは腰、腹部で停止するものが多く第一〇胸髄、第一腰髄の高さに相当するものが五三~八九%と報告されている。膝のレベルについての報告もかなりみられるが、足部のみの知覚障害例については少なく、一〇%前後の報告例がある。上肢の知覚障害は下肢の知覚障害が上行して腹部に及ぶころにしばしば出現するが、下肢に比べて頻度は低く、軽度で一過性であることが特徴である。スモン協の報告によれば知覚障害は九二・六四%、両側性のもの七二・〇二%、下半身に強いもの八一・四四%、上界不鮮明なもの三二・六八%、上肢の知覚障害一三・一五%となっている。

知覚障害の内容は特異的で、長時間正坐したさいに起こるようなしびれを感じることが非常に多い。又触覚が鈍麻しているのにかかわらず、衣服が触れたりするとピリピリするような嫌な感覚を訴える。

他覚的には触覚、痛覚、温度覚、深部知覚の障害が認められるが、多くは知覚鈍麻でときに過敏な場合もある。しかし右の異常知覚がこれに加わるため判定がしばしば困難となる。

スモン協の報告では異常知覚ありというものが九二・五三%「ものがついているような感じ」が四一・〇二%、「しめつけられる」が三一・四九%、「ジンジンする」が五〇・六〇%その他の異常知覚が六・七六%で下肢の深部知覚異常ありというものが五五・七四%となっている。

これらの知覚障害は日によって程度が変化し、特に寒冷、運動、便秘、女性では月経時に増強することがあるが、いずれにせよ神経症状の中で知覚障害は必発の症状であり、かつ中核的な症状で最後まで残存して患者を長く悩ませている。

(ニ) 運動障害

上肢の運動麻痺は少ないが、下肢の運動麻痺は非常に多く、起立、歩行が障害されるが、一般に不全麻痺のことが多い。

下肢麻痺は一般に弛緩性麻痺で筋緊張の低下がみられ、一部に痙性で両下肢が交叉するものがある。またときに失調性歩行がみられるが深部知覚障害がかなりの頻度にみられることからも当然のことと考えられる。上肢の運動麻痺は、知覚と同様に頻度も低く軽度で一過性のことが多いが知覚障害レベルの高い症例に多い。

スモン協の報告では下肢の筋力低下を示したものは五九・二%、上肢の運動障害は六・一七%である。

(ホ) 腱反射及び異常反射

下肢の深部反射は、膝蓋腱反射が亢進し、アキレス腱反射については膝蓋腱反射が亢進例でもしばしば減弱ないし消失する傾向が認められる。膝蓋、アキレス両腱反射の減弱ないし消失する症例では末梢神経炎との鑑別が紛わしいが、腱反射は末梢神経障害と脊髄障害との組合わせで決定されるものであるから、末梢神経障害優位の場合にはこの場合もあり得る。

上肢の腱反射異常は一般にはさほど多くはない。

異常反射はバビンスキー、ロッソリーモ反射の陽性に出るものが一・四%から七三%までさまざまな頻度で認められている。

スモン協の報告では、錐体路徴候を認めるものは五七・八五%、下肢腱反射亢進ありとするものは四四・一〇%、バビンスキー反射陽性例は一三・五三%である。

(ヘ) 視神経障害

視力障害は下肢の知覚異常や脱力感などの神経障害を訴えてから一か月かそれ以上経てから発現するものが多く重篤例に多い。一般に両眼の視力障害が同時に現われ、その変化は平行した経過をとる。視野は両側性の中心暗点と求心性の視野狭窄とがみられる。眼底所見は両側に同程度の乳頭全面褪色ないし耳側褪色が認められている。

眼症状は視力減退(自覚的)、霧視から全盲に近い状態に至るものまでその程度は様々で、一過性で軽快するものもあれば終始全盲で経過する悲惨な症例もある。

スモン協の報告では両側性視力障害の頻度は二〇・一三%、全盲は二・八%である。

(ト) 脳神経障害

複視、構音障害、嚥下障害、聴力障害などの脳神経症状を訴えるものがある。スモン協の報告では六・七一%である。

(チ) 膀胱直腸障害

発病初期に尿閉、残尿感、失禁、高度の便秘などなんらかの膀胱直腸障害が多いが、その程度は種々で排便、排尿は随意であるが排泄感がなかったり、残尿感を訴えたり、完全排泄が不能であったりするものもある。スモン協の報告ではその頻度は一五・五八%である。

(リ) 精神症状

楠井らは経過中に著明な神経質、不安、焦躁感を訴え、ときには絶望感、厭世感を訴えるものがあり、自殺を企てた者を含めると三六%に及んだと報告し、他にも同様の報告例があって、軽度の精神症状を呈するものがかなりあることは事実であるが、患者は急激な知覚運動障害の出現に衝撃を受け異常知覚に悩まされているからこれが本症固有の症状であるか否かを判断するのは困難である場合もある。

(二) 臨床検査所見

1 血液所見

血液像として高度な貧血を呈するものは少なく、白血球数も正常範囲内のものが多い。血清たんぱく像も低たんぱくを指摘する報告もあるが必ずしも特異な所見とはいえない。

2 肝機能検査

井形らは一過性のトランスアミナーゼ上昇例のあったものやGPTがGCTより高値のものが多かった報告をしているが、一方島田らは肝機能検査の悪い症例は五五例中三例(肝硬変、胆石症、慢性肝炎)のみでグルクロン酸抱合能の検査に異常のなかった報告をしている。

3 髄液所見

髄液の変化(髄圧の異常、蛋白の上昇、細胞蛋白解離など)は一般に乏しく、スモン協の報告では髄液の異常例は一・一九%である。

以上の如くスモンの中核症状である知覚障害のうちの異常知覚はかなり特異的であり、その他の個々の症状はそれ程特異的ではなくとも、右症状の組み合わせにスモンの特徴があるといえる。又しびれ感や物がついているなどの異常知覚は他覚的検査によって認めることはできず、本人の訴えによるしかない。したがってスモンか否かの認定にあたっては各原告ら患者が右異常知覚を有するかどうかあるいはその症状経過はどうであったかが極めて重要な要素であるところ、それらは自覚症状であるから結局医師に対する訴えや本人尋問の結果によって認めるほかなく、これは右訴えや供述の証明力の問題に帰するのであって、原告ら提出にかかる証拠資料に他覚的症状や臨床検査所見の記載がなく、又カルテの提出がなくともスモンに特徴的な異常知覚の存在と発症から現在までの症状経過及びキ剤の投与歴と症状との関連などからスモンと認められる場合があるのである。

また右の臨床症状として認定したごとく、スモンの各症状は唯一の症状変化があるわけではなくて様々な態様をとることが多く、たとえば初発症状として足のしびれ感以外のものがあり、知覚障害は鈍麻ばかりでなく昂進例もあるのであって、個々の症状をみればスモンに多いとされているのと異った又は逆の症状が現われる場合もある。しかしだからといってスモンが否定されるわけではなく、そのような場合には右の非典型的な症状だけではなく、他の症状及び症状経過などを全体的に観察して判断すべきである。被告らの主張の中にはこれらの非典型症状をいわば揚げ足取り的にとらえて非スモンを主張することもあるが、かような主張に対しては逐一説明する要をみない。

なお本件の一五名の鑑定人団の作成にかかる鑑定結果報告書は、原告らがスモンであるか否かの結論、その症度及び鑑定に用いた資料の標題の記載しかなく、右結論を得るに至った理由の記載がないので、この点で不十分といわざるを得ないが、鑑定人団はいずれもスモンに造詣の深い研究者であり、鑑定結果は右鑑定人団の協議に基づくものと考えられるのであり、資料の不足分については追加資料の提出を求めたり、鑑定人団の一人である藤原哲司医師が直接患者を診察してニューロロジックレコードを作成しているのであって、鑑定結果の信用性は高いというべく、被告ら主張の如くおよそスモン認定の資料に用いることはできないとは到底言えない。

三 類似疾患との鑑別について

スモンは二でみたように特異な臨床所見を示す病気であり、腹部症状に続く急性又は亜急性の神経症状、下肢遠位部に強い特有な異常感覚、上行して時に腹部、上肢に及ぶ上界不鮮明な感覚障害、しばしばみられる下肢の筋力低下と錐体路徴候、時にみられる視力障害、膀胱障害、緑舌、精神症状に注目すればスモンの診断は可能である。(戊四六四号証)ここではスモンに類似した臨床像を呈する疾患につきスモンと鑑別しうる点を検討する。

(一) 悪性貧血

丙六〇号証の二、丁一一九号証の八、戊二一、四八、四八七、五九六号証によれば次のとおり認められる。

悪性貧血はかつてその予後がきわめて不良な貧血と目され、その病因も不明であったが、その後の研究でビタミンB12の吸収が不良であることによることが判明し、ビタミンB12の非経口投与が本貧血に劇的効果のあることがわかった。本症は欧米人の間ではよくみられるが、我国では欧米諸国に比してその頻度は著しく低い。

悪性貧血はビタミンB12の全身性欠乏を主体とする疾患でその症状も全身症状、胃腸症状、神経症状、貧血のための症状など多岐にわたるが、神経系の異常は亜急性連合側索硬化症と呼ばれ、脊髄ならびに脳の白質に広範囲にかつ不均等におこってくる変性を主体とする病変で、通常脊髄後索がまず侵され、次いで側索も侵されるようになる。

臨床症状は、後索性運動失調、四肢遠位部に強い異常感覚、下肢に著しい筋力低下、深部反射低下又は亢進、錐体路症状などで、異常知覚(しびれ感や痒感、蟻走感、冷感などの錯感覚)は下肢のみならず上肢、腹部、胸部にも出現することがあり、他覚的深部覚低下を伴う。時に表在覚低下をみることがある。

一般内科的所見として高色素性貧血、舌炎、胃液低酸性、巨大赤芽球出現などがある。

一般内科的所見に注意すればスモンとの鑑別は可能であるが神経症状の上での鑑別は必ずしも容易でない。ただ深部感覚障害、運動障害が共に強く、また眼症状はスモンのようにしばしばみられるわけではなく極めて稀である。

(二) ペラグラ

丙六〇号証の二、戊四五、六六、四八七号証によれば次のとおり認められる。

ビタミンB1やニコチン酸の欠乏状態により起こり胃腸症状(食欲不振、嘔吐、下痢)、対称性皮膚発疹、舌炎、精神症状(錯乱、マニア、メランコリア、痴呆など)、上下肢の感覚障害と異常感覚、四肢遠位部の脱力、深部反射の減弱ないし消失、錐体路症状、瞳孔反応減弱、振顫、錐体外路症状などを呈する。

ビタミン剤(ニコチン酸、ビタミンB1)の投与により症状の改善がみられること、全身症状と末梢神経以外の精神症状、瞳孔反射減弱、錐体外路症状などに注目すればスモンとの鑑別は可能である。

(三) 多発性硬化症及びデビック病

丙六〇号証の二、六六号証、丁一一九号証の八、戊二一、四五、六七ないし六九号証によれば次のとおり認められる。

厚生省特定疾患・多発性硬化症調査研究班の診断基準(一九七二)は次のとおりである。

1 多発性硬化症(M・S)

a 発病年令は一五~五〇才(若年成人に多い)

b 中枢神経に多発性の病巣に基づく症状がある(脳、脊髄、視神経などに二か所以上の病巣症状を有す)

c 症状の緩解や再発がある(時間的多発性という)

d 他の疾患を除外できる(腫瘍、梅毒、脳血管性障害、頸椎症、血管腫、スモン、ニューロベーチェット病、小脳変性症など)

2 視神経脊髄炎(Devic病)

急性両眼視力障害(視神経炎)と横断性脊髄炎があいついで起る(数週間以内)

本症はM・Sの一部である。

3 MSの疑い

a~dの条件のうち何れかを欠くもの

参考

A 以下のような場合にはMSを考える

1) 視神経炎の他に神経症状(反射異常、麻痺、しびれ、運動失調など)を示すもの

2) 脊髄症状に眼筋麻痺や眼振などを伴うもの

3) 小脳症状(運動失調、眼振など)と脊髄症状(下半身麻痺など)、脳症状(片麻痺など)が次々と起るもの

4) 脊髄炎の反復するもの

5) 視神経炎の反復するもの

B 急性散在性脳脊髄炎、急性脊髄炎も将来MSになる可能性がある。

C 症状の左右差:スモンはほとんど左右対称的に起るが、M・Sは左右非対称を示すことが多い。

右のことから多発性硬化症(MS)とスモンとの鑑別は容易であるといえる。なお椿はデビック病との鑑別点として次の点をあげる。デビック病では腹部症状が先行することは殆んどなく、下肢の運動障害と知覚障害は同時にかつ急性に出現するのが普通であり、また脊髄の病巣部位に一致して明確なレベルを有し、また病巣部位より上部である上肢には障害をみないが、またもし上肢に別の病巣があった場合は上肢の障害が起こる訳であるがこの病巣は巣性のため左右対称に症状が出ない。

(四) ギラン・バレー症候群

丙六〇号証の二、丁一一九号証の八、戊二一、四五、四六、四九ないし五一、五三五、六〇七号証によれば次のとおり認められる。ギラン・バレー症候群の病因は現在のところ不明であるがその特徴は次の如くである。

1) 前駆する症状として咽頭発赤、扁桃炎、急性結膜炎、胃腸障害、微熱など感冒様症状が1/2~1/3の症例にみられるが必発ではない。

2) 前駆症状が消失して一~二週間以内に神経症状が現われ、異常知覚と共に急激に四肢麻痺が起こる。

3) 運動麻痺は多くは下肢末梢に始まり上肢、顔面、さらに重ければ呼吸筋へと伸展し麻痺も重くなる。

4) 知覚障害も運動麻痺と平行して進むが、運動麻痺の重さに比べ、知覚障害は軽く、他覚的障害に乏しく多くは一過性でありグローブストッキング型が普通である。

5) 筋圧痛、神経伸展痛がみられる。

6) 腱反射は減弱、消失するが皮膚反射はしばしば保たれる。

7) 脳脊髄液は細胞増多を伴わない蛋白増加すなわち蛋白細胞解離を示す。

8) 六か月以内治癒が多く予後良好で再燃、再発は殆んどない。

右の如く、ギラン・バレー症候群は、前駆症状、知覚障害の程度、態様、発現様式、下肢の深部反射の減弱、脳脊髄液の異常、予後などの点でスモンと異るほか、膀胱障害、錐体路徴候、運動失調が稀で、視力障害は殆んどない一方、しばしば顔面神経麻痺があり、球麻痺も稀ではないところがスモンと異なり、スモンとの鑑別は必ずしも困難ではないといえる。

(五) 抗結核剤ニューロパチー

戊六二ないし六五、五三二号証によれば次のとおり認められる。祖父江、安藤らは愛知県下の九病院に入院中の結核患者にアンケート調査及び実地検診を行ない、抗結核剤ニューロパチー九七例を得、これに名古屋大学病院第一内科の自験例(九例)を加えて抗結核剤ニューロパチー(イソニコチン酸ヒドラジドによるもの七五例、エタンブトールによるもの三一例、それぞれINH―NP、EB―NPと略称する)の神経学的検索を行ないその結果を報告している。

(1) INH―NPの臨床特徴

INH服用開始からしびれの発症するまでの期間は三年までのものと四年以上のものが相半ばし、一年未満のものは一割に過ぎず、逆に六年以上のものが三割を占め、比較的長期間の服用中に徐々にしびれが進展してくるものが多い。

初発症状は手足のしびれが四〇・〇%でこれに手、下肢のしびれ、上下肢のしびれを加えると五四・七%になり足しびれ三六%と下肢しびれ九・三%を加えたものより高率になる。

表在知覚障害レベルは膝以下のものが七割を占め、下肢末端部程障害が強い。上肢ことに手に他覚的にも知覚障害を認めるものが四一・四%でこれに自覚的にだけしびれを訴えるものを加えると七割を超える。下肢の振動覚障害は八一・四%にみられたが軽度ないし中等度までの障害例が多くロンベルグ徴候は約一五%で陽性であった。下肢の筋力低下は二一・四%、上肢のそれは一四・七%に認めたに過ぎない。

深部反射は上下肢とも軽度亢進例が三例あったが例外的であり、膝蓋腱反射は過半数で低下ないし消失し、アキレス腱反射は八割以上の例に低下ないし消失していた。

しびれ発症後の視力障害例は四例あったが二例は自覚的な視力低下のみであり、他の二例は白内障によるものであった。

INH投与を中止すれば軽快に向かい、ビタミンB6を含む複合ビタミン剤を併用すればINH投与を継続してもかなりの例は軽快する。

(2) EB―NPの臨床特徴

EBの服用開始から神経症状発症までの期間は六四%が二か月以内に、全体の九割が四か月以内に発症し、最も長いもので一〇か月であった。

初発症状は足のしびれに始まるものが約半数を占め、手足のしびれは一六%である。表在知覚障害レベルは第一腰髄が最も多く次いで膝であって足首以下の軽症は一割である。知覚障害の程度は下肢末端部程強い。上肢の知覚障害は三割でINHに比し頻度は低い。

下肢振動覚障害は全体として八三・三%にみられ、軽度よりも中等度ないしは高度障害例が多くロンベルグ徴候は二二・六%で陽性であった。

下肢の筋力低下は三五・五%、上肢の筋力低下は一六%で、また下肢の筋萎縮も二二・六%にみとめられた。

深部反射ではPTR亢進四五%、低下ないし消失は三二%、ATRでは亢進三割、低下ないし消失が六割であった。

視力障害は視力〇・一以下の高度障害例が四八・五%と約半数を占め軽度視力障害例も二二・六%に及び、自覚的に見にくくなったとするものが約二割あり、視力障害のないものは三例に過ぎなかった。視力障害と下肢のしびれの間隔をみると二二例中一三例が下肢しびれ発症後二か月以内に視力障害が発生し、六か月以上の間隔のあるものは二例に過ぎない。

EB―NPは右のように単に末梢神経障害にとどまらずにMyelo-optico-neuropa-thyないしはOptico-polyneuropathyの型をとる。神経症状はEBを比較的早く中止すれば恢復しやすいが、かなり高度の障害例や中止時期の遅れたものでは恢復がかなり困難となる。

(3) スモンとの比較

INH―NPではglove and stocking typeのpolyneuropathy型を示すが、EB

NPとスモンとは末梢神経障害に脊髄病変を伴ったmyelo-neuropathy型を示しさらに視神経障害がみられる点が特徴的であり類似している。

しかしスモンとEB―NPとの比較では、スモンは前駆する腹部症状や特異な異常知覚がある点及び知覚障害レベルが第一〇胸髄のものの率、失調、中等度以上の下肢運動障害率がEB―NPに比し高率である点で異っており、又高度の視力低下はEB―NHに高率にみられる。

以上のとおり認められ、これらの諸点に注意すればスモンと抗結核剤ニューロパチーとの鑑別は可能であるといえる。

(六) 糖尿病性ニューロパチー

戊四七、六六、四六四号証によれば次のとおり認められる。

糖尿病性ニューロパチーは糖尿病のコントロールが不十分な場合に起こりやすい。

多くは知覚障害が優先し、初発症状では下肢のビリビリ感を含む異常知覚と痛みで、軽度又は中等度の下肢の脱力を示すが完全麻痺は稀である。アキレス腱反射は多くは消失し、膝蓋腱反射は約半数で消失する。他覚的知覚障害は下肢の遠位部にみられ、深部覚障害もしばしば見られる。筋の圧痛もみられる。これらの四肢の神経障害のほかに、本症の特徴として自律神経失調症状がみられる。すなわち足部の浮腫や発汗の欠如、足の爪の変型、起立性低血圧などである。

腹部症状がなく又錐体路症状はみられないところがスモンと異る。

(七) 尿毒症性ニューロパチー

戊四八七、五八三号証によれば次のとおり認められる。

尿毒症に伴うポリニューロパチーのほかに血液透析に伴うものもある。足のビリビリ感、灼熱感などの異常知覚が強く、知覚障害と共に運動障害をみることもある。上肢にもみられるが一般に下肢に強く知覚障害の方が運動障害より強い。

尿素窒素の増加、クレアチニン・クリアランス(糸球体瀘過値の検査方法)の低下、血清電解質異常があり、腹部症状に続いてポリニューロパチーが起こるとは限らず、視力障害もなく錐体路症状もみられずスモンとの鑑別は可能である。

以上のとおりスモンの類似疾患を個別に検討してもスモンとの鑑別点を指摘することは可能であり、各原告ら(被相続人)がスモンに罹患したか否かの認定にあたっては、右の鑑別点に留意して判断することにするが、これに加えて発症前にキ剤を服用した事実のあることはスモンを認定するにあたって重要な資料となると考えられる。ことに一日服用量及び服用期間がそれぞれ大量、長期のものはスモンに罹患しやすい傾向があるのであり(第二章、第一節、第二、七、(二))、右の点に加えて、キ剤服用と発症との間の時間的近接性にも着目すれば、キ剤の服用歴はスモンの罹患を推認する有力な事情というべきである。

四 症状の投薬関連について

(一) 再燃について(甲二〇七、二一一号証)

井形は再燃の多くはキノホルムの再投与によっておこっているが、その直前にキノホルムを服用しない再燃も少なくなく、井形らの統計でも約半数が後者であること、再燃には程度の差があり単なる慢性症状の自然変動として理解し得るものがあるが確実な再燃のみをとってもキノホルムと関係のない例は確実に存すること、実験家兎で得られた知見から体内に残留したキノホルムに何らかの因子が加わり再燃に至る可能性が強いことなどを述べており、祖父江もスモン班昭和四八年度研究業績の中で、「再燃六〇件の分析ではキ剤を服用していない期間にみられた再燃はその程度が軽度から中程度のものが多いのに対し、キ剤服用中の再燃では中等度~重度のものが多い」と述べているのであって、キ剤非服用中に再燃が起きることはスモンでは稀ではなく、その原因としてキノホルムが体内に残留することが想定されているのであって再燃時にキ剤の服用がなくともスモンを否定する論拠とはならない。

(二) 少量発症について

丁二、八号証によれば次のとおり認められる。

スモン協における前記一八班員キ剤服用状況調査結果では発病前六か月以内のキ剤服用量別スモン患者の割合をみると、服用量がわかっている五〇八名中一g~一〇gの者は六二名(一二・二%)一一g~二〇gの者は八四名(一六・五%)であり、全国調査の結果では服用量の判明している九五〇名中一~一〇gは一三六名(一四・三%)、一一g~二〇gは一九五名(二〇・五%)であった。右二つの調査結果は前叙のとおり正確かつ厳密な疫学調査とはいえないがそれでもおおよその傾向を知ることができる。右のとおり一〇g以下の服用で発症した者がそれぞれ一〇数%あるのであって、キノホルムが一〇g以下の少量投与しかなされていないという理由でスモンを否定することはできない。

(三) キノホルム投与量と臨床症状との関連

被告らは本件原告の中にキ剤服用中止後も症状が悪化したり、キ剤服用中に症状の軽快がみられた例があり、これらについてはキ剤との投薬関連が認められず、したがってスモンと認められないと主張する。

しかし井形もキノホルム服用中発症し投与が続行したにかかわらず症状が軽快することや投与を中止しても必ずしも軽快しないことは稀ではなく、個体側の種々の条件や適応能力等多くの因子が関与しているものと考えられ今後の検討が必要である旨述べており(甲二一一号証)山本俊一もスモン班昭和四八年度総合報告で臨床経過が服用、非服用間及び大量服用、少量服用間で大差がないことをその他の諸点と合わせて今後の解明に残された問題点として掲げている(甲二〇七号証)のであって、被告らの前記主張はキノホルム説論者の自認するところであり、今後解明を要する検討課題として意識されている。このように症状経過と投薬との間に関連が認められないことがあることはスモンに稀ではないのであるから、そのこと故に直ちにスモンを否定することはできないことは明らかである。

第二損害額について

スモン症状がキ剤の投与によって発生したものであること、それには被告らが責任を負うべきものであることは第二、三章で説明したとおりであるが、本件原告らがそのキ剤によるスモン患者の被害者であることは当裁判所が鑑定を依頼した一五人の専門家による判断と提出された書証、証人、原告本人尋問の結果によって明らかでその詳細は各原告について説明する第二節の各論のとおりである。これらの証拠で明らかなように原告らスモン患者は下痢等の症状の治療のため医師の診断を受けてキ剤製品を投与されたり、医師を経由せず薬局等からキ剤製品を買入れて服用したところ却って劇しい痛みの腹部症状を来し、ついで両下肢の末端部辺からしびれ感その他の知覚障害が始まって上向し、股関節部、臍部辺に及び異常知覚、運動障害、視力障害、失禁等を来し、この知覚障害は神経を侵されたことによるため、リハビリテーション訓練等により多少よくなることがあるかも知れないが現段階ではほとんど有効な治療方法がないという悲しむべき被害を被っている。具体的には重症者は人間の日常生活に必須な歩行と視力に障害を来し、その他の障害のため進学、就職、結婚、昇進の道を断たれ、離婚を余儀なくされ、はてはこの病気の苦痛に堪えきれず自殺の道を選んだ人がある等肉体的な苦痛はいうに及ばず、精神的、経済的に大きな負担、損失を被り、その家族にしても看病のため職を変え、あるいは進学、結婚を思いとどまった者がいるなどその人生に大きな影響を受けたもので、患者の苦痛とその波及するところは真に大きく、特に人生の最高の活動期にあった人、これからその活動期に入ろうとしていた人がスモンに罹患し大事な人生をこの病気のために苦しみ、これからも苦しまねばの苦痛は測り知れないものがある。又本件原告ら本人尋問でいつも訴えられたように曽てスモンの原因がウイルスによる伝染を伝えられたためその当時周辺の人々がこれを危険視し、自然と原告らを遠ざける結果となった時の孤独感も無視できない苦痛といわなければならない。

そして、これらの被害は原告らが専ら医師を信頼し一方的に被害者とされたもので原告らに責めらるべきものは全くなく、又日常生起する他の事故と異なり原告らが加害者となる可能性は全てないという特徴をもっている。

尤も次節の各論で述べる各原告の症状、既往症を見ると原告らの中には結核、虫垂突起の手術、下痢、その他の既往症をもつ体質の上にいわば毒というべきキ剤が投与されたため健常な人に比べ症状が重くなったという面も否定できないがそれ故にこそ治療を求めたのであるからこうした点はそれが相当因果関係の範囲にある限り被告らの責任に消長を来すべき性質のものではない。

そこでこうした原告らの損害をどう評価すべきかは大変難しいことであるが、なるだけ個別具体的に正確な評価をなすよう算定方法として次の点を考慮した。

一 症度による区分

原告らの症状を大まかに一ないし三度にわけ(主に鑑定結果に基づく)さらにその中で適宜段階をもうけた。

二 年令加算

若くして患者になったものはそれだけ青春を失い、苦痛期間が永いという想定で年令加算を考慮した。

三 稼働能力加算

人間は成年に達すれば男性は就職し女性は主婦となりともに一家の中心的存在となるのが常態であるから、男性については就職していたものも就職していなかった者も女性は結婚していたものもしていなかったものも差別せず一定年限迄働ける能力をもつものとして加算を行った。

四 介護費用加算

本件原告らの中寝たきり、失明、歩行不能等により日常生活上介護を要すると認められる者についてはその症度に応じ三段階に分けて介護費用を加算した。

五 弁護士費用

本件訴訟につき被告らに負担さすべき弁護士費用は原則として五〇〇〇万円をこえるものは五%、三〇〇〇万円を超えるものは六・五%、それ以下のものは七・五%を以て相当と認めた。

六 遅延損害金の起算日

原告らは本件損害金の遅延損害金の起算日を昭和四五年九月七日としているが原告らが請求し、当裁判所が認容する損害金は通常の不法行為による場合のごとく治療費、逸失利益、休業損害金、慰藉料等と細分せずこれを一括したもので本件口頭弁論終結時における一切の損害を勘案して算定している特殊事情があるので本件の遅延損害金の起算日は弁護士費用を除き一率に本件口頭弁論終結時たる昭和五四年五月一一日の翌日より起算することとした(弁護士費用は判決云渡の日の翌日から)。従って時効の問題等は考慮しない。

被告国は損害をこうした方法で包括請求することに異論を述べているが斯様に多数の原告の事件については慰藉料にすべてを織り込むことも許されるものと解する。

第二節損害各論《省略》

第五章結び

以上の次第で、主文添付の別紙認容金額一覧表のとおり、各原告らに対し関係被告らは各自同表認容額欄記載の金員及び同損害額欄記載の金員に対する昭和五四年五月一二日から、同弁護士費用欄記載の金員に対する昭和五四年七月三日からそれぞれ完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払義務を負うというべきであり、原告らの本訴請求は右の限度で理由があるからこれを認容し、原告らの右認容額及び遅延損害金を超える請求並びに原告西本裕、同青木恵美子、同江川耕、同岡本素子の被告田辺製薬株式会社に対する各請求及び原告宇野トクの被告日本チバガイギー株式会社、同武田薬品工業株式会社に対する各請求はいずれも失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項但書を適用し、仮執行宣言については、同法一九六条一項によりすべての原告らにつき被告国に対しては三分の一、介護を要する等の重症の原告については関係被告会社に対し各三分の二、その余の原告らについては関係被告会社に対し各二分の一の限度でそれぞれ仮執行宣言を付し、その余の仮執行宣言申立及び仮執行免脱宣言申立は不相当と認めてこれを却下することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 菊地博 裁判官 川鍋正隆 裁判官 天野実)

〈以下省略〉

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